厳流島へ ”いざ!”
三姉妹と姪四人で宮本武蔵と佐々木小次郎{決闘の聖地」へ~
唐戸桟橋より船で10分(往復400円)
この船に乗ります~・・・揺れる~ゆれる、10分で到着
正式な名称は島の形が舟に似ていることから、船島。
武蔵に敗れた小次郎の流派「厳流」をとって、
巌流島と呼ばれるようになりました(パンフより)
佐々木厳流之碑
人工海浜・・・「伝馬船」
武蔵が伝馬船に乗って島に渡り、小次郎と戦った
その当時を偲び、イメージして設置されたそうです。
小高い丘の上・海峡を背景に武蔵・小次郎像
巌流島歴史絵巻
武蔵・小次郎像の直ぐ側をひっきりなしに大型船が行き交っています
時折「ボー」っと・・・聞こえて来ます
明治から大正にかけて埋め立て工事が行われ、現在では当時の約6倍にあたる
103,000㎡になりました。
釣りデッキが設けてあり釣りが出来ます
厳流島を後へ唐戸へ帰って来ました
日本で最初に屋上庭園が作られた「秋田商会」 詳しくはこちら
”厳流島の決闘 "
1612(慶長17)年4月13日に長門の国船島(現在の厳流島)で
宮本武蔵(当時29歳)と佐々木小次郎が決闘をしました。武蔵は、細川與長らの
決闘の承諾を受け、小次郎に決闘を申し込みました。約束は辰の刻(午前8時)
でしたが、武蔵の到着が遅れ島に着いたのは、巳の刻(午前10時)になりました。
小次郎は波打ち際で武蔵を迎えました。遅参に怒った小次郎は鞘を投げ捨て、刃渡り
三尺はありそうな刀を抜きました。武蔵の前頭部にに降り下ろされましたが、刀は
武蔵の鉢巻の結び目を切っただけで、かわりに武蔵の長い櫂が小次郎の頭を
打ち砕き、小次郎は、ばたりと倒れました。
武蔵はとどめを刺すことも忘れ舟へ飛び乗り、下関へと急ぎました。
敗者を想う地元の人々は敗れた小次郎の流派をとって後に
「厳流島」と呼ぶようになりました。パンフより~
今日の庭の花・花を活ける
二―カンパニュラ??
大きな花と思って苗を買ったが小花・・・・
始めて見る花でした
名前は??(大株に育っています)
三姉妹と姪四人で宮本武蔵と佐々木小次郎{決闘の聖地」へ~
唐戸桟橋より船で10分(往復400円)
この船に乗ります~・・・揺れる~ゆれる、10分で到着
正式な名称は島の形が舟に似ていることから、船島。
武蔵に敗れた小次郎の流派「厳流」をとって、
巌流島と呼ばれるようになりました(パンフより)
佐々木厳流之碑
人工海浜・・・「伝馬船」
武蔵が伝馬船に乗って島に渡り、小次郎と戦った
その当時を偲び、イメージして設置されたそうです。
小高い丘の上・海峡を背景に武蔵・小次郎像
巌流島歴史絵巻
武蔵・小次郎像の直ぐ側をひっきりなしに大型船が行き交っています
時折「ボー」っと・・・聞こえて来ます
明治から大正にかけて埋め立て工事が行われ、現在では当時の約6倍にあたる
103,000㎡になりました。
釣りデッキが設けてあり釣りが出来ます
厳流島を後へ唐戸へ帰って来ました
日本で最初に屋上庭園が作られた「秋田商会」 詳しくはこちら
”厳流島の決闘 "
1612(慶長17)年4月13日に長門の国船島(現在の厳流島)で
宮本武蔵(当時29歳)と佐々木小次郎が決闘をしました。武蔵は、細川與長らの
決闘の承諾を受け、小次郎に決闘を申し込みました。約束は辰の刻(午前8時)
でしたが、武蔵の到着が遅れ島に着いたのは、巳の刻(午前10時)になりました。
小次郎は波打ち際で武蔵を迎えました。遅参に怒った小次郎は鞘を投げ捨て、刃渡り
三尺はありそうな刀を抜きました。武蔵の前頭部にに降り下ろされましたが、刀は
武蔵の鉢巻の結び目を切っただけで、かわりに武蔵の長い櫂が小次郎の頭を
打ち砕き、小次郎は、ばたりと倒れました。
武蔵はとどめを刺すことも忘れ舟へ飛び乗り、下関へと急ぎました。
敗者を想う地元の人々は敗れた小次郎の流派をとって後に
「厳流島」と呼ぶようになりました。パンフより~
今日の庭の花・花を活ける
二―カンパニュラ??
大きな花と思って苗を買ったが小花・・・・
始めて見る花でした
名前は??(大株に育っています)
ただ、タクシーのりばの看板が雰囲気を
台無しにしていて残念な感じがします。
御免なさい配慮が足りませんでした<m(__)m>
トリミングして見ました~
リンクを貼りましたので見やすくなったと思われますので
楽しまれて下さい
ご指摘ありがとうございました
是からもご指導の程宜しくお願い致します
そういう積もりでコメントしたのでは
なくて街の景観が損なわれていると
感じたものですから、コメントして
しまいました。申し訳ありませんでした。
でも、トリミングされた写真はとても
感じよくてなっていますね。
気分を害されていたら本当に申し訳なく
思っています。
何んだか面白い!!時代錯誤?
タクシー乗り場の看板昨晩見ましたよ、
でもこれが現実の姿とクールにとらえていました。
本当は巌流島と言わなかったのですね。
色々の花を美しく撮して表現していますね。
ご主人様が亡くなられて25年でしたか。
色々の思い出が蘇って来るでしょうね。
我が家のお寺さんもだいぶ前から椅子に変わりました。
時代の流れなんですかね。
夕日のデジブック楽しく拝見しました。
刻々と変わる、海や空の色の情景好きです。
美しい船島の風景が印象的でした。
下関の生活も色々楽しんでいらっしゃるご様子。
青竜伝説も読ませていただきました。
下関にも何度か行ったのですが巌流島には渡る機会がありませんでした。
mahoさんのブログで楽しませてもらいました。
ご主人様が亡くなられて二十五年ですか・・・。
良く頑張ってこられましたね。
これからもバアバとして家族の中心で頑張って下さい。
ついに疲れが出たのでしょうね
鼻風邪、咳・・・病院に行くほどでもない
寝る前に「ホット花梨酒」を飲んで
ほぼ完治
午後は爽やかなお天気
巌流島・何もない処です~トイレのの建物と
小さな東屋が一つ・・・・・
お弁当とお茶持参で渡りました
島からは下関と門司が一度に見えます~
真夏日の気候になったり~
今日は爽やかな五月晴れです
巌流島に妹達と遊びに行き
始めて巌流島の島の名前の経緯を知りました
厳流焼、おそいぞ武蔵・お饅頭の名前の由来も
納得、近くなのに知らないことばかり~
早いもので25回忌・・・・驚くばかり
今が一番いい時でしょうね
大切に過ごしたいと思っています。
まあちゃん、ミミさん、高尾山さん達とブログで
お逢いできないのが残念です。
DBご覧頂きありがとうございます
気負わずにmyペースで投稿して行きたいと
思っています。
是からも宜しくお願い致します
三船敏郎さんの宮本武蔵
迫力あったでしょうね~
鶴田浩二さんの小次郎、似あってたでしょうね
映画を観たくなりました