ちまたで『萌え』についての議論がなされているようなので・・・
まぁ、以前ネットで見かけたものだと
「萌え」とは?
あと、ついさっき見たのが、
翡翠の日記
他、よく見るサイトだと
心に少年少女の輝きを
とか(この人の知識量と書く文章量、スピードはハンパない・・・)、上のページのリンクからいけるところだと
ひとはなぜ萌えるのか
とかがある様子。
んで、まだ全部読んでなかったりするわけですが(時間もないし)、興味深い内容です。
ちょっとまとめると、以下のような感じかな。
1つ目のページ、2つ目のページ
(この2つは似てますね。2つ目の方をまとめると、)
1、萌えとは萌え属性により、それは自分が好きになったキャラの積集合から得られる(=萌えは進んでいく)
2、萌えは受動的な段階から能動的な段階へ進み、そのためにはキャラに想像(妄想)の余裕が必要。
という感じ。
3つ目のページ
4つ目のページに対する、ジンテーゼ、という形。
すなわち、「萌え」には「弱い萌え」(=萌えることで自己が救済される萌え)と「強い萌え」(=萌えることでキャラを救済していく萌え)が存在する、という理論。
(しかし、「強い萌え」も、キャラを救済していくことで自己が救済されていく、という意味で、結局相互的な救いであるかどうかの違いしかなく、結局弱者の理論になっている気が?)
4つ目のページ
「萌え」を恋愛の弱者における救いの形、として受け取り、その結果萌え作品は偶像として成立する、という理論。
(しかし、これは萌えを「受け入れる」側の立場だけを示してあり、「生産する」側の立場には触れられていないのが気になるところ)
自分としては、萌えについては2つの観点から見ると面白いと思います。
すなわち、
1、経済的な観点
2、構造主義的な観点
特に2については上のを読んでいる途中に浮かんだことなんですけどね。
まず、
1、経済的な観点
について。
「萌え」というか、この業界(すごい言い方・・・)における特殊性が詰まっているのが、「萌え」周りの経済的なやり取り。
一般に「萌え」が「受け取る側」=「消費者」の観点から語られることが多い(こういった萌えがあったよ~、とか、萌えはこう進んできたんだ~、属性との関連が~、など)のに対し、そういったものを「生産してきた側」=「生産者」がいるわけですよ。
んで、この「消費者」と「生産者」の関係を調べていく、という経済的な観点、というのがすごく重要な気がするんです。
というのも、特に同人業界で見られるのが、「生産者であり、まさにその生産物に対する消費者である」という形態。これは他の業界だとあまり見られない姿だと思うんですね。
すなわち、その生産スタイルを考えたときに、「自分の萌える物を作り出す」という、提供する側であると同時にそれはなにより生産者によって一番消費される、という形であること。
「生産者のオーダーメイド品を他の消費者にも提供する」という言い方が分かりやすいかな?
もちろん、そこでは激しい淘汰が行われるわけですが、ただ、大手の一人勝ちに終わる、というわけではなく、それこそ多様性が維持され、最悪でも「自分」という消費者がいる、というのは面白いと思います。
そして、生産の様子、消費の様子は何も上のような形に限らない、というのが大きいでしょう。
とくに、生産における消費者的な部分の介入がどれだけあったのかの変動を見ていくことで、同時に「萌え」の遍歴を見ていくことが出来ると思います。(「萌え」を意識しない生産(=ストーリー中心)、「萌え」を意識した生産(=「属性」との関わりが見つかる頃)、自分の「萌え」を満足させる生産(=同人関連の生産)。これらはそれぞれ派生的に生まれてきたもので、並列して存在できる、と考えられるのも重要)
んで、次。
2、構造主義的な観点
について。
これは、「属性」との関わりでの話。
まぁぶっちゃけて言うと、精神分析するとすごく面白いと思うんですよねぇ。
というのも、この「属性」というのが、その人の「引け目」や「トラウマ」などの「深層心理」の表象として表れている気がするからです。
ちょっと話は離れて、こんな人がいたわけです。
なんか、好きな人にこうあって欲しい、というような話になったときなんですが、その人曰く、‘私のことが好きなんだったら、お金か、それが無理なら時間を私のために割いて欲しい’、と。
これを聞けば、その人の深層心理としては、恋愛はすごく不安定なものだ、という強迫観念?があるのが分かりますね。そんな不安的なものをつなぎとめる「絆」としての「犠牲」が欲しい、という心理があるわけです。かつ、もし恋愛状態になったならば、自分はあなたの為にこれだけの「犠牲」を払っているのだから、あなたも払って、という心理もうかがえます。
あるいは、他の人だと、‘逆に、私だけ見て、とかいうのはヤダ。付き合ってはいても、そのことだけにならないで他のことも見て欲しい’という人もいたわけですけれど、これなんかは恋愛状態になったとしても「近づきすぎる」関係を恐れていて、ある一定の「個人スペース」には立ち入らないで欲しい、という心理が見えます。それと同時に、もし別れたとしても、その付き合っていた時間が完全な虚にならないような「保険」が欲しい、というような心理も見えます。
かく言う自分も、CLAMPの『ちょびっツ』じゃないけど、‘他でもない「自分」を好きになって欲しい’(=「自分」の性質や所有物、または他の「誰か」の影として好きになって欲しくはない)というのもありますしね。明らかに、自分から特技や所有物を取り除いてしまったあとには何も残らないのではないか、という不安が見え見えだし、かつ、自分自身が「相手自身」を好きになれる自信がない、というのがバレバレ(^^;
とまぁ、好みについても精神分析するだけでこれだけいろいろ見えてくるのだから、「属性」についても同様じゃないかな、と思うわけですよ。
積集合としてもちろん浮かび上がってくる「属性」はあるだろうけれど、じゃあ「なぜその「属性」に萌えるのか?」という、萌えの裏側にある構造を、それこそ構造主義的な手法を用いて研究していく、というのは、すごい顕著な結果が出てくると思うわけです。
まぁ、以前ネットで見かけたものだと
「萌え」とは?
あと、ついさっき見たのが、
翡翠の日記
他、よく見るサイトだと
心に少年少女の輝きを
とか(この人の知識量と書く文章量、スピードはハンパない・・・)、上のページのリンクからいけるところだと
ひとはなぜ萌えるのか
とかがある様子。
んで、まだ全部読んでなかったりするわけですが(時間もないし)、興味深い内容です。
ちょっとまとめると、以下のような感じかな。
1つ目のページ、2つ目のページ
(この2つは似てますね。2つ目の方をまとめると、)
1、萌えとは萌え属性により、それは自分が好きになったキャラの積集合から得られる(=萌えは進んでいく)
2、萌えは受動的な段階から能動的な段階へ進み、そのためにはキャラに想像(妄想)の余裕が必要。
という感じ。
3つ目のページ
4つ目のページに対する、ジンテーゼ、という形。
すなわち、「萌え」には「弱い萌え」(=萌えることで自己が救済される萌え)と「強い萌え」(=萌えることでキャラを救済していく萌え)が存在する、という理論。
(しかし、「強い萌え」も、キャラを救済していくことで自己が救済されていく、という意味で、結局相互的な救いであるかどうかの違いしかなく、結局弱者の理論になっている気が?)
4つ目のページ
「萌え」を恋愛の弱者における救いの形、として受け取り、その結果萌え作品は偶像として成立する、という理論。
(しかし、これは萌えを「受け入れる」側の立場だけを示してあり、「生産する」側の立場には触れられていないのが気になるところ)
自分としては、萌えについては2つの観点から見ると面白いと思います。
すなわち、
1、経済的な観点
2、構造主義的な観点
特に2については上のを読んでいる途中に浮かんだことなんですけどね。
まず、
1、経済的な観点
について。
「萌え」というか、この業界(すごい言い方・・・)における特殊性が詰まっているのが、「萌え」周りの経済的なやり取り。
一般に「萌え」が「受け取る側」=「消費者」の観点から語られることが多い(こういった萌えがあったよ~、とか、萌えはこう進んできたんだ~、属性との関連が~、など)のに対し、そういったものを「生産してきた側」=「生産者」がいるわけですよ。
んで、この「消費者」と「生産者」の関係を調べていく、という経済的な観点、というのがすごく重要な気がするんです。
というのも、特に同人業界で見られるのが、「生産者であり、まさにその生産物に対する消費者である」という形態。これは他の業界だとあまり見られない姿だと思うんですね。
すなわち、その生産スタイルを考えたときに、「自分の萌える物を作り出す」という、提供する側であると同時にそれはなにより生産者によって一番消費される、という形であること。
「生産者のオーダーメイド品を他の消費者にも提供する」という言い方が分かりやすいかな?
もちろん、そこでは激しい淘汰が行われるわけですが、ただ、大手の一人勝ちに終わる、というわけではなく、それこそ多様性が維持され、最悪でも「自分」という消費者がいる、というのは面白いと思います。
そして、生産の様子、消費の様子は何も上のような形に限らない、というのが大きいでしょう。
とくに、生産における消費者的な部分の介入がどれだけあったのかの変動を見ていくことで、同時に「萌え」の遍歴を見ていくことが出来ると思います。(「萌え」を意識しない生産(=ストーリー中心)、「萌え」を意識した生産(=「属性」との関わりが見つかる頃)、自分の「萌え」を満足させる生産(=同人関連の生産)。これらはそれぞれ派生的に生まれてきたもので、並列して存在できる、と考えられるのも重要)
んで、次。
2、構造主義的な観点
について。
これは、「属性」との関わりでの話。
まぁぶっちゃけて言うと、精神分析するとすごく面白いと思うんですよねぇ。
というのも、この「属性」というのが、その人の「引け目」や「トラウマ」などの「深層心理」の表象として表れている気がするからです。
ちょっと話は離れて、こんな人がいたわけです。
なんか、好きな人にこうあって欲しい、というような話になったときなんですが、その人曰く、‘私のことが好きなんだったら、お金か、それが無理なら時間を私のために割いて欲しい’、と。
これを聞けば、その人の深層心理としては、恋愛はすごく不安定なものだ、という強迫観念?があるのが分かりますね。そんな不安的なものをつなぎとめる「絆」としての「犠牲」が欲しい、という心理があるわけです。かつ、もし恋愛状態になったならば、自分はあなたの為にこれだけの「犠牲」を払っているのだから、あなたも払って、という心理もうかがえます。
あるいは、他の人だと、‘逆に、私だけ見て、とかいうのはヤダ。付き合ってはいても、そのことだけにならないで他のことも見て欲しい’という人もいたわけですけれど、これなんかは恋愛状態になったとしても「近づきすぎる」関係を恐れていて、ある一定の「個人スペース」には立ち入らないで欲しい、という心理が見えます。それと同時に、もし別れたとしても、その付き合っていた時間が完全な虚にならないような「保険」が欲しい、というような心理も見えます。
かく言う自分も、CLAMPの『ちょびっツ』じゃないけど、‘他でもない「自分」を好きになって欲しい’(=「自分」の性質や所有物、または他の「誰か」の影として好きになって欲しくはない)というのもありますしね。明らかに、自分から特技や所有物を取り除いてしまったあとには何も残らないのではないか、という不安が見え見えだし、かつ、自分自身が「相手自身」を好きになれる自信がない、というのがバレバレ(^^;
とまぁ、好みについても精神分析するだけでこれだけいろいろ見えてくるのだから、「属性」についても同様じゃないかな、と思うわけですよ。
積集合としてもちろん浮かび上がってくる「属性」はあるだろうけれど、じゃあ「なぜその「属性」に萌えるのか?」という、萌えの裏側にある構造を、それこそ構造主義的な手法を用いて研究していく、というのは、すごい顕著な結果が出てくると思うわけです。