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いもあらい。

プログラミングや哲学などについてのメモ。

『萌え』論全盛?。

2005-03-03 07:36:00 |  Study...
ちまたで『萌え』についての議論がなされているようなので・・・

まぁ、以前ネットで見かけたものだと
「萌え」とは?
あと、ついさっき見たのが、
翡翠の日記
他、よく見るサイトだと
心に少年少女の輝きを
とか(この人の知識量と書く文章量、スピードはハンパない・・・)、上のページのリンクからいけるところだと
ひとはなぜ萌えるのか
とかがある様子。

んで、まだ全部読んでなかったりするわけですが(時間もないし)、興味深い内容です。

ちょっとまとめると、以下のような感じかな。

1つ目のページ2つ目のページ
(この2つは似てますね。2つ目の方をまとめると、)
1、萌えとは萌え属性により、それは自分が好きになったキャラの積集合から得られる(=萌えは進んでいく)
2、萌えは受動的な段階から能動的な段階へ進み、そのためにはキャラに想像(妄想)の余裕が必要。
という感じ。

3つ目のページ
4つ目のページに対する、ジンテーゼ、という形。
すなわち、「萌え」には「弱い萌え」(=萌えることで自己が救済される萌え)と「強い萌え」(=萌えることでキャラを救済していく萌え)が存在する、という理論。
(しかし、「強い萌え」も、キャラを救済していくことで自己が救済されていく、という意味で、結局相互的な救いであるかどうかの違いしかなく、結局弱者の理論になっている気が?)

4つ目のページ
「萌え」を恋愛の弱者における救いの形、として受け取り、その結果萌え作品は偶像として成立する、という理論。
(しかし、これは萌えを「受け入れる」側の立場だけを示してあり、「生産する」側の立場には触れられていないのが気になるところ)

自分としては、萌えについては2つの観点から見ると面白いと思います。
すなわち、
1、経済的な観点
2、構造主義的な観点
特に2については上のを読んでいる途中に浮かんだことなんですけどね。

まず、
1、経済的な観点
について。

「萌え」というか、この業界(すごい言い方・・・)における特殊性が詰まっているのが、「萌え」周りの経済的なやり取り。
一般に「萌え」が「受け取る側」=「消費者」の観点から語られることが多い(こういった萌えがあったよ~、とか、萌えはこう進んできたんだ~、属性との関連が~、など)のに対し、そういったものを「生産してきた側」=「生産者」がいるわけですよ。
んで、この「消費者」と「生産者」の関係を調べていく、という経済的な観点、というのがすごく重要な気がするんです。

というのも、特に同人業界で見られるのが、「生産者であり、まさにその生産物に対する消費者である」という形態。これは他の業界だとあまり見られない姿だと思うんですね。
すなわち、その生産スタイルを考えたときに、「自分の萌える物を作り出す」という、提供する側であると同時にそれはなにより生産者によって一番消費される、という形であること。
「生産者のオーダーメイド品を他の消費者にも提供する」という言い方が分かりやすいかな?
もちろん、そこでは激しい淘汰が行われるわけですが、ただ、大手の一人勝ちに終わる、というわけではなく、それこそ多様性が維持され、最悪でも「自分」という消費者がいる、というのは面白いと思います。

そして、生産の様子、消費の様子は何も上のような形に限らない、というのが大きいでしょう。
とくに、生産における消費者的な部分の介入がどれだけあったのかの変動を見ていくことで、同時に「萌え」の遍歴を見ていくことが出来ると思います。(「萌え」を意識しない生産(=ストーリー中心)、「萌え」を意識した生産(=「属性」との関わりが見つかる頃)、自分の「萌え」を満足させる生産(=同人関連の生産)。これらはそれぞれ派生的に生まれてきたもので、並列して存在できる、と考えられるのも重要)

んで、次。
2、構造主義的な観点
について。

これは、「属性」との関わりでの話。
まぁぶっちゃけて言うと、精神分析するとすごく面白いと思うんですよねぇ。
というのも、この「属性」というのが、その人の「引け目」や「トラウマ」などの「深層心理」の表象として表れている気がするからです。

ちょっと話は離れて、こんな人がいたわけです。
なんか、好きな人にこうあって欲しい、というような話になったときなんですが、その人曰く、‘私のことが好きなんだったら、お金か、それが無理なら時間を私のために割いて欲しい’、と。
これを聞けば、その人の深層心理としては、恋愛はすごく不安定なものだ、という強迫観念?があるのが分かりますね。そんな不安的なものをつなぎとめる「絆」としての「犠牲」が欲しい、という心理があるわけです。かつ、もし恋愛状態になったならば、自分はあなたの為にこれだけの「犠牲」を払っているのだから、あなたも払って、という心理もうかがえます。

あるいは、他の人だと、‘逆に、私だけ見て、とかいうのはヤダ。付き合ってはいても、そのことだけにならないで他のことも見て欲しい’という人もいたわけですけれど、これなんかは恋愛状態になったとしても「近づきすぎる」関係を恐れていて、ある一定の「個人スペース」には立ち入らないで欲しい、という心理が見えます。それと同時に、もし別れたとしても、その付き合っていた時間が完全な虚にならないような「保険」が欲しい、というような心理も見えます。

かく言う自分も、CLAMPの『ちょびっツ』じゃないけど、‘他でもない「自分」を好きになって欲しい’(=「自分」の性質や所有物、または他の「誰か」の影として好きになって欲しくはない)というのもありますしね。明らかに、自分から特技や所有物を取り除いてしまったあとには何も残らないのではないか、という不安が見え見えだし、かつ、自分自身が「相手自身」を好きになれる自信がない、というのがバレバレ(^^;

とまぁ、好みについても精神分析するだけでこれだけいろいろ見えてくるのだから、「属性」についても同様じゃないかな、と思うわけですよ。
積集合としてもちろん浮かび上がってくる「属性」はあるだろうけれど、じゃあ「なぜその「属性」に萌えるのか?」という、萌えの裏側にある構造を、それこそ構造主義的な手法を用いて研究していく、というのは、すごい顕著な結果が出てくると思うわけです。


算数おもろい!。

2005-02-16 07:41:00 |  Study...
算数で、ニュートン算を面積図で解く方法と、マイナスを含むつるかめ算を面積図で解く方法を思いついた。

塾で算数を教えてたりするんですが、算数の解法というのはやはり面白い!

小学校のときに算数をやって純粋にすごい、と思ったのは、つるかめ算(これは本で知って、なるほど、と思った)、消去算(四谷の入塾試験であり、模範解答で解き方をはじめて知って、こうやるのか、と驚いた)とか、食塩水の面積図(食塩水の問題を面積の問題に置き換えられる、というのがすごいと思った)など。

んで、大人になってから知ったことで面白かったのは、三角つるかめ(図形の問題で、そういうのがある)、差集め算を面積図で解く方法(普通は線分図で解くんだけれど、うちの塾はこれを面積図で華麗に解く)、あと面積図なんだけれどもそれを逆比を使って解く方法(普通の塾は普通に面積を計算するけれど、うちの塾はそんなめんどい計算はしない)とか。

んまぁとにかく、うちの塾についていうと、他のところは面積図を使わない問題を面積図で解く問題っていうのがけっこう多いんですよ。
なぜってその方が(面積図を書いたあとは)機械的に解けるし、逆比を使うことで計算が楽になるから。

で、本題はここから。
上のような理由から、出来るだけ面積図で解きたいんだけれど、面積図では表しにくい、というか、普通は面積図を使わないで解く問題というのがけっこうあるわけですよ。
たとえば、ニュートン算とか。(あ、ちなみに仕事算は面積図使わないで解きますね。)
たとえば、マイナスを含むつるかめ算とか。(やり取り算、とかいうのかな?)

ニュートン算の例1
41頭の牛なら16日で、32頭の牛なら22日で草を食べ尽くす牧場があります。56頭の牛なら何日で食べ尽くしますか。ただし、牛は毎日同じ量を食べ、草も毎日一定の量だけ生えてくるものとします。
解答

ニュートン算の例2
ある映画館で開場前に長い行列が出来ていて、開場してからも1分に20人ずつ行列に加わっていきます。これを4つの窓口で対応すると45分、5つの窓口で対応すると27分で行列がなくなりました。最初に並んでいた人は何人ですか。ただし、一つの窓口で1分に対応できる人数は一定とします。
解答

マイナスを含むつるかめ算の例
あるクイズは正解すると3点もらえ、逆に不正解すると4点引かれます。太郎君がこのクイズに10問挑戦したところ、9点でした。
太郎君は何問正解しましたか。
解答

こいつら、いっけん面積図で表すのは無理で、論理を使って地道に解いていかないといけなそうですが、(というか、普通はそう解いていくのですが、)こいつらを面積図で華麗に解く方法をついさっき見つけたんですよ!!
もう、マイナスを含むつるかめ算の面積図を使った解法を見つけたときなんか、ずっと考えていただけに感激!!!


定義と定理。

2005-02-11 13:38:00 |  Study...
永井均さんの『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書)を読んでいて思ったこと。

まだ読み途中なのですが、なかなか面白い&思ったことがあったので。

この本でまずなるほど、と思わされたのは、「ロボットの疑惑」に対する回答。
自分もこの問題は「他人に「心」があるのかどうかは知ることが出来ない」というのが最も妥当な「答え」だと思っていたわけですが、確かにこの本で指摘されているとおり、独我論で上のような事が出てくる前提として「自分」と「他人」はすでに区別されたものとして扱われているわけで、その「基準」は「定理」として推論されるものではなく、「定義」として与えられたものとなる。
んで、よくよく考えれば、一見「結論」に見える上の命題がそもそも「他人」と「自分」を区別する「定義」なわけですよ。
定義はそもそも「正しい」ものとして与えられているわけなのだから、推論して言った結果「定義」にいたったとしても、それは当然「正しい」と判断されるわけで・・・

そういったわけで、まぁいろいろなところで言われてるけれども、哲学において重要なのは、議論の内容やその帰結の正しさ、有用さもさることながら、その議論の「前提」として与えられているもの、あるいはどうしてそういったことを考えているのか、という「問題意識」なんだなぁ、と。
そこをはっきりとさせないで行う議論は、ともすれば単なるトートロジーになってしまっているわけで。

で、そこら辺を踏まえたうえでこの本の前半の問題に対する作者なりの一つの「回答」――あるいは「仮説」というのは、よくよく見れば「何を前提にしているのか」という点が抜けていて、実は見えない前提として存在する考えが表現を変えて表されているだけ、というのにちょっと無警戒すぎるかなぁ、と。

というのも、「魂(=脱人格的自我)」の存在を証明する、という思考実験において(見えないけれど)前提になっているものは、「体も、記憶も入れ替えても、それでもなお入れ替わらない『何か』がある」といったもの。
もちろんそれを「魂」と呼べば、当然それが存在する、という前提で議論を行っていたのだから、「魂」は存在するわけで。

んー、なんか『lain』を見て思ったこと、というのを思い出した。。。


あはははは。。。

2005-01-18 13:06:00 |  Study...
結合律最終章。(ホントか?)

前回作ったプログラム、intで必要な部分をunsigned int に直して、位数5の集合の結合律を調べたんですよ。

したら、
サーバのCPU占有率:約99%
とかいうことになって。

で、管理者に途中でプロセスを終わらされること幾度か、やっとのこと(CPU占有率約99%を維持したまま10時間弱程度)で結果が出たと思ったら、どうにも数が少なすぎる。
というか、群になっているものがない。

少なくとも、整数Zの剰余群はあるはずだから、おかしいなぁ、と思い、もしかして、と思ってperlでちょちょっと組んだプログラムが以下。

#!/usr/bin/perl

$num1=&pow(2,32);
$num2=&pow(5,16);

print("2^32=$num1\n");
print("5^16=$num2\n");

sub pow{

    my($num, $i) = @_;
my $pow=1;


    foreach(1..$i){
$pow *= $num;
}


    return($pow);


}

で、実行結果。

2^32=4294967296
5^16=152587890625

途中でunsigned intの範囲さえ超えて、ループを抜けてしまっている罠…

これじゃあ、新しい型作ってマクロ書いて、とかやらないとダメじゃん
_| ̄|○

まぁ、とある本で、
Gが群である⇒どの行、列にも同じ文字がかぶらない
とあったので、まぁいいんですけど、その「逆」については、なにかないのかなぁ、というのがとりあえずの疑問です。


代数学、再。

2005-01-14 02:22:00 |  Study...
代数学に関する疑問のうち、調べて分かったことについて。

まず、結合律について。

といっても、まだ調べ途中で・・・
一つ立てた仮説が、
「演算表でどの行、列を見ても、同じ数字がかぶっていない⇒結合律が成り立つ」
「結合律が成り立つ⇒演算表でどの行、列を見ても、同じ数字がかぶっていない」
のいずれか、もしくは両方が成り立つ、というもの。
しかし、両方とも反例が・・・

まず前者について。
これは、次のような演算表を与えると、前提を満たすのに結論を満たさない。
 |ABCDE
―――――――
A|ABCDE
B|BADEC
C|CEABD
D|DCEAB
E|EDBCA
実際、上の演算表は各行各列にABCDEが一つずつしか出ていないが、
(BC)E=B
B(CE)=E
となり、
(BC)E≠B(CE)

次に後者。
これは、次のような演算表を与えると、やはり前提を満たすのに結論を満たさない。
 |AB
――――
A|AB
B|BB
まぁ、これは結合律を満たすものの、逆元が存在しないから群にはなっていないけれど・・・

結局、計算機を使ってプログラムを組み、演算表を全部調べてみる予定で、現在プログラミング中。
が、とりうる演算表の数が、位数2で2、位数3で81、・・・(単位元が存在するものと仮定して、となると位数nでn^((n-1)*(n-1))となる)となって、結局位数5ですでにオーバーフロー・・・これを、どうやって人間が手作業で調べろと・・・

さてさて、話題は変わってSによって生成される部分群について。
TAに質問してみたところ、どうやら自分が正しかったようで、可換でない場合についてはああ表現は出来ないとのこと。
けれど、やはりTA自身疑問に思っていなかった、ということで、そういう論理における厳密性が甘いとしかいいようがないです。。。
まぁ、自分自身で地道に調べていきたいと思います。



余談で。
実はアクセス解析してるんですが、どうもここ数日「言語認識論」「ハノイの塔」で検索してアクセスしてきた、という人が多いっぽい・・・
まぁ参考にしてくれるのは一向に構わないんですけど、完全にぱくったりとかはしないでくださいね、一応。