まず、「親殺しのパラドックス」が何なのかというと、それはタイムマシンに関する問題提起であり、“タイムマシンを使って自分が生まれる前に行き親を殺した場合、親が死んでしまったのだから自分は当然生まれなくなるわけだけれど、そうなると親を殺してしまった自分がそもそも生まれなくなってしまうわけだからタイムマシンで過去に戻るという未来もなくなり、そうなれば親は殺されなくなるわけで、そうすると自分も生まれてきていて、そうすると…”と、あちらを立てればこちらが立たず的なパラドックスです。
図にすると、
過去に戻って親を殺す→自分が生まれてこない→過去に行って親を殺すことはない→自分は生まれてくる→(最初に戻る)
ってな感じですね。
んで、ふと思ったのが、昔の歴史の必然性?(2)。(そういえば、モデルを作ったあとで定理の証明とかをしてないですね。けっこうメンドイので…)での、一度選択された世界はそのあと過去の如何を問わず実在し続ける、というのを認めれば、実は矛盾しないのではないかな、ということ。
ようは、まさに「現在」という時間において、未来への道筋はいろいろあるわけですが、その未来への道筋を決めるのはまさにその「現在」であり、その「現在」へ至るまでの過去(の選択=現在の積み重ね)というものには影響を受けない(なぜなら、もし「現在」から見て「過去」でなんらかの変化が起きたとしても、それは「過去」というその瞬間に起こりうる可能性の別の一つが選択された、ということに過ぎず、それは別の「現在」へと続くことになるから。別の言い方をすれば、「現在」という状態が生まれたのはある決まった「過去の選択」がなされたからであり、「現在」が「現在」である以上(=別の「現在」でない以上)その選択された「過去」というものは「過去」として保存される)ということです。
分かりにくいですね(^^;
例えを使いましょう。
でっかい砂の山を作って、そのてっぺんから水を流すことを考えてください。
水は当然砂の山に一本の川を作りながら流れていくわけですが、水の先端で川が次にどちらに流れていくのかは、不確定です(ただし、それまでの道筋によって、どの位置に先端がたどり着いているかで、どのように進むかの確立は変化していきます。)
砂の山が可能世界の束、水の先端が現在、水によって作られた川が過去の例えです。
さて、現在水の先端がAという場所にあるとして、振り返って川の方を見てみましょう。今現在水の先端がAという場所にあるのは、今の川の流れだったからであり、もし川のどこかしらかでも水の先端が違う方向に行ってしまっていたらAという場所に来ていたとは限りません。
そういった意味で、その川の流れはAという場所に至るためには必然なわけです。
(けれど、ここで勘違いしてはいけないのが、現在に至るためには過去の各々の選択は必然であるのだけれども、今現在これから進む方向があくまで(過去によって与えられた)確立でしかないように、その過去の瞬間瞬間において、その選択は必然ではなく、あくまで可能性のうちの一つであった、ということ。)
(あー、指摘される前に。上の推論は、論理学的には間違っています。というのも、Aという場所に来ていたとは「限りません」、とあるように、別のルートでAという場所に来る可能性もあるから。しかし、その可能性はとても小さいと考えられるので、上のような推論をしても実質的には間違いがありません。)
まぁ、今までに言っていたことは上の例えで十分なんですけれど、せっかくなのでなぜこのように考えるとパラドックスが解決するのかも例えで行います。
ここで、Aという場所にホースをつけ、水の一部を取り出し、より上流のBというところに流すようにします。
すると、当然Aからさらに進み新しい流れを作っていく水の先端があるのですが、それとは別に、Bの地点で新しい水の先端が出来るわけです。なぜなら、今まで一定量の水が流れていたのに、Bの地点では水の量が増えるわけですから、流れに影響を与え、場合によっては支流を作り、それはすなわち新しい水の先端が出来たのと同じことだからです。
しかし、たとえ新しい水の先端によって支流が作られたとしても、もともとあった水の先端、およびそこまでの川の流れがなくなってしまうわけではありません。
すなわち、このモデルを採用すると、例え過去に戻って過去を変えたとしても、それは新しい別の「現在」を作り、そっちに過去へ戻っていった人の現在が流れて行ったに過ぎず、過去へ戻らなかった人たちの「現在」及び「過去」にはなんら影響を与えない、となります。
当然、過去に戻って親を殺したとしても、その時点で過去に戻った人が別の現在へと移っていっただけで、その人が生まれて過去に戻ったという現在は、変わってしまった現在に上書きされることなくそのまま保存されるので、パラドックスも起きないわけです。
少し補足をすれば、「空間的な時間」と「身体的な時間」とを意識して考えるために、双子を使って思考実験してみるのもいいと思います。
というのも、過去へ戻ってもそれは「空間的な時間」を過去へさかのぼったに過ぎず、「身体的な時間」は依然として進み続けるわけで、「身体的な時間」の同期をとった状態で、「空間的な時間」を過去へさかのぼった方、さかのぼらなかった方との見え方の違いを比べてみることで、より実感が出来ると思います。
(余裕があれば、別エントリで実際の思考実験の様子を書きたいと思います)