『キノの旅』8巻、読了。
今回のはいつものに増して素敵だった。
(※一部ネタバレを含む。出来るだけしないようにするけれど)
「道の国」
ノーコメント。
「悪いことはできない国」
メガネ。それだけ。
(いや、作品自体の狙いとして、「悪いことを出来なくさせるためのもの」を使って「悪いこと」をさせている、というのが見えるけれど、自分にはそれがさほど「悪いこと」には思えない。。。)
「歴史のある国」
師匠が素敵。もう、ホレボレするw
師匠達と警察たちの『交渉』の様子なんて、まさに時雨沢恵一だとしか言いようがない。
「歴史」はときに、自分たちを正当化するために使われるけれど、この作品では「恥を隠すためのもの」として使われているというのが面白かった。
「愛のある国」
なるほどたしかに、「食べ物を残す」ことも、「出来るだけ残さないようする」ことも、それは「見て見ぬ振り」をすることに他ならないのかもしれない。
キノは、ただそこにある「事実」を見つめた上で、そして自分がどうこうすることで何かが変わるわけではないというのを悟ってたんだろう。たぶん。
このテーマは『塩の街』の方も参考にしたいところ。
「ラジオな国」
構造としては今回一番秀逸だった。日本の縮図というか。
ラジオによって国民の「無批判さと無邪気さ」を批判するが、それに対して「確かに自分たちは無批判だよなぁ。批判的に見なきゃ。」と「ラジオの権威」に対してあいかわらず「無批判」でいる姿が想像できて、面白い。
そして作品自体は、「無批判」云々を超えて、国民の多くはそれに批判的でも無批判的でもなく、「無関心」である、というのが輪をかけて面白い。
昔自分が書いた、「人はワールドカップについて話している」のではなく、「人はワールドカップという話題で話している」んだ、という文章を思い出した。
「救われた国」
「人を救うものは、そのことによって自分自身が救われる」という、(『マリ見て』の2巻じゃないけど)相互依存的な関係を描いたもの。
でも、こういった関係って、何かがきっかけになって「裏切られた」という勘違いが生じると、すぐにダメになるんだよね。。。
エピローグ「船の国」
バトルがかっこいいw
謎がやたらと多かったけれど、最後で無事解決。(ご都合主義と叩かれないのかな?まぁ自分はこういう伏線の張り方は好きだけど)
人為を加えるのがどう働くのかというのは、ホント分からないなぁ、と。
例えば「愛のある国」なんかで、もしキノでなくシズだったら、どうにかしようといろいろやるんだろうなぁ。(結局それは自己満足のためなんだというのを自覚せずに)
『キノの旅』3巻の「城壁のない国」を思い出した。
プロローグ「渚にて 旅の始まりと終わり」
……シズってロリコンw?
にしても、最後のセリフ
「死ぬほど驚くかもね」
の意味が取れないんだけど……?
なんか、めちゃくちゃ驚くような仕掛けをしたのか、はたまたこの先に「会う」ことを知っていて、それゆえの発言なのか、あるいは今回の再開のときの驚き方をもってそう言っているのか……
あとがき
神!!
まさにこの一言。脱帽です。
(『ザ・あとがき』、ネタでなく読んでみたい!w)
今回のはいつものに増して素敵だった。
(※一部ネタバレを含む。出来るだけしないようにするけれど)
「道の国」
ノーコメント。
「悪いことはできない国」
メガネ。それだけ。
(いや、作品自体の狙いとして、「悪いことを出来なくさせるためのもの」を使って「悪いこと」をさせている、というのが見えるけれど、自分にはそれがさほど「悪いこと」には思えない。。。)
「歴史のある国」
師匠が素敵。もう、ホレボレするw
師匠達と警察たちの『交渉』の様子なんて、まさに時雨沢恵一だとしか言いようがない。
「歴史」はときに、自分たちを正当化するために使われるけれど、この作品では「恥を隠すためのもの」として使われているというのが面白かった。
「愛のある国」
なるほどたしかに、「食べ物を残す」ことも、「出来るだけ残さないようする」ことも、それは「見て見ぬ振り」をすることに他ならないのかもしれない。
キノは、ただそこにある「事実」を見つめた上で、そして自分がどうこうすることで何かが変わるわけではないというのを悟ってたんだろう。たぶん。
このテーマは『塩の街』の方も参考にしたいところ。
「それでも!あたしがあんなトモヤさんに会うことなんかなかった!あんな身勝手で汚い部分を、あたしが見ることにはならなかった!」
「あたしの前じゃなければよかった……あたしさえ見ずに済めばそれでよかった。他の誰が見ることになったって、あたしさえ見ないで済めば……」(Scene-2、真奈のセリフより)
自分の関わった人さえ不幸にならなければそれでいい。自分の見る部分さえきれいだったらそれで。知らないところにどれだけ汚く、醜く、残酷な部分があっても、それを直視することがなければ、それは知らなかったことにして穏やかでいられる。(Scene-5、入江と真奈との会話ちかくより)
「ラジオな国」
構造としては今回一番秀逸だった。日本の縮図というか。
ラジオによって国民の「無批判さと無邪気さ」を批判するが、それに対して「確かに自分たちは無批判だよなぁ。批判的に見なきゃ。」と「ラジオの権威」に対してあいかわらず「無批判」でいる姿が想像できて、面白い。
そして作品自体は、「無批判」云々を超えて、国民の多くはそれに批判的でも無批判的でもなく、「無関心」である、というのが輪をかけて面白い。
昔自分が書いた、「人はワールドカップについて話している」のではなく、「人はワールドカップという話題で話している」んだ、という文章を思い出した。
「救われた国」
「人を救うものは、そのことによって自分自身が救われる」という、(『マリ見て』の2巻じゃないけど)相互依存的な関係を描いたもの。
でも、こういった関係って、何かがきっかけになって「裏切られた」という勘違いが生じると、すぐにダメになるんだよね。。。
エピローグ「船の国」
バトルがかっこいいw
謎がやたらと多かったけれど、最後で無事解決。(ご都合主義と叩かれないのかな?まぁ自分はこういう伏線の張り方は好きだけど)
人為を加えるのがどう働くのかというのは、ホント分からないなぁ、と。
例えば「愛のある国」なんかで、もしキノでなくシズだったら、どうにかしようといろいろやるんだろうなぁ。(結局それは自己満足のためなんだというのを自覚せずに)
『キノの旅』3巻の「城壁のない国」を思い出した。
プロローグ「渚にて 旅の始まりと終わり」
……シズってロリコンw?
にしても、最後のセリフ
「死ぬほど驚くかもね」
の意味が取れないんだけど……?
なんか、めちゃくちゃ驚くような仕掛けをしたのか、はたまたこの先に「会う」ことを知っていて、それゆえの発言なのか、あるいは今回の再開のときの驚き方をもってそう言っているのか……
あとがき
神!!
まさにこの一言。脱帽です。
(『ザ・あとがき』、ネタでなく読んでみたい!w)