毒親日記

虐待サバイバー、昔の事今の事まとまりないけど書いていきます。

理不尽な暴力と暴言

2020-12-21 08:56:04 | 日記
私には10個年の離れた弟がいる話は書いたけど、大人になって私は別に悪くなかったんだと思った記憶がよみがえった。

弟はハイハイしたてぐらいで一歳ちょいくらいか?
家の寝室には普通に布団の横にテレビ、タバコ、灰皿、吸い殻の山が置いてあった。

うちは母も義理父もヘビースモーカーだった。
私と弟が寝室でアニメを見ていた。
私は夜あまり熟睡して眠ることが出来ない生活をしてたからすぐウトウトしてしまった。
多分数分だけど。赤ちゃんには命取りだ。

弟は私がウトウトしてる間に灰皿にはいっていた吸い殻に手をやり口にしたようだ。
目を開けると口が灰だらけの弟が横にいた。

私は焦ってすぐ母に言った。

は気が狂ったかのように弟を担いで水道に連れていき喉に手を押し込み何回も弟を嘔吐させて吐かせようとした。
弟が大泣きしてたのが今も記憶に残る。
途中私の頭を鷲掴みにして酷く引きずり回された。

「なんでちゃんと見てなかったんだよ、なんかあったらお前のせいだからな!この野郎」

と何回も罵られた。
その頃の私は自分が全部悪いんだと弟に謝って泣いた。



と思い出した時に疑問が2つ。


何故布団の横にタバコの灰皿しかもてんこ盛りが置いてあるのか?

何故、タバコ飲み込んでこれから何かあるかもしれない弟を病院に連れていかなかったのか?


答えは明白。

自分に非があるのが分かってたから。

病院につれてっても子どもの手に届く範囲にたばこを置くなどあり得ないことだから。病院にいったら自分が怒られると察したんだろう。

それがわかってた上で私に罵声を浴びせて殴ってきたのだ。

私は旦那がアイコスをそこら辺にたまに落としてあるだけでキレる。(バックから落ちただけ)

あいにく家の子はむやみやたらに口に入れることはない子だったのでありがたいが。

なんだかそういう記憶と痛み、理不尽に怒られた事を思い出してしまい、モヤモヤする。














































































何気ない普通な毎日

2020-12-20 11:20:29 | 日記
娘たちとよく行くあまり人気のない公園

この写真は違う日の夕方頃の画像

走り回ってケラケラ笑って走り回る家の子たち

朝起きて洗濯してお風呂掃除、朝ごはんの片付け、平日は学校へ送り届け休みなら公園にいく。
夕飯もしっかり作り子どもたちをお風呂へ促す。(いれる)8時半~9時までには布団に入らせる。

なんでもない普通が私を安心させる。

けど体調悪くて夕飯を適当にしてしまったり、公園に行けない日は自分にイラつきがとまらない。

母は一切私に普通を与えなかった。

自分がちゃんとやってる=ちゃんと母をやってる
って思い込ませてる。
じゃないと私もあの人と同じ毒親だって心が病みきってしまうから

どうしたらこの闇から抜け出せるのかな



毒 9 続き

2020-12-19 19:30:41 | 日記
「いやいや、炎症がひどいので入院してください。」←先生
「どうする?」
母、私をギロッとみた。
「入院したく..ないです。」私

満足げに一瞬笑った母

「分かりました。けど命の保証できませんよ。」と先生に言われた。けど母は何も言わなかった。
先生も大袈裟に言っただけだろうけど、子どもがそんなこと言われたらさすがに入院しろと言うだろう。
この時思った。
私は母にとって居なくなってもいい人間だったんだと。
母は私よりお金が大事だった。

それから一週間くらい異常な咳と微熱が続いた。夜中ずっと苦しかったのは覚えてる。

けど母はいつもと変わらず。

何をしてくれる訳でもなかった。

夜咳が止まらなくても背中をさすってくれる事すらなかった。

うん、そうだ。
私生まれてこのかた母に肩をさすってもらった事がない。
会社のおばちゃんにはむせたときさすってもらったけど( ´゚д゚`)アチャー


話が逸れた( ;∀;)
母は心配どころか数日で「もうだいぶ体調良さそうだからマッサージして」と吐き捨てた。

まぁ、結果無事に完治したけどね。

やっぱり私は都合のいい奴隷。
死んでもいいような使い捨ての奴隷だった。
















毒 9

2020-12-19 17:46:46 | 日記
母との印象的な出来事のひとつは肺炎だった。

けど忘れたい過去だったみたいでずっと忘れていたみたいで数年前娘がマイコプラズマ肺炎になってふと肺炎と聞いて思い出した。

私はすごく風邪を引きやすい子だった。
多分今思うと喘息持ちだったのかなと。
異常な咳をしていた。

でもあまり病院には頻繁には行かせてもらえず行ったときには大体気管支炎になっていた。病院行くときも大体熱があっても20分かかるバス停にいってバスに乗るかバス代がもらえないときは死ぬ思いで40分かけて一人で歩いて病院へ行った。


でも母には心配されなかった。


中でも印象的なのは中学の肺炎になったとき。

その日も一人で病院だった。

先生に「お母さん呼べる?」と聞かれ連絡をとり来てもらいおそらく肺炎と診察されて大きい病院へそのまま行かされた。
移動の時に母はまずいと思ったんだろう。
「もし入院って言われたら、入院は絶対したくない、家に帰りたいって言いなよ。入院するお金なんてないんだから


心配の一言もなかった。

そして大きい病院でレントゲンを撮ってもらって肺炎とはっきり診断された。

「肺炎ですね。入院しましょう。」先生
「したくないです。家に帰りたいです。」私
「娘もこういってますんで薬で様子見させてください」母


続く























このブログを書く理由

2020-12-18 11:09:21 | 日記
このブログを書く理由。

正直とても書いていて苦しいです。
書いてる途中に病んでしまう事も多々あります。
けどずっと引きずって生きてきて解決策も見つからず、書いてみたら少しは楽になるかなと思い書いています。

あともうひとつ。

偽善者と言われるかもしれないけど、私と同じような境遇の方がもしいて救われたらなと思いもあります。
私は外部との繋がりすらほとんど制限されていて反発もありながらもこれが当たり前で普通なのかなと思っていた所がありました。

けど今は言える。
あの時の暮らしは普通じゃなく異常だと。

もし周りに助けを求めてる人がいたら手をさしのべてほしい。

自分がそういう環境なら逃げてもいいんだよ、ってわかってほしい。

後悔するのは自分。

そういう親は何がどうなっても助けてなんてくれない。

どうか周りに助けを求めて下さい。世の中は冷たいけどそんなに冷たくもよないです。