毒親日記

虐待サバイバー、昔の事今の事まとまりないけど書いていきます。

毒 9 続き

2020-12-19 19:30:41 | 日記
「いやいや、炎症がひどいので入院してください。」←先生
「どうする?」
母、私をギロッとみた。
「入院したく..ないです。」私

満足げに一瞬笑った母

「分かりました。けど命の保証できませんよ。」と先生に言われた。けど母は何も言わなかった。
先生も大袈裟に言っただけだろうけど、子どもがそんなこと言われたらさすがに入院しろと言うだろう。
この時思った。
私は母にとって居なくなってもいい人間だったんだと。
母は私よりお金が大事だった。

それから一週間くらい異常な咳と微熱が続いた。夜中ずっと苦しかったのは覚えてる。

けど母はいつもと変わらず。

何をしてくれる訳でもなかった。

夜咳が止まらなくても背中をさすってくれる事すらなかった。

うん、そうだ。
私生まれてこのかた母に肩をさすってもらった事がない。
会社のおばちゃんにはむせたときさすってもらったけど( ´゚д゚`)アチャー


話が逸れた( ;∀;)
母は心配どころか数日で「もうだいぶ体調良さそうだからマッサージして」と吐き捨てた。

まぁ、結果無事に完治したけどね。

やっぱり私は都合のいい奴隷。
死んでもいいような使い捨ての奴隷だった。
















毒 9

2020-12-19 17:46:46 | 日記
母との印象的な出来事のひとつは肺炎だった。

けど忘れたい過去だったみたいでずっと忘れていたみたいで数年前娘がマイコプラズマ肺炎になってふと肺炎と聞いて思い出した。

私はすごく風邪を引きやすい子だった。
多分今思うと喘息持ちだったのかなと。
異常な咳をしていた。

でもあまり病院には頻繁には行かせてもらえず行ったときには大体気管支炎になっていた。病院行くときも大体熱があっても20分かかるバス停にいってバスに乗るかバス代がもらえないときは死ぬ思いで40分かけて一人で歩いて病院へ行った。


でも母には心配されなかった。


中でも印象的なのは中学の肺炎になったとき。

その日も一人で病院だった。

先生に「お母さん呼べる?」と聞かれ連絡をとり来てもらいおそらく肺炎と診察されて大きい病院へそのまま行かされた。
移動の時に母はまずいと思ったんだろう。
「もし入院って言われたら、入院は絶対したくない、家に帰りたいって言いなよ。入院するお金なんてないんだから


心配の一言もなかった。

そして大きい病院でレントゲンを撮ってもらって肺炎とはっきり診断された。

「肺炎ですね。入院しましょう。」先生
「したくないです。家に帰りたいです。」私
「娘もこういってますんで薬で様子見させてください」母


続く