毒親日記

虐待サバイバー、昔の事今の事まとまりないけど書いていきます。

毒 7

2020-11-28 21:12:28 | 日記
母に立ち向かう勇気もなく数年が経った。
相変わらず学校は行かせてもらえず、ネグレクト状態。
小汚ない子どもだった。
勉強は「学校なんて中学からはじめたって充分間に合うから大丈夫」そう言われた。
天才でもあるまいし、間に合うはずがない。

10歳の時に母は義父との間に子どもができた。
そのとき義父は60歳。
狂ってる義父は母におろせと言ったが嫌だと言い張り義父は殴って流産させようとまでした。
けど母はお腹だけは守り子どもを産んだ。

その時のことで殺したいほど義父を恨むようになった母だった。



反対を押しきり母は男の子を産んだ。
私も可愛がった。
けど、間も無く母は居酒屋を義父の命令ではじめて私が夜の間ずっとミルクもおむつも面倒見る事になった。

小さい弟は容赦なく夜でもお構い無く泣き私は寝る時間などひどく不規則だった。

義父は酔って帰ってきて何一つ弟のことをしようとなんてしない。


夜は必然的に同じ部屋に寝ることになり、帰ってきた義父と母は営みをはじめる。気持ち悪くて気持ち悪くて吐き気がして必死で寝たふりをした。

もっと嫌なのは行為が終わったあと私の布団をはぎ取りニヤニヤ笑いながら「起きてるんじゃない?」と確認してくること。

もうこの人たちに嫌悪感しかなかった。

弟は反対されて生まれたわりにはすごく義父が溺愛した。
母も反対を押しきって産んだ子ですごく溺愛していた。
きれいな服を着て清潔にしてもらい愛を注がれた。

けど私の扱いは変わらなかった。

この頃から死にたいって思いが更に強くなった。





















































無駄だけど

2020-11-26 13:08:35 | 日記
考えたって意味ない事なんて百も承知だけど、自分が普通に育てられたらって考える。

もう少しまともな人生歩めたのかなって。
弟が生まれて言われた「あんたみたいにならない様にこの子はちゃんと育てなくちゃ」

あたしはあなたの失敗作ですか。
数ある傷つく言葉の中でベスト10には入るよ。
「あんたは出来ちゃったから産んだだけで、あんたのパパも好きじゃなかった」
そうですよね、だからあたしも愛されなかったんですよね。好きになった人の子じゃないから。

子どもがいるからこんなこと考えちゃいけないのは分かってる、けど自分が子育てしていくうちにどれだけ当たり前の事をしてもらえてなかったか、愛されてなかったか毎日実感して苦しくてたまらなくなる。消えたくなる。


甘えてるのかな、あたしは。

消えたいなんていうのは、言いたいだけのかまってちゃん。そう言われるの分かってるから誰にも言えない


私はこんなに苦しんでるけど、なんの証拠もない。
だからあの人が生涯罰せられる事はない。



































毒 6

2020-11-25 02:02:00 | 日記
義父は私を嫌っていた。
ことあるごとに嫌味や小言「施設へ帰れ」と私に笑いながら言ってきた。
私は何年経ってもお父さんとは呼べずおじちゃんと呼んでいた。こんな人が父だって認めたくなかった。

義父は温泉が趣味で毎週母と山奥の温泉に行く。 
だけど私はいつも着いてこなくていいと置いていかれた。
母もなにも言わなかった。
あたしはいつも暗くなるまでお腹をすかして待っていた。


当時まだ小学生二年の私を平気で一日中放置していったんだな、と大きくなってみて子どもを産んでみて思った。

今子どもたち上は三年だけど一日中お留守番なんてさせたことないし、心配でできない( ´~`)

話は戻ってこの義父は❌2の子どもは既に前妻に四人いた。
ヤクザが周りについていて、かなり暴力的で気に入らない事があると大きな音を立てたり怒鳴り散らす。
(その影響か私は男の人の声を荒げた声や大きな物音がいまだにすごく怖い)
土建の仕事をしていて、収入がかなり良かった。
だけどすごく単純で人に騙されやすく、戦後間もない生まれのせいか読み書き、計算があまりできない人だった。

そんな義父だけど学校は行くのが当たり前だと思っていたので(←当たり前だけどね🤣)母は私を学校へ行かせてない事を黙っていた。

だけど仕事柄雨が降ると突然帰ってきたりした。
そうするとあたしは毎回埃っぽい、かび臭い押し入れの中だ。トイレに行くことも我慢させられる。
義父が押し入れ付近にいるときは咳をするのも許されない。

そんな日が続いたけど、ある日ばれた。

午前中に帰ってきた義父と迎えに来た先生が鉢合わせ。出ていかざるおえない状況になった。
先生が帰り義父が「なんで○○を学校行かないだぁ!みっともない!」と怒鳴り散らした。

けど母はケロッと「○○が行きたくないって勝手に行かないんだよ、私は行きなさいっていったのに」

もちろん義父の矛先は私に代わりみっともない!と怒鳴り散らし蹴られた。

母はあとから私に言った「先生がタイミング悪く来るから悪いんだよ」と。
この人はいつも人のせいにして逃げる。私に全て押し付けて。

けど母は私を学校に行かせなかった。行かせても保健室登校で一時間ほど。

そしてまた義父に見つかった。今度は私が午前中帰ってきた義父と鉢合わせ。

もちろん怒鳴られ蹴られた🤣


そして母は「見つかったあんたが悪い!」

と蹴られた私の心配などせず更に罵った。

義父の話と題にしたけど変わってしまった。
結局あたしが一番憎んでるのは母だってことかな


義父はなんとなく母よりはまともな考えてを持った人間だったのかもしれない。(学校面では)

母は今思い出しても狂ってると思う。
あたしを奴隷かなんかとしかきっと思ってなかったんだと思う。











































































毒  5

2020-11-23 14:08:03 | 日記
施設から母に引き取られ新しいうちにきた。
古びれた賃貸の一軒家だった。離れに倉庫兼部屋のような所もついていたけどトイレも何もついていない。

新しい父は私をすごく嫌っていた。

新しい学校へ転校した。
1学年40人前後だった。
新しい学校の友達はみんな優しくて、あぁ、ここに来て良かった、と思い始めていた。

そんな楽しい日々があたしに許されるはずもなかったんだけどね。
母はすごくあんま(ふくらはぎマッサージ)をしてもらうのが好きで、毎日あたしにやらせた。(そういえば父にも毎日のようにやらせていた記憶がある)

何日かして「学校に行かなくていい」と言い出した。
理由は「あんまをしっかりしないから罰だ」だそうだ。

だけど先生が迎えにきても「自分の意思で行きたくない言え」と強要された。「言うこと聞かないなら出てけ」この呪いの言葉を数年間ことあるごとに言われ続けた。

そのマッサージをやらせるためだけにあたしの残りの5年間は捨てさせられたんだ。とまで今は思う。

でもこんなあたしでも一回先生に助けを求めた事はあるんだ。

保健の先生に「私ママ嫌い。」と言った。
それが精一杯だった。
数日してその保健の先生が学校に来ない私を迎えに来た。例のごとく母は居留守を使って私に自分の意思で行きたくないと言えと言われ、困って玄関で保健の先生に目で訴えた。

母がいるのに気づいたに違いない。
保健の先生は「ねぇ?お母さん嫌いって言ってたよね?お母さんにいくなって言われてるんじゃないの?言うこと聞く必要ないんだよ?」アホみたいに大きな声で言われ、もちろん母にも聞こえてしまっていた。

(あぁ、まずい)と感じた。
結局母が怖くて先生に着いていけなかった。

その後の話、数日間死ぬほど罵声と暴力を受けた。
「私が嫌いなら出ていけ」「あんたなんて引き取るんじゃなかった」「恩知らず」
その繰り返しを延々と聞かされて、あたしはもう逆らう事ができなくなった。
そして先生にも友達にも怖くて助けを求められなくなった。



毒 4

2020-11-23 10:43:58 | 日記

あたしが行った施設は小さい子は2歳くらい?から上は高校生までいた(どこもそうなのか?)
あたしはいじりやすかったのか、施設でも通いだした小学校でもいじめられた。
何か自分に原因があったのだろうけど、今となってはわからない(((^_^;)

先生もたくさんいたけどあたしがどんなに理不尽な理由で殴られても先生は助けてはくれなかった。というか生活の全てが適当。施設みんながみんなこうなのかは知らないけど当時の事を思い出すと劣悪だなと感じた。

小さい子を転ばしたと因縁をつけられて他の施設の子たちが何十人も集まってるところに連れてかれてみんなに睨まれて最後に蹴られた。

父が送ってくれた漫画本を大きいお姉ちゃん(当時6年)がこれはわたしが先に読むから読むなと言われていたけど、少し読んでしまってお仕置きだとビンタされた。

他にも色々ありすぎて骨にヒビが入るけがもさせられた。書ききれないけど、とにかく色々あった。

そんな中、2週間に一度くらい学校の帰り道で母が待っていた。

自分を捨てた母親、気持ち悪いそんな感情が湧いてたんだと思う。毎回ほぼ無視してた。

小学一年ながら心底母を(大嫌い)だと感じていた。

こんなことを人言ったら頭がおかしい、恩知らずとしか思われないだろう。

でもこの母が私を一年経って迎えにきた。

子どもに決定権はなく「お母さん迎えにきたよ、良かったね!」

と嬉しいのが当然のように送り出された。
    
嬉しいふりをしていたあたしだけど内心怖かった。

子どもながらに母のサイコパスさを感じていたから。

まぁやっぱり予想は的中だったけどね( ´゚д゚`)アチャー