毒親日記

虐待サバイバー、昔の事今の事まとまりないけど書いていきます。

毒 3

2020-11-22 10:00:02 | 日記
旅館暮らしも長く続かなく父はおばあちゃんにあたしを預けて、戻ってきたとき車に乗っていた。

今だったら(お金もないのにどこから調達したのか?)と疑問に思うがまだ幼いあたしはなーんにも考えてなかった( ´゚д゚`)アチャー

今度は車中泊が始まった( ´゚д゚`)アチャー
古びれた人気のない公園神社の隅に車を停めて寝た。

これは結構長く続いた気がする。
父は働くのをやめてひたすら母にお金を工面してもらって生活していた。

そんな生活が結構長く続いたがある日いつもの公園神社で停まって寝ていたら、ふと目を開けると窓に赤い光が差し込んでいた。パトカーだ。
あとから聞いた話、不審車がいると通報されたらしい。

父は捕まった。車はレンタカーから盗難したらしい。
そしてあたしは気づいていなかったが、もう小学生にあがる年だった((^_^;)

父はそのまま生活能力がないと判断されて母は私を引き取れないと言い私は施設に入ることになった。

応援ボタンありがとうございます(*^^*)まだ不慣れで明るい内容ではないですが、気が向いたら読んで下さい(*^^*)

毒 2

2020-11-22 09:40:16 | 日記
相変わらず仕事嫌いの父だったから当然収入もなくアパートを追い出された。
寮付きの仕事を転々としていたが、あたしは父が仕事の時は一人でうちで暗くなるまで待っていた。(まぁ、基本数日しか続かないのでそんなに何日もそんな日は続かない(((^_^;))


多分その頃3~4歳
保育園、幼稚園も通わせるお金がなかったんだろう。
予防接種を打ったのも私の記憶にはなかった。(今私三人の子持ちですが思い出してもあり得ない 笑)


仕事が数日しか続かない父。
そのうち雇ってくれるところも無くなり、父は出ていった母に連絡をとりお金を工面してもらっては安い旅館に泊まっていた。

ご飯は1日1回だった。

一番印象に残ってるのは夕飯に渡されたツナ缶一個だった。食べたくないとごねたのだろう。父が泣いていた。

これが一番印象に残っている食事の記憶。

けどこれはまだ幸せな生活な方だったんだ。

毒 1

2020-11-22 07:17:28 | 日記
物心ついた頃から私の両親は喧嘩が絶えなかった。
理由は父が仕事が続かないから( ´~`)


私の父はほんとに仕事が続かなかった。新しい仕事については数日で「◯◯さんとは合わない」「職場の人が嫌がらせしてくる」という理由で勤め先を辞めてきた。
しょっちゅう母は怒り狂い大喧嘩しては父を罵倒してお水をぶっかけていた(((^_^;)


そんな日が続いて母がうちにいないことが増えてきた。
父が働かないので稼ぐために水商売をしていたらしい。
そこで母は20歳以上年上の男性と出会って付き合いだした。(後の私の義父となる)

そして母はうちに帰って来なくなった。(その時私3歳くらい。上の話は自分の記憶と後から父、母に聞いた話)

私は父と暮らすことになったが父の仕事嫌いが直るはずもなかった