毒親日記

虐待サバイバー、昔の事今の事まとまりないけど書いていきます。

毒  5

2020-11-23 14:08:03 | 日記
施設から母に引き取られ新しいうちにきた。
古びれた賃貸の一軒家だった。離れに倉庫兼部屋のような所もついていたけどトイレも何もついていない。

新しい父は私をすごく嫌っていた。

新しい学校へ転校した。
1学年40人前後だった。
新しい学校の友達はみんな優しくて、あぁ、ここに来て良かった、と思い始めていた。

そんな楽しい日々があたしに許されるはずもなかったんだけどね。
母はすごくあんま(ふくらはぎマッサージ)をしてもらうのが好きで、毎日あたしにやらせた。(そういえば父にも毎日のようにやらせていた記憶がある)

何日かして「学校に行かなくていい」と言い出した。
理由は「あんまをしっかりしないから罰だ」だそうだ。

だけど先生が迎えにきても「自分の意思で行きたくない言え」と強要された。「言うこと聞かないなら出てけ」この呪いの言葉を数年間ことあるごとに言われ続けた。

そのマッサージをやらせるためだけにあたしの残りの5年間は捨てさせられたんだ。とまで今は思う。

でもこんなあたしでも一回先生に助けを求めた事はあるんだ。

保健の先生に「私ママ嫌い。」と言った。
それが精一杯だった。
数日してその保健の先生が学校に来ない私を迎えに来た。例のごとく母は居留守を使って私に自分の意思で行きたくないと言えと言われ、困って玄関で保健の先生に目で訴えた。

母がいるのに気づいたに違いない。
保健の先生は「ねぇ?お母さん嫌いって言ってたよね?お母さんにいくなって言われてるんじゃないの?言うこと聞く必要ないんだよ?」アホみたいに大きな声で言われ、もちろん母にも聞こえてしまっていた。

(あぁ、まずい)と感じた。
結局母が怖くて先生に着いていけなかった。

その後の話、数日間死ぬほど罵声と暴力を受けた。
「私が嫌いなら出ていけ」「あんたなんて引き取るんじゃなかった」「恩知らず」
その繰り返しを延々と聞かされて、あたしはもう逆らう事ができなくなった。
そして先生にも友達にも怖くて助けを求められなくなった。



毒 4

2020-11-23 10:43:58 | 日記

あたしが行った施設は小さい子は2歳くらい?から上は高校生までいた(どこもそうなのか?)
あたしはいじりやすかったのか、施設でも通いだした小学校でもいじめられた。
何か自分に原因があったのだろうけど、今となってはわからない(((^_^;)

先生もたくさんいたけどあたしがどんなに理不尽な理由で殴られても先生は助けてはくれなかった。というか生活の全てが適当。施設みんながみんなこうなのかは知らないけど当時の事を思い出すと劣悪だなと感じた。

小さい子を転ばしたと因縁をつけられて他の施設の子たちが何十人も集まってるところに連れてかれてみんなに睨まれて最後に蹴られた。

父が送ってくれた漫画本を大きいお姉ちゃん(当時6年)がこれはわたしが先に読むから読むなと言われていたけど、少し読んでしまってお仕置きだとビンタされた。

他にも色々ありすぎて骨にヒビが入るけがもさせられた。書ききれないけど、とにかく色々あった。

そんな中、2週間に一度くらい学校の帰り道で母が待っていた。

自分を捨てた母親、気持ち悪いそんな感情が湧いてたんだと思う。毎回ほぼ無視してた。

小学一年ながら心底母を(大嫌い)だと感じていた。

こんなことを人言ったら頭がおかしい、恩知らずとしか思われないだろう。

でもこの母が私を一年経って迎えにきた。

子どもに決定権はなく「お母さん迎えにきたよ、良かったね!」

と嬉しいのが当然のように送り出された。
    
嬉しいふりをしていたあたしだけど内心怖かった。

子どもながらに母のサイコパスさを感じていたから。

まぁやっぱり予想は的中だったけどね( ´゚д゚`)アチャー

   

当たり前な生活

2020-11-23 00:41:33 | 日記
子供を三人産んで育ててみて思った。

ご飯を作り、子供たちの服を洗って干して、綺麗な服を着せ、学校へ持って行くものを準備する。
公園で遊ばせ、お風呂にいれて夕飯を食べさせ、歯磨きさせて8時半には寝かせる。

当たり前なんだよね。でもそんな当たり前な生活をしてると、そんなまともな生活を一度もしたことない自分は、愛情を注いでもらったことない自分は愛される価値がなかったのかな?とふと悲しくなる事がある

今さら昔のことでくよくよして甘えてるなって分かってるけどさ。ふと病むよね

と独り言。