おじさんと三次元哲学で遊ぼ

もう誰も応援しない

にしきごい

2012-07-29 09:08:19 | 日記
イチローって、芯からまじめっていう感じだよね。世間で言うまじめ人間じゃなくて、あの人みてると、真のまじめってなにかって、いろいろ教わるというかね。いろいろな角度で書きたいことは、やまほどあるが、まあ、胸の中にしまっておくよ(笑)

このまえ、バスの運ちゃんが、バスを蛇行運転させてから、急に止まって降りてそのまま業務を放棄してしまったというニュースが流れてたけど、この部分だけみると、むちゃくちゃな運ちゃんだと、攻められるだろう。当然、首にもなったらしい。

ただ、その前に、おばあさんが、いろいろ道か何かを聞いてきて説明していたところ、後ろの客席から、「はやくしろよ」とか、罵声がとびはじめたらしい。どうも、そのことで、切れてしまったらしいんだな。

それで、こんなことで切れてるのはおかしいっていうのは、もっともなわけ。だけど、いろんな、いじめの問題の本質も、実は、こういうところに隠されてるように思うんでね。

なんで、こういうふうに罵声を浴びせてる連中は、まったくテレビで批判されないんだろうね(笑)そういう視点の言質がまったくないのも変だなって思った。学校のいじめの問題ではいろいろいってる人たちが、この状況かって・・・バスって、そもそも渋滞とかで遅れたりするもんだし、それはバス停にも書いてあることでね。

もちろん、遅れるというのも、いろいろ状況にもよるだろうけど、遅れたくないんなら、はやめにくればいいわけだし、そんな状況だったら、乗りながらずっとイライラしてなきゃならない。べつに、10分も説明してたわけじゃないんだろうし。

ようするに、いま社会の傾向をみると、なんでも、ルールを守ることだけが、ルールを守る人だけが立派な人間、人格者というわけ。だけど、こういう状況って、屈折した感情がいろいろ芽生えるもんでね。

もちろん、普通の社会人は、そういう場合でも、なんなく業務をこなすだろう。この運ちゃんが首になるのもしょうがない。だけど、そういう風に人格者気取ってる人の中から、渋谷の通り魔とか、切り裂き魔、そういうのが、生まれたりもするんだと思うよ。

というのは、よほどにぶくなければ、道を聞かれて教えてたところで、罵声をあびせられたら、不快なものが芽生えるし、逆に時間だからって無視して走り出したとして、道を聞いたばあさんが、いじわるなら、マスコミにいわれて、たたかれたかもしれない。たたかれなくても、無視してはしったら、後味のわるいものが残るかもしれない。もちろん、それが業務なんだと自分に言い聞かせながら妥協して生きていくわけだが。

そういうのが積もっていって、隠れたところで、感情の膿を発散させようというのかね。学校のいじめの多くにも、似たからくりがあるように思うんだけど。

映画とかも、いまは知らんけど、ちょい昔の芸術作品というか、優れた映画のなかには、むしろ、そっちの部分のほうにスポットを当ててるようなのが少なくないように思うね。芸術って、景色とかだけじゃなくて、そういうものまで含めてるようだね。

有名企業の創業者のKという人が、これと似た光景を昔みたらしい。バスが予定どうりこないで、バスがついてドアが開いた瞬間、並んでた連中が、運ちゃんにむかって文句を言い出した。それをみて、「ああ、日本もここまで来たか」・・って暗澹たる思いになったらしい。

Kは、トルストイなんかも読んでるらしいけど、こういう感じ方というか感性って、なにを読むとかの傾向にも全部出るんじゃないかな。いま、トルストイ読む経営者なんてめったにいないだろう。経営者だけじゃないだろうけど。トルストイの晩年の作品なんていったら、日本に片手の指いないんじゃないかね・・

だけど、新しいとか、古いとかの問題じゃなくて、ああいうトルストイのような人と、いまの平均的な作家先生とを比べると、大学生と中学生くらいの開きを感じちゃうんだよね。こういっちゃわるいけど・・・。まあ、おじさんが、いっても説得力がないし、じゃあ、おまえが書けよといわれても、無理なんだが(笑)

昔からしたら、いまは、若者や子供に迎合しすぎてるんじゃないかと感じるじいさんも、いるだろう。たしかに、そういう、じいさんには、頭の固い偏屈なのが多い(笑)

だけど、極端だけど、この先、すすんで、子供が大人を指導、誘導するような社会がきたとして、それこそ新しいんだとなったら、どれでも、時代の流れだから仕方ないと、なっとくさせられるかな。

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