今日はちょっと堅いことを書くけど、ほんとは、金持ちと貧乏とか、学歴が高いと低いとか、そういう勝ち負け区分だけじゃなくて、もっと、洗練された見方もあると思うんだけどね。
こういうと、じゃあ、そんなに貧乏生活がいいのかって怖い顔で反論されたり、やたら、貧乏で苦しそうな生活をしてる人を出してきて、芸能人が1円生活とかやったり、どうやってもこんななりたくない、やっぱり金は必要だみたいなことを、再認識させたがるようなものを、よくやってる。
金が必要はあたりまえのことなんでね。ただ、金はここにいればこんな稼げるけど、俺、こんなことやってて本当にいいのか・・っていう感覚がわくことないのかって、思ったりするよ。
釈迦がそうだったわけだろう。あるいは、トルストイも、そういう感性も人間にはあるってことを小説で知らしめてる。金は必要な反面、それだけ稼いでどうすんの?っていう世界もあるように思うんだけどね。そういうきりがない感覚が、持たざる人をさらに持てなくしてる面があるといってる人は、いまの世界でも少なくないようだけどね。日本には、確かに少ないようだが。
というのは、既成組織で働いてる限り、絶対、思考操作、感性操作みたいなもの、個性の磨耗みたいなものがあるはずでね。
こういわれて気にさわる人もいるだろうけど、金をもらうかわりに魂をひきかえに・・みたいになることもあるんじゃないかって、正直、思うわけ。
だったら、かなり、金をためたら、それとは別に、もう金はいい、金を無駄につかっても、金にはならなくとも・・っていう、もうひとつの自分の中で押しとどめてもとめようのない感性の世界に働きかけようとか、あってもいいと思うんだけど、どうも、見てると、そういうようにはならないようなんだよな。悪くかんぐれば、ただ、金がなくて苦しんでる人間の画像をだして、喜んでるだけっていうか。
確かに、家族もあり、あるいは、月収100万なり、200万なりもらってたら、なかなか、そういうものを手放してまで20万の世界にいくのは、大きなエネルギーだろうが。
ただ、極端にいえば、自分は、その先になにが待っていても、これだけはやりたいんだとかって、魂がうずくというか、あえて組織を離れてやっていく、そういうところから新しい感覚が生まれるというかね。そういう新人間っていうのは、世間の勝ち負け基準とは、別の価値あると思うけどね。俳優の山本っていうのは、たまたま仕事がなくなって、そういう方向にすすんだのか知らんが(笑)
橋本やママが、学力が落ち目の人間は、小学生から留年させようという案がでたり、いろいろその枠の中での案があるみたいだけど、結局、そういう世界は、そういう世界であっていいというか、必要なのかもしらないけど、反面、真の教養とは異質の司馬遼太郎のいう虚栄の世界でしかないんでね。そういう枠を超えた、枠に適応できない見方が柱にある芸術家なり作家が、普遍の芸術的なリアリストなんだろうね。それは、家をつくったり、国をつくったりというリアリストとは、またニュアンスが違う。
元官僚のラスプーチンといわれた男も、その名づけ方自体が、学歴頭の発想なんでね(笑)ただ、ロシア担当で気持ち悪い風貌っていう表面のことをみて、つけられたんだろう。いま、裁判中なのか、どういう犯罪者なのか詳しく知らないが、少なくとも、ラスプーチンほどふざけた男じゃないとおじさんは、思うけどね(笑)
まあ、元官僚のラスプーチンは、確かに、ちょっと日本ではアウトサイダー気味で、哲学的な教養もあって、最近の日本の偏差値エリートなジャーナリストにしたら、世界よりの知的で独創頭を持ってるけど、それでも、まだ、頭の中に詰め込んだ知識の勢いが強いというか、司馬でいうドイツ的な臭いが鼻をつくんだな(笑)
また、こんなこと書くと、お前は何様のつもりだって思われてるだろうが、おじさんは、ジャイアンみたいに、お前の書くものは全部だめ、俺の書くものだけが全部いいなんて、思いやしないよ(笑)会えば、そんな人間じゃないねえ、文章とぜんぜんイメージ違ういい人だねっていってくれると思うよ。実際、こういうのは直にあって話したりしないと、感情的しこりが生まれやすいというかね。
まあ、イギリスも、噂では日本では比較できないほど、階級化が微動だにしないということらしいが、そういう中で、学歴の低いコリンウィルソンとか、まあ、これまでのリアリストとは、ちょっと、ニュアンスが違うが、デーヴィッドアイクのような低学歴ジャーナリストが出たりとか、デーヴィッドアイクについては、世界の負の面ばかりみてるというか、出所が怪しいというか、ベンジャミンフルホードと似たような陰謀論には興味ないが、思うことを変人扱いされようが、ねじまげずにひたすら書こうという勇気というか、根性はすごいよね。こういうのをジャーナリスト魂っていうんだろうなって、再認識させられたというか。ジャーナリスト界のモハメドアリというかね。おじさんには、とても、まねできないよな。
少なくとも、固有名詞をはずした人間全般の見方に限っては、ただの変人じゃないし、おじさんは、グルジェフとか、カスタネダとか、散々読んできたから、ああいう思考回路はわかるし、欧米からこういう人が出てきたんだねえっていう感慨のようなものもある。
やっぱり、そういう既成の枠外からリアリストって出るんじゃないかな。
もちろん、これは既成の勝ち組からすれば、負け惜しみでしかないんだろうけど、負け惜しみって、前にも書いたと思うけど、ワインのように寝かせれば、けっこういい感性に育ったりすると思うんでね(笑)もっとも、もとが悪かったり、寝かせるうちに、寝かせすぎて腐っちゃうようなのがほとんどかもだけどね。
こういうと、じゃあ、そんなに貧乏生活がいいのかって怖い顔で反論されたり、やたら、貧乏で苦しそうな生活をしてる人を出してきて、芸能人が1円生活とかやったり、どうやってもこんななりたくない、やっぱり金は必要だみたいなことを、再認識させたがるようなものを、よくやってる。
金が必要はあたりまえのことなんでね。ただ、金はここにいればこんな稼げるけど、俺、こんなことやってて本当にいいのか・・っていう感覚がわくことないのかって、思ったりするよ。
釈迦がそうだったわけだろう。あるいは、トルストイも、そういう感性も人間にはあるってことを小説で知らしめてる。金は必要な反面、それだけ稼いでどうすんの?っていう世界もあるように思うんだけどね。そういうきりがない感覚が、持たざる人をさらに持てなくしてる面があるといってる人は、いまの世界でも少なくないようだけどね。日本には、確かに少ないようだが。
というのは、既成組織で働いてる限り、絶対、思考操作、感性操作みたいなもの、個性の磨耗みたいなものがあるはずでね。
こういわれて気にさわる人もいるだろうけど、金をもらうかわりに魂をひきかえに・・みたいになることもあるんじゃないかって、正直、思うわけ。
だったら、かなり、金をためたら、それとは別に、もう金はいい、金を無駄につかっても、金にはならなくとも・・っていう、もうひとつの自分の中で押しとどめてもとめようのない感性の世界に働きかけようとか、あってもいいと思うんだけど、どうも、見てると、そういうようにはならないようなんだよな。悪くかんぐれば、ただ、金がなくて苦しんでる人間の画像をだして、喜んでるだけっていうか。
確かに、家族もあり、あるいは、月収100万なり、200万なりもらってたら、なかなか、そういうものを手放してまで20万の世界にいくのは、大きなエネルギーだろうが。
ただ、極端にいえば、自分は、その先になにが待っていても、これだけはやりたいんだとかって、魂がうずくというか、あえて組織を離れてやっていく、そういうところから新しい感覚が生まれるというかね。そういう新人間っていうのは、世間の勝ち負け基準とは、別の価値あると思うけどね。俳優の山本っていうのは、たまたま仕事がなくなって、そういう方向にすすんだのか知らんが(笑)
橋本やママが、学力が落ち目の人間は、小学生から留年させようという案がでたり、いろいろその枠の中での案があるみたいだけど、結局、そういう世界は、そういう世界であっていいというか、必要なのかもしらないけど、反面、真の教養とは異質の司馬遼太郎のいう虚栄の世界でしかないんでね。そういう枠を超えた、枠に適応できない見方が柱にある芸術家なり作家が、普遍の芸術的なリアリストなんだろうね。それは、家をつくったり、国をつくったりというリアリストとは、またニュアンスが違う。
元官僚のラスプーチンといわれた男も、その名づけ方自体が、学歴頭の発想なんでね(笑)ただ、ロシア担当で気持ち悪い風貌っていう表面のことをみて、つけられたんだろう。いま、裁判中なのか、どういう犯罪者なのか詳しく知らないが、少なくとも、ラスプーチンほどふざけた男じゃないとおじさんは、思うけどね(笑)
まあ、元官僚のラスプーチンは、確かに、ちょっと日本ではアウトサイダー気味で、哲学的な教養もあって、最近の日本の偏差値エリートなジャーナリストにしたら、世界よりの知的で独創頭を持ってるけど、それでも、まだ、頭の中に詰め込んだ知識の勢いが強いというか、司馬でいうドイツ的な臭いが鼻をつくんだな(笑)
また、こんなこと書くと、お前は何様のつもりだって思われてるだろうが、おじさんは、ジャイアンみたいに、お前の書くものは全部だめ、俺の書くものだけが全部いいなんて、思いやしないよ(笑)会えば、そんな人間じゃないねえ、文章とぜんぜんイメージ違ういい人だねっていってくれると思うよ。実際、こういうのは直にあって話したりしないと、感情的しこりが生まれやすいというかね。
まあ、イギリスも、噂では日本では比較できないほど、階級化が微動だにしないということらしいが、そういう中で、学歴の低いコリンウィルソンとか、まあ、これまでのリアリストとは、ちょっと、ニュアンスが違うが、デーヴィッドアイクのような低学歴ジャーナリストが出たりとか、デーヴィッドアイクについては、世界の負の面ばかりみてるというか、出所が怪しいというか、ベンジャミンフルホードと似たような陰謀論には興味ないが、思うことを変人扱いされようが、ねじまげずにひたすら書こうという勇気というか、根性はすごいよね。こういうのをジャーナリスト魂っていうんだろうなって、再認識させられたというか。ジャーナリスト界のモハメドアリというかね。おじさんには、とても、まねできないよな。
少なくとも、固有名詞をはずした人間全般の見方に限っては、ただの変人じゃないし、おじさんは、グルジェフとか、カスタネダとか、散々読んできたから、ああいう思考回路はわかるし、欧米からこういう人が出てきたんだねえっていう感慨のようなものもある。
やっぱり、そういう既成の枠外からリアリストって出るんじゃないかな。
もちろん、これは既成の勝ち組からすれば、負け惜しみでしかないんだろうけど、負け惜しみって、前にも書いたと思うけど、ワインのように寝かせれば、けっこういい感性に育ったりすると思うんでね(笑)もっとも、もとが悪かったり、寝かせるうちに、寝かせすぎて腐っちゃうようなのがほとんどかもだけどね。