前に、アーマードという映画の人間関係が、リアルに描けていて面白いといったけど、ちょうどいまの政界の中のやりとりに似ているようにも見える。
石原によれば、政党の中の政策の結びつきなどというものも非常に、もろいという。
まあ、はたから見れば、なんでこんなに和気藹々と、仲間をかばうような態度を見せていたのに、急にころっと変われるんだろうなどと思ってる人も、少なくないのかもしれないが、政界の政策という接着剤でつながっただけの人間関係というのは、もともとそういう類のものなのだろう
ただ、田中角栄のグループなどは、また違う素材の入った粘着力の強い結びつきもあったようだが、必ずしも、この接着剤の質がいいとは、いえないようだ。それは司馬も指摘してるが、動物的なものを刺激し、よみがえらせながら、どろどろとした粘着力を人工的に作り出す。それは、自然の情の結びつき、あるいは、仁義などのアジア的な美しいものに似ている部分もあるかもしれないが、司馬ほどの観察眼を持っている人からみれば、接着剤の副作用は明らかだったろう。
また、公約というものをつくり、それをもとに国民の信を問い、それを必ず実行することこそ、政党としての誠実さだと思ってる人は少なくなかったろう。少なくとも、この大震災が起こるまでは・・
しかし、必ずしも、それが仁義には見えないことも、この震災でわかってしまった。キリストも、「誓いを立てるな」といってるが、複雑な現実は、つねに変わっているのだが、派手なことがおきないとなかなか、それが見えない。それを型にはめようとすれば、無理が出るものらしい。
しかし、相変わらず、約束を守ることこそ正義だという考えの人もいて、そこでまた意見が分かれて、仲間割れすることもあるだろう。まあ、牧童としては、あまりえらそうなことを言いたくないんだが。
石川良が、賞金の全額を被災地に寄付するという。こっちがお兄ちゃんと慕いたいほど立派だが、仲間内では必ずしも好感情を持っている人ばかりでもないだろうし、どこか周りや先輩が、これまでよりも、よそよそしく接してくるようになったのではないか(笑)
こういうことをやった時点で、石川は、ゴルフ界のアウトサイダーというか、ほかのゴルファーと接していて前と受ける感じが違うなというような関係の数々に気づかされているのではないか。あるいは、ちょっとは、僕の気持ちもわかってもらえたのではないかなどと思い上がってしまい、また読者の数が減るでしょう(笑)
格闘技でも野球でもそうだろうが、飯を食えないというハングリー精神というか、がつがつした、ちょっと汚れたような内面に、ある種、物に恵まれて育った人間が、科学的なトレーニング法で実力を磨き、勝てるのかな・・という疑問を持ったことがある。
まあ、ゴルフやテニスやレーサーのように、昔の金持ちの娯楽というイメージのあるスポーツは、格差という壁が、子供のころからの英才教育を妨げ、育ちのよさそうなお坊ちゃんや、おじょうちゃんが多いようにも思える。しかし、もし、野球のように、南米の貧困層の子供たちにはやくから、ゴルフを教えたら、そら恐ろしい実力の選手も出てくるに違いない。
何かを行うとき、当然、人それぞれ、いろんなモチベーションがあるだろうが、「飯を食えない・・」という中でも、親のあたたかい情を受けながら育った人間の馬力というものは、僕ら物まみれの人間の想像を超えたものがあるようだ。
また、ワコールの創業者などは、戦争体験者であり、インパールで数人の生き残りの一人だったということだが、会社の創業時には、数年間まったく休まずに働きながら、苦しくなかったという。普通の人間がハアハアいうような状況でも、楽でしょうがなかったんだと。
それくらい育った環境により、人間が違ってくるわけだが、現代の頭や合理化を重視しすぎの環境というものは、人間の情や、深いところで生まれるような結びつきが、どうしても希薄になってくる。もっとも、ありとあらゆる人間との間に強い情の関係が構築されたら、神経がまいってしまうわけだが。
また、情というものも案外いい加減なもので、フィリピンで誤認逮捕された鈴木という人が語っていたが、フィリピンの監獄の中は、わりと自由がきくが、地獄の沙汰も金次第だったという。
それで、金があればテレビもみれたりもしたそうだが、いわゆるお涙頂戴もの、人情ドラマを見て、わんわん泣いてる囚人も少なくなかったという。しかし、そういう囚人の現実の行動たるや、まったく正反対な冷酷薄情なものだったりしたそうな。
石原によれば、政党の中の政策の結びつきなどというものも非常に、もろいという。
まあ、はたから見れば、なんでこんなに和気藹々と、仲間をかばうような態度を見せていたのに、急にころっと変われるんだろうなどと思ってる人も、少なくないのかもしれないが、政界の政策という接着剤でつながっただけの人間関係というのは、もともとそういう類のものなのだろう
ただ、田中角栄のグループなどは、また違う素材の入った粘着力の強い結びつきもあったようだが、必ずしも、この接着剤の質がいいとは、いえないようだ。それは司馬も指摘してるが、動物的なものを刺激し、よみがえらせながら、どろどろとした粘着力を人工的に作り出す。それは、自然の情の結びつき、あるいは、仁義などのアジア的な美しいものに似ている部分もあるかもしれないが、司馬ほどの観察眼を持っている人からみれば、接着剤の副作用は明らかだったろう。
また、公約というものをつくり、それをもとに国民の信を問い、それを必ず実行することこそ、政党としての誠実さだと思ってる人は少なくなかったろう。少なくとも、この大震災が起こるまでは・・
しかし、必ずしも、それが仁義には見えないことも、この震災でわかってしまった。キリストも、「誓いを立てるな」といってるが、複雑な現実は、つねに変わっているのだが、派手なことがおきないとなかなか、それが見えない。それを型にはめようとすれば、無理が出るものらしい。
しかし、相変わらず、約束を守ることこそ正義だという考えの人もいて、そこでまた意見が分かれて、仲間割れすることもあるだろう。まあ、牧童としては、あまりえらそうなことを言いたくないんだが。
石川良が、賞金の全額を被災地に寄付するという。こっちがお兄ちゃんと慕いたいほど立派だが、仲間内では必ずしも好感情を持っている人ばかりでもないだろうし、どこか周りや先輩が、これまでよりも、よそよそしく接してくるようになったのではないか(笑)
こういうことをやった時点で、石川は、ゴルフ界のアウトサイダーというか、ほかのゴルファーと接していて前と受ける感じが違うなというような関係の数々に気づかされているのではないか。あるいは、ちょっとは、僕の気持ちもわかってもらえたのではないかなどと思い上がってしまい、また読者の数が減るでしょう(笑)
格闘技でも野球でもそうだろうが、飯を食えないというハングリー精神というか、がつがつした、ちょっと汚れたような内面に、ある種、物に恵まれて育った人間が、科学的なトレーニング法で実力を磨き、勝てるのかな・・という疑問を持ったことがある。
まあ、ゴルフやテニスやレーサーのように、昔の金持ちの娯楽というイメージのあるスポーツは、格差という壁が、子供のころからの英才教育を妨げ、育ちのよさそうなお坊ちゃんや、おじょうちゃんが多いようにも思える。しかし、もし、野球のように、南米の貧困層の子供たちにはやくから、ゴルフを教えたら、そら恐ろしい実力の選手も出てくるに違いない。
何かを行うとき、当然、人それぞれ、いろんなモチベーションがあるだろうが、「飯を食えない・・」という中でも、親のあたたかい情を受けながら育った人間の馬力というものは、僕ら物まみれの人間の想像を超えたものがあるようだ。
また、ワコールの創業者などは、戦争体験者であり、インパールで数人の生き残りの一人だったということだが、会社の創業時には、数年間まったく休まずに働きながら、苦しくなかったという。普通の人間がハアハアいうような状況でも、楽でしょうがなかったんだと。
それくらい育った環境により、人間が違ってくるわけだが、現代の頭や合理化を重視しすぎの環境というものは、人間の情や、深いところで生まれるような結びつきが、どうしても希薄になってくる。もっとも、ありとあらゆる人間との間に強い情の関係が構築されたら、神経がまいってしまうわけだが。
また、情というものも案外いい加減なもので、フィリピンで誤認逮捕された鈴木という人が語っていたが、フィリピンの監獄の中は、わりと自由がきくが、地獄の沙汰も金次第だったという。
それで、金があればテレビもみれたりもしたそうだが、いわゆるお涙頂戴もの、人情ドラマを見て、わんわん泣いてる囚人も少なくなかったという。しかし、そういう囚人の現実の行動たるや、まったく正反対な冷酷薄情なものだったりしたそうな。