とにかく、私自身は、精神をかたどる血液がある程度、定まってきた。だから、読者がどうなろうが、けなされようが、ほめられようが、生活の糧を得るための媒体は別として、生きてる限り、蚕が糸をはくごとく書き続けることになるだろう。
まあ、読者はどれだけ興味を持っているかわからないが、私の吐き出す言葉に魅力を感じない人からの悪口として、「ここはインドじゃない」「内容が古すぎる」などの類が多いように思う。
そこで、私の精神の血液を形づくってきたものとして、実生活の影響はもちろん、多大にあるだろうが、それと同等に、読んできた本というものの影響も大きいだろう。
それで、私が面白いと思って読んだ著者の名前を思い出せるだけ羅列し、私がほんとにインド的な人間といわれる類の者なのか、ここの皆さんにも面倒だろうが、考えてみてもらいたい。なお、ここで取り上げるのは、まあまあ面白いから、かなり面白いと思ったまであげ、ちょっとは面白い程度から以下はあげない。
また、若い時期に読んで面白かったものが、いまは、ものたりないというようなこともあるが、とりあえず一時期でもはまったものは羅列する。どれも、それなりに掘り下げて、人まねでない見識というか、オリジナリティをつかんだものであることは、間違いない。
(インド)ラジニーシ クリシュナムルティ ヨガナンダ ラビバトラ
(メキシコ)カスタネダ
(アメリカ)カレンホルナイ マズロー ルイス フロム ガルブレイス ブラッ ドベリ バーナデットロバーツ アーノルドミンデル
(イギリス)シルバーバーチ アーサーガーダム コリンウィルソン マクドナルドベイン ドーリル リバイドーリング
(ロシア)ドストエフスキー トルストイ ペルジャーエフ グルジェフ ソルジェニーツィン
(ドイツ)ヤコブベーメ ヘッセ
(北欧)スェデンボルグ
(フランス)アンドレモロワ ロマンロラン ツヴアイク
(オランダ)ウォルフレン
(日本)無明庵EO 司馬遼太郎 山本七平 山本夏彦 会田雄次 森田正馬 小島直記 林英彦 鎌田慧 伊藤肇 副島隆彦 稲盛和夫 松下幸之助 鍵山秀三郎 森信三 芳村思風 梅原猛 鈴木大拙 鈴木知準 城山三郎 佐高信 本山博 山口修源 堀田和成 遠藤周作 船井幸雄 行徳哲夫 谷口正春 手島郁郎 和田重正
ざっと、思い出せるだけ思い出してみた。若いころは、自身面白いと感じられないようなものでも、世間が面白いといってるとか、歴史の遺産といわれてるからとかいう理由で、無理して読んで、わからない自分がおかしいのかとか思ったものだが、そういうものはほとんど頭に残っていない。
やはり、読んで面白いという感覚をつかむほど、自身の精神の血液型がわかり、周囲にに影響を受けることもなくなり、余計な読書をしなくなり、ストレスも感じなくなる。
ただし、この場合の面白さも、やはり、感覚的な面白さと、精神的な面白さがある。精神的な面白さがわかってくるほど、感覚的なものがわずらわしくなるように思う。
ただし、最近は、感覚的な面白さから読書する人も減ってるように思う。電車内で本を読む人は、そこそこ見かけるが、やはり独自の掘り下げた判断や好みから読むという人は、少ないのではないかと。偏見かな・・
あとは、電車内をみても 寝てるか、漫画か、携帯、ゲームをひたすらいじってる人が多い。景色を見てるほうがよほど、精神衛生上よろしいようにも思う。
城山三郎も、ひっきりなしに携帯と面と向かってる若者たちをみて、これではますます人間がものを考えなくなる、歩いてるときがものを考える一番いい時なのにと心配していたようだ。
私が上記にあげた経済学者は、金儲け経済だけでなく、哲学のようなものとミックスさせた形而上学を披露していた。市場原理だけでは、どれだけ人間性を粉々にしてしまうかということまで含めた言質を披露していた。
それが証拠に、ケインズや、アダムスミスという経済原理主義者も、宗教的な本も出してるではないか。
しかし、いまや、ほんとに売り上げがどうとか、景気がどうこうたらという結果論しか、経済学者もいわなくなってる。あるいは、経済に疎い私でも、人真似の粋を出てないとわかってしまうような言質だったり。とにかく、経済が数字や結果さえ出し、それが法律の範囲内であれば、あとは、おかまいなしというように見えてしまう。
私も、経済については、多少興味があるのだが、そっち方面に頭がよくないから、よくわからない。ほんとは独創的で思考が筋肉質の経済学者に、大きな視点からわかりやすく、明晰に経済を教えていただきたいんですが。
まさに、手段が目的に、木の根や柱を保つのではなく、枝葉を飾ることが目標になっていったとき、すべてが小さくなるということだと思う。水槽の中でペットを飼うと、ある程度以上大きくならない。固体が水槽の大きさに適応してしまうのだ。どうも、そういう風に、人間の思考回路が小さくなっていってるように思えてしまう。
しかし、そういうことを指摘すれば、お前にいわれる筋合いはないとか、何様のつもりなどと、うらまれて社会から除外され、まずいことになる。そのときこその哲学のようなものを教えてる本は上記の中にもある・・
まあ、読者はどれだけ興味を持っているかわからないが、私の吐き出す言葉に魅力を感じない人からの悪口として、「ここはインドじゃない」「内容が古すぎる」などの類が多いように思う。
そこで、私の精神の血液を形づくってきたものとして、実生活の影響はもちろん、多大にあるだろうが、それと同等に、読んできた本というものの影響も大きいだろう。
それで、私が面白いと思って読んだ著者の名前を思い出せるだけ羅列し、私がほんとにインド的な人間といわれる類の者なのか、ここの皆さんにも面倒だろうが、考えてみてもらいたい。なお、ここで取り上げるのは、まあまあ面白いから、かなり面白いと思ったまであげ、ちょっとは面白い程度から以下はあげない。
また、若い時期に読んで面白かったものが、いまは、ものたりないというようなこともあるが、とりあえず一時期でもはまったものは羅列する。どれも、それなりに掘り下げて、人まねでない見識というか、オリジナリティをつかんだものであることは、間違いない。
(インド)ラジニーシ クリシュナムルティ ヨガナンダ ラビバトラ
(メキシコ)カスタネダ
(アメリカ)カレンホルナイ マズロー ルイス フロム ガルブレイス ブラッ ドベリ バーナデットロバーツ アーノルドミンデル
(イギリス)シルバーバーチ アーサーガーダム コリンウィルソン マクドナルドベイン ドーリル リバイドーリング
(ロシア)ドストエフスキー トルストイ ペルジャーエフ グルジェフ ソルジェニーツィン
(ドイツ)ヤコブベーメ ヘッセ
(北欧)スェデンボルグ
(フランス)アンドレモロワ ロマンロラン ツヴアイク
(オランダ)ウォルフレン
(日本)無明庵EO 司馬遼太郎 山本七平 山本夏彦 会田雄次 森田正馬 小島直記 林英彦 鎌田慧 伊藤肇 副島隆彦 稲盛和夫 松下幸之助 鍵山秀三郎 森信三 芳村思風 梅原猛 鈴木大拙 鈴木知準 城山三郎 佐高信 本山博 山口修源 堀田和成 遠藤周作 船井幸雄 行徳哲夫 谷口正春 手島郁郎 和田重正
ざっと、思い出せるだけ思い出してみた。若いころは、自身面白いと感じられないようなものでも、世間が面白いといってるとか、歴史の遺産といわれてるからとかいう理由で、無理して読んで、わからない自分がおかしいのかとか思ったものだが、そういうものはほとんど頭に残っていない。
やはり、読んで面白いという感覚をつかむほど、自身の精神の血液型がわかり、周囲にに影響を受けることもなくなり、余計な読書をしなくなり、ストレスも感じなくなる。
ただし、この場合の面白さも、やはり、感覚的な面白さと、精神的な面白さがある。精神的な面白さがわかってくるほど、感覚的なものがわずらわしくなるように思う。
ただし、最近は、感覚的な面白さから読書する人も減ってるように思う。電車内で本を読む人は、そこそこ見かけるが、やはり独自の掘り下げた判断や好みから読むという人は、少ないのではないかと。偏見かな・・
あとは、電車内をみても 寝てるか、漫画か、携帯、ゲームをひたすらいじってる人が多い。景色を見てるほうがよほど、精神衛生上よろしいようにも思う。
城山三郎も、ひっきりなしに携帯と面と向かってる若者たちをみて、これではますます人間がものを考えなくなる、歩いてるときがものを考える一番いい時なのにと心配していたようだ。
私が上記にあげた経済学者は、金儲け経済だけでなく、哲学のようなものとミックスさせた形而上学を披露していた。市場原理だけでは、どれだけ人間性を粉々にしてしまうかということまで含めた言質を披露していた。
それが証拠に、ケインズや、アダムスミスという経済原理主義者も、宗教的な本も出してるではないか。
しかし、いまや、ほんとに売り上げがどうとか、景気がどうこうたらという結果論しか、経済学者もいわなくなってる。あるいは、経済に疎い私でも、人真似の粋を出てないとわかってしまうような言質だったり。とにかく、経済が数字や結果さえ出し、それが法律の範囲内であれば、あとは、おかまいなしというように見えてしまう。
私も、経済については、多少興味があるのだが、そっち方面に頭がよくないから、よくわからない。ほんとは独創的で思考が筋肉質の経済学者に、大きな視点からわかりやすく、明晰に経済を教えていただきたいんですが。
まさに、手段が目的に、木の根や柱を保つのではなく、枝葉を飾ることが目標になっていったとき、すべてが小さくなるということだと思う。水槽の中でペットを飼うと、ある程度以上大きくならない。固体が水槽の大きさに適応してしまうのだ。どうも、そういう風に、人間の思考回路が小さくなっていってるように思えてしまう。
しかし、そういうことを指摘すれば、お前にいわれる筋合いはないとか、何様のつもりなどと、うらまれて社会から除外され、まずいことになる。そのときこその哲学のようなものを教えてる本は上記の中にもある・・