おじさんのことを、談子だと思ってた人間は、ざまあみろ・・また、生き返ったぞ、なんていうと、この期に及んで不謹慎だなんて思われるだろうが、そういうのこそが、あの人の芸風だったんじゃないかね。石原も、ざまあみろ、なんていってたけど、談子は、死ぬ寸前まで、ざまあみろなんてげらげら笑って、死ぬような人間じゃなかったが、そうだったら、おじさんは、談子を真の天才と呼んだろう。
また生意気なこといっちゃたけど、おじさんだって、死の宣告をされたりしたら、ぶるぶるしちゃうだろう。
まあ、「生ける死神」なんて、命名してくれた人もいたけどね。というのは、おじさんが通りすがりの場所で、つづけて殺人や自殺があったりしたことがあって、例えば、たまたま、出入りしたマンションで、ちょうどその日に殺人があったりして、防犯カメラにうつってたのか、職場に警察から電話がかかってきたりした。まあ、それは、牛丼屋の店長が殺された客のマンションにいって、殺してしまったということだった。
まあ、あの事件も、ほんとのことはわからないが、その客が、水のでるのが遅いとか、くるたびにくだらないことといったら、あれだけど、牛丼屋の店員に文句をいってたらしいんだな。それでも、殺しちゃおしまいよっていう話だし、極端な例だろうが、そういうところでストレス解消しようっていうような陳腐な人間は、けっこういるようにおじさんの経験からも思うよ。
恐縮ながら、正直、談子の落語は、聞いたことないが、いろんなところで言ってる言葉を聞くと、どうも、そういう感じがするな。おじさんも、いろいろ知ってるように見えて、談子が政治家だったことや、笑店にかかわってたこととか、まったく知らなかったね。
だけど、そういうの経歴をかいま見ると、やっぱり、社会に適応しにくいというか、こういう方向に進むのが尋常なルートだとかいうように思われながらも、そういう道をはずして、ばかだねえ・・と思うような人間がたくさんでてくるタイプというかね。テレビも、みねえとか答えてたのも聞いた。
逆に、そういうかみあわないものから、いろんな批判的なものが生まれてきて、そういうのを言葉に出して落語にするというのか、物書きでも、漫画家でも、政治家でも、どの世界でもいるんだろうね。ただの愚痴とちょっと違うというか。
かっこうの巣の上でっていう映画で、精神病院の中で適応できないで冗談ばっかりいったりしてる男を、一緒に入院してる仲間のインディアンが最後に殺してしまうんだが、「お前は、でかすぎた」とかいいながら。まあ、このへんの話は、また嫌がる人いるだろうから、やめとくけどね。こんなふうに、こういう場末の場ですら、書くことに不自由を感じてるわけでね。
まあ、おじさんが悟ったのは、どうも、あんまりレベルが高すぎることも、低すぎることも書いちゃいけないっていうことだね。どっちも、そのときの気分で好き勝手に書きたいと思うんだが、どうも、ここがいくら自由に書ける場であっても、そういうのは許されないように思う。まあ、読むべき人が読んでれば、いいんだが。そうじゃないと、どうも、いろんなマイナスの感情群みたいなのが生まれてくるというか。そういうのが、ある種の呪いみたいになってくるんじゃないかって(笑)まあ、非科学的だし、断定はできないけどね。
談子も、ああいうふうに、いかにも好きもの、豪放雷落にふるまってはいても、ただ、うまいもん食って、女とか、賭博やったりなんだで、結局は、満足できないんだろう。あれくらいになれば、そんなのはいくらでも自由になりそうだし、そういうことを茶化せばいいキャラクターだから、政治家なんかと違って、こんな時代でも、かなり言葉や行動の自由はあったと思うんだが。落語やめたって、なにもしなくても、十分な蓄えもあったろうに。
そういうのがストレスになって、ヘビースモーカーになったり、健康に悪影響与えたり、いろいろでてくる部分もあるんじゃないかな。
また生意気なこといっちゃたけど、おじさんだって、死の宣告をされたりしたら、ぶるぶるしちゃうだろう。
まあ、「生ける死神」なんて、命名してくれた人もいたけどね。というのは、おじさんが通りすがりの場所で、つづけて殺人や自殺があったりしたことがあって、例えば、たまたま、出入りしたマンションで、ちょうどその日に殺人があったりして、防犯カメラにうつってたのか、職場に警察から電話がかかってきたりした。まあ、それは、牛丼屋の店長が殺された客のマンションにいって、殺してしまったということだった。
まあ、あの事件も、ほんとのことはわからないが、その客が、水のでるのが遅いとか、くるたびにくだらないことといったら、あれだけど、牛丼屋の店員に文句をいってたらしいんだな。それでも、殺しちゃおしまいよっていう話だし、極端な例だろうが、そういうところでストレス解消しようっていうような陳腐な人間は、けっこういるようにおじさんの経験からも思うよ。
恐縮ながら、正直、談子の落語は、聞いたことないが、いろんなところで言ってる言葉を聞くと、どうも、そういう感じがするな。おじさんも、いろいろ知ってるように見えて、談子が政治家だったことや、笑店にかかわってたこととか、まったく知らなかったね。
だけど、そういうの経歴をかいま見ると、やっぱり、社会に適応しにくいというか、こういう方向に進むのが尋常なルートだとかいうように思われながらも、そういう道をはずして、ばかだねえ・・と思うような人間がたくさんでてくるタイプというかね。テレビも、みねえとか答えてたのも聞いた。
逆に、そういうかみあわないものから、いろんな批判的なものが生まれてきて、そういうのを言葉に出して落語にするというのか、物書きでも、漫画家でも、政治家でも、どの世界でもいるんだろうね。ただの愚痴とちょっと違うというか。
かっこうの巣の上でっていう映画で、精神病院の中で適応できないで冗談ばっかりいったりしてる男を、一緒に入院してる仲間のインディアンが最後に殺してしまうんだが、「お前は、でかすぎた」とかいいながら。まあ、このへんの話は、また嫌がる人いるだろうから、やめとくけどね。こんなふうに、こういう場末の場ですら、書くことに不自由を感じてるわけでね。
まあ、おじさんが悟ったのは、どうも、あんまりレベルが高すぎることも、低すぎることも書いちゃいけないっていうことだね。どっちも、そのときの気分で好き勝手に書きたいと思うんだが、どうも、ここがいくら自由に書ける場であっても、そういうのは許されないように思う。まあ、読むべき人が読んでれば、いいんだが。そうじゃないと、どうも、いろんなマイナスの感情群みたいなのが生まれてくるというか。そういうのが、ある種の呪いみたいになってくるんじゃないかって(笑)まあ、非科学的だし、断定はできないけどね。
談子も、ああいうふうに、いかにも好きもの、豪放雷落にふるまってはいても、ただ、うまいもん食って、女とか、賭博やったりなんだで、結局は、満足できないんだろう。あれくらいになれば、そんなのはいくらでも自由になりそうだし、そういうことを茶化せばいいキャラクターだから、政治家なんかと違って、こんな時代でも、かなり言葉や行動の自由はあったと思うんだが。落語やめたって、なにもしなくても、十分な蓄えもあったろうに。
そういうのがストレスになって、ヘビースモーカーになったり、健康に悪影響与えたり、いろいろでてくる部分もあるんじゃないかな。