「霊に満たされて」 使徒言行録2:1-13
竹前 治 牧師
五旬祭の日、弟子たちは一つになって、つまり一つ心になって主に祈り続けていると突然、激しい風が吹き始め、炎のような舌が分かれ、分かれに現われて弟子たちの上に留まったのです。風、炎で現われるこれらの言葉は旧約聖書においては神顕現を意味します。舌は人間の舌ではなくて言葉、神の言葉を意味するのです。風は霊を意味し、炎は主なる神と言えます。出エジプトをしたイスラエルの民を神が昼は雲の柱、夜は火の柱で守り導いておられます。舌が神の言葉で、炎は主なる神を現すゆえに弟子たちの上に主なる神の言葉が降ったことになるのです。
ペンテコステ(聖霊降臨日)はただ聖霊が降っただけでなく、そこには父なる神、子なる神が共におられ働かれているということ、つまり三位一体の神の救いの出来事であるのです。父なる神の創造、子なる神の救い、霊なる神の完成、導きの出来事なのです。聖霊はもちろんそこに父なる神、子なる神、霊なる神の三位一体の神が弟子たちの上にとどまり弟子たちを新しい人へと創造(愛)し、神との和解(恵み)という主なる交わりを与えられたのです。
聖霊を受けた弟子たちは、いろいろな国の言葉で福音(良き知らせ)、主イエスの十字架と復活によって現された神の創造、和解、交わりを語り始めたのです。それを見ていた人たちの中に「新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言う人もいれば、「彼らがわたしたちの言葉で、神の偉大な御業を語っているのを聞こうとは」と受け入れる人もいたのです。こうして神の恵みの福音を語り、福音を聴き、信じる群れ、すなわち教会が誕生したのです。このことは預言者ヨエルの「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。」(ヨエル3:1-2)という預言の成就であるのです。
ペンテコステの出来事、それは教会の誕生日です。神は聖霊を約束通り降しましたが、そこには父も子も参与している。つまり三位一体の神として降ってこられたのです。教会はこの三位一体の神を礼拝する群れなのです。