「神の偉大なみ業」
使徒言行録 2:1-13
竹前 治 牧師
愛する皆さん、
本日はペンテコステ、聖霊降臨日の礼拝を献げています。
私たちも聖書が伝える聖霊が降った出来事に耳を傾けていきましょう。
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると(使徒言行録2:1)」
五旬祭とはユダヤの三大祭りの一つ。麦の収穫を祝う祭りですが、同時にモーセがシナイ山で神から律法を授けられた記念の祝祭でもあります。過越祭の安息日の翌日から数えて50日目にあたるのでこの名で呼ばれたのです。ギリシア語でペンテコステ(50という意味)と呼ばれているのです。
その日、弟子たちは「一つになって集まっていた」と聖書は伝えます。弟子たちは祈っていました。主イエスが約束してくださった聖霊を受けるために皆が思いを一つにしていたのです。その時、激しい風と共に炎のような舌が分かれ分かれに現れて弟子たちに留まるのです。炎は神を現わし、舌は神の言葉を示します。つまり霊なる神が、神の言葉を携えて弟子たちの上に降ったのです。弟子たちは聖霊を受けると霊が語らせるままにいろいろな国の言葉で語り出したのです。
この五旬祭を祝うために集まっていた人たち――ユダヤ教に改宗した外国の人たち、捕囚期以後に離散していたあらゆる国から帰って来たユダヤ人たち――の耳に、弟子たちの語る言葉が入ってくるのです。「そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』(使徒言行録2:7-11)」と言い出したのです。
弟子たちが語り伝えていたのは、福音でした。主イエスの十字架と復活を通して成し遂げられた神のご計画――罪の赦し、死からの救い、希望の命へと導く神の偉大なみ業――を語っていたのです。このことを耳にした者たちの中から、主イエスを信じる群れが生まれました。これが教会であります。教会は、建物ではなく主イエスを信じる群れです。主イエスのみ言葉を聞き、赦しと救いを確認し、確信して礼拝する群れのことです。ゆえにペンテコステは聖霊が降った日であると同時に、聖霊の力を受けた弟子たちが語った神の偉大なみ業を、主イエスの福音を心から受け入れた人たちの誕生の日、つまり教会の誕生日なのです。
主イエスは神のみ言葉が肉をまとったお方であります。聖霊は私たちに、その主イエスというみ言葉を解き明かし、救いの恵みに出会わせ導きます。さらに、聖霊は私たちを主イエスによって一つにし、礼拝する群れを作り上げます。聖霊は教会を生み出す力なのです。
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