日本キリスト教団 清瀬信愛教会 と わたし

わたしを永遠に見捨てない方・・・に出会いました。
「神は愛(アガペー)」(ヨハネによる福音書4:8)

十字架の言葉は、神の力(手話通訳)

2022年09月04日 | 清瀬信愛教会 創立記念日礼拝

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」新約聖書Ⅰコリントの信徒への手紙 1:18)  

愛する皆さん。今朝は清瀬信愛教会の創立記念日を憶え礼拝を献げております。

当教会は、信仰の先達者がこの清瀬の地に福音を宣べ伝え、祈りをもって設立された教会であります。

創立した時も、また、現在もそして未来も決して変ることのない主の恵みに耳を傾けてまいりましょう。

「草は枯れ、花は散る。しかし、主(神 Lord)の言葉は永遠に変わることがない。」(Ⅰペトロの手紙1:24~25)

 

使徒パウロは言います。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」、十字架の言葉には、神の力が秘められている、と。

十字架の言葉には、教会の信仰が明確に語られています。十字架の言葉は、教会の信仰の土台の土台です。

十字架の言葉、それは一言でいえば神の愛です。十字架とは、イエス・キリストの父である神が愛する独り子イエス・キリストをわたしたちの罪のために、わたしたちの身代わりとして十字架にお架けになられた出来事です。ここに、わたしたちに示す神の愛があるということです。

神はわたしたちを愛し、罪の奴隷、つまり死の奴隷になっているわたしたちを救い出そうと、愛するご自分の独り子イエス・キリストの命をわたしたちのために献げられた出来事です。

十字架刑はもっとも残酷な処刑の仕方であると言われています。それゆえ、「神の子なら、立派なはず。そんな残酷な道具で死刑にされた者を、救い主(メシア)だと信じるのは愚かだ」と言う方もおられます。あの凄惨な呪わしい姿は怖くて真正面から目を向けられないので、そう言うのかもしれません。あるいは、「神の子なら十字架から降りて、自分を救えたはずだ」と思うのが、本能的感覚かもしれません。

そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」(マタイによる福音書27:39~40)

しかし、イエス・キリストは、敢えて十字架から降りませんでした。そして、痛み苦しみを嘗め尽くされて死んだのでした。降りたら、わたしたちの救いが成就されないからです。それゆえに、神によって、三日目に復活させてくださいました。

「神は、主(キリスト)を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。」 (Ⅱコリントの信徒への手紙 6:14)

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになり(復活させ、天の神の右に上げ)ました。(フィリピの信徒への手紙2:6~9)

この十字架は神に背き、律法(神の掟)が守れず、神と隣人を純粋に愛すことの出来なくなったわたしたちが、本来は十字架で神に裁かれなければならなかった刑なのです。それなのに、全く罪のないイエス・キリストがわたしたちの身代わりに父である神に呪われ裁かれて十字架で処せられた出来事なのです。それゆえに、神は、イエス・キリストを復活させました。そのことによって、私たちは罪が赦され、死から救われ復活させていただけることになったです

「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。」(ガラテヤの信徒への手紙3:10)

「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」(ガラテヤの信徒への手紙)

正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの(十字架の)血によって義とされた(正しい者とみなされた)のですから、キリストによって神の怒り(処罰)から救われるのは、なおさらのことです。(ローマの信徒への手紙5:7~9)

ですから、十字架の言葉は、信じる者にとって永遠の命へと導く神の力になるのです。死(罪)から救われる希望へと導かれ、喜びと感謝に満ち溢れた神の力となるのです。

「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(ローマの信徒への手紙6:23

「死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。」(ヘブライ人への手紙2:15)

多くの教会には十字架があります。十字架は、罪の赦し、死からの救いを指し示しています。

教会は罪人の集まりです。しかし、罪人の真ん中に十字架のキリストが立っておられる。ここで、— —教会で罪の赦しと永遠の命の希望を、わたしたちに与え続けているのです。

清瀬信愛教会も、この十字架の言葉に立って救いを伝えるところとして設立されました。

「キリストが御父(神)の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」(ローマの信徒への手紙6:4)

                

             https://www.hana300.com 

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「わたしたちを担い、救われる神」

2022年05月24日 | 礼拝説教〔手話通訳〕  竹前 治 牧師

「わたしたちを担い、救われる神」

                     詩編68編20-21節

                              竹前 治 牧師

愛する皆さん。

2022年度の歩みも始まりました。

清瀬信愛教会では4月24日(日)に教会総会が行われました。

そこで、今年度の教会の年度聖句と年題主題が決まりました。

年度聖句は詩編68編20-21節「主をたたえよ 日々、わたしたちを担い、救われる神を。〔セラ この神はわたしたちの神、救いの御業の神 主、死から解き放つ神。」であります。

そして年題は「わたしたちを担い、救われる神」となりました。

今朝はこの年度聖句よりみ言葉を聴きたいと願います。

 

 詩編68編は全体として旧約に記されてきている様々な出来事を思い起こしながら、常に神が先立ち勝利されていることを感謝する詩であります。

 詩人は「主をたたえよ」と賛美の声をあげ、歌えと言います。なぜか、それは神がわたしたちの苦しみ、悲しみなどを担い、その苦しみ、悲しみと戦い、私たちのために救いの勝利の御業を与えられるからであります。しかも最大の敵といわれている死からも解き放つと約束をしてくださっているのです。だからその神の恵みの救いを憶え感謝せよと言うのです。

 さらに、この20-21節のみ言葉はまさしく主イエスのことを指し示している詩であるといえるのです。神の救いの御業、それは死と罪の奴隷になっており苦しんでいるわたしたちをその苦しみから解き放つために十字架と復活という出来事を通して、救いを成し遂げてくださった御業です。この救いの出来事を通してわたしたちは神に担われ、救われたのです。だからどんな苦難が起ころうとも、神は今もわたしたちを担い、救い続けてくださっているのです。

 新型コロナの影響、国と国の戦争。先が暗く見通すことが困難であり、不安や恐れを抱きます。しかし、神は必ず、主イエスの贖いを通してわたしたちを担い、すべての苦難から解き放ち救い続けてくださる。その神の恵みをたたえ続けていく者でありたい。

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信仰に生きる

2022年03月31日 | 礼拝説教〔手話通訳〕  竹前 治 牧師

創立記念礼拝説教

「信仰に生きる」

 竹前 治牧師

ヘブライ人への手紙 1章1-3節

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです

愛する皆さん、私たちは清瀬信愛教会の創立記念礼拝を共に献げております。信仰の先達者がこの清瀬の地に福音を宣べ伝え、祈りをもって設立された教会であります。今朝は創立した時も、また、現在も、そして未来も決して変ることのない主の恵みに耳を傾けてまいりましょう。

 

ヘブライ書の著者は信仰について語り伝えています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」と。信仰は「望んでいる事柄を確認」することだと言います。では、まず「望んでいる事柄」とはなにかと言うことです。それは神が望んでおられる事柄と言い換えることができます。ですから神が望んでおられる事柄を確信することであります。では、神が私たちに望んでおられる事柄とはなにか。それは神が成し遂げた救いのみ業、み恵みを受け入れ感謝し、神との関係を回復することだと言えます。さらにヘブライ書の著者は信仰について「見えない事実を確認」することでもあると言います。見えない事実、それは神が主イエスを通して明らかにされた神の恵み、赦しと救いを確認することであるというのです。つまり信仰とは自分の意志、力で造りだすものではなく、神が主イエスを通して示される神の恵み、そしてみ業を受け入れることであるといえるのです。

信愛教会は、もともとは信愛病院の中から産声をあげた教会です。この地に結核病棟を建て、そして信仰者はここに神の望んでおられる事柄、それはここに主イエスを信じる群れ、教会をつくるということでした。病院の中に教会の群れをつくることが神の望んでおられる事柄と信じ、祈りをもって神の恵みによって生まれたのです。そしてつねに神が望んでおられること、それはこの地、そして信愛報恩会に神の救いの恵みが現れ続けること、そしてその恵みの事実を信じて確信する者たちが神によって立たされることを信じ、信仰の先達者は祈り続けてきたのです。

これからも私たちはこの地で神の望まれる事柄を礼拝を通して確認し、まず、私たちがその恵みによって救われている事実を確認し、確信へと導かれ、その恵みに生きていく者でありたい。

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「全世界の救い主」竹前 治 牧師 〔手話通訳〕

2022年02月02日 | コロナ短縮礼拝メッセージ〔手話通訳〕 牧師 竹前 治

「全世界の救い主」

マタイによる福音書2:1-12

竹前 治 牧師

 

 愛する皆さん。今朝はマタイによる福音書からみ言葉を聴きたいと願います。

 

 マタイ2章に東方の博士の物語が記されています。東方の博士たちは聖書によれば占星術の学者であることが示されています。占星術の学者とはペルシアのゾロアスター教の祭司である考えられており、天文学、薬学、占星術、魔術、夢解釈をよく行い、人の運命やこの世の動きについて神意を伝える人たちであったのです。ですからイスラエルの民にしてみれば異教の神々を信じる異邦人、神の救いからもれた人であります。その彼らが光り輝く星を見つけ、天文学、占星術の知識をもって調べ、その星が救い主を指し示すものであることを確信し、星に導かれてユダヤのエルサレムに旅してくるのです。エルサレムはイスラエルの中心で神殿があり、王がいる。救い主はまさしく王の子として生まれると考えたのです。しかし、ユダヤの王ヘロデに会ってもそこには救い主はいない。そこで、祭司長、律法学者を呼び調べさせると、旧約の預言者が「ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」と預言していることを告げるのです。博士たちはベツレヘムへと向かうのです。ヘロデは自分の知らないところで、救い主、王が生まれることを知り、不安になり、博士たちに分かったら知らせてくれと頼むのです。これは幼子の場所が分かれば殺すことができるからです。

 

 博士たちはベツレヘムの馬小屋にいるヨセフとマリア、そして幼子主イエスに対面することができたのです。彼らは黄金、乳香、没役を贈り物として捧げるのです。これらは彼らの仕事の道具であったと言われています。しかし、この贈り物には大きな意味があるのです。黄金は光輝くものであります。まさしく王を表すものです。神の御子であり、真実の王、自分の権力だけを求めるような王ではなく、人間の生も死も導く光輝く王としての姿が映し出されているのです。乳香は神聖を表すものだと言われています。没役はおもに死体の防腐剤などに用いられていました。つまり没役は主イエスの十字架の死を意味しているものだといえるのです。ですから博士が贈り物として捧げたものは主イエスの歩みだけでなく主イエスがどのようなお方なのか指し示す贈り物であったのです。主イエスは王、神の御子、十字架の死をもって神の救いを成し遂げるお方であることを示唆しているのです。

 

 主イエスを礼拝した博士たち、彼らは先ほど言いましたけれども異邦人であります。神の選びの民ではなかったのです。しかし、神はこの博士を通して異邦人もまた神に創造された大切な一人ひとりであること、主イエスが神の民イスラエルのためだけの救い主ではないこと、全世界の人々が救われるべき者であることを公に明らかにされたのです。

 

 博士たちはわたしたちであるのです。博士は黄金、乳香、没役を贈り物として捧げ礼拝しました。私たちはパウロがローマに宛てた手紙の中で「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」といっています。私たちは主イエスと出会い、この体を礼拝で捧げる、賛美、祈り、御言葉を聴くという仕方で礼拝を捧げるのです。そして主イエスの救いの恵みに与り続けるのです。

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2021年クリスマス

2021年12月06日 | クリスマス

2021年      

クリスマス礼拝(聖餐式執行)〔手話通訳〕

12月19日(日) 午前10:30~

クリスマスイヴ燭火礼拝〔手話通訳〕

12月24日(金) 午後6:00~

*コロナ感染予防のため、時間を短縮して行います。

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「霊に満たされて」 2021年5月23日 ペンテコステ礼拝(手話通訳)

2021年05月25日 | 礼拝説教〔手話通訳〕  竹前 治 牧師

「霊に満たされて」 使徒言行録2:1-13  

                  前 治 牧師 

 五旬祭の日、弟子たちは一つになって、つまり一つ心になって主に祈り続けていると突然、激しい風が吹き始め、炎のような舌が分かれ、分かれに現われて弟子たちの上に留まったのです。風、炎で現われるこれらの言葉は旧約聖書においては神顕現を意味します。舌は人間の舌ではなくて言葉、神の言葉を意味するのです。風は霊を意味し、炎は主なる神と言えます。出エジプトをしたイスラエルの民を神が昼は雲の柱、夜は火の柱で守り導いておられます。舌が神の言葉で、炎は主なる神を現すゆえに弟子たちの上に主なる神の言葉が降ったことになるのです。

 ペンテコステ(聖霊降臨日)はただ聖霊が降っただけでなく、そこには父なる神、子なる神が共におられ働かれているということ、つまり三位一体の神の救いの出来事であるのです。父なる神の創造、子なる神の救い、霊なる神の完成、導きの出来事なのです。聖霊はもちろんそこに父なる神、子なる神、霊なる神の三位一体の神が弟子たちの上にとどまり弟子たちを新しい人へと創造(愛)し、神との和解(恵み)という主なる交わりを与えられたのです。

 聖霊を受けた弟子たちは、いろいろな国の言葉で福音(良き知らせ)、主イエスの十字架と復活によって現された神の創造、和解、交わりを語り始めたのです。それを見ていた人たちの中に「新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言う人もいれば、「彼らがわたしたちの言葉で、神の偉大な御業を語っているのを聞こうとは」と受け入れる人もいたのです。こうして神の恵みの福音を語り、福音を聴き、信じる群れ、すなわち教会が誕生したのです。このことは預言者ヨエルの「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。」(ヨエル3:1-2)という預言の成就であるのです。

 ペンテコステの出来事、それは教会の誕生日です。神は聖霊を約束通り降しましたが、そこには父も子も参与している。つまり三位一体の神として降ってこられたのです。教会はこの三位一体の神を礼拝する群れなのです。

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2回目 コロナ緊急事態宣言

2021年01月14日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

東京、神奈川、埼玉、千葉においては1月8日より、コロナ緊急事態宣言が出されましたが、清瀬信愛教会ではこれまでと同様に感染予防に細心の注意を払いつつ、短縮礼拝を続けていくことになりました。

しかし、出席はそれぞれのご事情にあわせ、どうぞ無理をなさいませんように。

コロナ感染から守られますように。願わくば、一日も早く収束・終息しますように。

 

 

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再開後の礼拝について 2020年6月6日~

2020年06月06日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

東京アラートが発動されましたが予定通り明日、2020年6月7日(日)より、日曜学校と主日礼拝を再開します。下記の要領で行いますので、ご協力とご理解を宜しくお願いいたします。

  • しばらくの間、礼拝を短縮し、聖餐式は執行せずに行います。(日曜学校AM9:00~9:30 主日礼拝AM10:30~11:10)
  • 病院側扉(渡り廊下)からの入室は禁止。病院側も感染拡大防止のために細心の注意を払っておられるので、教会一階玄関からお入り下さい。
  • 教会に来られたら1階での手洗い後、2階受付にて手指消毒を済ませて礼拝堂に入って下さい。
  • 聖書・詩編交読(こどもさんびか掲載のもの)・讃美歌は、教会備え付けのものは原則使用不可とし、個人所有のものを使用 (印刷物もご用意いたします)。
  • 着席は左右隣り合わせにならないように、また、前後重ならないように一定の間隔をあけてください(座れない椅子には、あらかじめテープで×印しを貼っておきます)。
  • 礼拝中も、参加者全員マスク着用をお願いいたします。
  • 清掃は長老会と神学生で行いますので、礼拝終了後は速やかにお帰り下さい。
  • 当面の間、お茶の用意はありませんので、必要な方は各自ご準備下さい。
  • 換気のため窓を開けますので、衣服の調整は各自でお願いします。
  • 発熱など体調不良の方は、家庭など置かれた場での礼拝をお守りくださいますようお願いいたします。
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2020年6月7日(日)より主日礼拝と日曜学校再開

2020年05月28日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

清瀬信愛教会に連なる皆さまへ  牧師 竹前 治

皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。

早いもので5月31日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。主イエスが天に昇られ、神の右に座し、私達のために執り成しの祈りをささげておられます。

そして今、約束の聖霊を送って下さり、私達が声高らかに神のみ業を語り伝えるための教会が誕生した記念の日を迎えようとしています。この祝いの日を共にすることはかないませんでしたが、ようやく6月7日(日)より、日曜学校・主日礼拝を短縮した形ではありますが、再開することといたしました。

様々な制限はありますが、主の礼拝に共に与ることができますことを感謝いたしたいと思います。どうぞ無理のない範囲でお越し下さい。

『主の祈り』から、共にみ言葉を聴いております。変わることのない神の豊かさに全幅の信頼を寄せつつ、神のみ言葉によって、日々新たにして頂きながら、共に祈り合い、この難局を乗り越えてまいりましょう。

皆さまの健康と生活が守られますように。

『どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。』  (エフェソの信徒への手紙6:18)

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泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌(手話通訳)

2020年05月24日 | コロナ短縮礼拝メッセージ〔手話通訳〕 牧師 竹前 治

2020年5月24日(日)

「泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌」

                        牧師 竹前 治

旧約聖書  詩編 302-6

 わたしの神、主よ、叫び求めるわたしをあなたは癒してくださいました。主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ墓穴に下ることを免れさせわたしに命を得させてくださいました。主の慈しみに生きる人々よ主に賛美の歌をうたい聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。ひととき、お怒りになっても命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。

 愛する皆さん。先週から「主の祈り」より御言葉を聴き始めました。最初の祈りは「天にまします我らの父よ」であります。神の国におられる神様の名前を呼ぶことから始まりました。

今日は「み名があがめられますように」という祈りであります。「み名」とは神様の名前のことであります。神様が名前を持っておられるということは、神様は物を言わない神様ではなく人格を持ち生きて働かれ、私たちと関わりも持ち続けるお方であるということです。神様は旧約聖書で「わたしはある。あるというものだ」、「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と神様が存在し続け人々と関わり続けてくださっていることを明らかにされました。新約聖書では先週も触れましたが、主イエスが神様のことを「父よ」と呼びかけ、十字架でご自身の命をかけてまで、私たちに神の名を示され、私たちにも「父よ」と呼ぶことをお赦しになられたのです。その「父」と言う名を正しく知り、正しく呼びかけ信じ、賛美出来ますようにと祈るのです。

さて、上記の旧約聖書は詩編の30編であります。「主の慈しみに生きる人々よ主に賛美の歌をうたい聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。」と歌います。詩人は「聖なる御名を唱え」と歌います。これこそ「み名をあがめる」ということです。詩人が信じてやまない神様は、この私に命を得させる。これは生も死も超える命であります。神様は、この世に生きる生だけでなく、死の先にある新しい命へと、キリストにあって導かれる。そして神様は共におられ生きて働かられ、どんな苦難をも守り導かれるお方である、そのような神様の御名をたたえ、感謝の祈りを献げよと歌うのです。

今、コロナ渦の中に置かれている私たちであります。だからこそ神様が必ず私たちと共におられ、救いへと導かれるお方であると信じて、聖なる御名を唱え、感謝の祈りを捧げる者でありたいと願うのです。

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2020年5月17日(日)「アッバ、父よ」〔手話通訳〕  牧師 竹前 治

2020年05月15日 | コロナ短縮礼拝メッセージ〔手話通訳〕 牧師 竹前 治

2020年5月17日(日) 「アッバ、父よ」  牧師 竹前 治

 聖書 ルカによる福音書 23章34節

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

 

愛する皆さま。主のみ名を賛美します。

昨今のコロナ渦において不安や恐れを抱き、希望を失いかけています。また、様々な言葉が飛び交い自分がどこに立てばよいのか分からないような状態にあります。だからこそ、今、自分が立ち続けなければならないところがどこにあるのか「主の祈り」を通して思い巡らしていきたいと願います。

「主の祈り」は4月26日(日)のショート・メッセージで大まかなことは触れました。今回から少し丁寧に聴いて行きたいと思います。

主の祈りは「天にましますわれらの父よ」という祈りから始まります。「天」とは決して空のことではありません。別の言い方をすれば「天の国」であります。でも、どこかにそのような国があるわけではありません。「天の国」とは、神様の愛で支配されているところをいいます。

主イエスは宣教の第一声で「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われました。「神の国」これこそ神の愛の支配、「天の国」であります。主イエスが来られたことにより神の支配、「天の国」が近づいた、と言われたのです。

主イエスは十字架におかかりになる直前、ひどく恐れもだえて「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯(十字架)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。「アッバ」とは、子どもが親しく、信頼をこめて「おとうちゃん」と呼ぶ言葉です。主イエスは、さらに十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、―――「お父ちゃん、あなたに背いている人間を赦して、あなたの子としてください」と血を流しつつ苦しいさ中で祈られました。この執り成しの祈りが、私たちが「父よ」と祈ることが出来る原型です。だからこそ私たちは全幅の信頼をこめて、命の創造主であられ生も死も貫いて守り続けてくださる神様に「父よ」と呼ぶことができるのです。

私たちが立ち続け呼び続けなければならないのは、この「天におられる父」なのです。神様は、いつも神様の名である「父よ」と呼び求めることを、私たちに求めておられます。 今このような状況で、私たちは本当に「天におられる父よ」と呼び続けていますでしょうか。

私たちの生も死も貫く神様は、主イエス・キリストにあってこの名を呼び続ける私たちを必ず良き道へと導いてくださる。このことを信じて共に神様の名「父」を呼び続けていきたいと願います。

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2020年5月10日(日)「慈愛に満ちた神」〔手話通訳〕  竹前 治 牧師

2020年05月10日 | コロナ短縮礼拝メッセージ〔手話通訳〕 牧師 竹前 治

2020年5月10日(日)「慈愛に満ちた神」  竹前 治 牧師

聖 書  コリントの信徒への手紙二 1章3-6節

わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。

 

主にあって愛する皆さん。

新型コロナウイルスの影響により、会堂で共に礼拝を献げられないのはとても残念であります。5月の第二日曜日からの礼拝再開をと願っておりましたが、それもかなわないのでとても残念であります。しかし、それぞれの皆さまが各ご家庭で共に思いを一つにしてみ言葉を聴き、祈り会うことによって、私たちは主のみもとで一つにされているのです。

さて、今朝のみ言葉は第二コリントであります。使徒パウロは言います。

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」と。

まず神様は、慈愛に満ちたお方、慰め主であられると言われています。皆さまも家で過ごされる方が多いと思います。たとえ外に出ても様々な制限があり、不安や苦しみの中で過ごされているのではないかと思います。神様は私たちの全ての不安や苦しみを、十字架で愛する独り子主イエス・キリストに背負わせることによって、私たちに慰めを与えて下さいました。神様は、私たちがどんな不安、苦しみの中にあっても、主イエスを通して私たちを見捨てず、共におられ慰めてくださるのです。私たちのために苦しみを受けてくださった主イエス・キリストが、私たちのために祈り続けて下さっているのです。ですから、私たちは希望を持つことができるのです。

神様からこの慰めを受けているからこそ、私たちはその慰めを伝えていくのです。

私たちも不安の中にありますが、医療従事者たちはもっと不安と闘っていることと思います。また、コロナにかかってしまったことで、中傷誹謗を受ける方々もおられ苦しみと不安を抱えています。私たち一人ひとり、このことを憶え、神様の慰めが豊かにあるように常に祈り続ける者でありたいと思います

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新型コロナウィルスによる礼拝中止について その3

2020年05月07日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

早や5月に入り、新緑が鮮やかな季節となりました。

しかし、コロナ感染に関する緊急事態宣言が5月末まで延期されることとなりました。それを受け、残念ながら会堂礼拝再開も断念せざるを得ないと判断しました。今後は情勢を見守りつつ礼拝再開の時期を見極めることとなり、しばらくは、基本的に各家庭、またはおかれた場で各自礼拝を捧げることとなりました(聖書を読み、み言葉に聴き、共に祈りを合わせる。説教は毎週木曜日に郵便、またはメール等で送付)。

この間、牧師夫妻二人が毎週日曜日のAM10:30~11:00、教会会堂にて短縮した形で礼拝を捧げております。電車、バスを使わずに教会に来れる方、同居家族の同意を得られる方は、この礼拝に合流することも可能です。(献金はありません。休会中の分は、礼拝再開時に。)

外出自粛等、様々な制限がなされ、心身ともにお疲れが出ていることと思います。神様から与えられている希望を見失わないよう、心を高く上げ、祈りを合わせて参りましょう。

皆様の日々が守られ、またお元気で再会できますように。

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2020年4月26日(日)凝縮された祈り〔手話通訳〕

2020年04月26日 | コロナ短縮礼拝メッセージ〔手話通訳〕 牧師 竹前 治

2020年4月26日(日)凝縮された祈り  

             竹前 治 牧師

 

聖 書 マタイによる福音書6章5-15節

 「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。

 あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。

 『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

 

 主イエスは私たちに何を祈るべきかを教えてくださいました。それが「主の祈り」なのです。

 祈るときまず、祈るべきお方の名を呼ぶことが求められます。祈りは神様との対話であります。

 私たちが何かを伝えたいと思う時、その相手が必ずいます。誰に対して、誰に向かって言っているのか分からないと変になります。祈ることも同じです。必ず祈るべき相手がいるのです。その相手とは人間ではなく主なる神なのです。

 そこで、主イエスは「天におられるわたしたちの父よ」と呼びかけ、祈りを始めます。次に神様の名を正しく私たちが知ることができるようにして欲しいと願います。なぜ、神様の名なのでしょうか。神様の名は人間が勝手に考えて造り出すものではありません。それは人間が造る神、偶像になります。旧約の時代より神様はご自身を現されるとき必ずご自身の名を明らかにされているのです。それは神様が私たちと人格的交わりを持とうとされるからです。「私はある。あると言う者だ」「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主なる神である」など神様はご自身の名を私たちに明らかにされ、その名を正しく呼ぶことを求められたのです。だからこそ、私たちは主イエスを通して神様の名を正しく知ることが求められるのです。

 主イエスは私たちに神様を「父」と呼ぶことをお赦しになられました。

 続いて御国(神の国)の到来を祈ります。神の国、人間が支配するのではく神様の支配、すなわち神様の愛が私たちを包む時を待ち望むのです。

 そして神様の御心が私たちのところで実現して欲しい、神様の救いの出来事がこの地上で明らかになるようにと祈るのです。ここまでは神様への祈りであります。

 次に必要な糧を求めます。糧とは食べ物を意味しますが、私たちが生きて行く上で必要なものすべては神様がお与えくださいます。宗教改革者ルターは主の祈りの糧について「それは、肉体の栄養や、生活になくてはならないすべてのものです。食べ物と飲み物、着物とはきもの、家と屋敷、畑と家畜、金と財産……平和、健康、教育、名誉、またよい友だち、信頼できる隣人なのです。」といいます。

 隣人への罪の赦し。人を赦すことは大変なことです。憎しみからは憎しみしか生まれません。キリストは私たちの負い目を一切背負い十字架でお赦しになられたのです。キリストの赦しを誰しもが受けているのです。それゆえにキリストの赦しを受け、自分に負い目を与える人を赦せますようにと祈ります。キリストは、その人のためにも十字架にかかってくださっているのですから。

 誘惑から助けていただく祈り。キリストから引き離す力は働きます。これに打ち勝つ力をくださいと祈るのです。すべての祈りは神様との関係が第一にあって成り立つのです。

 私たちが常に祈るべきことが、この「主の祈り」の中に凝縮されているのです。主イエスは「主の祈り」を祈ることを通して、私たちが何を祈るべきかを、また祈りの必要性を教えているのです。

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★清瀬信愛教会 定例集会案内

2020年04月25日 | 清瀬信愛教会定例集会

 ★清瀬信愛教会 定例集会案内

(日曜日の主日礼拝、★印以外の集会は、変更または休会になることもあります)
コロナ感染拡大以前は、以下の通りの集会を行っておりましたが、今は、主日礼拝(10:30~11:15の短縮礼拝)、日曜学校礼拝、キリスト教入門講座、聖書研究祈祷会 以外はすべて休会しております。
聖餐式(ウェハースと紙コップ使用)は、毎月第1日曜日に行っております。

 ★主日礼拝----------毎日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

 ☆信愛病院内礼拝---毎日曜日  9:25~10:00 信愛病院 外来ロビー

 ☆日曜学校---------毎日曜日 9:00~9:25 2階礼拝堂

 ☆キリスト教入門講座--毎日曜日 9:30~10:00 1階会議室

  ☆信愛病院・信愛の園訪問--第3日曜日 礼拝後

 ☆壮年会/婦人会----第4日曜日 礼拝後 1階集会室

 ☆誕生会------------第4日曜日 礼拝後  2階礼拝堂

 ☆木曜正午礼拝-----毎木曜日 12:35~12:55 2階礼拝堂

 ☆聖書研究祈祷会---毎木曜日 14:00~15:00 1階会議室 

 

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