日本キリスト教団 清瀬信愛教会 と わたし

わたしを永遠に見捨てない方・・・に出会いました。
「神は愛(アガペー)」(ヨハネによる福音書4:8)

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再開後の礼拝について 2020年6月6日~

2020年06月06日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

東京アラートが発動されましたが予定通り明日、2020年6月7日(日)より、日曜学校と主日礼拝を再開します。下記の要領で行いますので、ご協力とご理解を宜しくお願いいたします。

  • しばらくの間、礼拝を短縮し、聖餐式は執行せずに行います。(日曜学校AM9:00~9:30 主日礼拝AM10:30~11:10)
  • 病院側扉(渡り廊下)からの入室は禁止。病院側も感染拡大防止のために細心の注意を払っておられるので、教会一階玄関からお入り下さい。
  • 教会に来られたら1階での手洗い後、2階受付にて手指消毒を済ませて礼拝堂に入って下さい。
  • 聖書・詩編交読(こどもさんびか掲載のもの)・讃美歌は、教会備え付けのものは原則使用不可とし、個人所有のものを使用 (印刷物もご用意いたします)。
  • 着席は左右隣り合わせにならないように、また、前後重ならないように一定の間隔をあけてください(座れない椅子には、あらかじめテープで×印しを貼っておきます)。
  • 礼拝中も、参加者全員マスク着用をお願いいたします。
  • 清掃は長老会と神学生で行いますので、礼拝終了後は速やかにお帰り下さい。
  • 当面の間、お茶の用意はありませんので、必要な方は各自ご準備下さい。
  • 換気のため窓を開けますので、衣服の調整は各自でお願いします。
  • 発熱など体調不良の方は、家庭など置かれた場での礼拝をお守りくださいますようお願いいたします。
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2020年5月31日(日)「ペンテコステ(聖霊降臨日)」

2020年05月31日 | コロナ家庭礼拝 ショートメッセージ 牧師 竹前 治

2020年5月31日(日) 「ペンテコステ(聖霊降臨日)」  

                 牧師 竹前 治

新約聖書  使徒言行録 2章1-4節

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

 

主にあって愛する皆さん。

今日はペンテコステ(聖霊降臨日)であります。主イエスが十字架におかかりになられ、三日目に復活し40日間弟子たちの前にみ姿を現わされ、その後、天に昇られました。主イエスは天に昇られる前に弟子たちに聖霊が与えられることを約束しました。弟子たちは祈りつつその時を待っていました。すると「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」と聖書は伝えます。

炎は神顕現を示す言葉であります。舌とは言葉です。私たちは話しをするときに上手に舌を使いながら話します。ですから聖書が伝える舌とは神様の言葉と言えるのです。神様が現れ、弟子たちに神様の言葉を授けるという出来事が起こったのです。

すると弟子たちは様々な国の言葉で話しだしたのです。何を話しだしたのか。それは主イエスの救いの出来事を、国・地域を越えて伝わる言葉で神様の愛を話しだしたのです。()

この弟子たちの言葉を聴いた人々は神様を信じて洗礼を受けたのです。そして神様を信じる群れが誕生したのです。神様を信じる群れ、それは教会です。ですからペンテコステ(聖霊降臨日)は教会の誕生日でもあるのです。

よく聖霊は分かりづらいと言われる方もいらっしゃいます。聖霊も神様です。霊なる神様とも言われます。神様は父(主として創造)として、また子(主として和解)として、そして聖霊(救いの完成)として私たちに関わり続けて下さるのです。このことを教会は三位一体という言い方で表現するのです。

聖霊は主イエスの救いの愛を指し示します。

子なる主イエスは教えを説くだけでなく全身全霊をもって十字架で命を注ぎだして愛を示してくださいました。

父なる神様は愛する独り子主イエスを十字架にかけ罪人の身代わりの犠牲とすることによって、わたしたちに愛を示されました。

神様はお一人だけれども三つの愛の働きをもって私たちと関わり続け愛し救ってくださるということなのです。

コロナ渦の中にあっても神様は三つの愛のあり方をもって私たちと関わり、守り続けてくださっているのです。

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2020年6月7日(日)より主日礼拝と日曜学校再開

2020年05月28日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

清瀬信愛教会に連なる皆さまへ  牧師 竹前 治

皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。

早いもので5月31日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。主イエスが天に昇られ、神の右に座し、私達のために執り成しの祈りをささげておられます。

そして今、約束の聖霊を送って下さり、私達が声高らかに神のみ業を語り伝えるための教会が誕生した記念の日を迎えようとしています。この祝いの日を共にすることはかないませんでしたが、ようやく6月7日(日)より、日曜学校・主日礼拝を短縮した形ではありますが、再開することといたしました。

様々な制限はありますが、主の礼拝に共に与ることができますことを感謝いたしたいと思います。どうぞ無理のない範囲でお越し下さい。

『主の祈り』から、共にみ言葉を聴いております。変わることのない神の豊かさに全幅の信頼を寄せつつ、神のみ言葉によって、日々新たにして頂きながら、共に祈り合い、この難局を乗り越えてまいりましょう。

皆さまの健康と生活が守られますように。

『どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。』  (エフェソの信徒への手紙6:18)

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泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌

2020年05月24日 | コロナ家庭礼拝 ショートメッセージ 牧師 竹前 治

2020年5月24日(日)

「泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌」

                        牧師 竹前 治

旧約聖書  詩編 302-6

 わたしの神、主よ、叫び求めるわたしをあなたは癒してくださいました。主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ墓穴に下ることを免れさせわたしに命を得させてくださいました。主の慈しみに生きる人々よ主に賛美の歌をうたい聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。ひととき、お怒りになっても命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。

 愛する皆さん。先週から「主の祈り」より御言葉を聴き始めました。最初の祈りは「天にまします我らの父よ」であります。神の国におられる神様の名前を呼ぶことから始まりました。

今日は「み名があがめられますように」という祈りであります。「み名」とは神様の名前のことであります。神様が名前を持っておられるということは、神様は物を言わない神様ではなく人格を持ち生きて働かれ、私たちと関わりも持ち続けるお方であるということです。神様は旧約聖書で「わたしはある。あるというものだ」、「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と神様が存在し続け人々と関わり続けてくださっていることを明らかにされました。新約聖書では先週も触れましたが、主イエスが神様のことを「父よ」と呼びかけ、十字架でご自身の命をかけてまで、私たちに神の名を示され、私たちにも「父よ」と呼ぶことをお赦しになられたのです。その「父」と言う名を正しく知り、正しく呼びかけ信じ、賛美出来ますようにと祈るのです。

さて、上記の旧約聖書は詩編の30編であります。「主の慈しみに生きる人々よ主に賛美の歌をうたい聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。」と歌います。詩人は「聖なる御名を唱え」と歌います。これこそ「み名をあがめる」ということです。詩人が信じてやまない神様は、この私に命を得させる。これは生も死も超える命であります。神様は、この世に生きる生だけでなく、死の先にある新しい命へと、キリストにあって導かれる。そして神様は共におられ生きて働かられ、どんな苦難をも守り導かれるお方である、そのような神様の御名をたたえ、感謝の祈りを献げよと歌うのです。

今、コロナ渦の中に置かれている私たちであります。だからこそ神様が必ず私たちと共におられ、救いへと導かれるお方であると信じて、聖なる御名を唱え、感謝の祈りを捧げる者でありたいと願うのです。

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2020年5月17日(日)「アッバ、父よ」  牧師 竹前 治

2020年05月15日 | コロナ家庭礼拝 ショートメッセージ 牧師 竹前 治

2020年5月17日(日) 「アッバ、父よ」  牧師 竹前 治

 聖書 ルカによる福音書 23章34節

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

 

愛する皆さま。主のみ名を賛美します。

昨今のコロナ渦において不安や恐れを抱き、希望を失いかけています。また、様々な言葉が飛び交い自分がどこに立てばよいのか分からないような状態にあります。だからこそ、今、自分が立ち続けなければならないところがどこにあるのか「主の祈り」を通して思い巡らしていきたいと願います。

「主の祈り」は4月26日(日)のショート・メッセージで大まかなことは触れました。今回から少し丁寧に聴いて行きたいと思います。

主の祈りは「天にましますわれらの父よ」という祈りから始まります。「天」とは決して空のことではありません。別の言い方をすれば「天の国」であります。でも、どこかにそのような国があるわけではありません。「天の国」とは、神様の愛で支配されているところをいいます。

主イエスは宣教の第一声で「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われました。「神の国」これこそ神の愛の支配、「天の国」であります。主イエスが来られたことにより神の支配、「天の国」が近づいた、と言われたのです。

主イエスは十字架におかかりになる直前、ひどく恐れもだえて「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯(十字架)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。「アッバ」とは、子どもが親しく、信頼をこめて「おとうちゃん」と呼ぶ言葉です。主イエスは、さらに十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、―――「お父ちゃん、あなたに背いている人間を赦して、あなたの子としてください」と血を流しつつ苦しいさ中で祈られました。この執り成しの祈りが、私たちが「父よ」と祈ることが出来る原型です。だからこそ私たちは全幅の信頼をこめて、命の創造主であられ生も死も貫いて守り続けてくださる神様に「父よ」と呼ぶことができるのです。

私たちが立ち続け呼び続けなければならないのは、この「天におられる父」なのです。神様は、いつも神様の名である「父よ」と呼び求めることを、私たちに求めておられます。 今このような状況で、私たちは本当に「天におられる父よ」と呼び続けていますでしょうか。

私たちの生も死も貫く神様は、主イエス・キリストにあってこの名を呼び続ける私たちを必ず良き道へと導いてくださる。このことを信じて共に神様の名「父」を呼び続けていきたいと願います。

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2020年5月10日(日)「慈愛に満ちた神」  竹前 治 牧師

2020年05月10日 | コロナ家庭礼拝 ショートメッセージ 牧師 竹前 治

2020年5月10日(日)「慈愛に満ちた神」  竹前 治 牧師

聖 書  コリントの信徒への手紙二 1章3-6節

わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。

 

主にあって愛する皆さん。

新型コロナウイルスの影響により、会堂で共に礼拝を献げられないのはとても残念であります。5月の第二日曜日からの礼拝再開をと願っておりましたが、それもかなわないのでとても残念であります。しかし、それぞれの皆さまが各ご家庭で共に思いを一つにしてみ言葉を聴き、祈り会うことによって、私たちは主のみもとで一つにされているのです。

さて、今朝のみ言葉は第二コリントであります。使徒パウロは言います。

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」と。

まず神様は、慈愛に満ちたお方、慰め主であられると言われています。皆さまも家で過ごされる方が多いと思います。たとえ外に出ても様々な制限があり、不安や苦しみの中で過ごされているのではないかと思います。神様は私たちの全ての不安や苦しみを、十字架で愛する独り子主イエス・キリストに背負わせることによって、私たちに慰めを与えて下さいました。神様は、私たちがどんな不安、苦しみの中にあっても、主イエスを通して私たちを見捨てず、共におられ慰めてくださるのです。私たちのために苦しみを受けてくださった主イエス・キリストが、私たちのために祈り続けて下さっているのです。ですから、私たちは希望を持つことができるのです。

神様からこの慰めを受けているからこそ、私たちはその慰めを伝えていくのです。

私たちも不安の中にありますが、医療従事者たちはもっと不安と闘っていることと思います。また、コロナにかかってしまったことで、中傷誹謗を受ける方々もおられ苦しみと不安を抱えています。私たち一人ひとり、このことを憶え、神様の慰めが豊かにあるように常に祈り続ける者でありたいと思います

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新型コロナウィルスによる礼拝中止について その3

2020年05月07日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

早や5月に入り、新緑が鮮やかな季節となりました。

しかし、コロナ感染に関する緊急事態宣言が5月末まで延期されることとなりました。それを受け、残念ながら会堂礼拝再開も断念せざるを得ないと判断しました。今後は情勢を見守りつつ礼拝再開の時期を見極めることとなり、しばらくは、基本的に各家庭、またはおかれた場で各自礼拝を捧げることとなりました(聖書を読み、み言葉に聴き、共に祈りを合わせる。説教は毎週木曜日に郵便、またはメール等で送付)。

この間、牧師夫妻二人が毎週日曜日のAM10:30~11:00、教会会堂にて短縮した形で礼拝を捧げております。電車、バスを使わずに教会に来れる方、同居家族の同意を得られる方は、この礼拝に合流することも可能です。(献金はありません。休会中の分は、礼拝再開時に。)

外出自粛等、様々な制限がなされ、心身ともにお疲れが出ていることと思います。神様から与えられている希望を見失わないよう、心を高く上げ、祈りを合わせて参りましょう。

皆様の日々が守られ、またお元気で再会できますように。

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2020年4月26日(日)凝縮された祈り

2020年04月26日 | コロナ家庭礼拝 ショートメッセージ 牧師 竹前 治

2020年4月26日(日)凝縮された祈り  

             竹前 治 牧師

 

聖 書 マタイによる福音書6章5-15節

 「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。

 あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。

 『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

 

 主イエスは私たちに何を祈るべきかを教えてくださいました。それが「主の祈り」なのです。

 祈るときまず、祈るべきお方の名を呼ぶことが求められます。祈りは神様との対話であります。

 私たちが何かを伝えたいと思う時、その相手が必ずいます。誰に対して、誰に向かって言っているのか分からないと変になります。祈ることも同じです。必ず祈るべき相手がいるのです。その相手とは人間ではなく主なる神なのです。

 そこで、主イエスは「天におられるわたしたちの父よ」と呼びかけ、祈りを始めます。次に神様の名を正しく私たちが知ることができるようにして欲しいと願います。なぜ、神様の名なのでしょうか。神様の名は人間が勝手に考えて造り出すものではありません。それは人間が造る神、偶像になります。旧約の時代より神様はご自身を現されるとき必ずご自身の名を明らかにされているのです。それは神様が私たちと人格的交わりを持とうとされるからです。「私はある。あると言う者だ」「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主なる神である」など神様はご自身の名を私たちに明らかにされ、その名を正しく呼ぶことを求められたのです。だからこそ、私たちは主イエスを通して神様の名を正しく知ることが求められるのです。

 主イエスは私たちに神様を「父」と呼ぶことをお赦しになられました。

 続いて御国(神の国)の到来を祈ります。神の国、人間が支配するのではく神様の支配、すなわち神様の愛が私たちを包む時を待ち望むのです。

 そして神様の御心が私たちのところで実現して欲しい、神様の救いの出来事がこの地上で明らかになるようにと祈るのです。ここまでは神様への祈りであります。

 次に必要な糧を求めます。糧とは食べ物を意味しますが、私たちが生きて行く上で必要なものすべては神様がお与えくださいます。宗教改革者ルターは主の祈りの糧について「それは、肉体の栄養や、生活になくてはならないすべてのものです。食べ物と飲み物、着物とはきもの、家と屋敷、畑と家畜、金と財産……平和、健康、教育、名誉、またよい友だち、信頼できる隣人なのです。」といいます。

 隣人への罪の赦し。人を赦すことは大変なことです。憎しみからは憎しみしか生まれません。キリストは私たちの負い目を一切背負い十字架でお赦しになられたのです。キリストの赦しを誰しもが受けているのです。それゆえにキリストの赦しを受け、自分に負い目を与える人を赦せますようにと祈ります。キリストは、その人のためにも十字架にかかってくださっているのですから。

 誘惑から助けていただく祈り。キリストから引き離す力は働きます。これに打ち勝つ力をくださいと祈るのです。すべての祈りは神様との関係が第一にあって成り立つのです。

 私たちが常に祈るべきことが、この「主の祈り」の中に凝縮されているのです。主イエスは「主の祈り」を祈ることを通して、私たちが何を祈るべきかを、また祈りの必要性を教えているのです。

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2020年4月19日(日)祈りの家

2020年04月19日 | コロナ家庭礼拝 ショートメッセージ 牧師 竹前 治

2020年4月19日(日)「祈りの家」 

           竹前 治 牧師

聖 書 マタイによる福音書21章12-17節

 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」

 境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか。」

 それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった。 

 

 ある日、主イエスは祈るために神殿に行かれました。神殿とは現在の教会であるといえます。主イエスが神殿の境内に入られると、両替人や鳩を売る人たちが商売をしていたのです。神殿で用いるための犠牲の動物が売られており、神殿の当局もこれらの収益を得ていたのです。

 主イエスはこの光景をご覧になられ、商人たちを追い出し、彼らの店をひっくりかえしたのです。商人たちは、神殿当局の承認を得て商売をしていたので憤慨します。主イエスは言われます。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている」と。主イエスの言葉は、神殿(教会)がどのような場所であるかをはっきりと示しています。それは祈りの家と呼ばれるべきであると。だれがだれに向かって祈るのか。それは人が神様に向かって祈る場所、それが神殿であり教会なのです。

 またこの物語にはとても大切な意味が隠されています。商人たちは、神殿に来る人たちに犠牲の動物を売っていた。旧約では罪を犯した時、償いの献げものとして動物が用いられていたのです。犠牲の動物を焼き尽くし神様になだめの供え物をするのです。つまり罪を犯すごとに、繰り返し動物の犠牲を献げていたのです。

 しかし主イエスは罪の赦しをお与えになるために、たった一度の完全な犠牲として、ご自身を神の小羊として献げられるのです。この時は、まだ主イエスの十字架、犠牲の時ではないのですが、やがて来たるべきその時には、人間の側からではなく神様の側から一方的に完全な犠牲が献げられるのです。それゆえ、もはや人間からの償いの献げものは必要なくなるのです。

 境内での商売を容認し神殿を人間の思い中心としていた神殿当局。しかし主イエスは神殿を、神様中心とするものへと変えようとされたのです。

 教会は人間の思いが支配する場所ではなく、主なる神様が支配される場所です。私たちはこの場所(教会)に集められ、神様から恵みの奉仕を受け、私たちは祈りをもってそれに応答していくのです。

 礼拝で、教会に招いてくださった神様のみ言葉を聴き、罪の赦しの宣言に感謝の祈りを献げる。そして新たに創造されて新しい歩みへと出発する祈りをします。

 礼拝のすべては、祈りによって構成されているのです。

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2020年4月12日(日)イースター・メッセージ

2020年04月12日 | コロナ家庭礼拝 ショートメッセージ 牧師 竹前 治

2020年4月12日(日)イースター・メッセージ

                  竹前 治 牧師

聖 書 ヨハネによる福音書21章4-8

 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。

 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。

 イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。

 ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。

 

 愛する皆さん。新型コロナウイルスの影響により会堂でイースター礼拝を守る事が出来ないことは大変残念でありますが、それでも主の復活の恵みのみ言葉を聴きましょう。

 主イエスの弟子であるペトロは主を裏切ってしまった心の痛みを覚えつつ、前の仕事である漁師に戻るのです。

 ある夜、ペトロは他の弟子と共に漁に出かけますが、いっこうに魚が捕れませんでした。彼らは漁師のプロでもありますから、あの場所に行けば、と繰り返したことでしょう。しかし、それでも魚は捕れません。

 明け方、復活された主イエスが岸から弟子たちに何か食べるものがあるかと訪ねます。彼らは捕れなかったことを伝えます。主イエスは船の右側に網を降ろせと命じます。すると大量の魚が捕れたのです。

 ある一人の弟子が岸にいるお方が主イエスだと言うのです。するとペトロは裸同然であることが恥ずかしくなり、上着をまとい湖の中に飛び込んだのです。裸であることが恥ずかしく湖に飛び込む。これは創世記のアダムとエバに似ています。彼らも神との約束を破り、蛇の言いなりになってしまったことによって裸であることが恥ずかしくなった。主が呼ばれても木の陰の隠れていたことと同じであります。

 人間は罪を覆い隠したい、見つかりたくないという思いが先立つのです。ペトロも主を裏切った罪を、上着を着て隠そうとし、また湖に飛び込むことを通して主に見つからないようにしたのです。そのようなペトロに主は、このあと三度の愛の問いかけをします。そして、ペトロの罪を赦し新しい使命を与えるのです。

 復活の主イエスは私たちにも出会ってくださり、覆い隠したい罪をも包み赦し、その罪から解き放って新しい命を与えて下さるのです。さらには、主イエス・キリストの十字架と復活を証しする使命をも与えて下さっているのです。

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新型コロナウィルスによる礼拝中止について その2

2020年04月04日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

2020年4月5日(日)以後の教会における礼拝も、新型コロナウィルス感染拡大のため、しばらく中止となり、各自家庭で、またおかれた場で礼拝を捧げることになりましたのでお知らせいたします。

したがって、イースター礼拝も所沢聖地霊園の教会墓地での墓前礼拝も中止となりました。

「安息日をおぼえて聖とせよ」と言われている神様のみ心は・・・、大切な礼拝をさせないようにされているその神様のみ心は、何なのでしょうか?

礼拝が再開することになりましたら、更新して、またお知らせいたします。

一日も早い新型コロナ終息を祈るのみです。

 

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新型コロナウィルスによる礼拝中止について

2020年03月27日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

 

今、これまでに経験したことのない新型コロナウィルスによって、全世界が脅威に晒らされております。

ついに、清瀬信愛教会も2020年3月29日(日)は礼拝中止、各自家庭で、またはおかれた場で礼拝を捧げることとなりました。

以後の礼拝も、各家庭での礼拝となるのかは分かりませんが、また、ブログ更新でお知らせ致します。

このことを通して、神様は全世界に何を告げようとされているのでしょうか?

「みこころが天でなされますように。まことの礼拝を捧げることができますように。」

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2019年清瀬信愛教会クリスマス

2019年11月26日 | クリスマス

2019年清瀬信愛教会 クリスマス

クリスマス礼拝と祝会

1222() 午前10:30~午後300

祝会:降誕劇(ページェント)、愛餐会(昼食)、手品など

昼食代:500円(高校生以下:無料)

 

クリスマスイヴ燭火礼拝

(キャンドルサーヴィス)

1224() 午後6:007:00

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清瀬信愛教会 交通案内

2019年11月04日 | 清瀬信愛教会 地図と交通案内

      清瀬信愛教会

    牧師 竹前 治

204-0024 東京都清瀬市梅園 2-5-15
    電話 042-491-0851




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電車
 
 ①西武池袋線・秋津駅で下車、南口より徒歩12分
    (*タクシーはありません)

         ②JR武蔵野線・新秋津駅下車、徒歩17分

     (*タクシーあります)

西武バス
         西武池袋線・清瀬駅南口発「久米川駅」行き乗車

 「上宮(じょうぐう)」バス停 下車徒歩7分

清バス清瀬駅南口秋津駅北口⇔清瀬駅北口〉 

   「信愛病院前」バス停前が清瀬信愛教会です

http://city.kiyose.lg.jp/m/080/index.html

〈信愛無料バス  休日:運休

清瀬駅北口②番乗り場⇔信愛病院玄関⇔新秋津駅

http://www.shin-ai.or.jp/4_bus.html

タクシー〉 

        ①JR武蔵野線 新秋津駅より3分

           ②西武池袋線 清瀬駅南口または北口より4分

        *最寄り駅の西部池袋線 秋津駅は、タクシーありません(徒歩12分

 

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「定められた約束」

2019年10月25日 | 礼拝説教  竹前 治 牧師

「定められた約束」               

 エレミヤ書10:1-8

 ガラテヤの信徒への手紙3:15-20

  竹前 治牧師

 パウロはアブラハムが義とされたことは神のみ言葉を信じたからだと言い、さらにこの義はすべての人に向けられていると言います。パウロは信仰によって生きる者と律法に生きる者の違いをはっきりと言いました。律法に生きる者はその定めに生きる。

つまり律法の奴隷として律法の呪縛から逃れられない、律法によって義とされるならば、キリストの救いは無になると言います。さらに律法を自分の解釈の中でとらえるために、自らが神になり自分の正義を律法の中に探し出し、律法を守れない者、知らない者を裁くことをしてしまうという呪縛であります。ですからパウロは、律法は信仰をよりどころとしていないというのです。

 では信仰によって生きるとは何か。その者たちは律法を守りますが、律法の呪縛から解き放たれた形で律法と向き合うのです。ただ律法の呪縛からの解放は自分の力ではどうにもなりません。この呪縛から解き放つ方との出会いが大切なのです。

 それがキリストなのです。キリストは十字架と復活を通して、罪を赦し、さらに律法の呪縛から私たちを解放するのです。それは律法のあるべき姿の回復であります。

 パウロはさらに信仰による義について語ります。そこでパウロは法律の例えを用います。それは当時の人々にわかりやすく理解させるためです。

そこでパウロは遺言状のことを持ち出します。遺言状は自分が死んだ後のことについて書き残すものであります。それが有効となるのは書いた人が死を迎えた後になります。法律的に有効とされた遺言状を本人以外には、勝手に書き直したり無効にしたりはできなのです。

ではパウロはこの遺言状を例にして、何を言おうとしているのでしょうか。それは約束と契約の議論をするためです。約束も契約も同じ意味ではないかと思われます。広辞苑には、約束は「くくりたばねること」、「取り決めること」と書かれています。契約は「神が救いの業を成し遂げるために人間と結ぶ恵みの関係」、神の側から私たちに向けられたものであるということです。

遺言は遺言者の意志に基づくという本質からすれば、神の契約の性質をよく現すことができる例であるのです。神が執行される契約を人間の側で勝手に書き直したり、無効にすることができないと。

アブラハムの義が何であったかを示し、行為義認ではなく、神と人の間に立ち、契約の仲保者となられた方を信じることによってのみ義とされることを語るのです。

救いへと導くのは人間の側の力ではなく、あくまでも契約を全うされる神の一方的な恵みによるものなのです。

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