パリのオルセー美術館で観たクールベの「世界の起源」(一部画像を修正してあります)
前回のブログからかなり時間が経ってしまいましたが、ブログのテーマは、クールベは何故ゆえに「世界の起源」を描いたのだろうか!
結論からすれば、
クールベを真似たマネが、さらにセザンヌやモネに真似られて、そこからオリジナルの世界を求めた結果、マネのある表現がクールベの逆鱗に触れて、マネを超えるために「世界の起源」を描いたというのがわたしの推論です・・・。
そこに行き着く前に、日曜日にイスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜(三菱一号館美術館)でクールベを観てきました。
波を得意とするクールベが描いた「岩のある風景」
そして、「森の流れ」
その二つの絵を真正面から見たのではなく、斜めから観てみると思いがけないものが見えてきました。
(その立体的な感動をこの画像では説明できません)
もしかしてクールベの頭の中には、観る人の視線「裸婦画は、本来はこの方向ではない」(それが普通の絵画)と知っていて、あえて絵画の視点というものに問題を投げかけたとしたら・・・
これなら真似できないので、マネに勝てるんではないかと!
もしかすると、ピカソの多面性を一面で切り取っただけとか・・・
う〜ん、この説は推論でしかありません。
ちょっとおまけですが、美術館の売店で売っていたビンテージポスター「麦をふるう女たち」を目にしました。
・・・実はこれ、私も模写してみたんですよね。
色鉛筆でクールベを。
中学校の授業で描いた以来、3枚目の絵です。
(私は美術は習ったことないし、学んだこともありません)
う〜ん、鉛筆の限界は低いですね。
前回のブログからかなり時間が経ってしまいましたが、ブログのテーマは、クールベは何故ゆえに「世界の起源」を描いたのだろうか!
結論からすれば、
クールベを真似たマネが、さらにセザンヌやモネに真似られて、そこからオリジナルの世界を求めた結果、マネのある表現がクールベの逆鱗に触れて、マネを超えるために「世界の起源」を描いたというのがわたしの推論です・・・。
そこに行き着く前に、日曜日にイスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜(三菱一号館美術館)でクールベを観てきました。
波を得意とするクールベが描いた「岩のある風景」
そして、「森の流れ」
その二つの絵を真正面から見たのではなく、斜めから観てみると思いがけないものが見えてきました。
(その立体的な感動をこの画像では説明できません)
もしかしてクールベの頭の中には、観る人の視線「裸婦画は、本来はこの方向ではない」(それが普通の絵画)と知っていて、あえて絵画の視点というものに問題を投げかけたとしたら・・・
これなら真似できないので、マネに勝てるんではないかと!
もしかすると、ピカソの多面性を一面で切り取っただけとか・・・
う〜ん、この説は推論でしかありません。
ちょっとおまけですが、美術館の売店で売っていたビンテージポスター「麦をふるう女たち」を目にしました。
・・・実はこれ、私も模写してみたんですよね。
色鉛筆でクールベを。
中学校の授業で描いた以来、3枚目の絵です。
(私は美術は習ったことないし、学んだこともありません)
う〜ん、鉛筆の限界は低いですね。
かなりドッキリする絵に違いないのですが、私が女性であるからか
意外と見ていると何とも感じなくなってくるのですよね…。
それがリアリズムなのかな?
リアリズムを追求したクールベの試みは成功したのではないでしょうか。
不器用なクールベのこの試み。
確かにね〜マネはもう真似られないです!。。。