キオクノカタチ ~バンド結成編~
高校生で出会い
誘われ、
二十代前半まで、
私まさーるは、違う相方とバンドを組んでいました。
相方はギタリストでボウイ命、
氷室さんと布袋さんが表現活動の原動力のような方でした。
一方の私は音楽というよりは、クイーンに一途な男で
楽器はキーボードと打ち込みを担当していました。
このバンドが目指していた作風は、所謂「売れ専」一直線でした。
100%オリジナルで、誰かと作品を作り上げるのが初めてだった私には、
ソレっぽいのを、積み上げていく様がすげぇ楽しくて
毎晩のように相方の家に遊びに行っては、遅くまで作業したりセッションしたり、
相方のお母さんから夜食をご馳走になったりしていました。
相方は、私より3つ年上で財力があり、
またパソコンにも明るく、
当時あまり一般的ではなかったPC用シーケンスソフトとハード音源モジュールを所有し、
(所謂「DTM」のはしりですね。)
作曲ツールにTKプロデュースのシンセ「EOS B500」しか無かった私には大変刺激となりました。
しかしそれはまるで贋作工房、
沢山の物事を偽って無理矢理こじつけている作品ばかりに辟易してきました。
その後、この相方との長いようで短い関係も精算され、
暫くは音楽と無縁の日々が続きますが、
その間もケンケン氏とは逢瀬?を重ねていました。
ハードディスクレコーダー発売前夜
ヤマハが発表したMD4という、MDのMTRを私が購入し、
ケンケン氏には散々馬鹿にされた記憶が蘇りますが、
そんな月日が流れた1999年の真夏の事でした。
これまでキーボードと打ち込みで作曲していた私に転機が訪れます。
ケンケン氏と私は、共通のバイトの後輩である
シガちゃんに出会いました。
シガちゃんはチョット変わった人物でした。
みなとみらいの海辺で、バイト仲間で酒宴を開いた時の事
酔っ払ったシガちゃんは、カニを捕まえ高らかに頭上へ掲げると
「交尾しろ~」
と、突然切なすぎる雄叫びを発したり、
バイトの休憩中に作業用ヘルメットのインナーだけを被らされ、
ブスッとした表情とヘッドギアのコントラストが堪らない空間を作り出す事が出来たり、
そんなある日、シガちゃんをじーっと眺めていたら、突然詩とメロディーとコードが一遍に閃きました。
そしてこれはキーボードよりもアコギで纏めた方がいいなと、
ろくすっぽコードの握り方も知らないまま
直接弾き語りでMDに録音したものを周囲に披露した所なかなかの好感触。
そして同時に私は、周囲の知人・友人を歌にする面白さに目覚めたのです。
まるでコピーライターになったような爽快感、
自分が何を生み出したかったのかを知る。
それは最高の喜びでした。
無駄な言葉やメロディーが一切ない作品作りという、当たり前な事が当たり前で無かった私には、
正に青天の霹靂でした。
そして季節が巡りその年の秋だったか冬だったか。
ケンケン氏のアパートに招かれる事となりました。
普段私のアパートには入り浸っても、
あまりお呼ばれしてくれないケンケン氏のアパートへ、
何故か?
ケンケン氏には特にシガちゃんの曲を気に入って頂いたようで、
ケンケン氏自らがアレンジ、製作した渾身のオケの御披露目と、
更には、当時最新のハードディスクレコーダーへ、ボーカルを収録する為でした。
初めて聞いた時は、ドラマーがアレンジするとコードワークやメロディーではなく、
様々な打楽器のちょっとしたフレーズで盛り上げたりできるんだなぁ、と感心し、
今でも時々聞き直しては余韻に浸っていますが、
そのオケに録音しちゃ聞き直し、その場で更にアイデアを追加する。
大変有意義な時間を過ごした後に、
納得いく仕上がりを繰り返し聞きながら、
いいちこで目がトロンとしたケンケン氏から「一緒にやろう」というプロポーズがあり、私が受け入れ、
こうしてX-ratedの核が誕生した訳です。
とまぁ、私の記憶なんでケンケン氏は「違う違う」と否定するかもしれませんが、
大体こんな感じだったと思います。
次回は第三の男 謎のギタリスト
「大三元」氏と私の馴れ初めについてお送りさせて頂きます。
お楽しみにね。
高校生で出会い
誘われ、
二十代前半まで、
私まさーるは、違う相方とバンドを組んでいました。
相方はギタリストでボウイ命、
氷室さんと布袋さんが表現活動の原動力のような方でした。
一方の私は音楽というよりは、クイーンに一途な男で
楽器はキーボードと打ち込みを担当していました。
このバンドが目指していた作風は、所謂「売れ専」一直線でした。
100%オリジナルで、誰かと作品を作り上げるのが初めてだった私には、
ソレっぽいのを、積み上げていく様がすげぇ楽しくて
毎晩のように相方の家に遊びに行っては、遅くまで作業したりセッションしたり、
相方のお母さんから夜食をご馳走になったりしていました。
相方は、私より3つ年上で財力があり、
またパソコンにも明るく、
当時あまり一般的ではなかったPC用シーケンスソフトとハード音源モジュールを所有し、
(所謂「DTM」のはしりですね。)
作曲ツールにTKプロデュースのシンセ「EOS B500」しか無かった私には大変刺激となりました。
しかしそれはまるで贋作工房、
沢山の物事を偽って無理矢理こじつけている作品ばかりに辟易してきました。
その後、この相方との長いようで短い関係も精算され、
暫くは音楽と無縁の日々が続きますが、
その間もケンケン氏とは逢瀬?を重ねていました。
ハードディスクレコーダー発売前夜
ヤマハが発表したMD4という、MDのMTRを私が購入し、
ケンケン氏には散々馬鹿にされた記憶が蘇りますが、
そんな月日が流れた1999年の真夏の事でした。
これまでキーボードと打ち込みで作曲していた私に転機が訪れます。
ケンケン氏と私は、共通のバイトの後輩である
シガちゃんに出会いました。
シガちゃんはチョット変わった人物でした。
みなとみらいの海辺で、バイト仲間で酒宴を開いた時の事
酔っ払ったシガちゃんは、カニを捕まえ高らかに頭上へ掲げると
「交尾しろ~」
と、突然切なすぎる雄叫びを発したり、
バイトの休憩中に作業用ヘルメットのインナーだけを被らされ、
ブスッとした表情とヘッドギアのコントラストが堪らない空間を作り出す事が出来たり、
そんなある日、シガちゃんをじーっと眺めていたら、突然詩とメロディーとコードが一遍に閃きました。
そしてこれはキーボードよりもアコギで纏めた方がいいなと、
ろくすっぽコードの握り方も知らないまま
直接弾き語りでMDに録音したものを周囲に披露した所なかなかの好感触。
そして同時に私は、周囲の知人・友人を歌にする面白さに目覚めたのです。
まるでコピーライターになったような爽快感、
自分が何を生み出したかったのかを知る。
それは最高の喜びでした。
無駄な言葉やメロディーが一切ない作品作りという、当たり前な事が当たり前で無かった私には、
正に青天の霹靂でした。
そして季節が巡りその年の秋だったか冬だったか。
ケンケン氏のアパートに招かれる事となりました。
普段私のアパートには入り浸っても、
あまりお呼ばれしてくれないケンケン氏のアパートへ、
何故か?
ケンケン氏には特にシガちゃんの曲を気に入って頂いたようで、
ケンケン氏自らがアレンジ、製作した渾身のオケの御披露目と、
更には、当時最新のハードディスクレコーダーへ、ボーカルを収録する為でした。
初めて聞いた時は、ドラマーがアレンジするとコードワークやメロディーではなく、
様々な打楽器のちょっとしたフレーズで盛り上げたりできるんだなぁ、と感心し、
今でも時々聞き直しては余韻に浸っていますが、
そのオケに録音しちゃ聞き直し、その場で更にアイデアを追加する。
大変有意義な時間を過ごした後に、
納得いく仕上がりを繰り返し聞きながら、
いいちこで目がトロンとしたケンケン氏から「一緒にやろう」というプロポーズがあり、私が受け入れ、
こうしてX-ratedの核が誕生した訳です。
とまぁ、私の記憶なんでケンケン氏は「違う違う」と否定するかもしれませんが、
大体こんな感じだったと思います。
次回は第三の男 謎のギタリスト
「大三元」氏と私の馴れ初めについてお送りさせて頂きます。
お楽しみにね。