アセンションへの道 PartII

2009年に書き始めた「アセンションへの道」の続編で、筆者のスピリチュアルな体験と読書の記録です。

お知らせなど ③ スリランカ巡礼

2018年01月19日 15時14分51秒 | お知らせなど
 カナダに本部のある「ババジのクリヤーヨーガ」が主催したスリランカ巡礼に参加してきました。期間は2017年12月30日から2週間、参加人数は本巡礼を率いるアーチャリア(師範)3名も含めて都合24名。参加者の出身地はカナダ、ブラジル、ドイツ、スイス、スペイン、スリナム、フランス、オーストリア、そして日本(筆者のみ)でした。

 正直な話、年末から正月にかけての超多忙な時期に、2週間も海外旅行へ行くのは、家族の手前もあって少々気が引けたのですが、行って来て本当に良かったと心底思っています。世界遺産のシーギリヤも無論素晴らしかったですが、何と言ってもキャンディにある「仏歯寺」と、ボーガナタルの指導によってババジが悟りを開いた聖地、カタラガマに行くことが出来たことは、かけがえの無い経験です。

先ずは、今回の写真を元に順を追って解説を加えて行きます。

1.コロンボ近くのマウント・ラヴィニヤにあるババジのアシュラムでホーマ(護摩)を囲んでマントラ・ヤグナを実施。その直後に新年を迎え、アシュラムの屋上に登って花火を見ながら、参加者がハグしあって新年を祝いました。写真はアシュラムのものです。





2.世界遺産、シーギリヤを見物。下の写真は、途中まで登ったところにあるライオンの前足をかたどった岩です。





3.ダンブッラの石窟寺院。



4.王権の象徴とも言われる本物の仏陀の歯を本尊としている「仏歯寺」を訪問。実物の歯を保管している黄金の容器(実際には写真撮影が禁じられているので、ネットで検索して見つけたものを拝借しました)は、日に三回のプージャの時に公開され、多くの見物人が訪れます。その大きな部屋の片隅で「慈悲の瞑想」を行ってきました。下の写真はプージャが始まる時の模様と仏歯寺の前で撮った集合写真です。筆者は前列中央やや右より。







5.ハヌマーン寺院で礼拝。インド古典の名作、「ラーマーヤナ」で、悪鬼ラーヴァナに攫われたラーマの夫人シータを捜し、ハヌマーンが空を飛んでインドからスリランカまで来た時に着地した足跡とされる大きな穴が残っています(下の写真)。ここでも河原で瞑想。






6.ヌワラエリヤ近くの紅茶の工場。ここでアンチエイジングの効能を持つとされる希少なホワイトティーを買い求めてきました。



7.聖地、カタラガマにある巨大な仏塔。このキリ・ヴィハーラと呼ばれる直ぐ脇でも瞑想。



8.カタラガマにあるムルガン神を祀った寺院のプージャに参加。写真はその裏手にある菩提樹です。



9.ババジが悟りを開いた場所に設けられたババジの廟。ここでも瞑想してきました。



10.カタラガマに在るババジのアシュラム。ボーガナタル、アガスティア、ムルガン神なども合わせて祀っており、上から見ると魔法陣(ヤントラ)になっています。野生の孔雀(二番目の写真)や猿が沢山いました。因みに、孔雀はムルガン神の乗り物で、ババジはムルガン神の化身と言われています。ここに、孔雀がいるのもそれなりの理由があってのことでしょう。人間から危害を加えられないことを知っているせいか、近付いて餌をあげたりすることも可能です。ここでまたホーマ(護摩)を囲んでマントラ・ヤグナを実施(三番目の写真)。その間、新たなマントラも頂きました。また、我々がマントラヤグナを始めたところ、雄の孔雀が、羽を広げて雌に見せていました。







11.巡礼の最終日はヒッカドゥワで自由行動。沖合にサンゴ礁があるので、ダイヴィングにも適しているようです。筆者は午前中にガラスの底を持った舟で海中見学。午後はアーユルヴェーダのマッサージを受けてきました。受付の女性が脈を診ただけで、筆者の不調個所の幾つかをズバリ言い当てたのには驚きました。



筆者は昨年にも南インドへの巡礼に参加しており、その記事を本ブログに掲載したことを記憶している方も居ることと思います。そこでも、ゴヴィンダン先生の、巡礼に関する記事を翻訳して掲載していますが、念の為同じものを再掲しておきます。

◇◇◇
 巡礼の地に行くことは、概して困難を伴い、それは(巡礼者の心に)抵抗を生みます。その抵抗は、(巡礼者が)それに耐え、目撃者としての魂の視点を維持し、執着や回避を伴うエゴの視点に屈することを避ける能力を試します。巡礼での経験は、古典的ヨーガで言う“ヴァーサナ”(薫習)、或いは今日のボディー・マインド系の書物でいうブロッケージ(障害物)として知られる、未だ解決されていないトラブルや夢又は希望を呼び覚ますきっかけになるかもしれません。選択無き気づきを養うことで、巡礼者はこれらを実際に手放し、そのような記憶が常に保持していた苦しみから解放されたことに気付きます。

 それでは、巡礼の目的地が何故我々の望みを叶える効果をもたらすのでしょうか? 聖者又は霊的伝統や宗教の創始者は、そのような神聖な巡礼地に、巡礼者の霊的経験、気づき又は意識のより高い状態に到達するか、少なくともそれを垣間見ることのできる崇高なエネルギー又は種子を植え付けています。そしてそのような聖者又は聖地に深い敬意を払う人たちが、自身の希望、愛そして献身をそこに貯めて行くにつれ、彼らの後に訪問する人達すべての意識を高めるパワーを増加させるのです。このように、聖地は、信心深い者が霊的なエネルギーを追加しそして引き出す、霊的なエネルギーの発電機となります。
◇◇◇

 筆者としては、巡礼の目的や効果について、上記の記事以上のことを付け加えることはありませんが、敢えて書くとすれば、巡礼はババジのクリヤーヨーガの五重の道(ハタ・ヨーガ、プラーナヤーマ、ディヤーナ・ヨーガ、マントラ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ)の中のバクティ・ヨーガ(信愛行、或いは愛と献身のヨーガ)に位置付けられ、修行者がこれらの全てを行うことで相乗作用が発揮され、五体の浄化が進むと言われています(現在筆者はこの「相乗作用」に関するゴヴィンダン先生の記事を翻訳中であり、別途掲載予定です)。

 ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』やゴヴィンダン先生の『ババジと18人のシッダ』などを読むと、瞑想中にババジが肉体の形をもって現れたといった話が記載されており、筆者もいつかババジが現れてくれないかと密かに期待している者の一人ですが、良く考えて見ると、ゴヴィンダン先生の場合、何度もバドリナートに行ったり、カタラガマに行ったり、更に10年以上にも及ぶ日に8時間のサーダナの末に初めてババジと会うことが出来たということが判ります。俗世においてすら、偉い人に会う場合には、こちらから会いに伺うのが礼儀です。それなりの恩寵を期待するのであれば、先ず自分から出向いて、ババジに会いに行くという姿勢が大切なのではないでしょうか? 筆者は、今年の9月には、バドリナート巡礼に参加する予定です。

 時間と費用問題に加え、言葉の壁もあります。しかし、ゴヴィンダン先生の言う通り、「(巡礼者の心に生じた)抵抗は、(巡礼者が)それに耐え、目撃者としての魂の視点を維持し、執着や回避を伴うエゴの視点に屈することを避ける能力を試します」。また巡礼は世界中のあらゆる宗教で重要視されていますし、或る意味、宗教の大前提となる「信仰心」の発露でもあります。ババジのクリヤーヨーガが主催する巡礼は毎年の恒例行事になっていますので、覚醒を目指すヨギには、今後是非参加を検討して頂きたいと思います。


PS(1): 尚、このブログは書き込みが出来ないよう設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。
PS(2):『ヴォイス・オブ・ババジ』の日本語訳がアマゾンから発売されました(キンドル版のみ)。『或るヨギの自叙伝』の続編ともいえる内容であり、ババジの教えなど詳しく書かれていますので、興味の有る方は是非読んでみて下さい。価格は¥800です。







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