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言葉の仕組みを暴きだす。ふるい言葉を葬り去り、あたらしい言葉を発見し、構成する。生涯の願いだ。

批判意識と危機意識

2010-11-15 06:27:19 | 社会・政治
「言論の自由を侵害する」(共産・志位委員長)←3k(笑)

【要約】尖閣ビデオの流出を受け、管・仙谷は国家公務員への厳罰を検討している。この政権の対応を共産党は「国民の知る権利」と「言論の自由」によって批判した。

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3kと共産党の組み合わせが面白いが、この批判に共産党ならではの視点が見られて興味深い。もちろんブログ筆者も厳罰に大反対で、この点では共産党ともお笑い3kとも共通している。実際に赤旗の記事に当たったわけではない、とお断りしておく。

しかし共産党らしいと感じる理由は、批判の根拠を「知る権利」と「言論の自由」に、権利と自由に求める点だ。権利や自由は守られる必要がある、いうまでもなく。とくに、この国は民主主義の発達度が意外に低く、そのことは裁判員制度や検察審査会の問題などをとおして、ブログで何度も考えてきた。

ただ、権利だ自由だと騒がれると、レモン味がしないレモン味ミネラルウオーターを飲んでいるみたいに味わいがない。正直、頭が痛くなる。なぜだろう。

権利や自由の主張は、いわゆる「正論」だからではないか。よく主張の根拠とされる、この種の常識化した「正論」は、権利や自由以外にも数え切れないくらいにある。女性だから、男性だから、社員だから、市民だから、日本人だから人間だから……。それで考えの言説化になると思う者は思えばいい。ただ、こうした「正論」で構成された言説に心が動かされ、支持する者は少ないはずだと断言できる。うまく反論できなくて、下を向いてしまう者は多いかも知れない。

「正論」で構成された言論は、形而上の論理学に類似している。正しい世界観にもとづき、ゆるぎない論理作業をしているから、だれも反対できないと。反論を許さないプラトン的な自信(?)を現前にして、頭が痛くなるのだろう。この態度を「前衛」的とか「党派」的とかいうんだろうか。

ここに欠損しているのは、一体なんだろう? 権利や自由を口にする前に、国家公務員に厳罰で臨もうとする菅・仙谷政権にたいして、批判の視線を投げかける自分、または自分たちの世界観への遡及がないからでは。自分や自分たちを、形而上的に疑いなく「正しい」と無批判にも素朴に仮定しているのだろう。彼ら共産党員たちは自分の思考にたいして純朴な人々なのだ、たぶん。誠実な技術者や教師になれても、時代を切り開く一流の研究者にはなりえない。自分たちの基底まで遡及しても、そこに権利と自由しか刻印されていないなら、どうしようもないのだけれど(笑)。

キリスト教やイスラム教の一部教条主義者たちと共通する悲しさに気がつく。自分たちの奥に潜んでいる「真理」の仮定を、疑うことが禁じられているのだ。大いなるタブー。

おれなら菅・仙谷の厳罰志向を、国民への隠し事を重ねる、隠微で非民主的な権力志向と見るのだが。かつて国民に熱狂的に選ばれたはずの政権がだ。なにも隠すことがない政権なら、尖閣ビデオの流出は、ちょっとしたイタズラ・レベルの出来事として笑ってすますこともできただろう。

そして、もっと大切な警視庁ファイルの流出、検察の捜査内容の垂れ流しに、思考の焦点が絞られただろう。にもかかわらず、結論はなにも変わらない尖閣ビデオの流出に厳罰でいこうとする。むしろビデオは、船が互いに直角に激突したという中国内部の誤解に、反証となった。ところが菅と仙谷は気に入らない。いつのまにか芽生えた、独裁者のプライドが許さない。そういうことだ。

権利や自由を根拠に常識的な「正論」を述べることで、日本の現実界に襲いかかる民主主義の危機が軽視される。とか、共産党を批判しても意味はない。それではなく、日本の国民が遭遇している危機について述べたかったのだ(笑)。

 ※追記
 ■福岡市長選、高島氏が初当選
 見てみないふりする独裁者のつもりの人へ。

 ※もうひとつ追記
 ■国税庁動画チャンネル
 ドラマ仕立てでむっちゃくちゃ面白い。税なんてロクに知らなかった。
 とくにIT関係の脱税をワクワク視聴しますた!


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