
鳥取市河原町の見物を終え、友人らとの懇親会を前に市内のホテルにチェックインをしました。
懇親会までに4~50分時間があったので、日も暮れかけていましたが少しだけ市内を散策しました。
TOP画像は、若桜街道です。
鳥取市は駅を挟んで駅南、駅北に分かれています。
1985年(昭和60)に開催された鳥取国体(わかとり国体)の数年前に、鳥取駅高架事業が完了し、駅北と駅南がつながりました。
駅北側には若桜街道、智頭街道、鹿野街道の3つの街道があり、この画像の若桜街道突き当たりには県庁があります。
智頭街道です。
時間が余りなかったので、鹿野街道には行きませんでした。
少し路地を散策してみました。
鳥取に住んでいたころは、このあたりにも飲みに行きました。
1952年(昭和27)4月17日の午後3時前に、鳥取駅前の空き家から出火がありました。いわゆる鳥取大火と言われるものです。
出火時は、折からのフェーン現象による最大瞬間風速15メートルの南風が吹き荒れ、気温は25℃を超え乾燥していました。
火の勢いは拡大し、商店街や民家に飛び火しながら市街地を北の方へ直進していました。
この川は袋川と言い、画面右側が駅方面(南側)、左側が県庁方面(北側)になります。
駅方面から出火した火の勢いは衰えず、この袋川を越えると県庁や市役所などの官庁、学校が密集していたため、市の消防本部は袋川を越えさせてはいけないと懸命の消火活動をしましたが、勢いを増す火は袋川を飛び越え旧城下町にあった住宅地や官庁にも燃え広がったそうです。
夜になっても火の勢いは衰えず、岩美郡福部村(今は鳥取市に合併)近くの摩尼寺付近まで飛び火し、翌朝午前4時ごろに鎮火したそうです。市街地最南端の出火点から市街最北端の湯所町や摩尼寺まで、延焼した距離は6キロメートルに及びました。
鳥取で勤務していたころの上司、先輩は、火災当時勤務されていた方もありましたが、そのときの様子をいろいろと聞いたことがありました。
この袋川土手沿いには桜の木が植栽されていて、桜の咲くころはこのあたりを散歩する光景を見かけます。
米子の商店街は一部アーケードが撤去されましたが、鳥取市の商店街はまだ残っていますね。
駅と県庁の中間点くらいにあるこの橋は、若桜橋です。
私が小学校時代に、鳥取砂丘見学に行ったことがあります。ちょうど県庁舎が新築されて間もなくで、庁舎と議場を見学したことがありました。
その帰りに駅まで若桜街道を歩きましたが、そのときに渡った若桜橋の曲がりくねったモニュメントもこの形をしていました。その後補修修理をされたと思いますが、当時と形は変わらないですね。
さてさて、市内散策していたら、ぼちぼち友人らとの懇親会の時間が近づいてきました。
2年ぶりに再会し、旧交を温めて、楽しい一夜を過ごしました。
以上で鳥取シリーズは終わります。ごらんいただきいただき、ありがとうございました。
[カメラ:OLYMPUS OM-D]