引き続き、皆生温泉散策をUPします。
前回の皆生温泉神社から細い路地を西側へ歩を進めると二条通りに出ます。
TOP画像は、皆生の老舗旅館東光園です。
皇族の行幸啓では、この旅館をよく利用されました。
最近では、1998年(平成10)に鳥取県で開催された第22回全国育樹祭での皇太子殿下と妃殿下の行啓では、ここにも泊まられたと記憶しています。
二条通りから三条通りへ抜ける温泉中央通りを通っていきます。
この間にも旅館がありますね。
三条通りに出ました。
広い敷地がありますが、ここら辺にかつて競馬場があったのかな(笑)
三条通りから海岸線へ行く途中に、泉源があります。
皆生温泉では、開業当初から温泉会社が泉源を開発管理して、各旅館まで温泉を送り届ける役割を担っていたそうです。
かつては、泉源ポンプ小屋に夫婦で住み込んで管理に当たっていた時代もあったようです。
三条通りの突き当たりの海岸線に出てきました。
日本初のトライアスロンが1983年(昭和58)に皆生で開催されたことを記念してこのブロンズ像が建てられました。
↓三条通りから四条通りへ抜ける路地を通っていきます。
四条通りに抜けると、前方海岸線には、前回紹介した皆生温泉開発の祖と言われる有本松太郎翁の胸像が向こうに見えます。
次回はこのデジカメ散歩最終で、九条通りまで紹介します。
続く・・・
↓の温泉神社がいい!!今度行ってみよう~~
カメラが趣味になってから、地域のことに少しずつ興味を引かれるようになりました。
山陰写進化狂会怪長の座を剥奪されたら、写進化活動の意欲が薄れるかもですが(爆)
長寿の御利益があると帰ってから気づいたので、私もこの神社には改めてお参りしようと思います(笑)
まあ、普段の行いがよろしいので、お参りせずとも大丈夫でしょうが(爆・爆)
東光園ですか。ここのボンボンが一番上の兄の友人で
我が家にもチョコチョコ来ていたのを思い出しました。
彼は#海に湯が湧く米子の皆生~♭で始まる皆生小唄
の作曲者(佐香博美さん)なんです。因みに作詞は
有名な野口雨情ですよね。
しかし懐かしい故郷を私に変わって歩いて
いただいているようで嬉しいですね。
競馬場は地図で言うと、旅館浦島(この近くに我が家
がありました)のすぐ西側の米子皆生局とローソンの
辺りに馬券売り場があって、その西側一帯が馬場
でした。
ここ暫く帰っていないので、ほんとに皆生の海の香り
を嗅ぎたくなってきました。来年どこかで帰ろうかな。
しかし皆生神社が好評のようですね。
故郷を懐かしんでいただき、私もうれしく思います。
以前の記事でいただいたコメントがありますね。
http://blog.goo.ne.jp/woani-/e/bac3b87618a2ef589fd2297efa11f73d
実は、東光園付近を散策していたときに、その近くの家から品のある、背広を着た白髪の紳士の方が東光園方面に歩いていかれました。
ヒコハチさんのあのコメントもよみがえり、もしかしたら、その旅館の経営者かなと思いつつ、声をかけずに三条通り方面へ向かいました。
競馬場のあったあたりを詳細に教えていただき、ありがとうございます。
今回の散策では、四条通りを過ぎて、五条通りと六条通の標識はこのときは確認できず、気がついたら七条通りの標識が見えてきました。
次回は七条通りから九条通りまでをUPしますが、ヒコハチさんが言われる競馬場跡は、どうやら今の海浜公園から南側の、五条通りから九条通り周辺のゲートボール場やその一帯に馬場があったように思われますね。
次回は、競馬場跡を訪ねる散策をしてみましょうかね(笑)
皆生温泉神社は長寿の御利益があるそうですから、写進化活動以外に改めてお参りしようと思います(笑)
特に、美人ナントカと言いますから、ウツクシイ方(と思っておられる方も)は気になるでしょうから(笑)