藤娘的 2

お出かけ記録を更新中。

天童観光

2008-10-17 | 山形
 天童市美術館で開催中の「福富太郎コレクション 近代美人画名作展」を見たくて山形県天童市へ美術館めぐりをしに行ってきました。
 まずは駅ビルにある観光協会(?)で地図をもらい美術館をチェックしてGO  
  
 絶~対見逃したくなかったので一番最初に天童市美術館へ。
 平日の午前中だったためか展示室は貸切状態。大好きな美人を自分のペースでゆっくりじっくり見れたことは大大大満足でしたが、展示ケースのガラスにまわりがくっきり映りこんで、絵が見難い照明方法は見ていて疲れました。(照明じゃなくてガラスと作品の距離なのかなぁ?)

 続いて広重美術館へ。
 勝手に天童広重がたくさんある美術館だと思い込んでいたので、肉筆画の展示が少なかったことと、企画展示の「江戸に学ぶエコロジー」コーナーでの浮世絵版画の解説の文章が、他の絵の解説を転用しているのがモロ分かりなのが興ざめでした。(「○○の様子を描いている」「この絵のように~」って文面、明らかに違う絵の解説なんですけどぉ。。。おそらく『江戸職人図聚』等の本から書き写しているようなんだけど、展示している絵に即したように書き直せばいいのに)

   
 なんだか意地悪な見方をしているのはお腹がすいているのかもしれないと、広重美術館に併設されているコーヒーショップで一休み。
 店内は広重作品をデザインしたファブリックで統一されててオシャレ。

 気を取り直して旧東村山郡役所資料館へ向かっている途中、なんとなく気になって観月庵へ。歴史に疎いので吉田大八が誰か分からないままお参り。お寺を出てふと見るとステキな石段が。何とかと煙は高いところが好きに漏れず、ウッキィウッキィと登ります。
    
 階段の先には建勲神社がありました。天童織田藩の始祖織田信長がまつられてます。
 東北に織田信長の子孫がいたってご存知でした?私は知りませんでした。江戸時代の山形には天童・庄内・上山・米沢のほかにも藩や他藩の領地が存在した上に、領地替えもあったりして、県全域がずーっと仙台(伊達)藩だった宮城と違って歴史が複雑です。そのせいか、宮城は仙台市だけ発達して他の市町村はイマイチなのに、山形は各城下ごとに歴史や文化があっておもしろーい。ちなみに昨年の夏に訪れた酒田・鶴岡は庄内藩です。

 
 真っ白な猫を見た直後に真っ黒な猫に出会ったり、マンホールの写真を撮りながら資料館を目指します。天童のご当地マンホール蓋は生産日本一(国内生産の95%)を誇る将棋駒の「王将」と「左馬」のデザインでした。江戸時代、駒作りは天童藩の武家の内職だったそうです。

  ようやく東村山郡役所資料館到着。
 建物は明治12年に東村山郡役所として建てられ(宮大工川俣作兵衛の設計)たもので、山形県内で最も古い洋風建築のひとつとして県の文化財に登録されています。
 天童織田家についての展示「幕末と天童」コーナーを見てたら織田信長の肖像画複製を所蔵する三宝寺へも行ってみたくなりましたが、時間が足りなくなりそうなのでまたの機会のお楽しみにすることにして急ぎ足で出羽桜美術館へ。

  日本酒の甘い匂いが漂う美術館です。
 絵の展示も面白かったのですが、煎茶道具のコレクションもかなりの見ごたえで、かわいい茶瓶や急須がたくさんありました。
 ここでタイムアウト、別館の斎藤真一心の美術館も次回へ持ち越しです。

鶴岡 ~山形観光7/16~

2007-07-20 | 山形
 3日目。この日の目的地は鶴岡。
 まずは加茂水族館へ。クラゲの飼育展示種類数世界一(HPによると22種)で有名な水族館です。
 連休中で小さな水族館は来館者でちょっぴり混んでいましたが、水槽の中はそれ以上に混雑しているというか、小さな水槽の中に「こんなにたくさんクラゲ(魚)が入っているの見たことない!」っていうくらいたくさん入っている生簀のような展示方法(飼育方法?)で、ミズクラゲの水槽はビデオアートの抽象的な映像のようにも見えましたした。
  
 たくさんのクラゲを堪能し鶴岡市中心部へ移動。(この時「新潟で地震が発生しました。山形に津波注意報は出ていませんが海水浴、釣りをしている人は~」という町内アナウンスが聞こえましたがまさかあれほど大きな地震が起きていたとは思いもしませんでした)

 鶴岡は藤沢周平の作品に良く使われる架空の海坂藩のモデルになった庄内藩の城下町です。藤沢作品は『たそがれ清兵衛』等の短編ものしか読んだことがなかったので『義民が駆ける』のような歴史的な事件を題材にしたものを旅行前に読んでおけばよかった。そんなことを考えながら庄内藩の藩校致道館大宝館致道博物館を見学。
  

 
   
 上の大宝館の写真はこの高山樗牛像の前から撮ったもの。旧制第二高等学校を卒業していて宮城出身と紹介されることもある高山樗牛については良く知らないけど、この胸像を作った彫刻家朝倉文夫は知っているぞ。
 
 致道博物館は北海道開拓の村の様に歴史的建造物を敷地内に移設保存している施設。
  

 この日はとても暑くて途中でアイスコーヒーを飲んだりしていたので、お昼は夕方近くなってから寒河江の慈恩寺そばで夫婦そば(おそばとうどん)と山菜蕎麦をいただきました。おそばは今まで食べたおそばの中で一番じゃないかと思うほど黒い。
  

 今回の山形観光では
「米沢牛を米沢で食べる!」←米沢は県南、酒田・鶴岡は県北。離れているので却下。
「冷凍じゃないだだちゃ豆を食べる!」←だだちゃ豆が出回るのは8月のお盆頃。残念。
「海水浴!」←水着は持っていたけどこれ以上日焼けしたくなかったので無視。
上記gigiリクエストをかなえてあげる事が出来なかったので、8月の旅行(東京B級グルメツアー(仮))では優しくしてあげようと思いながら今回の旅は終了。

酒田 ~山形観光7/15~

2007-07-19 | 山形
 例によって寝過ごした旅行2日目。ホテルの朝食に間に合わなかったのでお昼に行く予定だった満月へ早めにワンタンメンを食べに行きました。ワンタンは私の大好きな極薄のもので良かったのですが、酒田ラーメンの特徴である魚介系出汁のスープはしょっぱい食べ物に慣れっこの私にも塩っ辛くて味がよく分かりませんでした。そのせいか先にワンタンだけを食べてしまうと残りの麺が単調に感じてしまい普段は使わない胡椒を入れて何とか麺と具を完食。スープは残しました。お昼には早い時間だったのですがお店は満席で、私達が出る頃には店の外に行列が出来ているほどの人気店なので、たまたま私達の分だけがしょっぱかったのかもしれませんがこの後二人とも喉が渇いて辛かったです。
    ←肝心のワンタンが見えてませんね。。。

 酒田では日本海での釣りを経験してみようかと道具を車に積んでいたのですが風が吹き荒れていたのであっさりあきらめ本間美術館本間家旧本邸山居倉庫土門拳記念館をおとなしく見学。
    
 本間美術館は日本最大の地主だった酒田本間家所蔵の美術工芸品を展示している私設美術館です。洲之内徹の本にも出てくる小野幸吉の作品もたくさん所蔵しているそうですが今期は展示されていませんでした。
    
 土門拳記念館は高校生の時に一度だけ訪れたことがあります。大きく引き伸ばされた仏像写真のインパクトや、ロビーから外を眺めると水面に立っているような感じがする不思議な建物と庭の関係がものすごく印象に残っています。この美術館にイサム・ノグチの作品があることを知ったのは北海道通いが始まってイサム・ノグチに興味を持ってからで、今回はイサム・ノグチの作品もちゃんと目に焼き付けてきました。
   
 それから遊佐町の旧青山本邸を見学。こちらは北海道開拓の村にある漁家住宅を建てた網本の青山留吉(遊佐町出身)が晩年をすごした家で、とても贅沢なつくりでした。ちなみに小樽の鰊御殿旧青山別邸は留吉の養子政吉が娘の「酒田の本間邸以上のものを」という希望をかなえて建てたものだそうです。
   

 遊佐町では海岸にある十六羅漢も見学。帰ってからネットで調べていたら珍寺大道場というHPで写真も豊富に詳しく紹介されていましたので興味のある方はぜひこちらをご覧下さい。
    ←ここでブヨに刺された。かゆい

 鳥海山から夕日を眺めてホテルへ戻りました。
   
 

最上川下り ~山形観光7/14~

2007-07-18 | 山形
 仙台から国道48号線で山形県入り。最初の目的地は蕎麦街道のある村山。
 村山到着後まずは『奥の細道』に「五月雨を集めて早し最上川」と詠まれている最上川では舟下りを体験しました。川は台風の影響で水嵩が増していて、いつもはもっと岩がゴツゴツと見えている三難所「碁点」「三ケ瀬(みかのせ)」「隼」も全て水に覆われ、船頭さんは見えない岩を経験と勘を頼りに避けながらの運転で普段以上に難所に感じるのだそうです。
  
 舟の中ではガイドさんが最上川舟唄など山形民謡を歌ってくれて、同乗の北上と水沢から来たおんちゃん・おばちゃんグループは大合唱だったのですが、私達はついてゆけずに手拍子だけ。かろうじて花笠音頭の合いの手「やっしょーまかしょ」が歌えたくらい。
 下船後gigiは「ガイドの採用試験には、歴史とかのペーパーテストの他に歌の試験も絶対あるよね」とガイドさんの歌のうまさが気になってたみたいだけど、私は他県の民謡にも通じていたおんちゃん・おばちゃん達の方が気になる。
 そんなことをしゃべりながらあらきそばへ移動。      
 もともと農家で来客への振舞いに出していたお蕎麦が美味しいと評判になり蕎麦屋になったお店だそうで、店舗は茅葺の農家建築で囲炉裏もあって雰囲気十分。
 板そばのうすもりを注文しました。割り箸の先と同じくらいの太さの蕎麦は噛み応えがしっかりしたタイプ。麺がしっかりしているせいか汁の味や香りが薄く感じました。
    
 蕎麦街道では2~3軒食べ歩きをするつもりだったけど、全然薄くないうすもりでお腹がいっぱいになったので日本海に沈む夕日を目指して最上川沿いに酒田へ移動。
 
 酒田港夕陽クルーズにも参加しました。台風4号が近づいてきてたので雲が多かったですが、太平洋側在住者としては海に沈む夕日に強い憧れがあって雲の間からちょっとだけ見える夕日でも十分感動。海から見た鳥海山もとてもキレイでした。
   
 
 酒田では岩ガキを食べることも最大の目的にしていたので、ホテルで紹介してもらった居酒屋兵六玉へ行き大きな岩ガキを堪能。
 フロントで「岩ガキを出しているお店を紹介してください」と聞いたときに変な顔をされたので、もしかして時期外れ?かと心配したのですがとても美味しいカキだったので、お店の方にホテルで変な顔をされた話をすると、「カキにあたったって言われると困るのでうちでもメニューには載せてないんです。」とのこと。他のお店もそんな感じなのかな?
   
 メニューには酒田港で取れる魚介類や庄内名物むきそばの他に、比内鳥やきりたんぽを使ったメニューもあって、比内鳥のすんねかじりというお肉の硬い部位を煮込んだ料理も、硬いといっても筋っぽい固さではなく噛み応えのあるお肉で美味しかった。

ただいま

2007-07-17 | 山形
 海の日を含む三連休にgigiと向かったのは、大韓民国


ではなく、

山形県でした。
詳細は明日。

写真は戸沢村の高麗館(←道の駅)。