Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

14.天国と地獄

2020年01月17日 | 日記
短い間だったけれど,25歳で最年長の円山さんを筆頭に,僕と同い年のイレイナ,1つ下のイーゴ,イーゴのガールフレンドでスイスフレンチのサンドリン,アジャと6人でつるむ様になって僕の留学生活はある意味充実することになったのだから,僕はイーゴとのいさかいに大いに感謝しなければならなかった。パターゴルフにも出掛けたしタミーバーガーやトッポリーノでもよく食事をした。夕方にはほぼ毎日ブランズウィックで落ち合って映画を見に行ったり海で景色を眺めたりして家族の様に何時間も過ごすことさえあった。

唯一の問題はイーゴとイレイナの口論で,国の話になると決まって収まりがつかなくなる。そのうち英語が余り流暢ではないイーゴが母国語で話し始めてイレイナも興奮して応戦するなんてことが時折あって,円山さんと僕が止めようとしても難しく,最後はアジャが涙声で説得するパターンが出来上がった。そんな時イーゴは不機嫌なままアジャを連れて帰ってしまうから,帰り際のアジャの申し訳なさそうな目がとてもいたたまれなかった。

イーゴ達の国では民族間の争いが徐々に表面化しつつあり国土の分断の機運が高まっていた。イーゴが通っていた大学内でも小さな小競り合いが絶えず毎日の様に怪我人が出るほどだったという。3月には自治軍同士の間に衝突が起こって死者が出る程まで悪化していて,イーゴはいずれ支持する自治軍に加わって自分たちの国家独立の一翼を担いたいと考えていたがイレイナは分断には反対していた。イーゴとアジャが帰ってしまうと,イレイナは宗教や文化の違いで自分たちが分断される様に仕向けられていることへの恐怖と憤りを丁寧な英語で訴えた。彼らが英語の勉強という名目でイギリスへ避難させられているということもやるせないと洩らしていた。

2週間もするとイーゴがアジャと僕の関係を細かく確認してくる様になった。しつこいくらいに「手は握ったか」とか「キスはしたか」とか,兄と言うよりはもはや親みたいな探り様に,「お前の大事な妹だろう。僕も宝物の様に思っているよ」とだけ答えると,イーゴは嬉しそうに僕の額にキスをするなんてことが何度かあった。円山さん達が手を繋げばアジャの方から僕の腕をギュッと掴んで歩くほどだったから僕たちも互いに惹かれ合っていたといっても過言ではないかもしれない。恋人の様にしていても僕にとってアジャは妹の様な存在で一緒にいることがこの上なく愛しいことだけは間違いなく,イーゴの気持ちが手に取るように分かった。

ある日,円山さんがバンクホリデーのある3連休をパリで過ごさないかという提案をしてきた。円山さんが勤める工業デザイン会社は地元ブライトンにあったが,その保養地というのがパリ郊外にあって無料で使えるのだという。円山さんの愛車で行けば実質食事代だけで済むという話に僕たちはは色めき立った。イーゴとサンドリンは既にブリストルへの1泊旅行を決めていて即座に参加しないことになったが,円山さんの車は5人乗りだったから,今思えばイーゴたちが僕たちに気を遣ったのかもしれない。

フランス旅行に出発する朝,学校の前で待ち合わせをして車に荷物を載せていると,サンドリンと一緒に見送りにきたイーゴが「ソーヤン,アジャを頼んだよ」と言いながらふざけて僕の額にキスをした。アジャは両頬を僅かに赤らめながら「ホントはイーゴがソーヤンと一緒にいたいのよ」というとイーゴが僕の首に腕を掛けたまま「実はな!」と大笑いした。

2泊3日のフランス旅行は最高に楽しかった。宿泊していた施設からは車で30分も行けばパリの中心に行けて,そこから電車を使ってベルサイユ宮殿へも足を伸ばしたりした。円山さんがおごってくれたフルコースのフランス料理も,エッフェル塔から見下ろす夕方のパリの黄昏も最高の思い出だけど,円山さんとイレイナの仲睦まじい様子や,僕の真横にいつもいてくれるアジャの存在が何よりも旅を幸福なものにしてくれた。

復路でホワイトクリフが見えてきた頃,フェリーの船尾に纏わり付く海鳥たちを見上げているアジャの頬の産毛を太陽が金色に輝かせていた。彼女のリンゴのパフュームの優しい香りを海風が運んできて,旅の終わりを惜しむような淡い気持ちが湧き起こってきた。

しかし,そんな余韻に浸る間もなく僕たちは突然奈落のどん底へと落とされることになった。

13.アジャ

2020年01月14日 | 日記
4月。

バブル景気は少しずつ後退し始めてはいたが,面接を受ければ就職先は簡単に確保できたので苦労はなかったし友人達も当たり前の様に内定を取って学生時代の終演をばか騒ぎで祝っていた。

それでも僕は何となくそのまま生き方を決定してしまうのはつまらない気がして,突然決まっていた就職先を断って家族の反対も押し切り半ば無理矢理にイギリスへと渡った。

外国への渡航は勿論,親元を離れて暮らすのさえ初めての経験だったので実際に日本を離れるまではワクワクしていたものの,いざヒースローに降り立ってみるといきなり辛苦を舐める様なことばかりが待ち受けていて徐々に最初の勢いを失っていった。

自信があった英会話も入国審査官やタクシーの運転手から真っ向から否定される有り様で,何とかホームステイ先まで辿り着いて英語学校の入学試験を受けるまでには既にホームシックにかかっているのだった。

学校では上級コースで学ぶことになったのだが,いざ参加してみると授業中の英語での議論に置いてかれる毎日。すぐに中級への編入希望を申し出たのだが教師からは受け合ってもらえず,僕はとうとう絶望のどん底へと落とされる羽目になった。

ホストファミリーとも上手に付き合うことができず,到着して1週間も経たずに安くて汚いフラットを借りて独りで住むことになってしまい,僕の冒険はいよいよ行き詰まっていった。

イギリスに到着後最初の週末を迎え,夢破れていよいよ帰国の意思を固めそうになっていた僕は校門前でイーゴといぅ長身の青年に声をかけられた。

基礎コースで学ぶイーゴは日本人を見つけてはしゃがむ動作を繰り返しながら「I sink so」と付きまとって発音やワンパターンの表現をからかう変なやつと噂が立っていた。僕も何となく警戒していたのだが,その日は若干機嫌が悪かったせいもあって苛立ち任せに辛辣に言い返してしまった。

「I "think" you'd better "sink" yourself deep under the ground!」

イーゴが一瞬むっとした途端,たまたま僕の真後ろにいたクラスメートの円山さんが仲裁に入った。

「イーゴはイレイナの従弟なんだよ」
円山さんが僕にそう話しかけると,イレイナがイーゴを諌めた。
「そういうの,もうやめなさいよ」
「イレイナ,この日本人を知ってんの?」
「同じクラスの・・・」
「"SO-YOUNG"だ,イーゴ」

僕はいつもの様に自分のニックネームを名乗った。僕の本名なんて3音節もあるから正確に覚えてくれる西洋人はなかなかいないのでそうしていた。僕が握手を求めると,イーゴも恥ずかしそうに応じてくれた。イーゴは年下ではあったが見上げるほどの背丈だった。それでも照れた表情はどこか愛嬌があって,それまでのモヤモヤとした気持ちが一気に和んだ。

イーゴとイレイナは国の政情不安が原因で英語を学びがてらイギリスに疎開しているのだと円山さんが説明してくれた。

意気投合した僕たちはその日の夕方海辺にあるブランズウィックというパブでゆっくり飲もうという流れになった。

円山さんが愛車のフィアット・ティーポで僕のフラットまで迎えに来てくれることになっていて,僕たちは約束の時間より少し早めに着いたのでお互いの身の上を紹介して時間を潰していた。円山さんが地元で働きながら英語を学んでいること,イレイナと付き合い始めてまだ1か月程だということ,イレイナやイーゴの国のこと・・・それまで自分のことで精一杯だった僕の視野が少しだけ広がって,自分の我儘さ加減が少々身に染みた。

ブランズウィックは地元の住民は勿論,留学生も多数集える落ち着いたパブで,11時の閉店時間まで老若男女が和気藹々と過ごす憩いの場所だった。大抵の人たちは1パイントのグラスを片手にサッカーの試合をテレビで観戦しながら歓談している。スヌーカーやダーツ,スロットを興じる人たちも盛り上がっていた。

「ソーヤン,ハロー」

イーゴが元気よく入店してきた。その時兄のイーゴに連れてこられた18才の控えめな少女がアジャだった。

パーマのかかった金色の髪が耳元から少しだけポッチャリとした両頬にカールして,身長は僕と同じくらいだったけど,まだあどけなさが残るアジャに僕は一瞬で心を奪われた。

12.非日常からの日常

2020年01月05日 | 日記
少女の屈託のない笑顔と人々の希望に満ちた「プリオテイ」という声が交錯する中で僕は起こされた。

窮屈な後部座席で横になったまま牧師の優しい笑顔を見上げると,そこがパリだということとイギリスには翌日戻ることになったということが当たり前の様に伝えられた。

どうやら僕はケルンのパブで寝入ってしまい,ラースやステファンに別れを告げることもなく,そのまま意識を失っていた様だ。ぼんやりとする頭を左右に振りながらスカスカのボストンバッグを右肩にかけ車を降りて謝ると牧師はニコニコしながら僕を案内した。

僕たちは飲食店が立ち並ぶ賑やかな通りに面した細長い安ホテルの急な階段を上り2階のフロントで鍵をもらってすぐ真横の小さな部屋に入った。

部屋にトイレは付いていたが風呂はなかった。しかも入り口のドアの立て付けが悪く鍵は意味をなしていなかった。

質素で古めかしかったけどふかふかのベッドが2つきちんと並べられ整理されている室内に僕は大層感激した。一瞬宿泊料のことが心配になって尋ねると,牧師は「昼間のビール代のお返しに私が支払うから」と答えた。それからカーテンをサッと開けて外を覗きながら「私の気まぐれで勝手に決めたことだし,ここはエクが使えるんだ」と付け加えてから僕の方に向き直って笑いながら言った。

「安心したまえ。これでも君にお釣りを払わなきゃならないくらいなんだよ」
「じゃ釣りは取っといてください」
「ありがとう。明日の11時にここを出られる様に。あとはお互い自由としよう」

そう言うとすぐ牧師はコートを着て颯爽と出かけて行った。ドアは案の定閉じられなかったけど僕は気にもせず廊下側のベッドにドボンと身を投げた。

嗚呼これほどの安心感はない。

ここでは銃声も砲声も爆音も地響きも断末魔の悲鳴も絶望のため息も聞こえない。通りから時々聞こえる酔っぱらいの笑い声も,壊れたドアの隙間やペラペラの壁の向こう側から聞こえてくる誰かの話し声すら今の僕には心地好い。

「パリか・・・」

ふと頭の中をジェイの死に顔と生前の声が過った。

もしかしたら牧師はジェイの死のことで何か用事があったのかもしれない。

僕らには自分の死後の処理についても知らされてはいないし,このミッションに参加する条件として,肉体は魂の宿る器に過ぎないことを認めさせられる。

出発前,僕たちW.W.は出陣する兵士たち同様に家族に宛てた遺書を用意しなければならない。W.W.として最初に書かなければならないwillは自分自身のものなんだ。

ジェイやラース達が参加している以上はフランスやドイツにも教会の支部があるのだろう。

きっと牧師はパリの支部にジェイの死を伝えて遺書の送付手続きを行うのだろうか。

そんな勝手な妄想を膨らませていたら急に悲しくなった。

「アジャ,僕はまたパリに来たよ」

独り言を呟くと何かが切れてしまったように僕は号泣した。枕に突っ伏して外に漏れないようにはしたけれど,自分でも押さえ様がなかった。

イギリスの語学学校で知り合った円山さんとアジャやイレイナを連れてパリを訪れたのは5月中旬のことだった。

僕はそのまま再び眠りへと誘われていった。