Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

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28.僕たちの仕事

2020年04月15日 | 日記
「我々の仕事はあっちにある。戻るぞ」

思わせぶりなラファエルの態度に小さな苛立ちを覚えたが,ゲイリーをリアノに託してとにかく古参の彼の言う事に従った。同じ出入り口から建物の中に戻ると,医師や看護師たちが慌ただしくけが人の治療にあたっていて,人々の苦悶に満ちた呻き声や器材が立てるカチャカチャといった音に交じって時々痛々しい叫び声が聞こえた。すぐ向こう側でジェイとパトリックが患者の傍らにしゃがみ込んでゴソゴソと何かをしているのが見えた。
 
「この人たちは死ぬんじゃない」
ラファエルが彼らに向かって歩き出しながら話し始めた。

「名前くらいは聞き出せるんだろう」
「確か,“カコセゾヴェテ”」
「それでいい」

近付くとパトリックが聖書を広げ祈りの言葉を唱えていた。僕たちに気付いたジェイが怯えた様子でゆっくりと顔を上げた。彼らに挟まれるように横たわる患者は薄っすらと瞼を開けて口元を小さくパクパクとさせていた。僕は無意識に姿勢を低くすると,その女性の口元に耳を近づけてから名前を尋ねた。彼女は小さな声で「ミア」と囁いた。

「この人の名前は“ミア”だ」
そう伝えるとラファエルがジェイにフランス語で何かを指示した。ジェイは小さく頷いてからフランス語で何かを小さなメモ帳に書き綴た。僕はその様子を注視しながら立ち上がって,ラファエルの顔を覗き込んだ。

「間もなく彼女の息吹も天に召される。我々はそれを見届けて,名前,性別,服装,場所・・・分かる限りの情報を記録して祭壇に持ち帰るのだ」

パトリックが「アメン」と唱えるとほぼ同時に,またあの恐ろしい「音」が聞こえた。弛緩した声帯を吐息が震わせるだけの振動音なのか,それは女性の声とは思えない低い周波数で,ゲイリーの時と同じように3秒ほど続いた。

ジェイが手帳とペンを床に置いて小刻みに震えながら十字を切ってパトリックとラファエルに続けるようにして「アメン」と呟いた。

身寄りのない怪我人が息を引き取る度に国際赤十字の職員から呼ばれ,僕たちはその最期を看取る為に足早に移動した。

名前が分からないことがほとんどで,ラファエルの指示で性別や服装,容姿から判断できる大体の年齢,亡くなった時間と場所だけを記録することも多かった。二手に別れて1人ずつ回りながら,分担していても数時間は休む間もなくあちこち動き回ることになった。僕は韓国人のジェイと組んで,祈りを彼に任せて主に聞き取りと記録を担当した。ジェイはここへ来てから数日間は僕の挨拶にも応えず,あからさまに無視をする様な態度を取っていた。イギリスに来てからずっと韓国人との人間関係には失望することが多かったので,それも仕方なく感じていたが,ペアを組んでからのW.W.の任務の上では手際のいい良いパートナーだった。それに,手が空いたときに他愛ない話を振ると少しずつだが返事を返してくれた。

その日の夕方,やはり2人で休憩を取っていると,初めてジェイから話しかけてきて少し驚いた。
「お前はクリスチャンなのか」
一瞬迷ったが「いいや」と正直に答えると,ジェイは軽く微笑んだ。そこで母親と父親の顛末を話してやると,大そう興味深げに聞き入っていた。
「800万とは凄いな」とジェイは呆れたように呟いた。

それから僕たちは水筒の水を入れ換えに国際赤十字の事務所へ行った。病院とは言っても,元は市役所の建物を避難的に利用してるだけで,どの水道も器具や布類の洗浄をするのに立て込んでいたから,支援物資のボトル入りのミネラルウォーターが目当てだった。

パトリックに聞いて国際赤十字のテントへ来たものの,勝手がよくわからなくてうろうろしていると,ぐったりとして痩せこけた青年の車イスを押しながら職員が近づいてきたので,すれ違い様に挨拶を交わしながら尋ねることにした。

金色の髪を首の後ろで結って度のきつい眼鏡をかけた青い目の女性はにこやかに答えてくれた。機能性に優れていそうな夏用の白い制服を姿勢正しくカチっと着こなして,看護師らしい,きびきびとした調子で分かりやすく道の案内をしてくれた。

礼を述べた僕たちに丁寧なイギリス英語で「どういたしまして」と答えた看護師が車イスを押して去ろうとした瞬間,車イスの荷物掛けにぶら下がっているアクセサリーに僕の目は釘付けになって息が止まった。まるで心臓が破裂して全身の血が沸騰する様な感覚に襲われ,僕は目の前の光景に愕然とした。そして崩れるように膝から地面に座り込んで,その紫色のお守りを両手で確認した後,恐る恐る車イスの青年を見上げて,瞬間的に恐れていた想像が現実であると確信した。

「どうしたんだ?」

 僕はジェイの驚いた表情にチラリと視線を向けた後,すぐに青年の腿を震える両手で掴みながら恐る恐る話しかけた。