カレー屋(EXA)

エキプロ5で遊ぶブログでした。もはやその名残りはほぼない。

りんごとパイン

2022-09-14 22:55:05 | つぶやき
カレーです。

さていよいよ明日に迫った、
我闘雲舞10周年。

カード一つ一つに語りたい事が山ほどありますが、
私の能力的にその全てを言葉にするには限界がある。

というわけで、一つだけ。
焦点をあてて、言葉にしてみようと思います。

その試合はもちろん、メインイベント。

駿河メイvs水森由菜、
我闘雲舞がもはや“世界に誇る”といっていい、
二人のメインイベンターによる、一騎打ち。



二人の関係性についてはこれまでもなんとなく触れてきましたが、
プロレス界的には2018年にデビューした“同期”にあたります。

しかし、今日までのここに至る過程はおそらく、
大きく異なる道のりであった事だろうと思います。



先にプロレスの門を叩いたのは、水森由菜選手。

現在も“水森由菜withみずぴかりん”として
現役のアイドルである彼女が、
ライブイベントで遭遇したのが“おにぎりプロレス”。

当時我闘雲舞で選手として活動していたアーサ米夏選手と、
さく…YouTuber(自称)・アサッテ海苔香さんによる、
「ロマンチック浮かれモード」を歌いながら唐突にプロレスを展開する、
イカ…
斬新なアイドルユニットのパフォーマンスに巻き込まれたことが、
運命を大きく変えることになりました。

この恐るべきアイドルユニットとの遭遇により受けた衝撃により、
これまで触れたことのなかったプロレスへの扉を開き始めた水森さん。

熱心に練習を重ねデビューを目指し、
迎えたデビュー戦…の、予定だった興行を前に、
腕を骨折してしまうという不運に見舞われます。

当時ともに練習を行っていたアーサ米夏選手は
「この娘、辞めちゃうのかな」と思っていたとも回顧していましたが、
しかし。

腕の回復を待ちながら練習を重ね、
怪我から半年後の2018年2月。

新木場1stリングでさくらえみ選手を相手に、
素晴らしいデビュー戦を戦い抜きました。



一方の駿河メイ選手は、
元々プロレスファンという立場から、
このプロレス界の門を叩くこととなりました。

高校の同級生が“面白い”と語るプロレスを
たまたま中継で観たことがきっかけで開いた興味の扉。

大阪城ホールのドミニオンを観に行くなど、
新日本プロレスの観戦がまず、その入口にありました。

高校3年生となり進路を考えるに当たって、
芽生え始めた“プロレスラー”という選択肢。
センター試験を受け、
志望の大学(2校、うち1校は試験会場を間違える)の受験を経て…
その芽生えた想いを、かたちにする選択肢を選びます。

衝動的でもある一方で、
自身の特性も冷静に分析する聡明さも兼ね備えている京娘は、
週刊プロレスのレスラー名鑑をみながら
“(自身同様)身長の低いレスラー”が活躍している団体を
選択肢に含め始め、検索の末見つけた、
市ヶ谷チョコレート広場という空間。

そして、絶えず開かれていた門戸に(メールで)飛び込み…
進学という選択肢を放棄し、上京。

卒業間もない3月、プロレスリング我闘雲舞の練習生となりました。

さくらえみ代表の主催していた“誰でも女子プロレス”に参加しながら
重ねた研鑽で、しかし、のちのリンゴ娘は凄まじい勢いで技術を吸収。

市ヶ谷チョコレート広場での我闘雲舞大会後、
唐突に行われたドロップキックコンテストに
練習生として参加すると、
その素晴らしいドロップキックに
審査委員長(?)アントーニオ本多選手から太鼓判。

結果、“さくらえみ史上最速”という、
練習生期間2ヶ月でのデビューが決まることとなりました。

北沢タウンホールでのデビュー戦…
というか、その前のエキシビションから、その才気は、破格。

さくらさんの腰の状態が思わしくなかったこともありますが、
運動量、手数、発想、どれも新人離れしていて。

そんなにたくさん見てるわけではないですが、
二人のデビュー戦は、
これまでにみたデビュー戦の中のベストの一つです。

(他の候補は竹下幸之介、笹村あやめ、星野真央)



デビューからともに、今年で4年。

でも二人のその背には、ともに、我闘雲舞の10年を背負うに相応しい、
それだけの積み上げがあります。



水森由菜選手はまず、
いわば“2nd Generation”である、
アーサ米夏選手との遭遇がきっかけにありました。

アーサ選手、そして2017年限りで卒業した「ことり」選手とともに練習を重ね、
2018年のデビュー戦には卒業直後の「ことり」選手も
会場に足を運んでいました。

2019年7月に世界へと羽ばたいた里歩選手とは、タッグ王座戦で二度対戦。
そのうち一度は直接ピンフォールを奪うという、
“快挙”と言っていい結果を手にしています。

また、2021年1月にリングから離れる決断をした
もう一人の“2th Generation”紺乃美鶴選手とは
“モン鶴”として度々タッグを結成。

年齢が近いこともあり、エースの離脱、
4th Generationのデビューという団体過渡期にあって、
団体の先導役、相談相手であったように思います。

駿河メイ選手は我闘雲舞に入門するに当たり、
“好きなプロレスラー”を3人あげたといいます。

プロレスをみるきっかけとなった新日本プロレスから、内藤哲也選手、
東京女子プロレスに参戦の伊藤麻希選手、
そして我闘雲舞からは…
その、紺乃美鶴選手の名前を挙げています。

自身同様に身長がそれほど高くない「ことり」選手の活躍が、
自身のレスラーとしての道を我闘雲舞に委ねる一因となり、
また、直接の面識のない自身の直近の先輩である“2nd Generation”アーサ米夏選手が
練習生時代に残していたnoteの記事から、
プロレスラーの道を辿る自身に想いを巡らしていたという駿河メイ選手、
2018年アーサ米夏卒業大会に際しては、
そのことへの感謝を、当人に直接伝えていました。

デビューからおよそ1年半ともに所属として過ごした里歩選手とは、
初代スーパーアジア王者としての最後の防衛戦の相手として対戦。

そのベルトへの想いから、自身のコスチュームにベルトと同じ“青”を取り入れていたりもします。

さくらえみ代表、帯広さやか選手という、
団体設立以来の歴史の概ねを知る存在は限られますが、
しかし、その二人とともに過ごすとともに、
我闘雲舞の“第1世代”そして“第2世代”から受け継いだものを背負いながら、
“第4世代”たちにその遺伝子を伝え続ける、駿河メイと水森由菜。

例え二人のプロレスラーとしてのキャリアが4年であろうとも、
団体の10年の歴史を背負って戦う資格も、意味も。

言うまでもなく、二人の歩みが証明しているように思います。



我闘雲舞の歴史を背負うこの二人の関係は、
世界が感染症禍に陥り、伴って産声を上げたチョコレートプロレス…
チョコプロが旗揚げされたことで、
より明確なかたちで示されることとなりました。
それもしばしば、激情を伴うかたちで。

デビュー時期としては同期ながら、
入門時期も年齢も異なり、
ある意味では“大人”な両者の性格ゆえ、
“先輩後輩”や“同期”や“ライバル”というよりは、
どちらかといえば、仲間としての意識が強かった二人の関係。

しかし止まった世界の中で、
激流のように絶えず感情を揺さぶり続けたチョコレートプロレス。

最初のシーズンでとりわけその感情を晒され続け、
水森由菜選手から、
駿河メイ選手に向けられた感情は…
言うなれば、羨望。

そして、感情を向けられた駿河メイ選手にとっても。

この関係性の変化は、プロレスラーとしての一つの転機になった…
ように思ってます。


グミ・チョコレート・パイン - カレー屋(EXA)

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カレーです。不定期連載(?)週刊・水森由菜と化した5月の当ブログ。チョコレートプロレスが、我闘雲舞が続く限り、そして彼ら彼女らのプロレスラー人生が続く限り、そ...

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向き合うことで、互いが互いに持っていないものを意識し、
それ故に、その持っていないものを手にしようと、
あるいは埋めようと。

チョコプロが始まってからのこの2年間で、
プロレスラーとしてさらに急速な勢いで、
ともにその存在感を膨れ上がらせていきました。

以来、向き合う度にそれぞれに互いを意識してきた二人の関係は、
もはやなんと呼ぼう。

…やっぱり、一番相応しい言葉は“ライバル”なんだと思います。

互いにつけた感情への決着から、およそ2年。

満を持して再び、
今度は我闘雲舞のリングの上で、
二人は向き合います。

我闘雲舞の10年を背負う、
二人のプロレスラーによるメインイベントを、
ぜひ、リングで。






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