カレーです。
年末だからかなんなのか、
というか、
2020年から続くこの感染症禍の煽りもあってか、
この2022年末は例年にも増して、
プロレス者たちにリバーブローのように
内臓にダメージを与える知らせ…
解散、
活動休止、
引退、
退団
etcetc
の報がとかく重なって、
年の瀬でただでさえ古来から“師走”と呼ばれる
慌ただしい月の難しさに上乗せされたこの重みに、
なんというか、端的に申し上げて、
メンタルにダメージを負うことがそこそこにあったように思います。
ファンであること、何か好きなもの、
応援したいものがあること、“推し”があることは、
まず間違いなく、応援している本人の人生に充実をもたらすと思います。
が、
同時にその“終わり”のリスクも孕んでいて、
その終わりにどう向き合うか、どう捉えるかということは、
例えるならば、“死”に向き合うことにすら似ている。
その重大なリスクを同時に背負い続けながら、
それでもなお、“ファン”たる人々は、
自分を幸福にしてくれる誰かの幸せを祈り続ける。
今年の初めに紺乃美鶴選手がプロレスを卒業をするときにも思いましたが、
結局のところ自分自身、こうした“終わり”に上手く向き合う自信はなくて。
ただ、それぞれの個人の幸せを祈ることができるだけでもまだ、
救いはあるのかもしれませんが…
それでもまだ私は、
あの人やあの人やあの人やあの人、
それにあの人にあの人にあの人に…
それぞれのプロレスをまだ、見たいと思い続けてる。
そうした“終わり”を受け入れることに
苦手というか、
ある種恐怖すら抱いている私にとって、
“辞めないこと”を公言している二人の選手の存在は、
このまだまだ不安定な世界にあって、
なんというか、命綱のように感じている部分があります。
一人は、さくらえみ選手。
もう一人は…
12月23日に、
引退撤回から10周年という区切りを迎える、
米山香織選手。
米山香織選手は今年でデビュー22年になるプロレスラー。
様々な女子プロレス団体に団体の垣根を飛び越えまくり、
参戦したことない団体って片手に収まるんじゃないかくらい、
とにかく幅広い活躍を続けています。
所属や専属フリー以外の選手がほとんど参戦しないスターダムでも、
DEATH山さん。→ゴキゲンです☆→フキゲンです★
と、姿名前を変えながらも継続して参戦している大変貴重な存在。
また、自身を中心に“ゴキゲンな集団”であるYMZを主催。
感染症禍での難しい状況の中、2020年12月の再始動から
月に2〜3興行を開催するなど、精力的に活動を継続しています。
個人的に米山香織選手を知ったのは、プロレス会場に足を運び始めた2010年。
当時“米山革命”を勃興し、
JWP認定無差別級王座を手に他団体の選手たちと防衛戦を繰り広げる中、
さくらえみ選手との髪切りマッチによる一戦。
この模様がサムライTVで流れたときの衝撃がまず、
米山選手を知る一つのきっかけでした。
その後もJWP王座の防衛を重ねた米山選手は、
2011年に王座陥落。
その3ヶ月後、2011年限りでの引退を表明されました。
試合を見る機会があったのは
その引退発表があってからの時期で、
おそらくはユニオンプロレスで見たのが初めてだったと思います。
映像でもフルでその試合を見たことなかった当時の私、
しかし、目の当たりにした米山選手は、
…達人でした。
技のスピードもキレ味もタイミングも何もかも“凄い”と唸らされ、
同時に、この年すでに引退されていたディック東郷選手同様の感想を抱きました。
“こんなに凄いのに、なんで引退してしまうんだろう”
それはもしかしたら人生のため。
それはもしかしたら美学。
その決断に、誰かが口出しするものではないのはわかってる。
それでも思ってしまう、もったいなさ。
引き続きサムライTVのニュースで、
楽しそうに試合を繰り広げる米山選手に、
なんというか、引退前のプロレスを謳歌している印象を受けました。
この度10年を迎えた、あの日の引退撤回。
その撤回を会場で見たわけではなく、
おそらくはSNSかサムライのニュースで知ったかだったかと思います。
引退ロードを進んでいたこともあっての
チケット代の返金等々の余波もあり、
賛否両論様々にあった一方で、
10カウントゴング中の引退“撤回”というのは前代未聞でしたので、
“そういうこともあるんだ…?”
と、あまりなんというか実感のない話として、
個人的にはフワフワと受け止めていたような気がします。
…どういう感情だっただろうな…
失礼なことを呟いていないといいな…
むしろ覚えているのは、12.31年越しプロレス。
件の引退撤回から数日にして、
米山香織選手はにサプライズ登場。
結果、男色ディーノ選手に敗れたように記憶してます。
そのリング上でマイクを取った男色ディーノ選手が伝えたメッセージは、
確かこのような内容だった…ような気がします。
“米ちゃんが辞めようが、辞めるのを辞めようが、そんなことはどうでもいい。
ただ、そんな辛気臭いでプロレスしないで。
みてる人に元気を与えられないようなら、本当に辞めたほうがいいと思う。
ただ、辛くても、笑おうよ”
この言葉をきっかけに、
米山香織選手の“その後”を、ニュース等で追いかけるようになりました。
引退を、
それも引退興行、
セレモニー最後の10カウントゴング中に撤回したこと。
このことを契機に、
米山香織選手は“引退”の…
なんというか、有識者となりました。
誰かが引退を決断したとき、
米山選手とリングで遭遇することはある種の通過儀礼というか、
説得力のある意思確認というか。
それは本人が望んだことではないかもしれませんし、
当人にとっても、応援する人々にとってもおそらくは複雑な部分も
あるのではないかと想像します。
それでも、米山香織選手が“辞めることを辞めた”ということ。
これまで起こらなかったことを敢行したということは…
批判の一方で、どこか、個人的には拠り所でもある気がしています。
“辞めるのを辞める”という選択があること。
“終わり”を受け容れないという選択があること。
…もう少し拡大解釈をするならば、
“Never say never”を信じることを、
なんとなく、許されたような気がしています。
いつもいつもどういう言葉が適切かはわからないんですが、
ただただ一つ言えることは、
米山香織選手が辞めないで、本当によかった
と、様々な場面で思い知らされています。
本日12月23日。
米山香織選手は10年の一つの区切りとして、
あの日鳴ったゴングの、残りの4カウントと向き合います。
辞めることを辞めた選手の、
身体が動かなくなるまで戦い続けることを選んだ選手の、
いわば“生前葬”。
個人的には、“終わり”とはなんなのか、
自問自答する時間として。
その10年があったからこそ、
米山香織が選手であり続けたらこそ広がったゴキゲン空間で、
その時間を、見届けたいと思います。