SIA人物紀行

◇フォトデッセイ◇ アジアに抱かれる タイ編




 政情不安の中、バンコクヘ出かけた。


 タイは仏教国だ。けれど街角や建物の片隅に立つサムパプンと呼ばれるミニ寺院に祀られているのは八百万の神々。ヒンドゥ教の礼拝所も街の大通りに並び、象の頭を持つガネーシャ神が、線香や添え物を悠然と見下ろしている。若い女性たちがその前で跪いて祈っていた。


 一神教世界と違い、境界線や区分というものが曖昧なのは、宗教だけでなく性においても同じで、男女が明確に分けられている西欧社会とは異なる風景が、あちこちで見られる。


 公立の商業高校から放課後、生徒達が出てくる。その中にはお化粧をした男子グループもいるし、その一人と仲良く手をつないでいるフツウの女子もいる。ただの友達で、異性として付き合っているわけでもないそうだ。彼らのおしゃべりは明るくて賑やかで屈託がない。授業が終わって、トイレでみんなでお化粧するのだとか。こちらが身構えるほどには、性的な意味はなさそうだ。けれど最近、男女トイレのほかに、第三のトイレが公立高校に作られるようになったと聞くと、そうか、人類は必ずしも男女二種類だけでなく、その間に中間層があるのかも知れないと思えてきた。


 この中間層というのがまた複雑に別れていて、いわゆるゲイ、オカマ、ファンションとしての女装趣味がある一方で、最近深刻な人権問題として取り上げられているのが性同一性障害の人たち。彼らは胎児のとき脳と性器が別々に発生発育し、自己の存在の根拠を無くして苦しんでいる。


 いまバンコクは、こうした人たちを救済する性転換手術の拠点として、世界中から患者がやってくる。既に五百症例の経験を持つ医者が、すぐ傍らで手術を見学させてくれた。


 子供のころから自分は女の子だと信じてきたオーイさんにとっては、本来の自分に戻れる日だ。見た目は華奢でカワイイ、どこにでもいる少女だが、長年自分の男性器に悩んできた。そしてこの日、歯を抜く時と同じ局所麻酔で、三時間の手術に耐えた。


 手術中わたしは傍で励まし続けた。今、女になってますよ。ヴァギナが作られていますよ・・・・・・と。そのたびにオーイさんは嬉しそうに頷いた。


 大手術を無事終えたオーイさんの母親は、息子から娘になった子供を抱きしめた。それから一週間、彼女は術後の死ぬほどの激痛と、念願の女になれた幸せを味わうことになる。

 同じ障害を持って生まれてきたが性転換手術をせず、逆に両性を持つことをアドバンテージとして、社会のために役立てている人もいる。


 バンコクの南三十キロのブッタワナラーム村の村長、チュチャートさんは、男であり女でもあり、それらを越えた存在でもある。村民に尊敬され、人気沸騰の大活躍の日々だ。


 村長自ら野犬に狂犬病の予防接種を行い、麻薬問題、犯罪、借金トラブル、出生や死亡への対応、病人の介護、さらには排水の処理、ペットや植物の相談まで、およそ六千人村民の日常生活すべてに、無線や電話を駆使して関わっている。


 けれどそれだけではない。男女関係や夫婦の身の上身の下相談にも乗っている。夫に浮気をされて泣きながら相談に来た妻には、夜は娼婦になりなさいとアドバイスをする。夫にはまた、別のアドバイスがあるのかも知れない。


 チュチャート村長は言う。
「フツウの人は、一つしか性を持っていませんが、わたしは二つの性を持っていて、得しているんです。」


 一般的には男のことは女には解らず、女の気持ちは男には理解されないのが常。努力しても越えることが難しいものだが、村長はそれを軽々と越えて対応する。


 行政や政治は、高い場所からの父親の視線と実行力が必要となる。一方で個々の人間生活のトラブルは、母親的な理解力や包容力、面倒見の良さなどで解決される。



 チュチャートさんはその両方を持っているから強い。父親であり母親、男であり女、その全てが村人の役に立っている。


 チュチャートさんの笑顔は、男女両方の表情をゆったりと湛えて、不思議な暖かみを感じさせた。


(この記事は文藝春秋2009.06号に掲載されました。)



« ◇フォトデッセ... ◇フォトデッセ... »