SIA人物紀行

◇フォトデッセイ◇ アジアに抱かれる モンゴル編




  遊牧民の生活は草を追って移動する。家畜の数は草の繁り方次第、その家畜の数によって草原に暮らす人間の数も限られてくるのだから、つまりは草本位制とでも言おうか。


 近年その草が少なくなってきている。乾燥が進み、ウランバートルから遥か南に広がっていたゴビ砂漠は、いまこの街を呑み込む勢いで北上しつつある。


 街の中に立っていると、突然人々が騒ぎ始めた。ふと一方の空を見ると、それまでそこに見えていた建物が掻き消されている。砂嵐だ。人々は家の中へ、車の中へと走り込む。たちまちのうちに、赤茶色い大気が押し寄せてきた。。


 ウランバートルの近くで空と大地を繫ぐ柱を発見したときも驚いた。砂の竜巻だった。最近このような異常現象が頻発しているという。モンゴルは年々乾いているのだ。


 それでも緑の草を追いながら、遊牧民は羊や山羊や馬、牛を飼う。彼らの家であるゲルに数泊したけれど、文明人の私達にとって、決して快適ではない。ふんだんに使える水、外気と遮断されて保たれる室温の心地よさを、改めて思う。


 けれどゲルの生活も、いまや昔のままではない。とあるゲルにお邪魔すると、天井の梁から妙なものがぶら下がっていた。ケータイ電話だった。あれれ、と思って見回すと、天窓から電球が一個降りてきているし、それにテレビもあるではないか。


 慌ててゲルの外に出てみると、あった!ソーラー発電用パネルにパラボラアンテナが。


 中央から電柱をつなげて供給される電気、電話線による通信網などと関係なく、このゲルは世界と繫がっているのだ。心臓からの血流が無くても、末端の細胞は生きている、つまりは究極のエコライフがそこにある。


 変化をとげているのは、草原の民ばかりではない。多くの社会主義国と同様に、モンゴルも市場経済を導入した。導入した以上、弱肉強食、利益優先を、認めざるをえない。そして少数の強いものと、多くの弱者が生まれた。


 競争社会について行けず、ずり落ちて行った親たちと、親の庇護を失ったストリートチルドレンやマンホールチルドレンの急増。年間に成年男子ひとりあたま六十本呑まれるウォッカのせいだとする人もいるけれど、問題の根はもっと深そうだ。


 モンゴル第三の都市エルデネトの山間に、こうした子供達を育てる施設がある。園長のツェベルマさんは、亡き夫の遺志を継いで、この施設を運営している。


 「モンゴルの子はモンゴルの力で育てます。自給自足の知恵がモンゴルにはありますから」



 園長さんの言葉どおり、野菜が植えられ、ペットが飼われ、遥か遠くまで広がる草原では、子供達により家畜が放牧されていた。


 この施設では「ローソクに話そう」という儀式があるという。一本のローソクに火を点し、順繰りに手渡しながら、自分のもっとも辛かった過去を話すのだという。


 「涙を流しながら語る子もいます。他の子供の話に泣き出す子供もいます。封印されていた感情が解き放たれる、泣くことも出来なかった子供の心が動き出し、感情が蘇るのです。」


 十八歳の少年は弟とこの施設にいるが、父親を知らず、母親は死んだ。マンホールに住んで盗みを繰り返し、警察に捕まったが、ここに来て大学に推薦入学が許されるまでに蘇った。ある少女は父親が母親を殺した。両親のどちらかがどちらかを殺してここに入ってきた子供は四人いた。母親が父親を殺す事件も起きる。別の少女は平穏な生活に恵まれていたが、ドロボウに二度も入られ、生きる力を失った父親はウォッカに溺れ、母親は失踪した。崩壊の引き金はドロボウだった。


 けれど子供達は負けない。今回のSIAは児童文学者ダシドンドクさんの寓話を取り上げ、彼とともに旅をしたのだったが、彼がこの施設で自分の物語を身振り手振りで語って見せたときの子供達の表情は、空駆ける馬のように、生き生きと輝いていた。


 モンゴルの自然は破壊されても、この国の物語や言葉は生き残るのだろう。乾けば乾くほど人は水を求めるように、物語も必要とされるに違いない。


(この記事は文藝春秋2008.12号に掲載されました。)



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