SIA人物紀行

◇フォトデッセイ◇ アジアに抱かれる マレーシア編

 マレーシアという国のイメージはとても掴みにくい。
世界遺産はマレー半島には一つもなく、いまひとつ写真で世界にアピールしにくい。少し前までクアラルンプールのツインタワービルが世界一の高さを誇っていたけれど、それも台北の101ビルに抜かれてしまった。戦争の暗い過去においても、日本との関係においても、ビルマやベトナム、フィリッピンほどには強い印象はなく、シンガポールと較べても、国のイメージがくっきりとしてこない。


 しかしこのことこそ、マレーシアならではの「本質」なのだと、訪ねてみてようやく解った。


 約66%はイスラム教を信じマレー語を話すマレー人、約26%は中国寺へ参り中国語で日常生活をおくる中国人、そして約8%のインド人はヒンドゥ教徒で英語を話す・・・・・・残りはキリスト教徒など様々だが三大民族の比率が言語や宗教の比率にほぼ重なり、明確に数字として示せるということは、この国の人々が多民族多言語他宗教のまま、溶け合うことなく、異質なままに混ざり合って生きていることの証でもある。最大民族のイスラム系マレー人は三分の二、経済的にも文化的にも東アジアに広がりを持つ中国系のう優位性に押されている現状からは、モスクを国の象徴とすることにも抵抗があり、アイデンティティを絞り込むのは無理で、一つの美意識を世界にアピールすることも困難だ。これがマレーシアなのである。



 今回SIAで取り上げ、クアラルンプールで会ってきた李 天葆(リー・テンポ)氏は中国人作家だが、自作を国内で評価消費されることをはなから諦めているように見えた。むしろ気持ちは国の外の「中国語圏」に向かっていて、台湾での出版を喜んでいる。20世紀前半の爛熟した上海の美や、ノスタルジックな過去に心を奪われてしまうのは、民族としての臍の緒を、今の中国にもとめることが難しいからかも知れない。


 中国人は錫鉱山の労働者として、インド人はイギリス資本のゴム農園や油椰子農園などのプランテーション労働者として、この国に移住してきた。その力が強くなったために、今は逆にマレー人優遇政策がとられている。


 この現状も植民地支配の置き土産なのだ。


 バランスの取り方は絶妙。モザイクのように入り混じった民族と宗教が対立し抗争になれば、お互いに莫大な損失だと知った上での共存の知恵が、この国にはある。


 それでもせめぎ合いは常にある。


 最大民族のイスラム教には、棄教がない。いったん教徒になれば生涯イスラム教徒であり、その子供も自動的にイスラム教徒となる。信者は増え続けるシステムになっている。同じ国に住む異教徒にとっては潜在的な脅威である。


 イスラム教徒は増え続ける。しかし同時に、多層化していく。


 夫はマレー人で、妻は中国人だが結婚にともないイスラム教徒になった家族に会った。妻は子供たちとともに白い布で全身を覆い、夫の希望通りにコーランの教えに厳格に従い、食事前に床に跪いて祈っていた。穏やかで保守的な一家だ。


 しかし女性建築家ナフィサ・ラディンさんは、同じイスラム教徒でもかなり違う様子が違う。イギリスで勉強して戻ってきた彼女は、公共施設やホテルなど大きなプロジェクトを手がけ、40人もの人間を雇用している。セクシーな洋服と豊かな髪は、マンハッタンのキャリアウーマンと見間違うほど。オフィスの中に「祈りの部屋」があるとは言え祈りの時間は仕事優先、15歳で知り合い結婚した夫が、もしイスラムで許されている重婚を望めば、すぐに離婚すると言い切った。そんなことを許すのは女性が悪い、第二夫人になりたがる女がいるのも問題だと。


 イスラムの男性は変化を望まないようだが、女性たちはすでに均質ではなく、層の違いが出来つつある。女性の能力や経済力、そして何より情報が、この多層化を今後さらに進めていくのではないだろうか。


 ツインタワーが望める公園を、イスラムの女性がジョギングしていた。トゥドゥンと呼ばれるスカーフを被ったままだったが、女性が走ることを覚えた以上、トゥドゥンもやがては取り払われるだろう。世界の中でのイスラムの問題は、やがてどこかで女性問題にシフトして行くように思えてならない。


(この記事は文藝春秋2007.12号に掲載されました。)



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