アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第三の波の政治 第8章 第三の波の基本原理

2011年11月18日 18時34分10秒 | 第三の波の政治
本著で、主張する核心部分がこの第8章です。
第二の波のシステムを延命するための思考と第三の波に以降するための思考を区別できるよう、見極め方を5点に分けて述べています。しっかり読みましょう。

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第三の波の政治 中央公論社刊 1995.7.7発行
第8章 第三の波の基本原理 p.141~p.153

激しく渦巻く変化の波に取り巻かれ、よりいっそう迅速に反応することを求められているわれわれ現代人は、あたかも、止めることのできない巨大な波に向かって抜き手を速めようとしているかのような感覚をいく度となく味わう。だが、これは錯覚ではない。現に、そのような事態が頻繁に生じているのである。したがってわれわれは、この波を乗り越えるために、サーファーのように波の力を利用しながら前進する術を、いまこそ体得すべきだと思われる。
これまで述べてきた第三の波が、アメリカを、より市民的で、より民主的な、よりよい未来へと運んでくれる可能性は十分にある。しかしそのためには、国民自身が、第二の波の経済・政治・社会政策と第三の波のそれを峻別することが必要だ。これほどまでに多くの改革が、よかれと思って実施されながら、事態の悪化を印象づけるだけで終わってしまうのは、この見きわめがきちんとなされていないからにほかならない。
われわれがいま経験しているのは、新文明(その制度は、いまだ確立されていない)を創出するにあたっての産みの苦しみなのである。それゆえ、今日、政策立案者と政治家、それに政治活動を行なう市民が現在の自分たちの動きの何たるかを真に理解しようと思うなら、崩れゆく第二の波のシステムの延命を目的とした計画案と、第三の波の文明への移行を円滑に進めていくための案とを区別できるようになることが、まずもって必要なのだ。
したがって、ここでは、両者の見分け方をいくつか取り上げてみることにしょう。

1 工場運営との類似性
 工場は、産業社会を象徴する主要な存在だった。事実、第二の波の制度の大半が工場運営をモデルにして作られた。だが、われわれの知っている、そうした工場も、いまや過去のものとなりつつある。工場が運営上の原則としていたのは、規格化、集権化、最大化、集中化、官僚化などだったが、第三の波の生産は、新たな原則に基づく脱工場生産となる。しかも、この生産は、工場とはほとんど類似性をもたない場所で行なわれる。現時点でもすでに、自宅や会社、あるいは車や飛行機のなかなどで行なわれる生産活動が増加している。
 議会においても、企業においても、第二の波の提案を見抜くためのもっとも簡便な方法は、その提案が(意識するとしないとにかかわらず)依然として工場運営をモデルにしているかどうかを見きわめることだ。
 例えば、アメリカの学校運営はいまだ工場型である。そこでは、原材料(すなわち子供)が、規格化された指示とお定まりの検査のもとで処理されている。したがって、いかなるものであれ、教育を刷新するための案が提示されたときには、それが、単に学校工場の効率を高めるためのものなのか、それとも学校から工場方式を完全に払拭し、個々の生徒を対象にした特別注文型の教育を実現しようとするものなのか、という違いが重要なポイントになる。保健法や福祉法についても、また、連邦制に基づく官僚制の再編をもくろむ、ありとあらゆる提案についても同じことがいえる。いかなる場合にも、アメリカが必要とする新制度は、官僚制を脱した脱工場方式に基づくものであることを忘れてはならない。 
 工場型運営の改善や工場そのものの新設だけを求める提案にも、それなりにいろいろな意味があるかもしれない。だが、それは、断じて第三の波の提案ではないのである。

2 大量化社会との関連
 ハード中心の第二の波の経済のなかで工場運営に携わった人たちは好んで、アセンブリー・ラインに適する、交換可能で従順な労働者を数多く求めた。その結果、大量生産、大量販売、大衆教育、マスメディア、そして大衆娯楽などが社会の全域にひろがり、それに伴い、第二の波そのものも「巨大な塊」を形成するにいたったのだった。
 第三の波の経済が必要とし、将来多くの報酬を出すことになるであろう労働者は、第二の波の労働者とは本質的にタイプを異にする。彼らは思考し、疑問を抱き、古きを刷新し、企業のリスクを積極的に担う。つまり、彼らは、簡単には交換のきかない労働者なのである。したがって、第三の波の経済が好むのは、個人ベースの動き(必ずしも個人主義と同じではない)だともいえる。
 新たな頭脳経済は、必然的に社会を多様化する。例えば、コンピュータ化された特別注文生産は、きわめて多様なライフスタイルを生み出す可能性がある。11万の異なる製品を取り扱っている、各地のウォルマートや、種々のコーヒーを用意しているスターバックスを見ただけでも、ほんの数年前のアメリカとは隔世の感がある。だが、ことは物品の変化にとどまらない。それにも増して重要なのは、第三の波が文化、価値観、さらには道徳さえをも多様化していくことなのだ。非マス化したメディアは、しばしば衝突し合う多種多様なメッセージを文化のなかに送り込む。仕事だけではなく、余暇の過ごし方や芸術様式も多様化するし、政治活動も多様化する。また、宗教・信仰集団の数もふえていく。しかも、アメリカという多民族国家では、民族、言語、社会文化の各面において、集団の細分化も進むことが予想される。そうした流れのなかで、第二の波派は、大量化社会の維持か、ないしは復活を望む。それに対して、第三の波派は、非マス化を己のために活用する手立てを模索するのである。

3 籠のなかの卵の数
 第三の波の社会の多様性と複雑さは、極度に中央集権化した機構の回路を打ち砕く。問題を解決するにあたり、権力をトップに集中するのが、第二の波の常套手段だった。しかし、時に集権化が必要な場合があるにしても、現在みられるような、バランスを欠いた過度の集権化は、あまりにも多くの決定事項という卵を一つの籠のなかに詰め込むため、「過負荷」による決定機能の麻痺を引き起こしてしまう。かくして今日、ワシントンでは、議会と政治が、急速に変化する複雑な問題、しかも彼らだけで理解するのがますます困難になっていく諸問題を手に余るほど抱え込んだ結果、決定を下しきれなくなり、焦りに焦っているのである。
 一方、第三の波の機構は、トップによる決定を可能なかぎり避け、それを周辺に委ねる。企業は、いま急いで社員の権限を強めようとしているが、これは愛他主義に基づくものではなく、下部の人間のほうが、おおむね、よりよい情報をもち、危機に対応するにも、好機に処するにも、上部の有力者より機敏に動くことができるからなのだ。
 卵をすべて一つの籠に入れるのをやめ、それらを多くの籠に分散すべきだという発想はべつに新しいわけではないが、第二の波派はこの考えをひどく嫌うのである。

4 垂直統合型企業組織か、それとも仮想企業組織か 
 第二の波の機能は、長年にわたり職務をふやしつづけた挙げ句、贅肉だらけになっている。第三の波の機構は、職務をふやさずに、削るか、ないしは下請けに出し、スリムな体を保つ。だからこそ、氷河期が近づき恐竜が絶滅しても、それらは生き延びていけるのである。
 第二の波の企業組織は、「垂直統合」(例えば、自動車を製造するには、鉄鉱石を掘り出し、それを製鉄所に送ってはがねにし、しかるのち自動車工場に発送するまでの全過程を統合しなければならないという考え方)を強く志向する傾きがあり、その衝動を自ら抑制することがなかなかできない。それにひきかえ、第三の波の企業は、できるだけ多くの仕事を外注する。下請け先の多くは、より小規模で、より専門化されたハイテク企業か、場合によっては個人となる。そのほうが仕事の質がよくなるうえに、時間がかからず、しかも低コストですむからだ。第三の波の企業は、極限に向かって意図的に空洞化されていく。人員はぎりぎりまで削減され、生産活動が行なわれる場所は分散する。そして、組織そのものが、バークリーのオリバー・ウィリアムソンのいう「契約の絆」へと変貌していく。
ロンドン・ビジネス・スクールのチャールズ・ハンディが論じているように、こうした「目につかないが、最小限の規模で最大の効果を生み出そうとしている企業」が、いまや「現代世界の要」になっているのである。
 ハンディは、さらに、われわれの多くは、直接雇われていなくても、それらの企業にサービスを売るかたちになる、と指摘したうえで、「それゆえ、社会の富は、そのような企業を主体にして築かれるであろう」と結論している。第三の波の情報と通信技術によりはじめて可能になる、この本質的に新しい形態の「仮想」企業組織について言及しているのは、ハンディとウィリアムソンだけではない。
 ところで、本書の著者の一人であるハイジ・トフラーは、かつて「和合」という重要な概念を導入した。彼女は、公共部門と民間部門のそれぞれの組織形態のあいだには何らかの和合性が設けられなければならず、さもないと互いに首を締め合うことになってしまう、と考えたのだった。なにしろ、民間部門が超音速ジェット機に乗って飛び出しているのに、公共部門は、飛行場の入口で、まだ荷物さえ下ろしていないというのが今日の状況なのである。
 政策ないしは計画の評価をするさいには、それを実施するのが、組織の垂直統合を志向する人たちか、それとも仮想企業組織を追求する人たちか、を問わなければならない。この問いに対する答が得られれば、その政策あるいは計画が、機能不全に陥った過去の延命を図ろうとしているのか、それとも未来との出会いへと人びとを導こうとしているのかが容易に判別できるようになるだろう。

5 家庭の強化
 産業革命以前の家族は大家族で、生活は家庭を中心に展開された。家庭は、仕事の場であり、病人を看護する場であり、子供を教育する場であった。そこは、また、家族の憩いの場でもあり、老人を介護するための場でもあった。第一の波の社会では、大規模な拡大家族が社会の中核をなしていたのである。
 家族という強力な制度の衰退は、スポック博士やプレイボーイ誌などの出現とともにはじまったわけではない。それは、産業革命が家庭から、いま述べたような機能の大部分を奪った時点ではじまった。仕事は工場やオフィスで行なわれるようになり、病人を介護する場は病院へ、子供たちの教育の場は学校へ、そして夫婦の娯楽の場は映画館へと移された。また、老齢者は、養老施設に入るようになった。こうしたことがすべて表面化したあとに残ったのが「核家族」である。この家族形態を支えたのは、家族構成員が一つの単位として果たす仕事ではなく、いともたやすく切れてしまいがちな心理的絆だった。
 第三の波は、家族と家庭にふたたび力を与え、かつて家族を社会の中核にしていた機能の多くを蘇らせる。現在、コンピュータやファックスなど第三の波の技術を利用しながら、仕事の一部を家で行なっているアメリカ人の数は、推定で三千万人にも上がっている。子供を家庭で教育しようとしている親たちも多い。しかし、本当の変化がはじまるのは、コンピュータ付きテレビが家庭に入り込み、それが教育手段に組み込まれるようになってからだろう。病人はどうか。妊娠検査や血圧測定など、以前は病院と医院の医療業務だったものが、どんどん家庭で行なわれるようになってきた。こうした現象は、家庭、および家族の役割が強まりつつあることを示している。ただし、ここでいう家族には、核家族、多世代にまたがる拡大家族、再婚者同士からなる家族など、大小さまざまな形態の家族が含まれるうえに、小家族には子なし家族が、子なし家族には夫婦が高齢になってからの出産を計画しているものも含まれる。このように家族構造が多様化していく背後には、すでにみてきたように、第二の波の大量化社会の非マス化に伴う、経済・文化の多様化がある。
 皮肉なことに、現在「家族の価値」を説く人びとの多くは、より強い家族を生み出す方向に動かずに、核家族への回帰を促している。彼らは、第二の波の規範をとり戻そうとしているのだ。もし、私たちが真に家族の強化を望み、家庭をふたたび社会の中核となる機関にしたいと思うなら、顛末な問題を忘れ、多様性を認めたうえで、重要な仕事を家庭に引き戻すよう努めなければならない。それから、もう一つ。テレビのリモコンの管理は、ぜひ親にさせたいものだ。

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 アメリカは、新しいことが他の国に先駆けて起こりやすい国である。古い制度の崩壊に苦しんでいるのがアメリカなら、新しい制度を求めて道を切り開いているのもアメリカなのだ。いま私たちアメリカ人は、暗中模索の状態で暮らしている。バランスを崩し、ひっくり返る恐れもある。自分たちがどこへ向かっているのかということについて(また、どこへ向かうべきかということについてさえ)断定できる人はいないのである。
 そんななかでわれわれは、どのグループもとり残さないよう気を配りながら手探りで前進しつつ、われわれ自身のなかに未来を作り上げていく必要がある。以上述べてきた数少ない判断基準だけでも、第二の波の過去に根ざした政策と、第三の波の未来への歩みを後押しできる政策とを区別するのに役立つはずだ。ただし、どんな基準の場合でもそうなのだが、それらを一字一句そのまま機械的に適用したがる狂信的とさえ思える人が出てくる危険性がある。実際に求められているのは、それとは正反対な動きだということを忘れてはならない。
 新たな千年紀への素晴らしい旅に備えて荷造りをするにあたり、ぜひとも必要なのは、過ち、両義性、そしてとりわけ多様性を、ユーモア感覚と平衡感覚に支えられたひろい心をもって見ることである。これらは、私たちが生き延びていくのに欠かせないものなのだ。この旅は、おそらく、人類史上でもっともエキサイティングなものになるだろう。私たちは、いまこそ支度に取りかからねばならない。




第三の波の政治 第7章 支持勢力の衝突

2011年11月11日 12時00分57秒 | 第三の波の政治
第6章 社会主義と未来との衝突の復習の意味で、第二の波の政治を理解する上で、大阪市長選挙という事例を見ることができます。以下ダイヤモンドオンラインから引用
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ダイヤモンドオンライン 地方自治”腰砕け”通信記 第37回
 2011年11月9日 相川俊英

「反ハシズム統一戦線」に共産党まで相乗りする混沌
民意不在、投票率低迷の大阪市長選に何を問うべきか

日本共産党推薦の前市議が出馬を取り止め反橋下戦線が形成される大阪市長選
 11月27日投開票の大阪ダブル選挙に、新たな動きがあった。大阪市長選に共産党推薦で立候補予定だった前市議が4日、出馬の取り止めを表明したのである。「橋下徹氏の当選を阻止するために出馬断念を決意した」と関係者は事情を明かした。
 告示(11月13日)直前での出馬断念は2人目で、現職の平松邦夫市長と橋下徹・前大阪府知事の一騎打ちとなりそうだ。共産党は平松氏と政策協定などは結ばないものの、党の支持者らに平松氏への投票を呼びかけるという。
 これまで、市長選に独自候補を擁立し続けてきた共産党が今回、党の旗を降ろすことになった。1963年以来なので、48年ぶりである。さらに、自前の候補を出さないだけではなく、自民や民主と事実上、共闘するというのである。思わぬ展開に驚きの声が広がったが、方針の大転換の理由として「橋下氏の独裁を阻止するため」「大阪市を守るため」「民主主義を守るため」といったことが、切迫感とともに語られた。こうして現職と前知事による異例の市長選は、地域政党「大阪維新の会」と既成政党の大連合による激突となる。維新への完全包囲網が形成されたといってもよい。それほどまでに橋下氏と「大阪維新の会」は既成政党に敵視されている。なかには大阪の自治を守るための「反ハシズム(橋下的政治手法)統一戦線」だと鼻息荒くする人もいる。今回の大阪市長選の特異性は他にもある。というとやや大仰かもしれないが、市の助役(副市長・
以下同)出身の候補者が誰1人いない点だ。現職市長と前知事はともに民間出身で、行政職員の経験はない。大阪市において助役出身の候補者ゼロの市長選は、何と1955年以来の歴史的な出来事となる。自主財源の乏しい地方自治体の悲哀を表す言葉に、「3割自治」というのがある。国から配分される地方交付税や各種補助金に依存せざるを得ず、自治とは名ばかりの実態を揶揄するものだ。もちろん、固定資産税や法人市民税などに恵まれた有数の富裕自治体である大阪市は、これにはあてはまらない。だが、大阪市は別な意味で「3割台自治」といえる。何かというと、住民自治の土台となる市長選や市議選における投票率である。大阪市での選挙は低投票率に終わるのが恒例化している。たとえば、今回の市長選だ。戦後(1947年から)これまで18回実施されたが、このうち投票率が5割を超えたのはわずかに6回。それも昭和30年代が多く、最後に5割の壁を超えたのは、1971年の市長選挙である。大阪万博の翌年のことで、それ以来、40年間に11回の市長選が行なわれたが、このうち8回が3割台以下の投票率に終わっている。ワーストの投票率は28.45%(95年)だ。つまり、6割以上の市民が市
長選びに関与していないのである。市政に無関心だったり、そっぽを向いてしまったり、さらには参加そのものを諦めてしまっているのである。

投票率が上向くはずもない?選択肢が提示されない「中之島体制」
 ではなぜ、大阪市長選挙の投票率がかくも低迷し続けてしまったのか。選挙戦において、選択肢がきちんと提示されてこなかったことが挙げられる。助役出身者が候補者に担がれ、それを各党が相乗りで支援するパターンが定着したのである。端緒となったのが、1963年の市長選だ。このときは助役出身者同士の保革一騎打ちとなった。市の職員組合と社会党(当時)などが支援する候補と、市の管理職と自民党などが応援する候補が激突し、市役所を二分する激しい選挙戦が展開された。投票率は68%台にまで達し、革新系候補が勝利した。革新系市長はその後、2回の選挙を戦ったが、共産党から対立候補が出るだけの無風選挙となった。この市長が3期目の途中の71年に急死し、急きょ選挙となったが、このときも保革が相乗りで助役を擁立。共産党系の候補を大差で破り、助役出身候補・政党相乗り(自民・公明・社会など)・無風選挙が定着していった。選択肢が提示されない選挙で投票率が上がるはずもなく、3割台選挙が続くことになった。助役出身の市長が5代連続し、在任期間は計44年に及んだ。いわゆる中之島(大阪市役所)体制の確立である。ではなぜ、中之島体制が継続したのか。ポイントは、大阪市の潤沢な税の使い道。税収が右肩上がりする時代の話である。中之島体制の一員となれば、その配分に関与できる。そう考えるのが、人情だ。そして、いったん仲間入りしたら、自ら離脱するのもありえない。逆にメンバーの増加は取り分の減少につながることにもなる。市民の市政への関心が低下することは、むしろ、好都合の面もあった。特定の組織や団体、市民を対象とした税の大盤振る舞いが展開された。

ばら撒く米が尽き市民の目は厳しく熾烈な選挙戦の「本当の課題」とは?
 だが、こうしたバラ色(?)の時代がいつまでも続くはずもない。税収が右肩下がりとなり、大阪市も財政難に見舞われることになった。ばら撒く米が尽きたのである。税の使い方への市民の視線も厳しくなり、市職員への厚遇問題などが噴出した。大阪市役所に非難が殺到し、市政改革の断行を余儀なくされた。その改革の途上の07年に、前回の市長選が行なわれた。自民・民主・公明の相乗り体制はすでに崩壊し、民主党の推薦で現職を破ったのが、平松市長である。しかし、このときの選挙も投票率は低く、43.61%に止まった。市民の半数が市政に背を向けたままだった。さて、今回の市長選挙である。新たに共産党を加えた相乗りが復活し、激しい選挙戦が事実上、始まっている。一方が「反独裁」を叫べば、一方は「大政翼賛会だ」と批判する。互いに激しく
相手陣営を攻撃し合っているが、投票率を上げて民主主義の空洞化の進行に「待った」をかけることこそが、お互いの最重要課題なのではないか。

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自民だ民主だと言われて投票してきたけれども、どっちもどっちじゃないの?
と第二の波の利権政党は、皆飽き飽きしているのではないでしょうか?これは
アメリカも同じことで、来るべき第三の波の政党が現れることを皆期待しています。
では、本文を。

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第7章 支持勢力の衝突 

現代社会が直面する問題は数限りなくある。われわれは、滅びようとしている産業主義文明の退廃の匂いを嗅ぎ、その諸制度が効力を失い、腐敗して、次々に崩壊していくさまを目のあたりにしている。その結果、苦渋に満ちた空気のなかから根本的な変革を求める声がわき起こり、それに応じて、幾多の提案がなされている。いずれも根本的、抜本的な提案であると自称し、なかには革命的な解決策であると公言するものさえある。だが、問題の解決をうたいながら、どれほど新しい規則や法律を作り、計画と実践を繰り返しても、いっこうに成果は上がらない。いたずらに事態の悪化を招き、効果的な対策などないという無力感を煽るばかりだ。この無力感は、かの有名な「白馬の騎士」に対する憧れをかき立てるだけで、民主主義にとっては、きわめて危険なものである。したがって、勇気と想像力を奮って問題に立ち向かわなければ、私たちもまた「歴史のごみ捨場」で朽ち果てることになりかねない。
マスメディアは、アメリカの政治を、二大政党が延々と口論乙駁する舌戦のごとくに描き出す。だが、アメリカ国民は、メディアと政治家の両方に、冷やか、うんざりした、怒りのこもった目を向けており、その傾向は年々強まっていく。大方の国民からみれば、党利党略で動く政治は、金ばかりかかる、腐敗した、誠意のない影絵芝居のようなものであり、誰が勝とうと同じではないかという疑念は深まる一方だ。
確かに、誰が勝っても同じである。が、普通一般にいわれている理由によってそうなのではない。
1980年に発表した『第三の波』に、私たち筆者はこう書いている。
「今日の政治のもっとも重要な展開は、第二の波の文明を守る者と第三の波の文明へ進む者という二大陣営が、われわれの真ん中に生まれたことである。一方は、核家族、公共教育制度、大企業、大労働組合、集権的民族国家、似非代議制政体といった産業主義大衆社会の中核をなす諸制度の維持に、執拗に取り組んでいる。他方は、現制度の能力的限界に気づき、エネルギー、戦争、貧困からの環境破壊や家族関係の崩壊など、もはや産業主義の文明の枠内では解決できない緊急な問題を認識している。
両陣営のあいだには、まだ、はっきりした線は引かれていない。個人としては、われわれの大部分は、両陣営に片足ずつ突っ込んでいる。問題点はまだぼやけていて、相互の関係も明確ではない。そのうえ両陣営とも、長期の見通しを持たずに狭い意識から私利の追求に汲々とするグループがいる。どちらの陣営も、まだ倫理の独占を果たしていない。どちらにも、尊敬に値する人がいる。にもかかわらず、両陣営の深層にある政治構造には、非常に大きな違いがある」(中公文庫『第三の波』より)。

過去を擁護するロビー活動
 国民がこの分裂のもつ重大な意味にいまなお気づいていないのは、じつに、古い体制の利権をめぐってさまざまな第二の波の集団が日常繰り広げる政治的な衝突のみが、過大に報道されているからにほかならない。それぞれちがいはあっても、これら第二の波の集団は、第三の波の勢力に主導権を奪われまいとするときも、すぐさま結束する。
 だからこそ、1984年、民主党の大統領指名選挙に立候補したゲーリー・ハートが、「新思考」を求めてニューハンプシャーの予備選挙で勝利したさい、古い第二の波に属する民主党の大物連が一致団結してハートに反対し、代わりに、生粋の第二の波の思考の持ち主で、いかにも無難なウォルター・モンデールを指名したのである。
 第二の波のネーダー主義者と、やはり第二の波のブキャナン派がNAFTAに反対する共通の理由を見出したのも、同じ理由からであった。
 議会が1991年にインフラ法案を可決した理由もそこにある。この法案により、1500億ドルが道路や橋の建設補修に配分され、第二の波の企業や職場や労組を大いに潤したが、盛んに喧伝されていた電子スーパーハイウェーの建設助成にはわずか10億ドルしか回されなかった。いかに必要なものであれ、道路や橋は第二のインフラの一部にすぎない。それに対して、デジタル・ネットワークは第三の波のインフラストラクチャーの衷心となるものである。ここで問題なのは、政府がデジタル・ネットワークを助成すべきかどうかということではなく、政府部内での、第二の波と第三の波の勢力バランスがとれていないということなのだ。
 片足の爪先を第三の波に濡らしたゴア副大統領が、どれほど努力しても、第三の波の方向へと政府を「改造」できないでいるのも、このアンバランスのためだ。中央集権的な官僚機構は、典型的な第二の波の社会組織形態である。競争原理で動く先進的な企業が、非効率的な機構を解体し、新しい第三の波の経営形態を創始しようと必死に努力をつづけているときでさえ、第二の波の公務員組合に守られた政府機関は、大部分が改革も強化も改造もせずに済ませてきた。つまり、旧来の第二の波の構造を保持してきたのである。
 第二の波の原理を使って富と権力を得てきたがために、この波のエリートたちは、保持できるはずのない過去を、保持したり、取り戻したりしようと躍起になっている。だが、新しい生活様式への転換にさいして俎上に載せられるのは、じつはそうした富や権力なのだ。ことはエリートの問題だけではない。中流、貧困層を問わず、無数のアメリカ人が、時代に取り残されるのではないか、失業し、経済的・社会的斜面をさらに滑り落ちてしまうのではないかという、もっともと思われがちな不安から、第三の波への移行に抵抗しているのである。
 しかし、アメリカの第二の波の勢力がもつ巨大な慣性力を理解するには、筋肉労働に依存する旧式の産業や、その労働者と労働組合に目を向けるだけでは十分ではない。第二の波の部門は、この部門のニーズを満たすウォール街の勢力に加え、やはりこの部門のために存在する財団、業界団体、ロビー団体等の助成金にたかる知識人、学者にも支えられている。彼らの多くは終身雇用を保証されており、その任務は、第二の波の勢力を側面から支えるデータを集め、この勢力のイデオロギーやスローガンをひねり出すことにある。<情報集約型のサービス産業は「非生産的」である><サービス労働者はしょせん「安食堂の給仕」となる運命にある><経済は製造業を中心に回転しなければならない>などといった言葉は、彼らの役割の何たるかを端的に物語っている。
そうした批判を絶えず浴びている二つの政党が、第二の波の思考法から抜け出せないでいるとしても、さして驚くには当たらない。医療制度の改革をはじめとする諸問題で、民主党は反射的に官僚と中央集権主義者の解決策にすがったが、このような姿勢を生み出しているのは、まさに第二の波の効率優先理論なのだ。ハイテクの重要性を認め、かつて「未来に関する議会情報センター」の共同議長を務めたゴア副大統領のような政治家が稀にいるとしても、民主党は、相変わらず第二の波を支持する産業界や官民の労働組合に大きく依存しており、二十一世紀を目前にしたいまも、党としてほとんど機能麻痺の状態に陥っている。
80年代のハートと90年代のゴアの例に見られるとおり、民主党は、中枢となる支持者の妨害で、党内きっての進歩派をリーダーに据えることができないでいる。この党は、依然として、ブルーカラーが描く現実のイメージにとらわれているのだ。
民主党は、自ら未来の党(かつては確かにそうだった)に脱皮できなかったがために、反対党に道を開かざるをえなくなった。一方、共和党は、民主党と違って古い北東部の工業地帯にさほど深く根を下していない分、第三の波の党になる機会に恵まれている。ただし、近年の共和党大統領は明らかにこのチャンスを逃してきたし、党自体も第二の波の論理に寄りかかり、お茶を濁しているのである。
共和党の大幅な規制撤廃政策は、基本的に正しい。いまやありとあらゆる柔軟な政策を打ち出さなければ、ビジネスが世界規模での競争に生き残ることはできないからだ。共和党が掲げる政府事業の民営化政策も、基本的に正しい。政府機関が概してうまく機能していないのは、競争がないからだ。市場経済から生まれる経済のダイナミズムと創造性を最大限生かそうとする政策も、基本的に正しい。だが、この党も、依然として第二の波の経済にとらわれていることに変わりはない。例えば、同党のブレーンである自由市場経済論者たちでさえ、いまのところ、知識の新しい役割や知識が無尽蔵の資源であることを認めるには至っていない。
また、過去の遺物と化した第二の波の巨大企業のいくつかと、その系列の業界団体、ロビー団体、およびその政策立案を担当する「円卓会議」の恩恵を受けているという点では、共和党も民主党も同じだ。
加えて、この党は、将来起こるであろう社会の大混乱を軽視しがちだ。この大混乱は、第三の波の深みで生じる何らかの変動によりもたらされるものである。例えば、技術が一夜にして時代おくれになった場合、高度な技能をもつ専門家をはじめとする中産階級の多くは、おそらく失業することになるだろう。カリフォルニアの軍事産業に従事していた研究者や技術者のレイオフは、その可能性を端的に示す事例だといえる。
ドグマ化した自由市場主義とトリクルダウン(通貨浸透主義)主義では、第三の波に十分対応するわけにはいかない。未来に立ち向かう政党は、来るべき問題について警告し、大混乱を防止するための改革を提案しなければならない。例えば、今日のメディア革命は、姿を見せはじめた第三の波の経済に多大の恩恵をもたらすだろうが、その一方で、テレビショッピングをはじめとする電子サービスは、伝統的な小売部門の単純労働、つまり低学歴の若者の出発点となる職業分野に壊滅的な打撃を与えるだろう。
自由市場と民主主義が未来の騒然たる大変動を生き残るには、将来を見越し、混乱を予防できるような政治が必要になる。しかし、アメリカの政党に次の選挙以上のことを考えよというのは、困難かつ無駄な注文なのだ。
二大政党は共に、改革を提案するどころか、支持者にノスタルジアという麻薬を注ぎ込むのに忙しい。民主党は、最近まで、偉大な1950年代のアメリカ産業の「復興」ないしは「復活」(現実には、第二の波の大量生産型産業への復帰など不可能だ)を唱えていたし、かたや共和党は、文化や価値観に関する問題を取り上げては郷愁をそそる美辞麗句を振りまき、あたかも第二の波の大量生産産業社会に逆戻りすることなく1950年代の価値観や道徳観に回帰することが可能であるかのような幻想を人びとに植え付けているのだ。1950年代といえば、テレビが全家庭に普及する前の時代であり、避妊ピル、民間ジェット機、人工衛星、家庭用コンピュータ等もまだ登場していなかった時代である。要するに、一方はいまなお「リバールージュ」(訳注:ミシガン州の自動車・造船産業の中心都市)の時代を夢み、他方は「オジーとハリエット」(訳注:1952~66年のテレビ・ホームコメディー。古きよきアメリカ中流階級の代名詞的存在)の時代を夢見ているにすぎない。
「伝統的」な真理への回帰を求めている、共和党内の宗教派議員は、「道徳の崩壊」を招いた責任はリベラル派、人間中心主義者、および民主党にあると主張する。だが、彼らは、次の事実をつかみ損ねている。そのような価値体系の危機は、第二の波の文明全体に及ぶ、より全般的な危機の反映であり、大変動に見舞われているのはアメリカだけではないのである。宗教派のリーダーたちにしても、ほとんどが、良識と道徳を備えた、民主的な第三の波のアメリカをいかにして築きあげるのかを問題にするのではなく、理想化された過去への回帰を唱えることに終始している。脱大衆化社会を道徳的で公正な社会にするにはどうすればよいかを問わずに、アメリカ社会の再大衆化を望んでいるという印象を与える者が多いのである。
とはいえ、二つの政党の違いは、民主党の「懐旧派」が同党の中心的な支持層に集中しているのに対して、共和党の「懐旧派」は、おおむね、周辺のウルトラ分子にすぎないという点である。したがって、共和党が変化に対して開かれた、懐の深い党になるという条件付きであるが、同党の下院議長ニュート・ギングリッチが以前から党内でしきりに訴えてきたことである。ただし現時点では、彼の意見に共鳴する者はわずかしかいない。ギングリッチの主張が認められ、一方の民主党が相も変わらぬ前コンピュータ時代のイデオロギーに縛られたままでいた場合、民主党は、よかれあしかれ、政治の墓場に葬り去られることになるだろう。
リー・アトウォーターは、1980年にレーガン大統領の最高政治顧問となり、その後、ブッシュ大統領の時代には大統領のジョギングに伴走し、選挙部長も務めた。彼は、レーガンが当選してまもなく、私たちの『第三の波』をホワイトハウス内に配った人物でもある。そのアトウォーターからの申し出で、私たちは、不定期ながら数年間、彼と一連の会議を行った。1989年に、わたしたちはもう一度彼に会ったが、それは彼が死を迎える少し前のことだった。この最後のインタビューの折、夕食を共にしながら、私と妻は、第三の波のアメリカに関して民主党が明確な展望をもっていないのはアメリカにとって不幸なことだという私たち自身の見解を彼に伝えた。アトウォーターはこの見方に同意し、驚いたことに、すぐさまこう付け加えた。「しかし、共和党も似たようなものですよ。両党とも、はっきりした未来像をもっているわけではない。選挙運動に中身がないのは、そのせいです。」二大政党に先見の明がないために、アメリカのすべてが、ますます貧しくなっているのである。


明日を支持する勢力
 第二の波の勢力が今日いかに強力にみえようとも、その未来は先細りしつつある。産業化時代がはじまった当時は、第一の波の勢力が社会経済生活を支配し、農村エリートが永遠にこの世を支配するかに思われていた。しかし、そうはならなかった。彼らの支配がつづいていたら、産業革命で世界が変わることはなかっただろう。
 今日、世界はふたたび変革期を迎えている。いまやアメリカでは、農民や工場労働者に代わり、何らかの知的労働に携わる労働者が国民の圧倒的多数を占めるにいたっている。また、現在この国でもっとも急速に成長しつつある最重要産業は、情報集約型の産業である。この第三の波の部門に属するのは、すでに高水準に達しているコンピュータ・電子産業と新興のバイオテクノロジー産業だけではない。そこには、あらゆる産業における先端的な、情報集約型の製造業も含まれるし、データの収集をさらに意欲的に進めているサービス産業-金融、ソフトウェア、娯楽、メディア、通信、医療、コンサルティング、技術訓練、教育などの分野に携わる産業-も含まれる。つまり、筋肉労働ではなく、頭脳労働を基準とする、ありとあらゆる産業が含まれるのである。この部門で働く人びとは、まもなく、アメリカの政治を左右する有権者になるだろう。

 産業化時代の「大衆」と違って、台頭しつつある第三の波の有権者は多種多様で、画一化されていない。この有権者層を構成するのは、他者との相違を重んじる個人であり、不均質であるがゆえに特定の政治意識をもたず、過去の大衆よりはるかに統一しにくい人びとである。
 ところで、第三の波の有権者は、まだ独自のシンクタンクや政治思想を形成しておらず、それゆえ学界からの組織的な支持も得ていない。そのような有権者からなる、さまざまな組織やワシントンのロビー活動団体もできてはいるものの、まだ比較的新しいせいもあって相互の連携が十分ではなく、第二の波派に勝利したNAFTAを唯一の例外として、立法の分野では、まだ重要な得点を上げるにいたっていない。
だが、この広範な、来るべき有権者層が意見を共にしうる重大な問題がいくつかある。その筆頭に挙げられるのが、解放の問題-すなわち、古い第二の波のルールや規制、税制、法律など、すでに過去のものとなった煙突型産業の大実業家や官僚を守るために設けられている、すべての制度からの解放-である。第二の波の産業がアメリカ経済の中枢をなしていた時代には確かに有効だった。そうした制度も、いまや第三の波の発展を妨げる障害でしかないのである。
例えば、古い製造工業の圧力で作られた減価償却方式は、機械や製品が長く使えることを前提にしているが、変化の目まぐるしいハイテク産業、とりわけコンピュータ産業では、機械類の耐用期間は数ヶ月ないしは数週間と考えられる。したがって、現行税制はハイテク産業にとって不利な結果を生み出す。また、調査開発に関わる控除も、第三の波の部門が依拠する新進企業よりも、第二の波の大企業に有利にはたらく。現行税制における無形資産の取扱では、時代おくれのミシンを数多く抱えている企業のほうが、物的資産をほとんどもたないソフトウェア会社より優遇されて当然なのだ。政府ではなく、財務会計基準審査会(FASB)の設定した会計基準においてさえ、第三の波の企業の死活にかかわる情報や人的資源などの無形資産に対する投資より、ハードウェアに対する投資が優遇されている。だが、こうしたルールを変えることで、そこから利益を上げている第二の波の企業との激しい政治闘争に打ち勝つ道が開けるのである。
第三の波の企業には特殊な性格がある。まず、企業年齢も従業員の平均年齢も若い会社が多い。次に、第二の波の企業と比べると、労働単位は小規模で、調査、開発、訓練、教育、人材に投資の重点をおく傾向が強い。第三に、競争が熾烈で、絶えず刷新を迫られているため、製品のライフスタイルが短くなるし、人事の異動、機械設備の回転、管理業務の転換も概して速い。このような企業では、社員の頭脳のなかにある記号が重要な資産となる。こうした企業に対して、まさに第三の波の性格のゆえに罰則を科せるようなルールを突きつけ、それに従うよう求めるのは不当である。これこそ、アメリカの手を後ろ手に縛るような行為といえよう。
第三の波の部門の多くはサービス産業に従事し、驚くほど多様多種なサービスを提供している。したがって、サービス部門の台頭を非難し、低生産性、低賃金、低業績の元凶だといつまでも攻撃するのではなく、明確にこの部門を支持し拡大させるべきだし、少なくとも、この部門を古い枷から開放してしかるべきだと思われる。アメリカ国民の生活の質を高めるには、サービス部門の雇用を減らすのではなく、さらにふやしていく必要がある。電子機器の修理やリサイクルの分野でも、健康管理、高齢者の介護、警察、消防の方面でも仕事をふやさなければならない。子守りや家政婦を例にとっても、働いてくれる人間がぜひほしいという共稼ぎ家庭は何百万に上がっている。第三の波の経済政策は、勝者と敗者を選別するためにとられるのではなく、サービスの職業化と開発を妨げる障害を取り除き、ストレスや不満を緩和して、アメリカ人の生活をより人間的なものにするためにとられるべきものなのだ。しかるに、このような考えをもちはじめたといえる政党さえ、いまだ見当たらない始末なのである。
こうした政治の停滞にもかかわらず、第三の波の有権者層の力は、日増しに伸びている。従来、二大政党のいずれにも無視されてきたこの層の人びとは、既成政党の枠外で自己主張する傾向を強めているのだ。例えば、アメリカ各地で数をふやし、影響力を強めつつある草の根組織を担っているのは、この第三の波の人びとだし、インターネットを中心に生まれつつある新しい電子共同体(エレクトロニック・コミュニティー)の中枢を占め、第二の波のメディアを非マス化することにより、それに代わる対話式のメディアを作り出そうとしているのも彼らなのである。それゆえ、この新しい現実を無視する既成政党の政治家たちは、農村地帯における「腐敗選挙区」の議席を永久に確保できると考えていた、19世紀の英国議会の議員さながらに、わきへわきへと押し流されていくことだろう。
アメリカの第三の波の勢力は、まだ声を発していない。したがって、彼らに発言力を与えうる政党が、アメリカの未来を支配することになるだろう。そのような政党が現れたときにはじめて、従来とはまったく異なる、新しいアメリカが20世紀末の荒廃のなかから生まれてくるのである。




第6章 社会主義と未来との衝突

2011年11月04日 00時03分37秒 | 第三の波の政治
さて、「第三の波の政治」へ立ち戻って「第六章 社会主義と未来との衝突」からスタートします。
昨日の新聞紙面で「2011年度版贈賄指数」がNGOトランスペアレンシー・インターナショナルから
発表されました。これは、世界主要28ヵ国・地域の企業が海外進出などの際、相手国の政府高官らにど
れだけ賄賂を支払っているかを数値化したものです。
清潔度第一位はオランダ、スイス、第三位ベルギー、第四位日本と続きますが、注目に値する最下位、
要するに悪徳賄賂国家はアメリカ(自由主義*帝国主義?)ではなく、二十七位が中華人民共和国、
最下位がロシア(旧ソビエト連邦共和国)でした。これはどうしてか?科学的社会主義の理念に照らし
て、古典教室で質問したいところですが、トフラー流に言えば「19世紀の理論にしがみついた老人
に引きづられた」倫理性皆無の知識が国内に蔓延していたからだと言えるのかもしれません。
コグニタリアート(意識労働者階級)万歳!!ロウブラウ古典教室のプロレタリアート崩壊!!と
叫ばれる時代となったようです。さて、社会主義とは何だったのか?第四章~第五章を復習した上で
第六章を読んでください。前著の「パワーシフト」を再度、参照されることもお勧めします。

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第6章  社会主義と未来との衝突 

東ヨーロッパにおける国家社会主義の劇的な消滅、およびブカレストからバクー、それからさらに北京へかけての血塗られた苦しみは、偶然に起こったものではない。社会主義が未来と衝突したためである。
社会主義体制が崩壊したのは、CIAの陰謀や、資本主義による囲い込み、つまり経済的締め付けのせいではない。東ヨーロッパの共産主義政権は、モスクワがもはや彼ら国民を守るために軍隊を使わないというメッセージを送ったとたん、ドミノ倒しのように崩壊したのである。システムとしての社会主義の危機は、ソ連でも、中国でも、その他の国でもきわめて深いところに根ざしていたのだ。
十五世紀半ばにグーテンベルグの発明した活版印刷が知識を普及させ、その結果プロテスタントの宗教改革に火をつけたのと同じように、二十世紀半ばに現われたコンピュータと新しいコミュニケーション・メディアが、ソ連の支配下、強権下にある諸国に対するモスクワの精神的束縛を打ち砕いたのである。
頭脳労働者は“非生産的”だとしてマルクス経済学者から(または古典派経済学者の多くも同じだが)否応なしに排斥された。ところが、この非生産的とみられた人たちこそ、1950年代半ば以降、西側経済の目をみはる活性化に、おそらく誰よりも深く貢献したのである。
今日、彼らに着せられた濡れ衣的“矛盾”はいぜん晴れないままとはいえ、ハイテク資本主義諸国は世界の他の国々を経済的に遥かに引き離した。マルクスのいう未来へ向けての“質的飛躍”を可能にしたのは、煙突型産業の社会主義ではなくて、コンピュータを基盤とした資本主義であった。先進資本主義国で本当の革命がひろがりつつあるのに引き換え、社会主義諸国は十九世紀の理論がしみついた老人たちに導かれ、身動きならない反動ブロックに事実上、閉じ込められてしまっていた。その歴史的事実をはじめて認めたソ連の指導者が、ミハイル・ゴルバチョフだった。
富創出の新しいシステムがアメリカに現われてからおよそ三十年後の1989年のスピーチで、ゴルバチョフは「情報科学の時代には、知識こそもっとも貴重な資産であるが、わが国はいちばん遅れてそれに気づいた国の一つである」と語った。
マルクスは革命の起こる時期について、みずから古典的な定義を下している。
“生産の社会的関係”(所有権と管理権のあり方を意味する)が“生産手段”(大まかにいえば技術)のさらなる発展を阻害しようとするときに、革命は起こるというのが彼の考えだった。
 この考え方は社会主義世界の危機を、見事に説明してくれる。封建主義の“社会的関係”がかつて工業の発展を阻害したように、今度は社会主義者の“社会的関係”がコンピュータやもコミュニケーション、そしてさらに情報公開を基盤にした新しい富の創出システムを利用するのを邪魔したのである。事実、二十世紀における偉大な国家社会主義の実験が挫折した主要な原因は、知識についての時代おくれの考え方にあったといえる。

前時代的マシン
わずかな例外を除けば、国家社会主義は、豊かさや自由、平等をもたらすことはなかった。それによってもたらされたのは、一党政治システム、巨大な官僚主義、圧制的秘密警察、政府によるマスコミ管理、秘密主義、そして知的・芸術的自由の抑圧だった。
 体制を維持するのに必要との理由で流された血の海も大問題だが、それはさて措いて、そのシステムをじっくり観察すると、すでに挙げた要素のどれもが、人民を組織する方法としてだけでなく(より深いところで)知識を系統立てそれを操作・管理するためのものであることがはっきりしてくる。
 一党独裁政治システムは、政治的なコミュニケーションを徹底管理する。他の政党が存在しないため、社会を流れる政治的情報は多様化を阻まれ、フィードバックがせき止められる結果、権力の座にある者たちは問題の複雑さが十分に把握できなくなる。ごく限定された情報のみが許された回路を通じて上にあげられ、命令が一方的に下におりてくるため、システム自身が間違いを見つけ、それをただすのがきわめて困難になるのだ。
 事実、社会主義国のトップダウン式の管理は、次第に、虚偽や誤った情報に基づいて行なわれるようになっていった。悪いニュースを上にあげるのがしばしば危険をともなったからである。一党システムの採用は、とりわけ知識の選択にかかわる問題なのだ。
 社会主義は人間の全生活面にわたって圧倒的な官僚主義を作り上げたが、その官僚主義はまた、知識を制限する装置であり、非公式のコミュニケーションや組織を非合法化する一方、知識をあらかじめ決めておいた間仕切りや整理棚に押し込め、コミュニケーションを“公式”のルートのみに制限した。
秘密警察機構、マスコミの国家管理、知識人への威嚇、芸術的自由の抑圧などはすべて、情報の流れをよりいっそう管理し制限しようとする意図の表れにほかならない。
 実際、こうした政策の背後には、知識についての一つの古い前提、すなわち、党であれ、国家であれ、人びとが何を知るべきかを判断するのは、指導者の務めだ、という傲慢な考えが隠されている。
国家社会主義を取り入れたすべての国家が共有する、以上のような特徴は、経済面でも愚かしい動きを必然的に引き起こすことになった。ところで、この特徴は、サイバネティック・マシンが出現する前の機械概念(社会および生活そのものにも適用された)に由来するものである。十九世紀のマルクスの周囲にあった第二の波型の機械は、そのほとんどがフィードバックなしで稼動するものだった。動力用のスイッチが入れられ、機械が動き出すと外界で何が起ころうと無関係に稼動しつづけたものだ。
それに引き替え、第三の波型の機械は知的である。外界の情報を吸収し、変化を調べ、機械の稼動を変化に合わせて変えていくセンサーを備えている。要するに、自己調整が可能なのである。この技術的な差は、革命的だ。
マルクス主義者は、第二の波の過去にこだわりつづけた。そのことは彼らの言葉からも窺える。マルクス主義者にとっては、階級闘争こそが、歴史の“牽引車”だった。第一に果たすべきことは、“国家という機械”を奪取することであり、そうすれば、それ自身が機械に似た仕組みをもつ社会は、豊かさと自由を生み出すようにあらかじめセットできるはずだ、と彼らは考えていたのだ。レーニンは、1917年にロシアの実権を握るとすぐに、最高の機械技師になったのである。
傑出した知性の持ち主であったレーニンはアイデアの重要性を理解していた。しかし、その彼でも表象生産、すなわち精神そのものさえプログラム化できると考えた。マルクスが自由について書いたのに対して、レーニンは権力を握ると、知識を操作しようと企てた。かくして彼は、芸術、文化、科学、ジャーナリズムなど、すべての表象活動は、原則として、社会のマスタープランに奉仕すべきだと主張した。やがて、あらゆる種類の学習の場は系統的に整理されて、不動の官僚的部局と等級をもつ“アカデミー”に組織され、党と国の管理に従うことになった。また、“文化的労働者”は文化省の管理する機関に雇われることになったし、出版と放送は国の専管事業となった。知識は事実上、国家機関の一部になったのである。
知識へのこうした頑迷なアプローチは、後進段階にある煙突型産業経済下にあってさえ、経済の発展を阻害したのである。したがってコンピュータ時代の経済的発展に必要な諸原則に対しては、真っ向からぶつかることになる。

所有権パラドックス
 いま世界に広がりつつある第三の波型の富創出システムのほうも、社会主義が信奉する三つの柱に戦いを挑んでいる。所有権の問題を取り上げてみよう。
社会主義者は当初から、貧困、不況、失業など産業主義のもたらす悪を、生産手段の私有に起因するものと考えていた。こうした病根を除去する道は、労働者が工場を所有することだった。もちろん、国や集団の手を通してである。
これさえ達成できれば、事態は変わるはずだった。競争という無駄はなくなる。完全に合理的な計画が実施される。生産は利潤のためではなく、必要に応じたものになる。経済を前進させるために、知的投資が行なわれる。人間すべてが豊かになるという夢が、歴史上はじめて叶えられるはずであった。
十九世紀当時にあっては、公式化されたこれらのアイデアは、時代の先端をゆく科学的知識を反映するものと見なされた。事実、マルクス主義者たちは、幻想的なユートピア主義を超え、真の“科学的社会主義”の到来を公言した。ユートピア主義者は原始共産制の村々を夢みていたかもしれない。しかし、科学的社会主義者たちは、発展しつつある煙突型産業経済のもとでは、そのような考えは現実的ではないと知っていた。例えば、フーリエのようなユートピア主義者が、目を過去の農業時代に向けていたのに対して、科学的社会主義者たちの目は、当時考えられた産業化時代の未来に向けられていたのである。
かくして、その後、集団制、労働者経営、コミューンなどの社会制度上の実験が重ねられたのだが、結局は国家所有が社会主義世界における支配的な所有形態になっていった。その結果、どこの国でも、労働者ではなくて国家が社会主義革命の第一の受益者となったのだった。
日常生活での物質的条件を急速に改善するという公約の実現に、社会主義は失敗した。革命後のソ連で生活水準が下がったときには、多少はそのとおりであったが、第一次世界大戦の影響と反革命のせいにされ、その後は、資本主義の包囲が口実となった。さらにその後は、第二次世界大戦のせいだとされた。だが、大戦後四十年経っても、なおモスクワではコーヒーやオレンジのような基礎的食品が不足していたのである。
社会主義国の数はいちじるしく減ってはいるものの、それでもなお産業・金融の国有化を呼びかける声が、世界に散らばる伝統的社会主義者のなかから聞こえてくる。ブラジルやペルーから南アフリカへかけて、さらに西側の産業化された国々のなかにさえも、歴史的証拠が示されているにもかかわらず、共産主義の盲信者というのが残っていて“公的所有”が“進歩的”であると考え、経済上の非国有化、民主化に抗いつづけている。
今日、世界経済はますます自由化され、巨大な多国籍企業を無条件に喜ばせながら拡大しているが、経済自体は不安定で、自由化が必ずしも貧困層に自動的に利益を“もたらす”ようになっていないのも事実である。それにしても国有事業が従業員を酷使し、大気を汚染させ、少なくとも私企業と同程度に巧みに公衆を利用していることは、実例に照らして論争の余地はない。国有事業の多くは、非効率そのものであり、腐敗と欲の汚水だめのようになっている。そして、事業運営の欠陥のせいで、しばしば巨大な闇市が人を多く集めて繁栄し、国の存在そのものをおびやかしているのである。 
しかし、なかでも最悪で、もっとも皮肉なのは、技術開発の分野で先端をゆくという約束にもかかわらず、国有事業がほとんど例外なく、いち様に反動的になっているのだ。もっとも官僚的で、組織や機能の再編にもっとも緩慢で、消費者のニーズの変化への適応にもっとも気乗りせず、市民への情報提供をもっとも恐れ、もっとも遅れて先進技術を取り入れるといった具合なのである。
一世紀以上ものあいだ、社会主義者と資本主義擁護者とのあいだでは、公共所有と私的所有をめぐって激しい論争がつづいた。多くの人びとがこの問題で文字通り、命を賭けさえした。この戦いが、新しい富創出システムの出現により、完全に時代遅れになろうとは、どちらの側も想像しなかっただろう。
 しかし、まさにそうした事態が現実に生じたのである。いまやもっとも価値の高い所有形態は、無形のものとなった。それはスーパー・シンボリックなものとなったのである。知識が、それである。知識は多数の人たちが同時に利用できて、それによって富を創り出すことができ、知識そのものをふやすことさえできる。工場や土地と違い、知識はどう使おうと、使い減りしない。

左巻きネジはどれだけ必要か
 社会主義の理論的殿堂の二本目の柱は、計画経済である。市場の混沌に経済を委ねる代わりに、頭を絞って計画を練り、それを上から下へおろす計画経済は、資源を重要分野に集中でき、技術的発展を加速できるはずだった。
 しかし、知識に依存する計画経済は、そのじつ、早くも1920年代、オーストリア学派の経済学者、ルードヴィヒ・ミーゼスが指摘したように、知識に欠けていた。彼の言葉を借りれば、“計算の困難さ”であり、それが社会主義のアキレス腱であった。
 どんなサイズの靴が何足、イルクーツクの工場で造るべきか。左巻きネジはどれだけ造り、紙の品質はどれくらいにし、キャブレターとキュウリの価格差を、どうするか。何千何万種類の生産ラインの生産段階に、どれほどのルーブル、ズロチ、元を投資すべきか。
 熱心な社会主義者の計画経済担当者は何世代も、この知識上の難問に必死に取り組んだ。彼らはもっと多くのデータを要求し、もっと多くの虚偽の報告を手にした。彼らは官僚主義を強化した。競争市場から得られる需給の目安がないため、彼らは経済をマネーではなく、労働時間で計ろうとし、あるいは種類の多少で数えようとした。後になると、計量経済のモデルや投入量・産出量の分析を試みた。
 何をやっても駄目だった。情報がふえればふえるほど、問題は複雑化し、経済は混乱の度を加えた。そしてロシア革命からまるまる四分の三世紀たってソ連の国家シンボルはハンマーと鎌でなく、消費者の行列となってしまったのである。
 今日では、社会主義国と旧社会主義国のすべてで、市場経済導入レースがはじまっている。方法はまちまちだし、職場を失った労働者に対する救済策も定まっていない。だが、それでも、いまや需給関係で価格を(少なくともある範囲内で)決めれば、中央計画経済では得られなかったもの(つまり経済が必要とし求めているものと、そうでないものとを示す価格指標)が手に入るということを、社会主義改革者たちはほぼ例外なく認識している。しかし、こうした価格指標の必要性をめぐる経済学者同士の議論のなかで見過ごされているのは、いったんこうした制度が導入されると、コミュニケーション・システムに根本的な変化が起こり、コミュニケーション・システムに変化が起こると大規模なパワーシフトがはじまるということである。計画経済と市場経済とのあいだのもっとも重要なちがいは、前者では情報が垂直に流れるのに対して、後者の市場では水平または斜めの情報の流れが多くなり、どの段階であれ買う者と売る者とがその情報を交換し合うことだ。
 この変化は、単に経済計画省および事業経営にあたるマネジメントを脅かすに留まらず、何百万という多数の一般官僚をも震え上がらせる。彼らの唯一の力の拠りどころは、中央への報告という情報管理にあるからだ。
 新しい富の創出法は、知識を多量に必要とし、情報とコミュニケーションもまた多量に必要とするから、計画経済では完全にお手上げなのである。スーパー・シンボリック経済の勃興は、かくて社会主義原理の第二の柱とも衝突する。

歴史の屑入れ
 社会主義で崩壊しつつある第三の柱は、ハードウェアに対する行き過ぎた強調、つまり、煙突型産業経済への完全なのめりこみと、農業および頭脳労働の蔑視である。
 1917年の革命後、ソ連は必要とする製鉄所、ダム、自動車製造工場などの建設資金が不足した。そこで指導者は経済学者、E・A・プレオブラゼンスキーが提唱した“社会主義的初期蓄積”という理論に飛びついた。この理論は、農民の生活からしぼりとれるだけしぼりとって、それで浮いたものを集めれば、必要資本は賄えるというものである。やがて、このカネで重工業を建設し、労働者を働かせることができるものだとした。
 中国が今日いうところのこうした“工業偏重”の結果、農業分野は社会主義国の大半で救いがたい状況に陥り、それはいまもつづいている。表現を変えれば、社会主義諸国は第一の波の犠牲のうえに第二の波の戦略を追求したのである。
 そのうえに社会主義者たちは、サービス関係とホワイトカラーの仕事も誹謗した。なぜならば社会主義のゴールはどこにあっても可及的速やかに工業化を果たすことであり、栄光を担うのは筋肉労働だったからである。このひろく行き渡った、筋力偏重の考え方は、消費より生産を、消費財より資本財をという極度の偏向と強く結びついた。
 マルクス主義者の主流は判で押したように、唯物論的見解をもちつづけた。アイデア、情報、芸術、文化、法律、理論など、頭脳の生み出す無形の産物は、いわば社会の経済的基盤の上に漂う“上部構造”の単なる一部に過ぎないとされた。両者の間にはある種のフィードバックがあることは認めながらも、上部構造を決めるのは基盤のほうであって、その逆ではなかった。この見解に異議を差し挟むものは“観念論者”とのレッテルを貼られたが、このレッテルを貼られることは時にきわめて大きな危険を意味した。
 ただし、社会は機械でもなく、コンピュータでもないから、簡単にハードウェアとソフトウェアとか、下部構造と上部構造というように区分けするわけにはいかない。社会をよりよく例えてみるなら、それは多数の要素がきわめて複雑に絡み合い、つねに変化しつつあるフィードバックグループだといえよう。その複雑性が増すにつれ、知識は、社会が経済的にも生態学的にも生き残るために、ますます欠かせない要素となってくる。
 要するに世界の社会主義は、無数の原材料が主要な要素となる第三の波型の経済の出現に、為す術を知らずというのが実態である。社会主義にとって、未来との衝突は致命的なものだったのだ。
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この章は、前著「パワーシフト第31章 未来と社会主義との衝突」で著している部分を再度、加筆してまとめている。パワーシフト1991.10.18発行 P.588~P.601扶桑社刊
第31章 未来と社会主義との衝突(以下五項目)
破局点、前時代的人工頭脳、所有権パラドックス、左巻ネジはどれだけ必要か、歴史の屑入れ