アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第三の波の政治 001

2011年08月04日 17時18分19秒 | 第三の波の政治

はじめに~、序文 二十一世紀に向けての市民ガイド、とトフラー夫妻とギングリッチ氏がコメントを書いているが、この内容、1995年であるにもかかわらず、現在(2011年)読んでみても、実に的確な示唆を含んでいると思いませんか?

アメリカのデフォルト(債務不履行)回避から、今の日本国内の状況、東日本大震災があったから、景気が低迷しているのではなく、歴史的事実を認識せず回避ばかり(黙殺・否定・昔への回帰思考)してきたから、こんな結末になってきているのではないかと。まさにトフラーが言う『それをなしえぬ者は、ただ歴史の配水管を渦巻きながら流れ落ちていくだけなのだ。』となってしまうのか。日本の政権与党も、昔与党、どうしょうもない野党(結果、野党根性で何もしない出来ない血税ダニ)も、これからどうするのか、まさに存在が問われている時になったのです。民主主義の真骨頂、議会制議員のみなさん、血税ダニと言われないよう努力してください。

 ギングリッチ氏の序文コメントは、さらにわかりやすく強烈な指摘をしています。特に軍事関係のことを縷々書いています。これは、時間があれば『アルビン・トフラーの戦争と平和』(1993年1月刊行)をこのブログで紹介しようと思いますが、昔、孫子の兵法(オペレーション・リサーチ)勉強会で面談した方とずいぶん、未来学と戦争論を語ったことと同一次元でした。GPSや高性能な画像処理、そして次々に発明される最新兵器、昔の軍隊行進で兵馬に跨り突進していく者と、ひとりで連射機関銃を発砲して数百人分の役目(殺人)を果たす者、また原子爆弾によって、ひとつの発明・発見が数万人を一瞬にして地上から消し去ることができる(殺人)事例は、軍事における倫理観や教義を整えるために、しっかりとまとめておかなければならないことです。それを歴史的な考察から、第三の波の軍隊として捉えて、理論化していることが優れている個所です。
 昔のフルメタルジャケットのように、洗脳教育による軍人の管理は不可能になり、多様な価値観と多様な認識を認めた上で、歴史から展開していく手法に脱帽した記憶があります。

 記憶と記録、ちょっとトフラーから離れますが、広島原爆の日も近く、このサイトを見てください。

http://hiroshima.mapping.jp/  ヒロシマ アーカイブ

このサイトを作成しているのは、首都大学 東京

http://labo.wtnv.jp/ 渡邊英徳研究室

すごい!わたしは、評価しています。記憶と記録をグーグル地図に合体し、網羅している。
これに、歴史スケールを立体視させたら、もっとすごいと思いますが、頑張ってくださ~い。

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The politics of the 3rd wave Aiming at a new civilization
第三の波の政治 -新しい文明をめざして-
アルビン・トフラー ハイジ・トフラー著 徳山二郎 訳
1995.7.7発行

はじめに

 アメリカが多くの深刻な問題をこれほどまでに抱え込んだ時代は、かつてなかった。家族制度をはじめ、保健制度、都市体系、価値体系が揺らいでいる。また、事実上国民の信頼を失った政治システムは、とりわけ、大きな危機にさらされている。これらの問題を含む数々の危機が、歴史のほぼ同時期にアメリカを襲っているのはなぜか。アメリカは断末魔の苦しみを味わっているのだろうか。私たちアメリカ人は「歴史の終焉」を迎えようとしているのだろうか。

 本書は、こうした状況を独自の視点から捉え直す。そこでは、いまアメリカの直面している危機が、国家の破綻からではなく、過去の成果から生じたものであること、そして、わたしたちは歴史の終焉ではなく、「前史」の終焉を迎えようとしているのだということが論じられるであろう。

 1970年以降 -私どもが『未来の衝撃』のなかで「産業社会の全般的危機」という概念を導入したのが、その年だった- 、わが国の煙突型工業は、おびただしい数の肉体労働者を解雇してきた。また、『未来の衝撃』の予見に違わず、家族の構造的な解体やメディアの非マス化が進み、国民のライフスタイルと価値観も多様化した。いまやアメリカは、完全に様変わりしたのである。その結果、旧態依然とした政治分析も、すべて用をなさなくなった。「右翼」とか「左翼」、あるいは「リベラル」とか「保守派」といったような言葉が、従来の意味を失ってしまったのである。今日、ロシアの政治を語るとき、私たちは共産主義者を「保守派」と呼び、改革派を「急進派」と呼ぶ。また、アメリカでも、経済面でリベラルな考えをもつ人びとが、社会的には保守派であったりすることがあるし、逆に社会的保守派が経済的リベラリストである場合もある。NAFTAに反対すべく、「左翼」のラルフ・ネーダーと「右翼」のパット・ブキャナンが手を組む時代なのだ。

 だが、それにもまして衝撃的であり、かつ意味深いのは、政治権力が、正規の政治機構 -米国議会、ホワイトハウス、行政機関、政党など- の手を離れ、パソコン・ネットワークをもつ市民グループやメディアのもとへと移行しつつあることである。
 以上の事態をはじめとする、アメリカの政治における大規模な変動は、単に政治的な側面からのみ説明できるものではない。それらは、やはり本質的な変化を遂げつつある家庭生活、企業、科学技術、文化、それに価値観の問題とも絡み合っている。急速に変化し、幻想が破られ、さらには近親憎悪に近い争いが社会的に噴出するこの時代にあって、なお政治を行うには、二十一世紀に向けての一貫した方針が確立されなければならない。本書は、変化に即応できる、強力にして斬新は枠組みを提示する。この枠組みを理解すれば、今後生ずるであろう、さらに大きな変化に処するための手段 -変化に翻訳されることなく、逆に私たち自身が変化の方向を定める手立て- を講じることが可能になるだろう。

 今日の変化の際立った特徴は、その速度にある。物事の流れが速く、加速化があらゆるものに作用している。どうやら、書物の運命でさえ例外ではない。

 本書がプログレイス&フリーダム協会から限定教育版としてはじめて出版されたのは、1994年10月だが、それからわずかひと月ほどして、ニュート・ギングリッチが下院議長に選出された。彼の登場は大センセーションを巻き起こすと同時に、新聞の一面やテレビを通して、この本の存在をアメリカ国民に強く印象づけることになった。ギングリッチは、私たちに序文を寄せてくれただけでなく、本書を、議員ならびに国民向けの「推薦図書」として、ハミルトンらの『ザ・フェデラリスト』やトクヴィルの著作を含む政治思想分野の古典とともにリストアップしている。
 加えて、彼は、演説や記者会見のたびに、私どもが1980年に発表した『第三の波』-本書のなかの二つの章は、そこから抄出した- を取り上げ、「われわれの時代を画する作品の一つ」と評してきた。

 ギングリッチの議長就任と当書の出現は、報道関係者のあいだに先例のない騒ぎをひき起こした。彼らは、私たちとギングリッチの交友に関する情報を得ようと躍起になっているのだ。要するに、これまで私たちが公にしてきた政治的見解の多くは、ギングリッチのそれとは相容れないのだった。したがって、私たちのような未来主義者が、ギングリッチのような保守派の政治家と関係をもっているのは、なんとも奇妙だ、と記者たちは繰り返して言うのである。だが、保守派は皆、過去に戻りたがっているのだろうか。必ずしもそうではないことは、それほど単純ではないのだ。
 ギングリッチは、なぜ、アメリカ国民に私どもの本 -学校での礼拝に反対し、妊娠中絶に賛成する著者が執筆したもの- を読むよう薦めるのか。また、私たちは、なぜ、ギングリッチと彼の妻マリアンヌの個人的な友であることを誇りに思っているのか。そうした疑問を抱いている人びとは、この短い前書きから、そのわけを十分につかみとることができるだろう。

 私たちが、ニュート・ギングリッチにはじめて出会ったから、ほぼ四半世紀になる。『未来の衝撃』の発表後まもない1970年のある日、私たちは、シカゴで開かれた教育会議の場で講演を行った。そのとき、長髪でプレスリー風のもみあげをした若い大学助教授が、私たちの話を聞きにジョージアから駆けつけていた。それがギングリッチだった。彼は、私たちの本に感動したと言いながら、自己紹介をした。この出会いは、彼が始めて下院選に立候補する何年か前のことである。
 1975年、民主党議員の要請を受けた私たちは、上下両院から議員を集めて、未来主義と「予期的民主主義」をテーマとする会議を開いた。そのさい、私たちはギングリッチを招待したが、当時私たちの知っていた多くの未来主義者のなかで共和党に属していたのは、彼ひとりだったと思う。彼は、招待に応じ会議に参加した。
 この会議の結果、「未来に関する情報センター」という院内会派が生まれた。そして、その会派の共同議長を務めたのが若き上院議員アル・ゴアだった。もちろん、現在、副大統領の座にあり、情報インフラの必要性を国家的課題として取り上げている男である。

 私たち夫婦は、25年にわたり、ギングリッチ夫妻との個人的な友交を深めてきた。私たちは、個別の政治問題に限らず、社会理論、哲学、世界の出来事、そして未来のことなど、数多くのテーマについて際限なく語り合った。議論が熱くなりすぎたのに気づき、皆で、思わず吹き出してしまうこともよくあった。マスコミは、ギングリッチを風刺して保守派のサヴォナローラだという。だが、彼は狂信者ではない。彼には、狂信者にはみられない鋭敏なユーモア感覚が備わっている。
 ギングリッチ夫妻と私たちは、個人的には温情に満ちた関係にある反面、広域に及ぶ問題を話し合うさいには、容赦なく意見をぶつけ合う。ニュートの関心は、宇宙計画、恐竜、若い地方検事の日々の苦労、学習理論、軍事史、ハリウッド映画など、ありとあらゆる物事に向けられており、とりわけ政治のこととなると尽きることがない。そんなわけだから、議論のネタはたっぷりある。しかも、意見が必ずしも一致するわけではないのに、議論を重ねるたびに、私たち四人の思考力は研ぎ澄まされていくのである。

 かつてニュートは、私たちに -ほかの人たちにも話しているとは思うが- 「あなた方は、私の意見の八割には簡単に同意するかもしれないが、残りの二割はひどく嫌うはずだ」と言ったことがある。振り返ってみると、実際には、その割合は、時に応じて激しく変化してきた。
 私たちは、ギングリッチがアメリカ政界随一の頭脳の持ち主で、しかももっとも出世した知識人である、などとはいわない。だが、それでも、彼がきわめて稀な政治家の一人であることに変わりはない。ギングリッチは、大学教授時代にヨーロッパ史と環境学を専門いとしていただけに、長期的な時の流れのなかで物事を考え、演説に「文明」とか「革命」といった言葉を持ち込む。ただし、彼は、過去にしか目を向けない大方の歴史家や次の選挙より先は見越せない政治家たちとは違い、まさしく -彼自身が称しているように- 革命的かつ保守的未来派なのだ。未来派である彼は、三、四十年先を睨みならが戦略的に思考する。目前の戦略的な闘争に取り組むときでも、その姿勢は崩れない。
 したがって、選挙人であれ、市民であれ、あるいは報道記者や政治家であれ、ギングリッチを一介の「政治屋」にすぎないと思っている人は、断片しか伝えないニュース報道が歪めた、彼のイメージにとらわれているにすぎない。彼の考えが気に入ろうが入るまいが(または彼が放言をして翌日謝罪することがあろうがなかろうが)、本当の彼は、己のなすべきことと来世紀の最初の四半世紀にアメリカがたどりつくべき場所を、じっくり時間をかけながら懸命に模索しているのである。

 『第三の波の政治』の著者として、私たちは、自分たちが共和党支持者でも民主党支持者でもないことを、あらかじめはっきりと述べておきたい。だからこそ、私たちは、時にギングリッチに助言を求めもするし、また一方では、議会の民主党指導部が私たちの思想に改めて興味を示しはじめたことを知り、心から喜びもするのだ。彼らは、最近の中間選挙のあと、私たち夫婦を招き第三の波の政治的意味について話し合うべく、この本を内部に配った。もちろん、彼らは、私たちとギングリッチの長年にわたる交友を知っている。ニュートも、私たちが民主党の人びとと話し合うことになったと聞いたときには、「それは素晴らしい」と喜んでいた。要するに、未来は、一党派だけのものではないのである。

 なぜ私たちは、アメリカの政治が再び一大飛躍を遂げるべき時がきたと考えているのか。この短い本を読めば、その理由が明らかになるだろう。いま重要なのは、民主党か共和党かとか、左派か右派かとか、あるいはリベラルか保守派かといった問題ではない。必要なのは、廃れていく過去の保存と復活を願い、その延命工作に走る政治家と、「第三の波」の情報化社会への移行準備をすでに整えている政治家とを峻別することなのだ。

 世界規模での競争が行われているかぎり、私たちが、大量生産時代の画一性、同質性、官僚主義、そしてハードウェア中心の経済へと逆戻りすることはありえない。しかも、第三の波は、単に科学技術と経済にのみ関わる問題ではない。そこには、倫理、文化、思想の問題も含まれれば、制度や政治機構の問題も含まれる。要するに、第三の波という概念は、人類の営みが本質的に変貌することを含意しているのである。

 産業革命の結果、既成の政治機構の多くが時代に適応できずに消滅していったが、情報革命とそれが引き起こす第三の波の変化も、アメリカをはじめとする多くの国に、まさに同様の結果をもたらすであろう。政党ないしは政治運動が生き残り、新しい世代のために未来の構想を築き上げていくには、この歴史的事実を認識しなければならない。それをなしえぬ者は、ただ歴史の配水管を渦巻きながら流れ落ちていくだけなのだ。
   1995年1月                     アルビン・トフラー
                                ハイジ・トフラー 



序  文   二十一世紀に向けての市民ガイド

ニュート・ギングリッチ

 1990年代に入って以来、歴史的規模での変化の波が世界の政治を揺るがしてきた。ソビエト「帝国」が崩壊したのを皮切りに、イタリアでは戦後政治体制が瓦解し、カナダでは、1993年の総選挙で政権党が事実上消滅した(進歩保守党は153議席からわずか2議席まで後退した)。日本でも、40年にわたり政権を独占してきた自由民主党がその座から転落、それを契機に新たな改革への動きが生まれている。またアメリカでは、ロス・ペローの登場により、「United We Stand(団結して立ち上がろう)」運動が盛り上がりを見せたし、1994年の選挙では民主党が大敗した。以上の例を見てもわかるように、政治上の、驚くべき変化が次から次へと起きているのである。

 政治家も、コラムニストや学者たちも、この変化の規模には大いに戸惑っているように思われる。こうした状況のなかでは、いきおい、権勢をふるってきた側の苦悩や混乱に注意が向けられがちになる。過去の苦しみが、未来の約束よりも重く感じられてしまうのだ。これは、いまにはじまったことではない。ホイジンガが、名著『中世の秋』のなかで、ルネサンス時代を取り上げ指摘したように、われわれが歴史を振り返りながら、輝かしい、波瀾に満ちた変革の一時期としてイメージする時代も、当時の人びとには、既存の秩序が崩壊していく、そら恐ろしい時代としか思えなかったのである。1850年代にはじまった儒教中国の衰退についても、同様のことがいえる。清帝国の弱体化は、生産的にして、自由な未来への第一歩と考えられるよりも、むしろ秩序と安定の危機と見なされた。

 トフラー夫妻がわれわれに与えてくれたのは、現在の混沌とした状況を、躍動する未来の視点から前向きに捉え直すための鍵である。彼らは、この四半世紀、未来について語りつつ示唆に富む意見を発表してきた。最初のベストセラー -『未来の衝撃』(1970年)- の題名は、われわれが体験している大規模な変動を象徴する言葉として世界中で使われた(この本の販売部数は、人口との割合でいえば、アメリカよりも日本のようが多かったといえる)。『未来の衝撃』は、いたるところで人びとを惑わせながら、変化の加速度に対する注意を喚起し、それが、多くの場合、どのように個人、企業、地域社会、および行政機関を混乱させているかを明らかにした。
 『未来の衝撃』一冊だけでも、トフラー夫妻は、人類の状況を論ずる優れた批評家としての地位を確立していたであろう。ところが、彼らは、つづく大作『第三の波』を発表することにより、現代の理解にさらに貢献したのである。『第三の波』は、単なる現状分析にとどまらず、予想される未来の枠組みをも提示した。トフラー夫妻は、情報革命を歴史的視点から捉え、かつて二つの大変動をもたらした農業革命および産業革命と比較した。彼らが論じたのは、現代は史上三つ目の変化の大波にさらされているということであり、その結果、われわれは新文明創出の過程に立ち至っているということだった。

 トフラー夫妻は、情報の開発と分配が、いまや人類の生産活動と政治活動の中枢をなしていることを正確に把握した。世界金融市場の動きをはじめ、CNNが全世界に向けて行っている一日二十四時間のニュース配給とか、生物学上の革命的飛躍とそれが人体や農業生産に及ぼす影響などを見るにつけ、ほとんどありとあらゆる分野の最前線における情報革命が、われわれの生活の構造とペースと本質を変えようとしているのがわかる。
 『第三の波』は、そうした変化を明確に捉えていたからこそ、中国、日本、シンガポールなど急成長過程にある地域の指導者たちに強い影響を与え、現在、彼らをしてハイテクを利用した情報集約的な開発へと向かわせているのである。アメリカ国内でも、多くの実業家がこの本の影響を受け、二十一世紀に備えるべく企業のリストラに取り組んできた。

 第三の波の原理が実地に適用され、きわめて重要な成果を上げた例の一つに、軍事理論の開発がある。米国陸軍訓練教義司令部(TRADOC)の司令官だったドン・スターリー将軍は、1980年代のはじめに『第三の波』を読み、トフラー夫妻の未来分析は正しいと判断した。その結果、夫妻は、司令部があるフォート・モンローに招待され、陸軍で教義開発に携わっている人びとと第三の波の原理について意見を交わすことになった。夫妻は、近著『戦争と平和』のなかで、この原理を鮮やかに論述している。1979年から82年にかけて進められた陸軍教義の開発に、第三の波の情報革命というコンセプトがどれほど強い影響を及ぼしたかを、私はよく知っている。というのも、当時、新米議員だった私は、スターリー将軍やいまは亡きモレィリ将軍とともに、多くの時間をかけ、のちに空・陸部隊統合戦術(Air/Land Battle)へと発展するコンセプトの開発に取り組んでいたからである。
 新しい陸軍教義は、従来よりも柔軟かつ迅速に機能する、指揮系統の分散化した情報集約型システムを生み出した。戦場を査定したのち、兵力を集中し、十分鍛えられていると同時に分散化した指揮力を活かして産業時代型の敵を圧倒するのが、このシステムの狙いだった。
 1991年に、世界は、第三の波の軍隊システムと古色蒼然たる第二の波の軍隊組織とのあいだではじめて交わされた戦闘を目撃した。「砂漠の嵐」作戦により、米軍をはじめとする多国籍軍はイラク軍を一方的に殲滅したが、これは主として、第三の波のシステムが圧倒的優位を占めたことによる。第二の波の高性能対空システムも第三の波のステルス爆撃機に対しては用をなさないことが明らかになったし、塹壕に閉じこもった、第二の波の軍隊も、目標補足や後方支援を受け持つ、第三の波の情報システムに完全に翻弄され、全滅した。戦闘の結果は、第一の波のマフディ軍が第二の波のイギリス・エジプト連合軍に粉砕された、1898年のオムドゥルマンの戦い同様、明々白々たるものだった。

 政治、経済、社会、軍事の各面で、本質的に新しい事態が生じていることが実証されているにもかかわらず、トフラー夫妻が洞察してきたことの重要性を正しく認識している人は、いまもって、驚くほど少ない。アメリカでは、政治家にしても、あるいは報道記者や編集委員にしても、そのほとんどが、『第三の波』のいわんとするところを無視してきた。したがって、第三の波という、人類規模での変動に関わるコンセプトを、政策や政治行動
ないしは行政に組み込もうとする努力が計画的に試みられることなどは、まったくなかったといっていい。このようにトフラーの第三の波の原理を適用できなかったがために、わが国の政治は、挫折感、懐疑主義、シニシズム、さらには絶望が入り混じった状況のなかで、身動きがとれなくなっているのである。
 
世界中で現に起こっている変化と依然停滞したままの政治行政とのあいだに生じたズレは、現代の政治システムの構造そのものを徐々に蝕みつつある。ほぼあらゆる産業国家の政治行政が挫折と混乱を繰り返さざるをえなくなっているのは、そのためなのだ。こうした状況を総合的に理解するための効果的な分析方法は、第三の波というコンセプトをおいてほかにはない。このコンセプトだけが、いま直面している問題を語り合うための言葉をわれわれに与え、向かうべき未来のビジョンを描き出し、しかもそこへの移行をより速やかに、かつ容易にするための計画を提示してくれるのである。

 未来への移行という問題が浮上したのは、大分以前のことである。私がはじめてトフラー夫妻と組んで、「予期的民主主義」というコンセプトに取り組みだしたのは、1970年代のはじめだった。当時、ウェスト・ジョージア大学の若い助教授だった私は、歴史と未来が交わるところにこそ、最良の政治の本質がある、という考えに魅了された。以後、われわれ三人は二十年にわたり、未来指向型の政治の創出を促すと同時に、それに対する国民の理解を高めるべく努力を重ねてきた。そうすることにより、アメリカは、明らかに廃れつつある第二の波の文明から第三の波の文明 - 姿を見せはじめているが、不確定な部分が多く、十分に把握されていない - へと移行しやすくなるだろうと考えたのである。

 この創出過程は、二十年前の私には想像もできなかったほどに多難であり、その歩みは遅々としている。しかし、いかに挫折を繰り返そうとも、第三の波の政治システムの創出が、自由な未来、そしてアメリカの未来の根幹に関わる課題であるかぎり、われわれは、この問題への取り組みを放棄するわけにはいかない。
 私は、連邦議会で共和党の指導者の一人として活動しているが、諸問題を解決し、アメリカが第三の波の情報革命に向けて必要な改革を遂行するのを促すことができるのは共和党主導の議会だけだ、などと思っているわけではない。ミルウォーキィーのノークウィストやフィラデルフィアのレンデルのように、市政レベルで真に革新的な政策を遂行中の民主党系の市長もいる。また、行政改革を目指すゴア副大統領の施策のいくつか - 及び腰なため、徹底した打開策にはなっていないが - を見ても、向かうべき方向が徐々に定まりつつあることが感じられる。

 民間部門での改革は、当然のことながら、日々進められている。企業家や市民が新しいものを作り出し、新しい解決策を見い出しつつあるのは、彼らが官僚主義の制約をうけていないせいだ。
 1995年1月5日、ついにアメリカ民主主義に第三の波が押し寄せた。米国議会図書館のオンライン・システム「トマス」が開通したことにより、市民は誰でも、議事録や委員会報告書など、議会に関する資料を入手することができるようになったのである。最初の四日間に「トマス」を利用した人の数は二万八千人で、引き出された資料の数は十七万五千百三十二部に上った。平均値をみると、なんと、議会図書館の一週間の利用者数を上回る数の人びとが、二十四時間のあいだに「トマス」を利用したことになる。
 「トマス」の場合同様、この本の目的は、一般市民に、第三の波の文明を創出すべく真の飛躍を遂げるための力を与えることにある。読者は、トフラー夫妻が大いなる変革に向けて書き記した書に目を通し、有用と思われる個所をしっかりと頭に入れたのち、自らの生活圏のなかでめぐり合った同じ志をもつ人たちとともに、何らかのささやかな計画に着手してみるといい。おそらく、数年後には、その成果に驚くことになるはずだ。
 
    1995年1月