アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第三の波の政治 003

2011年08月09日 09時10分52秒 | 第三の波の政治
第2章「文明の衝突」を添付します。

文明の衝突は、「戦争と平和」(1993年1月刊)でも取り上げている内容で、“第一部第3章 諸文明の衝突”の中で同様の視点で論及されています。云く『明日の時代の戦争の形態は、三つの生活様式がぶつかり合う中で決定されるだろう。現代のメディアが、民主主義や、市場経済や、民族独立の世界的広まりについて云々している間にも、はるかに深いところで何かが起こりつつある。・・・』と提起。これを補う形で、中核的紛争、非マス化社会と分けて本書の第2章がまとめられているようです。
富の未来でも三つの生活様式を象徴する物(人が手にする象徴)を『乱暴にいえば、鍬(第一の波=農業革命)、アセンブリーライン(第二の波=産業革命)、コンピュータ(第三の波=情報空間・知革命)で振り分けられる』と述べているところがわかりやすくおもしろいところです。
 
 民族紛争や、宗教戦争などとわれわれは、常に別個の事情があって起きている事象だと思いましたが、トフラーは全く異なった視点から、これらを中核的紛争とみているんです。要するに、三つの生活様式(三つの波の結果)がその根本にあり、これが三層になって権力構造が出来ており、その価値観の抗争であると。第三章以降の内容がますますおもしろくなるところです。

さて、前回に引き続き、月刊プレジデント(2011.1.3号)のP.110 大前研一の日本のからくり51『人も国も劣化!無能政権による「最小不幸社会」』を引用しましょう。

(以下抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ日本人は、かくも覇気がなくなったのか

 日本社会の構造変化はさまざまあるものの、先行きが本当に懸念されるのは若い世代の覇気の低下、気合のなさである。“草食化”などと茶化されているが、これは相当に深刻だ。
 日米中韓の四カ国の高校生を対象にしたあるアンケート調査では、日本の若者の“意欲”の低さが浮き彫りになった。たとえば「生活意識」について。日本「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」、米国「一生に何回かはデカイことに挑戦してみたい」、中国「やりたいことにいくら困難があっても挑戦してみたい」、韓国「大きな組織の中で自分の力を発揮したい」、

次に「偉くなることについて」。
日本「責任が重くなる、自分の時間がなくなる」、米国「自分の能力をより発揮できる」、中国「自分の能力をより発揮できる」、韓国「周りに尊敬される、自分の能力をより発揮される」と答、
さらに「偉くなりたいか?」との問いに、「そう思う、強くそう思う」と答えたのは米国22.3%、中国34.4%、韓国22.9%、日本8.0%。
(中略)
諸悪の根源は「競争させない教育」
 ~アンビションのなさと、ゆとり教育のおかげでしゃかりきに勉強しなくなった弊害は、今後重くのしかかってくるだろう。~わが日本国内だけは「最小不幸社会」などと意味不明なスローガンを掲げて、内定がもらえない大卒者を税金で助けてまで落伍者の出ない夢のような共産主義社会をつくろうとしている。~今の状況では制度から見ても、人材から見ても世界的な競争を生き残れるはずがない。

・・・・・・・・・・

この大前研一氏の言は賛同します。20代ばかりでなく、40代~50代でも同じような感覚(競争しない社会・マイノリティーを認識しない社会)を自負して、何かよくわからない言動をしている方々が多いです。草食系とか肉食系とか、ヘンな表現をしていますが、人間は動物の一種であり、雑食であり、社会的欲求から生理的欲求までを持ち合わせた生き物です。ただ生物として生きるのであれば、それは植物に似て、光合成でもしているんでしょうか?

トフラ-流に言えば、『豊かな国では、知識集約型経済によって奇妙な現象があらわれている。何千万人もの中産階級の知識労働者が毎日何キロにも走るか、スポーツ・ジムや家庭でトレーニングをし、汗を流し疲れ果て肩で息をし、それが終われば、運動はいいと喜んでいるのだが、重要な点をひとつ忘れている。経済的に恵まれているからこそ、どういう運動をするのかを自分が選べる事実を忘れているのだ。世界各地の肉体労働者は、農民であれ工場労働者であれ、食べていくために汗を流しているのであり、選択の余地はほとんどない』と。これが現実です。
呑気に植物の真似が出来るのも、豊かな日本という社会に居るから出来ることなのではないかと。

『天候と地主に泣かされながら黙々と農業を続けている人や、組み立てラインの付属物のような立場で働き続けている人なら、こうした労働がいかに非人間的になりうるかを知っている。』、このような労働をする者に「覇気」・「競争心」や「落伍者」・「不幸社会」などという言葉は必要なく、すべてを包括して黙々と汗を流すしかないです。

・・・・・・・・・・(以下トフラー本文)・・・・・・・・・・

第2章 文明の衝突
産業主義文明が終焉に近づきつつあることを、人びとはいまようやく意識しはじめている。その解体 -私たちが『未来の衝撃』のなかで「産業社会の全般的危機」について述べた1970年時点で、すでに明らかになっていたー が進むにつれ、戦争が、しかも新しいかたちで、これまで以上に頻発する危険性が出てきたのである。
大規模な社会変動は、対立するもの同士の衝突を必然的に伴う。それゆえ、歴史を変化の「波」として捉える見方には、「脱近代」への移行をめぐる単なる空論にはない力と意味がある。波は絶えず流動する。波と波とがぶつかれば、激しい逆流が生じる。歴史の波が衝突するときには、文明同士もまた衝突する。そしてその結果、それまでは、社会にとって無意味で、とりとめがないと思われていた多くの物事が新たな意味を帯びてくる。

「波」の動きを基底に据えた紛争の論理に従えば、私たちが直面している主要な紛争は、イスラム世界と欧米との対立でもなければ、サミュエル・ハンチントンが最近主張しているような「欧米対非欧米」の戦いでもない。また、アメリカは、ポール・ケネディがいうように衰退しているわけではないし、フランシス・フクヤマがいうように「歴史の終焉」を迎えているわけでもない。もっとも深いところで進行中の、経済および戦略に関わる文化は、世界が、衝突の可能性を秘めた、本質的に異なる三つの文明、しかも従来の定義では明確に区分できない三つの文明へと分割されようとしていることなのである。
第一の波の文明は、昔も今も、大地と切り離せない関係にある。地域により形態がちがっていても、また言語や宗教・信仰が異なっていても、それが農業革命の産物であることに変わりはない。この文明のなかでは、いまでも大勢の人びとが、何世紀も前の祖先同様、痩せた土地を掘り返しながら生活し、そして死んでいく。
第二の波の文明の起源については、諸説がある。しかし、多くの人びとの生活に根本的な変化が生じた時期を、おおよそ三百年前とすることに異論はあるまい。それは、ニュートンの学説が生まれた時代である。また、蒸気機関の実用化に伴い、イギリス、フランス、イタリアの各地で初期の工場が急激に増え出した時代でもある。農民は都市への移動を開始した。大胆な思潮も生まれた。進歩という観念、個人の権利に関する耳新しい理論、ルソー風の社会契約説、非宗教主義、政教分離論、さらには指導者は神権によってではなく人民の意思により選ばれるべきだとする斬新な思想などが人びとのあいだにひろまりはじめたのである。

こうした変化の多くを強く促したのは、富を創出するための新たな方法、すなわち工場生産だった。そして、ほどなく大量生産、大量消費、大衆教育、マスメディアなどをはじめとする、さまざまな要素を結合することにより、一つのシステムが形成され、それを学校、企業、政党などの専門機関が支えていく体制が出来上がった。家族の構造までもが変化し、数世代が共生する農村風の世帯から、産業社会特有の小規模に分散した核家族へと移行した。
これら多くの変化を体験した人びとは、人生を無秩序なものと感じたにちがいない。だが、実際には、すべての変化は密接なつながりをもっていたのであり、しかもそれらは、のちに近代と呼ばれる
ようになる大量生産型の産業社会、つまり第二の波の文明の成熟期へと向かう最初の数歩にすぎなかったのである。
 
『文明』という言葉は、多くのアメリカ人の耳には仰々しく聞こえるかもしれない。しかし、科学技術、家庭生活、宗教、文化、政治、ビジネス、位階制、指導体制、性道徳、そして認識論などに関わる多種多様な問題を十分に包括できる言葉は、ほかには見当たらない。急速にして激しい変化が、以上列挙した、社会の各分野でいまも起きている。このように多くの社会的、技術的、かつ文化的な領域が一気に変化するとなると、ことは移行などというおとなしいものではなく、一種の変革になる。それは、単なる新たな社会の創出ではなく、まったく新しい文明の幕開けなのだ。
 約三百年前の西洋では、そのような新文明が、一歩前進するたびに激しい抵抗を受けながらも、地響きを立てて歴史のなかに足を踏み入れたのである。

中核的紛争
 産業化しつつある国々では、例外なく、第二の波の商工業に携わる集団と第一の波の地主とのあいだで熾烈な争いが起こり、いく度となく血が流された。地主たちは、多くの場合、自身大地主である教会と組んで戦った。だが、多数の農民は土地を離れ、田園地帯に次から次へと新設される「悪魔の製作所」、すなわち工場で働かざるをえない状況に追い込まれていた。
 ストライキや暴動、そして内乱、国境問題、民族主義的反乱などが一気に噴出したのは、第一の波派と第二の波派の対立から生じた戦いが中核的紛争となり、他のすべての紛争のもとになる緊張を生み出していたからにほかならない。このパターンは、産業化の道を歩む、ほとんどすべての国で再現された。アメリカでは、北部の産業派が南部の農業エリートを打ち破るのに、凄惨な南北戦争が必要とされたし、そのわずか数年後に日本で起きた明治維新も、第二の波の近代派と第一の波の伝統主義者との戦いだった。そして、この戦役でも近代派が圧勝した。
 斬新な富の創出法をもたらす第二の波の文明がひろまったことにより、国家間の関係にも動揺が生じた。権力の空洞化と移行がはじまったのである。
 
大きな第二の変革の波の産物である産業文明がいち早く根を下ろしたのは、広大な大西洋の北岸だった。大西洋の強国は、産業化が進むにつれ、新たな市場と遠隔の地の安価な原料を必要とするよう
になった。かくして、第二の波の列強は植民地獲得のための戦争を推し進め、ついにアジアとアフリカの第一の波の国家や部族を支配するに至るのである。
 この植民地主義戦争も中核的戦争、すなわち第二の波の産業国家と第一の波の農業国家との紛争ではあったが、それまでのものとは規模の点で異なっていた。今回の戦いは、国内規模ではなく、世界規模で繰り広げられ、しかもそれにより、近年に至るまでの世界の構図が基本的に定められたのである。それ以後の戦争は、おおむね、その枠内で戦われた。
 さまざまな原始的農業集団の部族紛争や地域紛争も、それまでの数千年間同様、絶えず勃発した。しかし、狭い意味しかもたないこれらの戦闘は両陣営をただ疲弊させることが多く、その結果弱体化した部族集団は、結局、産業文明化した植民地主義勢力にいともたやすく飲み込まれていった。南アフリカで、セシル・ローズに率いられた軍隊が、原始的な武器で必死にあい争っていた農業部族集団から広大な土地を奪い取ったのも、その一例である。世界のほかの地域でも、一見無関係に思われる戦争が多発しているが、これらも、じつは、いがみ合う国家間の紛争としてではなく、勢力を競い合う二つの文明間の中核的紛争が世界的規模で表面化したものとして捉えなおすことができる。
 だが、まさに産業化時代最大の、そしてもっとも多くの血を流した戦争は、ドイツ、イギリスなどの第二の波の国々が衝突した産業国家間戦争だった。これらの戦争では、それぞれの産業国家が、世界中の第一の波の国々の民衆を配下に従えながら世界の覇権をかけて争ったのである。
 最終的に、世界ははっきりと区分けされた。産業化時代は、世界を、支配勢力としての第二の波の文明国家と、不満をもちながらも従属する多数の第一の波の植民地とに二分したのである。私たち筆者を含む現代人の多くは、このように第一の波と第二の波の文明とに分割された世界で育ったわけだが、そうした者にとっては、どちらの文明が優勢であるかは歴然としていた。
 
しかし、今日の世界の文明構成は、それともちがうかたちになっている。権力の構造が、従来とは完全に異なるものへと加速的に変化しているのだ。そしてその結果、世界は、二つの文明ではなく、それぞれが鍬、アセンブリーライン、そしてコンピュータによって象徴される。三つの、対照的で、かつ敵対し合う文明へと分割されようとしているのである。
 この三分割された世界は、第一の波に属する部門が農産物や鉱業資源を供給し、第二の波の部門が安い労働力を提供して大量生産を行い、そして急速に拡大しつつある第三の波の部門が、知識と情報を開発・利用するための新たな方法を武器に全体を統括するかたちになるだろう。
 第三の波の国々が世界に売るのは、情報と新たな考案、経営知識、大衆文化を含む文化、先進技術、ソフトウェア、教育と技術養成、医療、それに金融をはじめとするサービスなどである。そのようなサービスのなかには、おそらく、第三の波の高度な軍隊による防衛のためのサービスも含まれるはずだ。現にハイテク国家は、湾岸戦争のさいに、クウェートとサウジアラビアにそのようなサービスを供給している。

非マス化社会
 第二の波は、大量生産を必要とすると同時にそれを反映した大衆社会を生み出した。だが、第三の波の、頭脳をベースにした経済活動のなかでは、産業社会の代名詞ともいうべき大量生産は、すでに時代おくれになっている。いまや、少量多種生産 -短期操業による高度注文生産- こそが先端的生産形態なのだ。生産形態の変化に伴い、大量市場も衰退し、市場の細分化とそれにつづく「粒子化」が進む。古い産業型の巨大機構は、自らの重みに耐えかね瓦解寸前の状態である。大量生産部門の労働組合も、規模を縮小している。マスメディアも多様化しており、新しいチャネルがふえるにつれて、大テレビ局の番組は精彩を失いつつある。家族形態も非マス化した。近代の標準形態だった核家族が少数派に転じ、片親家族、再婚夫婦、そして子なし家庭や単身生活者がふえているのである。
 
このように、第三の波の文明の不均一性が第二の波の社会の均一性にとって代わるとき、社会の構造は全面的に変化せざるをえなくなる。すべての分野で、大量化が終わり、非マス化がはじまるのだ。
 
ところで、新しいシステムはきわめて複雑なため、企業、役所、病院、組合組織などの機関はもとより、個人までをも含む各構成単位間の情報交換がますます必要になる。したがって、コンピュータとデジタル通信ネットワーク、それに新たなメディアがフルに活用されることになるだろう。
 それと同時に、科学技術の変化や商取引きのスピードも増すし、日常生活のペースも速まる。実際、第三の波の経済は加速度的に展開するため、そのなかにいる前近代の生産者たちはついていくのがやっとという状態になる。加えて、情報が大量の原料や労働などの資源にとって代わる傾向が強まるにつれ、市場関係を除けば、第三の波の諸国が第一および第二の波のパートナーに依存する度合いは弱まり、それに反比例するかたちで第三の波の国同士の取引きがふえていく。そしてしまいには、高度に資本化された、知識データベースに基づく技術が、労働力の安い国々が現在行っている多くの仕事を引き受け、より迅速に、そしてより低コストで処理していくのである。
 したがって、これらの変化により、富める経済と貧しい経済とのつながりが断ち切られる恐れがあるという見方も成り立つ。
 だが、完全な分離はありえない。なぜなら、汚染、病気、移民などが、否応なしに第三の波の諸国の国境を越え、入り込んでくるからだ。また、かりに貧しい国が、全世界を害するべく環境戦争を仕掛けてきた場合には、富める国といえでも生き残ることはできない。こうした理由から、第三の波の文明と他の二つの古い文明とのあいだには、絶えず緊張が生じるだろう。したがって、かつて第二の波の近代国家が第一の波の前近代社会を相手に行ったのと同様に、新たな文明が、世界の覇権を確立するための戦いに乗り出すことは十分に考えられる。
 
文明の衝突という概念を把握することは、一見奇妙に見える多くの現象 -例えば、今日激化している民族紛争- を理解するうえでの助けになる。民族主義は、産業革命の結果生まれた国民国家のイデオロギーにほかならない。それゆえ、産業化の過程にある第一の波の農業社会は、国家という衣装を強く求める。ウクライナ、エストニア、それにグルジアなど、民族の自決を主張した旧ソ連の共和国が、昨日まで近代国家の証しとなっていたもの -つまり、第二の波の産業化時代に国民国家の象徴となっていた国旗、軍隊、通貨- を求めたのも、そうした理由による。
 ハイテク世界に住む多くの人間にとって、超国家主義者の動きを理解するのは難しい。彼らの過熱した愛国心には、思わず吹き出したくなる。マルクス兄弟の映画『ダック・スープ』に出てくる不リードニアという国を思い出してしまうのだ。この映画は、交戦状態にある二つの架空の国が互いに抱いている民族的優越意識の愚かさを揶揄したものだった。

 一方、民族主義者にすれば、尊ぶべき自主独立を他国に侵されながら、どうして黙っていられるのかが理解できない。しかし、発展しつつある第三の波の経済が求める、ビジネスと金融の「世界化」は、新しい民族主義者たちが後生大事にしている国家「主権」に日々風穴を開けていく。
 第三の波が経済の形態を変えるにつれ、各国は主権の一部を放棄し、ますます頻繁になる、経済と文化の国境侵犯を互いに認めざるをえなくなる。かくして、経済的に遅れた地域では詩人や知識人が国を讃える詞を書くのに対し、第三の波の諸国の詩人と知識人は、「ボーダレスな世界」と「地球意識」の素晴らしさを謳歌する。その結果生じる衝突は、根本的に異なる二文明のニーズの鮮明な違いを反映するものだけに、今後、最悪の流血の惨事を引き起こさないともかぎらない。
現在進行中の世界の二分割から三分割への再分割が、いまのところ明確に見えてこないのは、ハードウェア中心の第二の波の経済から第三の波の頭脳経済への移行を完了した国がまだ一つとして存在していないからにすぎない。
アメリカ、日本、およびヨーロッパ諸国においてさえ、第三の波のエリートと第二の波のエリートとのあいだで、国内の支配権をめぐる争いがいまだにつづけられている。また、第二の波の主要な機関や生産部門がまだ残っているし、第二の波のロビー団体も依然として力を失っていない。
それぞれのハイテク国家をみると、第二および第三の波の要素の「混合化」が異なっており、そのため、どの国でも独特な「形態」が生み出されている。にもかかわらず、各ハイテク国家が向かうべき方向ははっきりしている。国内の混乱と不安を最小限に抑えながら第三の波への変革を成し遂げないかぎり、世界規模での競争を勝ち抜いていくことはできないのである。
そうこうするうちに、地球上では、二分割された世界から三分割された世界への歴史的移行が引き金となり、きわめて根源的な権力闘争がはじまるにちがいない。というのも、それぞれの国が、三層からなる新たな権力構造のなかでの地位を確立しようとするからだ。そして、この歴史的に重大な、権力分布図の変更を裏で促すのが、知識の役割・重要性・性質の変化なのである。