アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第三の波の政治 005

2011年08月16日 22時21分01秒 | 第三の波の政治

第4章「富の創出法」を添付します。

この部分は、2006年に発刊する「富の未来」に繋がる「第三の波」の要点(10の特質)整理のように読めます。『①生産要素~②無形価値~③非マス化~④労働~⑤革新~⑥規模~⑦組織~⑧システム統合~⑨インフラストラクチャ~⑩加速化』の特質を読み込む時、前著のパワーシフトで『①暴力~②金銭~③知識』の三段階の富を連想し、非競合財である「知識」こそが「最高の富」となり、基礎的条件の深部に非金銭経済が、時間と空間が拡大・拡張していくなかで、加速度的に、知識は死知識となり、価値を失うと言った展開になります。講談社の「富の未来」は上下巻で3,800円と高いですが、買ってください。公立図書館や大学図書館で購入希望を入れるなりして、読了されることを薦めます。これを読み込んでから、ネットの「40 FOR THE NEXT 40」をグーグルで翻訳して読むのであれば、理解可能だと思いますが、いきなりトフラーアソシエイツのホームページから要点案内をPDFで読んでも、チンプンカンプンだと思います。

和英翻訳のソフトよりも、昔の徳山二郎氏の名訳が最高ですね。2000年にアメリカで亡くなられ、2006年の「富の未来」では、山岡洋一氏が名訳をしてらっしゃいます。600頁を超える翻訳書で大変な尽力に敬意を表します。

ブログの読者の皆さんへ一言。わたしは本書を丸写しにはしていません。罠をしかけています。理由は著作権の侵害にあたる行為になるからです。本当に著者(トフラー)の真意と核心部分に迫りたい方は、著書を購入してください。このブログでは回答を教えません。いいところまでは、引導しますが、その先は自らが読み込む努力をしなければ、先に進まないということです。
 実習や講習会でも、質問されなければ答えませんでした。どうしてか?知ろうとする姿勢、努力と実践が最も著者(トフラー)が望むところだからです。受身の学習は、怠惰な国営企業に似て、また死知識(オブソレージ)となって未来には進みません。この講義は『未来学』なんです。

 このブログに掲載されている添付内容が、著書『第三の波の政治』から引用したものなのか、それとも、『第三の波』から引用したものなのか、はたまた『パワーシフト』または『生産消費者の時代』から、『戦争と平和』・『富の未来』・『未来の衝撃』からなのかは、読者が自ら本を購入するなり、図書館で貸出を受けて、読んで判断するしかありません。
断っておきますが、添付内容は、すべてトフラーの言説を徳山二郎氏や山岡洋一氏が訳された個所であり、勝手に継ぎ接ぎしたり、論点を混乱させて掲載している訳ではないことを明言しておきます。
 
 頭を強く、地頭力を高めて、読み込んでいきましょう。

-----------------------------------------------------------------------


第4章 富の創出法
1956年、ソ連の実力者フルシチョフは、「わが国は西側を葬り去るであろう」と誇らしげに語った。要するに彼が言いたかったのは、共産主義経済が資本主義経済を凌駕する日がやがてくる、ということだった。この有名な大言壮語は、軍事的威嚇とも受け取れたため、世界中で大きな反響を巻き起こした。
しかし、当時は、西側の富の創出法に革命的な変化が生じ、それにより世界の軍事的なバランスと戦争そのものの性質が大きく変わっていく、などと予測する人はほとんどいなかった。
フルシチョフも -大方のアメリカ人も-、1956年が特別な意味をもつ年であることに気づいていなかった。1956年は、アメリカにおいて、ホワイトカーラーとサービス業従業員の数が、工場労働者であるブルーカラーの数をはじめて上回った年でもあったのだ。この現象は、第二の波の煙突型経済の衰退と第三の波の経済の誕生を、いち早く暗示していた。
それ以来、ただならぬ変化が生じてきたわけだが、それらの変化の何たるかを理解し、さらに今後起こるであろう、より激しい変化を見通すには、生まれたての第三の波の経済の主要な特徴に目を向ける必要がある。したがって、先に述べたことと多少重複するが、この章では、企業の収益や世界規模での競争に関わる問題のみならず、二十一世紀の政治経済全般を捉えるための鍵となる要素を取り上げることにする。

1 生産要素
第二の波の経済にあっては、土地、労働、原料、および資本が主要な生産要素だったのに対し、第三の波の経済の主要な資源は、知識 -データ、情報、イメージ、記号、文化、イデオロギー、価値観などを含む広義な知識- である。
すでに述べたように、富を創出するにあたり、適切なデータと知識・情報を用いれば、これまで使われてきた、他のすべての投入物を減らすことが可能になる。しかし現段階では、知識を「究極の代替物」とする発想が広く理解されているとはいいがたい。ところで、経済学者や会計士のほとんどがこの考えに戸惑い、拒否反応を示しているのは、数量化が難しいからなのだ。
第三の波の経済の革命性は、生産要素がほぼ無尽蔵だという点である。第二の波の経済では土地、労働、原料はもちろん、おそらく資本さえもが有限だったが、第三の波の経済の知識には限りがない。溶鉱炉やアセンブリー・ラインとは違い、知識なら、複数の企業が同時に利用することも可能になる。しかも、企業は知識を活用することにより、さらに豊富な知識を生み出す。したがって、限りのある資源を前提にした第二の波の経済理論は、第三の波の経済には適用できないのである。

2 無形価値
 第二の波の経済の価値は、建物、機械、在庫などのハードの面から計算されたのに対し、第三の波の企業実績は、企業戦略に沿って、いかに知識を獲得・生産・分配し、それをどのように運用するかにかかってくる。
 例えば、コンパックとかコダック、あるいは日立やシーメンなどの各企業の実価を決定するのは、それぞれの社がもっているトラックとかアッセンブリー・ラインなどをはじめとする物的資産ではなく、社員の頭とデータバンクにあるアイデア、洞察力、および情報と、各社が保有している特許なのである。このように、いまでは、資本自体が無形資産を基盤とする傾向が強まっている。

3 非マス化
 第三の波の企業は、情報集約型の、そして多くはロボットを使用した製造システムを備えつけることにより、きわめて多彩なバリエーションをもつ製品を生産すると同時に、注文生産にさえ応じられるようになる。一方、第二の波の経済を象徴していた大量生産は、それに伴い、ますます廃れていく。つまり、この革命的変化は、大量生産を非マス化していくのである。
 柔軟性のある高性能技術への移行は、製品の多様化を促し、消費者の選択の幅を広げる。例えば、ウォルマート(訳注・アメリカのチェーン量販店)は、タイプ、大きさ、型、それに色などが選択できる、ほぼ十一万種の商品を用意している。
 それでも、ウォルマートは大量小売機構の一つにすぎない。買い手のニーズが分散するなかで、企業が、よりよい情報を入手することによりミクロマーケットをみつけだし、そこに商品を供給できるようになるにつれ、大量市場そのものが、さまざまな隙間市場へと分解していく。生産者は、専門店やブティックをはじめ、大型スーパー、テレビのホームショッピング・システム、コンピュータベースの購買システム、さらにはダイレクトメール等のシステムにより細分化されていく流通ルートを通じて、さらに非マス化する市場の顧客に自社の製品を供給することになるのである。想像力豊かなマーケッティング担当者たちが「市場の細分化」について語りはじえめたのは、私たちが『未来の衝撃』を書いていた1960年代の終わりだったが、今日彼らの目は、もはや「細分化」などには向けられていない。彼らがいま注目しているのは、独身生活者までをも含めた世帯を単位とする「粒子化」された市場なのだ。
 そんななかで、宣伝も、細分化しつつある市場をターゲットにせざるをえなくなる。そしてそのさい、宣伝を流すのは、これまた多様化しつつあるメディアの役となる。デンバーのテレコミュニケーションズ社が光ファイバー・ネットワーク -視聴者に、五百の対話式テレビジョンチャンネルを供給することができる- の実用化を発表した時点で、ABC、CBS,NBCなど、かつての大テレビ局は危機に立たされた。これは、大視聴者集団が急激に分解していく可能性を強く示唆する出来事だったが、こうして細分化されていくメディアを利用すれば、売り手は、よりいっそう正確に買い手に照準を合わせることができるようになる。生産、流通、および通信の各部門で同時に起きている非マス化は、経済を大きく変え、均一性から極度の不均一性へと移行させるのである。

4.労働
 労働は、それ自体が変質する。第二の波を動かしてきたのは、低技術で、本質的に交換可能な筋肉労働であり、そうした一定の反復作業に向く労働者を育ててきたのが工場型の大衆教育だった。しかるに、第三の波をささえるのは、技術の必要性の急激な高まりに伴い増加していく、交換不能な労働なのである。
 筋力は本質的に代替可能である。したがって、低技術者が退職したり、解雇されたりしても、ただちに、しかもほとんど経費をかけずに、代役を充当することができる。それに比して、第三の波の経済では、必要とされる専門技術の水準が上昇しつづけるため、適切な技術を有する適切な人材を見つけることは難しく、経費もかかる。
 巨大な軍需産業に勤めていた守衛が解雇されても、その人物は、他の多くの失業者との競争をくぐり抜けさえすれば、学校とか保険会社の守衛として再び働くこともできる。ところが、長年、衛星の製造に携わってきた、エレクトロニクス関係の技師が、環境工学関係の会社が必要とする技術をもっているとはかぎらないし、婦人科医には脳外科の手術はできない。技術の専門化と要件の急速な変化が、労働の互換性を失わせるのである。
 経済が進歩すれば、「直接」労働と「間接」労働の割合もそれだけ変化する。従来の意味からすれば、直接労働者、すなわち「生産」労働者とは、実際に製品を作る、作業現場の人びとのことである。付加価値を生み出すにも彼らだとすれば、ほかの者は皆、「非生産的」で「間接的」な貢献しかしていないことことになる。
 しかし今日、このような区別は意味を失いつつある。というのも、工場現場においてすら、ホワイトカラーならびに技術・専門分野の労働者に対する生産労働者の割合が減少しているからだ。「間接」労働者が生み出す価値のほうが、「直接」労働者の生み出す価値よりも大きいとはいえないまでも、両者は少なくとも同程度にはなっているのである。

5.革新
 日本とヨーロッパの経済が第二次世界大戦の痛手から回復した結果、アメリカの企業は厳しい競争にさらされることになった。競争力を高めるには、製品に関する新しい発想をはじめ、技術、生産過程、マーケッティング、資金調達など、あらゆる領域での絶えざる革新が必要になる。アメリカのスーパーマーケットには、毎月、約一千種ほどの新製品が入荷する。586型コンピュータ用の新しいチップの開発は、486型コンピュータが386型コンピュータに取って代わる前に、すでにはじめられていた。そんな具合だから、活力のある企業は、労働者自身がイニシアティブをとり、新たなアイデアの開発を目指すことを奨励し、必要とあらば「規則書を捨てる」ことさえ薦める。

6.規模
 作業単位は縮小し、操業規模も、多くの製品同様、小型化している。ほぼ同質の筋肉労働に従事してきた、膨大な数にのぼる労働者に代わり、小規模に分化した作業チームが設けられるようになった。大企業は縮小し、小企業がふえていく。三十七万人もの従業員を抱えるIBM社は、世界中の小規模メーカーに押され、衰弱しつつある。同社が生き残るためには、多くの労働者を解雇し、会社そのものを十三の異なる -そして、他社よりもさらに小規模な- 事業体に分割せざるをえない。
 第三の波のシステムのなかでは、規模の利よりも、複雑さのために嵩む経費のほうが大きくなる場合が多い。事業が複雑であればあるほど、右手と左手の連動がうまくいかなくなるのだ。事態を見過ごせば、問題が多発し、見込んでいた規模の利など、すべて消し飛んでしまう。大きいにこしたことはない、という従来の発想は、いよいよ時代おくれになっていくのである。

7.組織
 急速な変化に対応すべく、企業は、官僚主義的な第二の波の組織の解体を急いでいる。産業主義時代の企業組織は、ほぼ共通して、巨大なピラミッド型をなす、一枚岩的で、官僚体制的な形態をしていた。しかし今日、企業は、急速な変化を求める市場・技術・消費者からさまざまな圧力を受けるに至り、もはや官僚主義的な画一性を維持することができなくなってきた。そこで、まったく新しい形態の組織を模索する努力が開始されたのである。例えば、いま経営者のあいだで盛んに使われている「リエンジニアリング」という言葉は、市場や新型製品の開発よりも、むしろ生産過程をめぐる企業リストラを意味している。
 これからは、比較的標準化されていた組織に代わり、マトリックス組織や「臨時」プロジェクトチーム、それに利益責任単位(プロフィット・センター)などが設けられていると同時に、多様な戦略的提携、つまりジョイントベンチャーやコンソーシアム -これらの多くは、国境を越えて組織される- が盛んになる。また、市場が絶えず変化するため、柔軟性と機動性がますます重要になり、全市場に製品を出す意味合いは薄れていく。

8.システムの統合 
 経済が複雑になればなるほど、より高度な統合と管理が求められる。きわめて典型的な例を挙げれば、食品会社であるナビスコ社は、日に五百件の注文に応じるために、文字どおり何十万もの異なる製品を、四十九の工場と十三の配送センターから発送する。しかも同時に、顧客とのあいだで結ばれた三万件に上る販売促進契約も考慮しなければならない。このように複雑化したシステムを管理するには、新たな形の指導体制と非常に高い水準での組織統合が必要になる。加えて、組織を統合していくためには、組織全体にますます多くの情報を流す必要が出てくる。

9.インフラストラクチャー
 現在、あらゆることを統合するために -つまり、部品をはじめとする構成材と製品の流れをすべて追い、納入を一定の速度で行い、技術者とマーケティング担当者が互いの計画に関する情報を絶えず入手できるようにし、研究開発に携わる人びとに対しては製造側のニーズに目を向けるように強く注意を促し、なかんずく、経営陣が現状を総合的に把握できるようにするために- 、何十億ドルもの資金を投入し、コンピュータやデータベースなどの情報技術を統合した電子ネットワーク作りが進められている。
 この広大な電子情報組織 -衛星を使用する場合が多い- は、すべての企業を網の目のように結び付けるだけでなく、そうすることによりメーカーと顧客とを結ぶコンピュータ・ネットワークをも生み出す傾向にある。加えて、ネットワークをつなぐネットワークさえ考えられている。日本は、向こう二十五年をかけて、迅速に機能する高度なネットワークを開発すべく二千五百億ドルの資金調達を目指している。また、アメリカ政府も現在、賛否両論渦巻くなかで、「情報スーパーハイウェー」計画の実現に向け攻勢をかけている。私たちがこの計画とその意味をどのように解釈しようが、電子の流れにより、第三の波の経済に不可欠なインフラストラクチャーが築き上げられようとしていることだけは確かなのである。
  
10.加速化
 以上のような変化は、すべて、操業・取引きのペースを速める。経済においては、スピードが規模に取って代わる。競争が激化し、高スピードが求められるようになったため、いまでは、「時は金なり」という昔ながらの原則も時代に合わせて、「時は刻一刻と価値を増す」という意味に変わりつつある。
 「ジャストインタイム」納入方法にみられるように、時間の変域が重大な要素となり、DIPすなわち「生産過程での予測決定」方式は廃れていく。逐次的に段階を迫って進められる、緩慢な計画・管理法に代わり、「同時的計画・管理」が行われるようになる。要するに、企業は、「時間ベース」の競争を展開するのである。メリルリンチ社の重役の一人デュウェイン・ピーターソンは、この目まぐるしさを、「貨幣は光の速度で動き、情報はさらに速く流れる」という言葉で表現している。このように、加速化により、第三の波のビジネスは、よりいっそうリアルタイムに近づいていく。

           *          *          *

 数ある第三の波の特徴のなかから取り出した、以上十の特質が総合されることにより、富の創出法に画期的な変化が生じる。いまだ不完全とはいえ、米・日・欧がともに、この新たなシステムへと向かっているという事実からしても、産業革命が各地に工場を広めて以来最大の、世界経済上の変動が起こりつつあるのを窺い知ることができる。
 この歴史的変動は、1970年代の初期から中期にかけてスピードを増し、90年代に入るころには、かなりのところまで進んでいた。ただし残念なことに、その間、アメリカの経済思想の多くは、そのスピードについていけずにいたのである。