広島に原爆が投下されて今日で80年。
月日が経つのは早いものです。
わかまるの父親も原爆の話を90歳を過ぎてからよく話をするようになりました。
当時、広島市内には、軍の物資の輸送などの仕事をしていた私の祖父と、女学生の叔母が住んでいたのですが、祖父は宇品で、叔母は市内の学校で被爆。しかし2人とも奇跡的に無事でした。祖母や父親の兄弟は、田舎で暮らしていたので全く被害なし。
宇品は投下された場所から少し離れていたせいか、住んでいた家も無事だったようです。
私の父親は当時15歳。岩国の国鉄で働いていたそうで、投下された翌日に、家族がいるものは広島に行ってこいと言われて、広島市内の宇品に向かったそうです。
横川駅で降りて、路面電車の線路を頼りに宇品まで徒歩で向かう中で、悲しい光景を何度も見たようです。
電車内での真っ黒になった人、顔から眼が飛び出して垂れている人、家の前で子供を行水しているときに被爆して息絶えていた人、つい昨日の出来事のように私に話をしてくれました。
父親が宇品の祖父の家に歩いて着いて安心し疲れがでたのか、すぐに眠りについたそうです。
そんな寝ていた父をおこしたのは、近所の人で、「灯りをつけたまま寝るんじゃない」と怒られたと話していました。投下翌日に、電気が通っていたのか?と驚きましたね。
1991年の広島を直撃した台風19号では1週間以上広島市内では停電になって、大変な思いをした記憶があるので、その話にすこし驚きましたね。
叔母は、96歳、父親は95歳、いまでも元気に生活しています。