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《箱根駅伝 応援余話》櫛部静二の背中を押した『♪都の西北』

2021年01月23日 11時11分00秒 | 箱根駅伝

“2区・櫛部静二の背中を押した『♪都の西北』
                     自称:運動部/ハマくま記者こと秋元謙治
 
〈コール〉 熱い正月だった箱根路!
 2021第97回箱根駅伝大会。寒波が新年の日本列島を直撃し、冷たい風が選手を直撃した。波乱の往路は創価大学が、優勝候補の青山学院大学、駒沢大学を押さえ往路初優勝に輝いた。
 第91回大会(2015年)から続けている横浜稲門会“箱根駅伝・2区応援ガイド”の作成準備で、資料を読みあさっていた時だ。ふと手にした「箱根駅伝・世界へ駆ける夢」/中央公論新社の第1部ランナーたちの足跡、第5章悲運を越えて、1.櫛部静二-―運命を変えた大ブレーキが目に止まり「 エーッ!」と叫んだ。

〈伴奏車〉 2区・運命を変えた大ブレーキ・櫛部静二
   第67回箱根駅伝(1991)「花の2区」の、早稲田大学のランナーは1年生の櫛部静二だ。1区は区間新の1年・竹井隆次。早稲田は、2区の不動坂辺りをトップで走っていた。戸塚中継所で、私はラジオのイヤホーンを耳に櫛部を待ったが来ない?!なんと、櫛部は残り1Kmの上り坂でブレーキを起こし、よろめいていた。居ても立っても居られず、私は櫛部を迎えに歩道を走った。櫛部の顔は苦痛にゆがんでいた。私は肚を決めた。櫛部の横に付き、手にしたパンフレットを丸め、人目を憚らず『♪都の西北 早稲田の森に 聳ゆる甍は われらが母校♪』と大声で歌いながら、櫛部を追走した。櫛部は夢遊病者のように揺れていた。その走りは、私が校歌を歌いながらでも、ついて行けるほどに遅かった。
 あれから25年後。2016.11に発行された「箱根駅伝・世界へ駆ける夢/読売新聞運動部」(中央公論新社)で、櫛部城西大学准教授はこう語っている。「もうろうとしながらも、ある歌が耳に飛び込んでくるのを確かに聞いた『♪都の西北・・・』」。早大の校歌を沿道の誰かが歌ってい。「絶対タスキだけは渡さないと」残り300メートルでは、立ち止まり、膝に手をついた。しかし、校歌に奮い立たされ、タスキはつないだとある。(3区走者は1年・花田勝彦)
 文字を追い「 エーッ!」と叫び震えた。箱根駅伝を沿道で応援して40年。一燈照隅の仄かな我が早稲田愛が、「エンジの襷」を繋ぐ力を支えていたとは。「早稲田バンザイ!」。
             ※櫛部静二:現・城西大学駅伝部監督、城西大学経営学部准教授

〈ゴールテープ〉明日へ繋ぐ
 第97回箱根駅伝は、駒澤大学・大八木監督の「あきらめない」魂の檄が飛び、10区で劇的な逆転で13年ぶりに総合優勝を奪い取った。我が早稲田大学は、健闘むなしく総合6位であった。箱根駅伝の1区間20Kmには様々なドラマが刻み込まれてきた。そんな箱根路に向け選手は走りはじめている、汗と歴史の染みこんだ「襷を繋ぐために」。

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