二本足の學者を目指して

賢を見ては齊しからん事を思ふ

平成三十年十二月四日(火)少しまへに買つた書籍

2018-12-04 08:35:28 | 文學、精神、そして魂
 少しまへに買つた書籍

 少しまへの事であるが、書籍を二タイトル程、廣島の丸善で購入した。一つは、ラッセル・カーク著、會田弘繼譯「保守主義の精神 上下」(中公選書)、一つは、渡瀬裕哉著「日本人の知らない トランプ再選のシナリオ」(産學社)である。

 いづれも中々時間が取れないので、餘り讀めてはゐないが、少し讀んだだけでも、買つて損はなかつたと思つた。と云ふのも、いづれも頗る常識的な思考が爲されてをり、その「常識的」とは如何なる事かと云へば、論理的、良心的と云ふ事であり、その論理や良心とは、要は過去に培はれて來た思想や傳統だから、それゆゑ、「常識的」と判斷出來るのである。

 尤も殊に「保守主義の精神」に就いては、「傳統」に基づく「良心」と云ふ事であれば、歐米の傳統と吾々日本人の傳統とは質的に異ならうと云ひたい處であるが、歐米にはあり、日本にはないとされる絶對(者)にしても、それを吾々と云ふかこの私が戴いてゐるかどうかは扠措き、この私にして見れば、それを私なりに理解してゐる、理解しようとしてゐると云ふ自負はある。そしてその自負を基に歐米の保守の精神に就いて、考へてゐる。その一端は、以前の記事に記述したので、時間があればお讀み頂きたいが、何も奇を衒ふやうな事はなく、極々普通の事を書いた心算である。そして、傳統的、良心的な思想と云ふか、生き方と云ふのは、眞の自由に通じてゐる事も、同じ以前の記事に書いた心算である。

 この記事のをはりとして一言。慥かに過去のものとしては、因襲もあるが、多くの過去の慣習は、時代の經過に耐へて來た人間の智慧である。その過去の多くは、信頼に足るものであり、思想を受繼ぐとは、過去を受容れる事であり、今日の吾々が新たに附け足せるやうな事柄は、殆ど殘つてゐないとさへ云へる。


ラッセル・カーク著、會田弘繼譯「保守主義の精神 上下」(中公選書)

渡瀬裕哉著「日本人の知らない トランプ再選のシナリオ」(産學社)
コメント
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