自信を持つと云ふ事――松原正氏の御言葉
先日の記事にて、先日の東京行きの際、西早稻田の古書店街で、私が卒業した早大二文の私が受驗した年の入試問題が最新として掲載されてゐる赤本を購入したと書いた。その際、その赤本に載つてゐた早大周邊のグルメマップも、ブログの記事にアップロードした。
あれから、その赤本を色々と讀んで見ると、自然、當時の事が、パッと思ひ出される。こんな事を自分で云ふのも恥づかしい事ではあるが、もう昔の事なので云つて了はう。早大生だつた頃の私は、身も心も美しかつたと思ふ。それゆゑ、殘酷であつたと云ふ事もあるし、世間知らずだつたとも云へるが、それでも、その美しさに勝るものはない。偶に知識や經驗は現在の儘、姿形のみ二十代に若返りたいと思ふ事があるが、二十代の肉體からは、未熟、過信や傲慢と云ふものが切り離せないものだ。そしてさう云ふ自分を愛ほしく思ふ。あの頃は私にとつて、輝ける時代だつた。
此方のブログで故松原正早大名譽教授の御言葉が引用されてゐる。かう云ふ言葉である。
成程、慥かにこの私も「汚れる代りに」「何かを得」た。そしてこれからも得續けるように努めねばならない。が、その「何か」に「自信を持て」る日は、果して來るのであらうか。
先日の記事にて、先日の東京行きの際、西早稻田の古書店街で、私が卒業した早大二文の私が受驗した年の入試問題が最新として掲載されてゐる赤本を購入したと書いた。その際、その赤本に載つてゐた早大周邊のグルメマップも、ブログの記事にアップロードした。
あれから、その赤本を色々と讀んで見ると、自然、當時の事が、パッと思ひ出される。こんな事を自分で云ふのも恥づかしい事ではあるが、もう昔の事なので云つて了はう。早大生だつた頃の私は、身も心も美しかつたと思ふ。それゆゑ、殘酷であつたと云ふ事もあるし、世間知らずだつたとも云へるが、それでも、その美しさに勝るものはない。偶に知識や經驗は現在の儘、姿形のみ二十代に若返りたいと思ふ事があるが、二十代の肉體からは、未熟、過信や傲慢と云ふものが切り離せないものだ。そしてさう云ふ自分を愛ほしく思ふ。あの頃は私にとつて、輝ける時代だつた。
此方のブログで故松原正早大名譽教授の御言葉が引用されてゐる。かう云ふ言葉である。
老いるとは汚れる事だ。けれども、汚れる代りに大人は何かを得る。その汚れる代りに得たものに、なぜ大人は自信を持てないのであらうか。
成程、慥かにこの私も「汚れる代りに」「何かを得」た。そしてこれからも得續けるように努めねばならない。が、その「何か」に「自信を持て」る日は、果して來るのであらうか。