he xiang 

先のことは考えたくない
そんな毎日
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Fちゃんへ

2006-08-29 10:16:48 | 思い出
以下はmixiやってるひとはみたかもしれないであろう
以前アップした寝れない夜に書いたたわごとですが
そういえばFさんが出てきているのに
Fさんが読めるブログの方に書けばよかったと、再録(笑)
彼女にはたまに私のことかいてねといわれるのですが
なんとなく気恥ずかしくてあまりかけない
せっかく書いたのだからと思い。
その部分だけ切り取っても良かったけどなんか
全部のせてみた(笑)
彼女が見るかどうかはわからないけど。
彼女はクラブが一緒だった友達です。
コミックスを練習日を利用して交換し合う仲(笑)
すらっとしてかっこいい感じ。
そしてB型~
なぜか私の友人はB型率高し(私はバリバリの?A型)



愛されたい

私は充分に周りから愛されて生きてきた人間です。
そういえる事は幸せなことです。
虐待され命を落とした子供のニュースを目にするたび心を痛め、
一方では子供を亡くし泣いている親や子供の出来ない家族もいるのに
どうして世の中上手くいかないんだろうと悲しくなります。
それは、自分と比べてその子が不幸だから心が痛いのではなくて
誰でも感じる自然な感情だと思います。

過程にそれなりの大きな波風はありましたが(まあ、どこの家でもありますよね)
ごく普通の家に生まれ育ち、
親の収入は安定していて、食べる、着るに困らず。
学校でも普通にすごし、友達と語り、生きてきました。
愛されて生きてきたのに
なぜもっと愛されたいのか?

私は、独りで映画に行き、コンサートに行き、Jリーグ観戦に行き
独りで、ファミレスへ行き、ラーメン屋のカウンターで食べ、
しまいには、独りでカラオケもいけます。(まだ、遊園地は試したことないさすがにむなしそうだ)

でも、ひとりで暮らしたことはただの一度もないのです。

ひとりで生活したことないから一人で遊びが楽しめるのかもしれません。

一人が好き、一人でも楽しめるといいつつそうでないのかもしれません。

結局生きるときと死ぬときは一人です
一人で眠れない夜は嫌いです
一日二日なら親の不在も羽を伸ばせていいですが
あまり続くと妙な不安感に襲われます。
これは誰でも感じるわけではないようです。

この土日、母は仕事が遅番で家を空ける時間が長く父は東京です。
つい、不安になる。変だ。以前はそれくらい平気だったのに。

なぜもっと愛されたいのか?
ひたすら甘え、守ってもらう立場でいていいのか
そろそろ愛する側に回らなければいけないのではないか
私は世界中全ての人々のなかで母が一番好きです。
(もちろんいつも仲いい訳じゃなくよくもめてるが)
では、母を守るような行動をとったことがあるか?ないのではないか?
愚痴一つ聞くのも嫌がっていた気がする。
両親は上の階層(?)と考えるとして
では、親に次いで愛している(次ぐのか?同じか?)弟はどうでしょう?
幼い頃は絶対的に守ってあげなければいけない存在でした。
小さいときの2歳の差って大きいです。おおきくなると2歳なんてかわりません(笑)
自分は弟のおやつもらったりおもちゃ取ったりしてたのに(笑)
もし、弟がいじめられたら、弟のクラスでもなんでも乗り込んでいって
相手をこらしめてやる!くらいの気概はあったのですが
幸いそんな機会はなく、立場はあっという間に取って代わられました。
大学進学後、龍混の(サークルのことです)男性陣の恐ろしい
酒の飲まされる世界をみてきたので(よく死人が出ないものだ)
弟が大学に入る前、かなり真剣に、いくら縦社会でもなんでもいいから相手が誰でも
お酒を許容以上に飲まされそうになったら断りなさい!って話したな~
しかしそんな心配ほんとはいらないのです
弟は多分いやなら断れるし、母に似てお酒に強いのです。顔色一つ変えない。
でも、いくらしっかりしていても向こうの方が大人でも
私にとって弟は弟なのです(笑)
弟より大事に思える男性が出来るなんて想像もつかないところに
私の恋愛できてこなかったことがよくあらわれている。
でも、いつか好きな人が出来て、うわついた一時の感情が過ぎたら
その人にいづれ両親や弟に感じているような愛情を持てるようになれたら幸せだと思うのです。


友達。
友達のこと大好きです。
でも、声をかけてもらうのを待っているような気がする。
基本は一緒に楽しく過ごしたいです。これはいいでしょう。
一緒に楽しく遊んであげたいか、もらいたいか、でいうと「もらいたい」です。
かまってほしい、要するに愛されたいのです。
こんなことを覚えています。
大学のサークルの帰り途中、(当時、京都にいました)
何か祇園祭のポスターのようなものを見つけた私。
祇園祭いったことなかった。周りの人たちが過去行った話聞いてうらやましく思ってた。
その時4回生だったのかな。もう最後ですね。
行きたかった。ひとりではなくその子といきたかった。
「祇園祭いきたいけど、一緒にいかない?都合どう?」ってきけばいいじゃないですか
その一言がでず、私が言ったことは
「祇園祭いったことないな~(いかにも行きたそう)」だったような気がします。
そして、誘ってもらうのを待ってるのですね(いやな根性ですね)
断られるのが怖いのか?その辺はよくわからない。
結果、誘ってもらっていきました。友達ってありがたいです。ありがとう。
彼女とはいろんな話をしました。悩みもきいてもらいました。
親友といわれると彼女と、もう一人を真っ先に必ず思い浮かべます。
どちらも大学時代に知り合いました。でもその二人は別々の友達。
面識はないはず。世の中どこがどうつながってるかわからないが。
彼女とは卒業後も毎年旅行に行っています。だからもう4回行きました。
これも、彼女の方からそろそろどう?何月ごろにすると声をかけてもらって
行き先からホテルから全部手配してもらっているのです。
すっごく楽しいです。
彼女に限らず私はしてもらうばかりです。
人間には得意分野、苦手分野、向き不向きというのがありますから
(多分、私に任せといたら旅行なんて実現しません)
それもありだと思うのですが、
かまってもらって、相手してもらって、幸せです。
でも私は何をしてあげているのか?
もちろん、何もないなんて言うつもりはありません。
そんな友達関係はないはず。
愛されて生きてきたといえるくらいだから
私にも周りの人に愛してもらえる何か価値というかいいところがあるんだと思います。
(自分で言ってるよ)
ただね~日々親に依存しつつ生きていながら
このままではどんなものかと。
愛されたいばかりじゃなく
愛したいのです。
なんかそんなKinkiの歌があったな(笑)愛されるよりも~愛したいマジで~♪

広い意味では周りの人たちのこと愛してます
が、この場合違うんですよね。
こう思い悩みつつこれからもきっと愛されたい私なんでしょうね。
よく言う成長したい、もっと大人になりたいというのにはこんなことも含まれています。
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