早稲田大学山岳部 活動記録(2014年度~)

早稲田大学山岳部です。2014年度より活動報告をこちらで行います。

2016年度 北鎌尾根

2016-09-30 15:15:18 | 2016年度 個人山行
山域:北アルプス南部 中房温泉〜燕山荘〜大天井岳〜北鎌尾根〜槍ヶ岳〜徳沢園〜上高地

期間:2016年9月13日~15日

メンバー: 小川(4)鈴木雄大(4)小野(1)
行動概要:
9月13日(火) 雨  5:58松本駅発=電車=6:27穂高駅着=バス=7:50中房温泉~10:15合戦小屋~11:30燕山荘~14:10大天井ヒュッテ

9月14日(水) 晴れ 3:00起床~7:30天井沢出合~9:30北鎌尾根稜線~12:00独標〜14:10槍ヶ岳~17:00槍沢ロッジ~19:00徳沢園

9月15日(木) 曇り 7:00起床~10:20上高地バスターミナル~12:36松本駅

9月13日
 朝から雨が降っていたが出発し、燕山荘までの上りを雨の中歩きました。稜線上では風と雨が合わさって寒さを感じました。燕山荘からは北アルプスの山々が見えるはずなのですが、雨とガスによって視界が遮られ展望は望めませんでした。30分ほど燕山荘で休憩し、天気予報などの情報を確認し出発。大天井岳まで稜線歩きでは、雨が弱まりガスが晴れた時があり、翌日歩く北鎌尾根や双六岳などを望むことができました。大天井ヒュッテでテントを張り16:00就寝。

9月14日
 3:00起床。前日の予報通り雨はほぼやんでいたため、4:00に出発し貧乏沢を下降し天井沢と合流。貧乏沢は踏み跡がついていましたが非常に長く感じました。その後、北鎌沢を遡行し北鎌尾根の稜線上に出ました。この上りで、貧乏沢で下った標高とほぼ同じ標高を登り返したため非常に長く疲れを感じました。その場所からは独標の影となり槍の穂先は見えませんでしたが、槍から左右に長く続く東鎌尾根と西鎌尾根を見ることができました。この時点で天気は晴れており行動に最適な天候でした。独標を超え2時間ほど歩くと槍ヶ岳の山頂に到着しました。一度槍ヶ岳山荘まで降りた後、休憩し、徳沢園に向けて出発。高度をどんどん下げていきます。徳沢園には19:00に着きました。

9月15日
 7:00起床。徳沢園のご主人と、徳沢園で夏の間働いている山岳部OBの犬塚さんのご厚意で素晴らしい朝食と、ソフトクリームをごちそうになりました。長時間の行動の疲れが吹き飛んだ瞬間でした。その後、上高地のバスターミナルまで林道を歩いた後バスで松本駅まで下山しました。

感想
 行動中に見た景色はとても素晴らしく、記憶に残っています。しかし、初日の行動から先輩に遅れ気味になりトレーニングの不足を感じました。2日目も上りで歩みが遅くなり到着時刻が遅くなってしまいました。今回初めて連れて行っていただいた個人山行で、以前から憧れだった北鎌尾根を登ることができとても感動しています。今後、行動の足手まといにならないようしっかりトレーニングを行っていきたいです。

小野

夏山合宿 縦走パート

2016-09-01 17:01:15 | 2016年度合宿


ーー定着パートから続くーー
剣を背にし、2日かけて祖母谷にたどり着いた。
これから縦走パートだ。



8月7日レスト (小川、中島は宇奈月温泉へ買い出し)
夜も明けきらぬなか、目覚ましに起こされることもない。起きてから慌ただしく朝食の準備をする必要もない。今日はレストなのだ。日が完全に出てからのそのそ起きだし、朝食をとる。小川と中島はトロッコ電車の始発で宇奈月温泉へ食料の買い出しに向かっていった。

さて、残された私たちはというとやはりボルダー探しに向かうしかなかった。祖母谷温泉小屋は川のほとりに位置しており、良さそうなボルダーがちょろちょろあったのである。小さなボルダーを登り、暑くなれば川でクールダウン。これを繰り返しながら、さらなる良いボルダーを探しに上流へ遡行していった。

川原で見つけた「そぼだにスローパー」を登る福田倫史。※あえて「そぼだに」と呼んでます笑

すると川のはずなのに温かい流れがあるのに気づいた。よく探ってみると温泉が湧き出ているのだった。そこで、ボルダーから温泉の開拓へと方針転換した。丁度良い湯加減のところを探し、岩をどかして野湯を作った。大自然の中温泉に浸かり疲れも吹き飛んだが、咬まれると痛い謎の虫への恐怖から逃げるように立ち去るしかなかった。本当に痛く、あの謎の虫の羽音がトラウマになった。

忍び寄る謎の虫の気配に気づかず、呑気に湯につかる鈴木雄大。

そうこうしていると小川と中島が帰ってきた。その後は皆で縦走用の食料パックを作った。かなり手際よく作業を進めることができ、30分程で完了した。再び暇になったので先ほどの野湯に向かったが、やはり謎の虫の襲撃をうけ5分と入らず逃げ帰った。

8月8日祖母谷温泉小屋〜白馬岳村営頂上宿舎
いよいよ今日から縦走だ。昨日のレストで疲れは取れたし、もう謎の虫からもおさらばだ。しかし、清水尾根もまた強敵である。標高800メートルの祖母谷温泉から2900メートルの白馬岳まで標高差2000メートル以上登る長い尾根なのだ。加えて新たに縦走用の食料も加わり荷物も重くなっている。長時間行動を覚悟し、清水尾根に取り付く。しかし、思ったより順調なペースで登っている。一年生の頑張りが光る。コースタイム通りで不帰避難小屋に到着。ここは水場も近く快適そうだ。ここから頂上宿舎までコースタイムであと4時間。お花畑の見事な嫋やかな稜線を登るだけのルールのはずだが、ここへ来てペースが落ちる。

労多くして楽しみ多し!根気よくガンバレ!

稚児車の綿毛の群落。

一年生!ガンバレ!

さすがに一年生も疲労している様子だ。休憩を細かくとりやっとのことで清水岳へ。清水尾根を登りきった。あとは頂上宿舎までほぼ水平に歩くだけ。風が出始めたころなんとかテン場に到着した。

8月9日頂上宿舎〜蓮華温泉
朝起きると雨がテントを激しく叩いていた。食事をとり外に出るとテントの張り綱が切れていた。昨晩は風が強かったようだ。ここまでずっと天気に恵まれて来たので、寒く感じる。そそくさとテントを撤収し、白馬岳へ。白馬岳山頂は真っ白で風も強かった。



稜線上は風を避けられるところもないので、ノンストップで船越の頭まで。大池山荘に向けて下る途中雨が激しく降ってきた。急いで下るがなかなか大池山荘につかない。蓮華温泉への分岐があったので、そちらに曲がった。(後日確認したら分岐から小屋まで15メートルしかなかった。それほど視界が悪かった。)曲がって少し行くと雨が上がった。高度を下げるにつれて青空が広がっていった。テン場に到着後、鈴木雄大と私は蓮華温泉の野湯めぐりもした。800円也。この日、一旦下りていた田中が再合流した。

8月10日蓮華温泉〜朝日小屋
白馬岳からは稜線をたどって朝日岳に行くのが良い。だが、トレーニングのためあえて蓮華温泉に下り、登り返すのだ。ああ無情。蓮華温泉からさらに下る。下りきると今度は登りである。五輪尾根だ。想像よりもキツくはなかったが、一年生の靴擦れがひどくペースが上がらない。それにしても綺麗なところだ。木道も整備されており歩きやすい。気持ちの良い登りだった。一年生も靴擦れに耐えなんとか朝日岳まで登りきった。

朝日岳山頂にて。右奥は剣岳。撮影福田

朝日岳から朝日小屋まで下り幕営。朝日小屋も絵になる。日没前には雲海と夕焼けを私たちに見せてくれた。夕焼けのせいかこの旅もあと2日かと感傷的になった。

雲海に沈む夕日を眺める。

ワセダマーク

8月11日朝日小屋〜栂海山荘
ここまで来ればあとは下るだけ。さっさと朝日岳まで登り返し、ハイペースで栂海新道を下る。栂海新道をゆく。左奥にはまだ剣岳。

長栂山、黒岩山、サワガニ山、犬ヶ岳と次々に越え10時頃栂海山荘に到着した。北又の水場からは一年生が6リットルずつ、中島に至っては12リットルの水を荷揚げし追い込んだ。今日は山の日ということもあり、続々と登山者が集まってきた。その中のある方からカジキマグロの昆布締めやすき焼き、うどんなどを頂いた。あまりの美味しさに感動した。ありがとうございました。

この栂海新道はさわがに山岳会によって開かれた

栂海山荘。眼下には日本海が広がる。

8月12日栂海山荘〜親不知海岸
標高が低いため、暑くなる前に下りようと2時に栂海山荘を出発した。出発する前は満天の星空にペルセウス座流星群が次々に尾をひいていった。旅の終わりに何を願えというのだろうか。とりあえず無事の下山を祈り、栂海山荘を後にした。暗闇のなかヘッドランプの灯りを頼りにどんどん下る。白鳥山までの登り返しを登りきったところで朝日が私たちを出迎えてくれた。白鳥小屋の屋上に登ると目と鼻の先に日本海が見えた。

白鳥小屋屋上から最後の朝日。

同じく白鳥小屋から来し方剣を仰ぎ見る。まだ見える、、。

もう一度気を引き締め直し、下りだす。2ピッチで尻高山まで。ここまでくると暑い。早出が功を奏した。すぐ下に海は見えるのだが、ここから稜線は横に曲がる。海岸線と平行して進むので意外と長く感じる。

残りは二本松峠と海岸だけだ。


それでも頑張りようやく最後のピーク、入道山に到着した。栂海新道の入り口の山だから入道山というのだろうか。ここで最後の休憩をとった。ゆずの「栄光の架け橋」を流した。「決して平らな道ではなかった。けれど、確かに歩んできた道だ」この曲の全てが夏山合宿にリンクし、気持ちが高ぶった。さて、もうひと頑張り。

最後の標識。今までお世話になりました。

蝉の声が大きくなっていく。道路を走るトラックの音が聞こえる。道路を横断し、斜面を下りきると、栂海新道の終点にたどり着いた。







しかし!まだ親不知海岸までもう少し。親不知観光ホテルの横から長い階段を下る。帰りを考えればガッシャーは置いていきたいが、せっかくここまで来たんだ。海まで背負っていこう。ここまでずっと先頭を歩いてきたが、一年生に前を譲る。海まであと10メートルのところで立ち止まり、これまでの道程を振り返る。

「翼やあれがパリの火だ」

そうひとりごち、皆の待つ海へと続く階段を踏みしてるように下りていった。


福田


何処までも広がる日本海に向かって、最後の最後まで標高差を稼ごうと歩みを進める人達。

夏山合宿 定着パート

2016-09-01 17:00:52 | 2016年度合宿

「翼やあれがパリの火だ」

1927年大西洋単独横断飛行を成功させたリンドバーグが冒険の終わりに口にしたとされる言葉です。(実際には彼は言っておらず、映画のタイトルになっただけのようですが、、)33時間を超える大冒険を共にした「スピリットオブセントルイス号」に対する「よくぞもってくれた!」という労いと感謝、そして偉業を成し遂げた達成感が非常によく現れています。まさしく旅の終わりを飾る「名言」ですね。

さて、私たちもこの夏、夏山合宿という名の旅をしてきました。遅くなりましたが、私たちにとっての大西洋横断であった今合宿について報告したいと思います。



山域・対象:北アルプス剱岳定着〜欅平〜清水尾根〜白馬岳〜蓮華温泉〜栂海新道〜親不知
期間:8月1日〜8月12日
メンバー:4年CL小川、田中、鈴木雄大 3年福田、鈴木健斗 1年中島、浅川、小野 5年犬塚

8月1日移動日
いよいよ「大西洋横断」の始まりである。部室に集合し、最終チェックを行う。コンディションは良好、モチベーションも最高だ。問題なくチェックは済みはやる気持ちを抑えながら夜行バスに乗り込んだ。

8月2日富山駅〜室堂〜真砂沢ロッジ
朝5時半にバスは富山駅北口に到着した。ここから電鉄富山まで通い慣れた地下道を寝ぼけながら行く。目は覚めていなくても身体が覚えているもので立山駅行きの電車に乗り込み二度寝を決め込む。が、途中千垣駅で起こされる。どうやら先日の大雨で線路が土砂に埋まり立山まで行けなくなっていたようだ。千垣からバスに乗り立山までは10分ほど。まさかの船出となったが、「トラブルは旅を彩る調味料」との某氏の言葉を思い出し、いい経験と思い込むことにした。立山駅から先はいつも通りに運行しており、無事に室堂に到着した。室堂はガス。一列に並んで出発した。2ピッチ半で剣沢に到着し、県警の方に挨拶と同時に雪渓の状態について説明を受ける。今年はかなり融解が進み、剣沢の通行は推奨されてはいなかった。加えて1年中島がここへ来る途中で捻挫をしたようで、かなり遅れて剣沢に到着した。状況は芳しくないが、翌日の行動やリスクを総合的に判断し真砂沢へ下ることにした。平蔵の出会いまで夏道を歩き、対岸にトラバース。ここで3ピッチロープを出した。予想以上に時間を使いようやく真砂沢へ到着した。

長次郎谷出合付近より真砂沢ロッジ方面。雪渓の崩落が目立つ。

真砂沢ロッジ付近。もはや雪渓ではない。

8月3日真砂沢TS〜源次郎尾根〜本峰〜別山尾根〜真砂沢TS
昨日の雪渓の様子からこの日の行動は源次郎尾根とした。平蔵谷は側壁の崩壊により通行不可と判断し、別山尾根下降となった。源次郎尾根はかなり順調に進んで正午には本峰に到着した。

源次郎尾根を登る。

ここからがかなり長かった。1年浅川が遅れだし、前剣大岩のあたりで完全に止まってしまった。パーティーを分け浅川を上級生2人でケアしながら下降した。前日同様平蔵の出会いのトラバースでは3ピッチFIXし、通過した。結局遅れた浅川の帰幕は17時を過ぎてしまった。

8月4日真砂沢TS〜六峰フェース登攀〜真砂沢TS
天気は無風快晴。Aフェース及びCフェースの登攀を目的に早朝の剣沢を登り返す。良いペースで長次郎の出合に到着。ここから取り付きまで雪渓を延々と登る。はずが、途中で雪渓が完全に切れ川になっていた。ここでも今年の雪の少なさを実感する。


億劫な右岸の岩場を通過し、雪渓に戻るも取り付きの200メートル下で雪渓が完全になくなってしまった。落石をケアしながら取り付きまで登る。なんて年だ。しかし、取り付きについてしまえばノー問題。3パーティに分かれそれぞれがAフェース、Cフェースの2〜3ルートの登攀を行った。快晴ではあったが、Aフェースの魚津高ルートと中大ルートはどちらも濡れていた。
Aフェース中大ルートを軽々攀じるヨセミテ帰りのアルパインユーディニ
同じく中大ルートをフォローする1年中島

対してCフェースは快適そのもの。一年もハイライトの馬の背を快調に通過していた。1年浅川は登山靴でCフェースをフォローしていた。
Cフェースのハイライトで最高にハイになるフレッシュマンの小野峻

ハイライトの馬の背でも登山靴ながら産まれたての小鹿になることなく冷静さを保つフレッシュマンの浅川秋人。

数こそ少ないが充実した登攀となった。Aフェースの取り付きの岩小屋で待ち合わせし、全員で長次郎谷を駆け下った。帰幕後は登攀の無事終了を祝って外で鍋を囲んだ。
皆が視線をカメラに向ける中一人黙々と作業を続ける中島。

1年小野に炊事を教えるユーダイ・シェルパ。生活技術はさすがだ。

8月5日真砂沢TS〜池の平小屋TS
前日までで登攀を終え、欅平へ向け出発する。少々物足りないが、雪渓の状況を鑑みての決断であった。この日に犬塚、田中、鈴木健斗が下山した。真砂沢でお互いの無事を祈り合い、彼らと逆の親不知へ向け歩き出した。雲ひとつない青空だった。

雲ひとつない青空は気分爽快にさせる一方、太陽が容赦なく私たちを照らしつけた。あまりの暑さに耐えられず、二股で水浴びをした。痛いほど冷たい雪解け水が私たちの火照った身体と心を洗い流してくれた。

気分転換の水浴びのときもトレーニングを怠らない4年の2人。

夏山の醍醐味とも言える水浴びで気分転換をした私たちは池の平小屋までの登りをサクッとこなし10時半頃TSに到着した。時間がありすぎるので、洗濯や水浴びをした。しかし、それでも暇なので平の池付近に転がるボルダーを探しに出かけた。幸い全装を担いできた私たちは登攀具には事欠かなかった。

紳士のたしなみ、水浴びを済ませた後、フロンティアを探しに行く開拓者達。

たどり着いた平の池には1メートルほどの岩しかなく、開拓者たちは無言で池の平小屋へ引き返していった。

8月6日池の平小屋〜阿曽原温泉〜祖母谷温泉
今日は阿曽原温泉小屋まで。前日はかなり休めたので、早めに起床し池の平小屋を後にした。仙人池に着く頃に空が明るくなり、仙人池に八ツ峰が逆さまに浮かんでいた。



このペースなら阿曽原温泉小屋を越えて祖母谷温泉まで行けるかもしれないので、ペースを維持して阿曽原温泉へ一気に下る。途中雪渓のトラバースがあったが、雪のトンネルになっておりくぐって通過できた。





仙人温泉小屋からの雲切新道は2007年に開通した道だが、周辺の山小屋の方々のご尽力にやり今では快適な登山道となっていた。

親切な看板。これのおかげで頭を打たずに済んだ。

仙人ダムまでノンストップで下るが、標高が下がるごとに気温はグングン上がっていった。そろそろ暑くて堪えそうだと思い始めたころに仙人ダムに到着した。ここからははるか昔に電源開発のために作られた旧日電歩道を行く。一度ダムの施設内に入り涼しいトンネル内をだいぶ歩いた。山奥にいるはずなのに建物の中を歩くというのが不思議な感覚であった。

ここから旧日電歩道に入る。不思議な感覚。

トンネル内はヘッドランプ要らず。ひんやり気持ちいいが、一部高熱隧道の高熱ぶりを感じる箇所もあった。

仙人ダムを越えて阿曽原温泉小屋に到着。依然9時半。祖母谷温泉まで行けると確信し、長めに休憩を取る。歩き始めてすぐ水平歩道に出た。文字通り水平な歩道が延々と続く。断崖をくり抜いて作られた人1人通るのがやっとの箇所も出てきた。ひとつ間違えれば谷底まで200メートル真っ逆さま。命はない。




細心の注意を払いながら歩いて行くが、いかんせん暑い。標高は1000メートルしかないし、水平歩道は南を向いているため灼熱の太陽光線が私たちを照らし続けるのだ。手元の温度系は40度を指していた。途中長短様々なトンネルを幾つかくぐり、熱中症と闘いながら歩いているとはるか下からトロッコ電車の汽笛が聞こえてきた。もうすぐ私たちは下界に下りるのだ。キンキンに冷えたコーラを飲むことにしよう。そうこう考えているうちに欅平に到着した。


ひとまず欅平に到着し、安堵の表情を浮かべる隊員たち。撮影 福田。

欅平から祖母谷温泉までが意外と長かった。到着後小屋の方に挨拶を済ませテントを建てていると、小屋の方にスイカの差し入れを頂いた。黒部渓谷の沢水で冷やされたスイカはこれ以上ないほど甘く、定着パートを終えた私たちの身体を潤してくれた。温泉で汗と疲れを流し、就寝した。明日はレストだ。

福田

ーー縦走パートに続くーー