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デザインひともんちゃく

デザインを愛せばもっとハッピーになるのに、いつも一悶着起こるのは何故か、プロの現場から赤裸々に。

京都市学校歴史博物館

2009年11月08日 17時32分02秒 | 社長の放課後
半月ほど前、朝の散歩中に、
ふと目に留まったボスタ-のことを思い出して地下鉄に。
御池を曲がって、御幸町仏光寺をさがると、
目的の京都市学校歴史博物館があった。

展示は「学校を掘る」~まなびやの下の京都~というもので、
統廃合されるにともない掘り出される遺跡の数々が、
元学校であった博物館内に展示・紹介されていて
懐かしい想いとともに、遺跡の上に広がっている都市、
われわれの京都のスゴさが感じられた。

加えて、明治2年、京都は日本で最初に「番組」という学区制をつくり、
地域に支えられた小学校を建設して行ったこと。
京都の伝統産業を重要視し、小学生に「日本画」を教えた。
その結果、多くの作家が誕生し、町に活力を与えて行ったという。

このため、京都の小学校には、卒業生などが寄贈された美術工芸品があり、
ここではそれらの展示も行っている。

「学校を掘る」~まなびやの下の京都~は
12月14日(月)までだが、いろいろと感慨深いものがあるよ。

昨日の診察で薬が増えた。



松伯美術館

2009年10月25日 13時25分05秒 | 社長の放課後
~三度の壁を乗り越えて~
上村松園・松篁・淳之展があると知って
予定の仕事をサボって行ってみた。

奈良・学園前からバス5分。
大渕池公園の橋を渡ったところにある、
浮島のような、拍子抜けの洋館、それが松伯美術館であった。

しかし、初めの展示室から圧倒された。
おそらく日本画は、世界の絵画の流れのなかで、
その身体と一体となった感性は、他の追随を許さない位置にあると思う。

なかでも、上村松園の「砧」には身震いする。
単純な線、色、空間配置における独自の空気感は妥協を許さない。

武蔵美に行っていた頃、小野竹喬に師事していた友人と、
先生の実家に下宿していたことを想い出したりした。

軽い興奮で朝、病院で24時間心電計を装着したことも
放念したままで帰ってきた。

11月29日まで、やってるよ。



半蔵門から丸ノ内まで

2009年09月26日 11時10分37秒 | 社長の放課後
今朝は、少し時間に余裕があり、
宿泊の半蔵門のホテルから、
土曜というのに打ち合わせのある丸ノ内まで
歩いてみることに。

秋の空気が横たわるなか、
皇居のお堀を左にしながらの景色は雄大、
手入れの行き届いた大自然である。

次々の追い越していくジョギングの都民たち。
「Tokyoっていいなあ」とつくづく思う。

約40分、歩数6828。
今日はまだ午後の高崎の行程がある。




木槿(ムクゲ)と芙蓉(フヨウ)の見分け方

2009年09月22日 09時19分09秒 | 社長の放課後

快晴。天気下り坂と言うので、
溜まりきった疲れに鞭打ち、出かけてみた。

いつもとコースを変える気分になった。
この時期、朝、眩しい東に向かって歩くのは辛い。

東海道線と湖西線が分かれる地点から一燈園へ。

額の汗を拭きながら、疎水に沿って行くと、
きらきらと光を散りばめたようなコスモス畑の向こうに、
ピンクや白色の花を付けた木が見えた。

それが木槿の花か、芙蓉なのか
疎水越しに見分けようとするが、悔しくもモヤモヤするだけ。
ネットによると、写真はどうも「芙蓉」らしい。

その見分けるコツは、葉をみることのようだ。
葉が、大きく広がっているのが「芙蓉の花」
全体がタマゴ形で少し濃い緑の葉のものが「木槿」。

ハイビスカスや立葵も仲間とあった。


博多では、なんと言ってもこれ

2009年08月25日 09時24分09秒 | 社長の放課後
博多に泊まるとなると、
その夜、自然と食べたくなるのは、
活きのいい、呼子の活イカ。
とくに昨夜のものは最高だった。

最高と言えば当ブログ、
開設以来、訪問者が10,000万人を超えたそうだ。

そう言えば、最近、名刺交換の場で、
「ブログ見てますよ」と言ってくれる人がいる。
継続は力なるか?・・・。


突如快晴で、京都市街が一望

2009年08月15日 09時16分31秒 | 社長の放課後
厳格なビルの高さ制限によって、
京都盆地の市街が綺麗に見える。

美を重視し、大にこだわらず、
譲りあって生きる都市・京都である。

賛否両論で葛藤のあった京都タワーも
今では京都の一面を示すシンボルの一つ。

京都は先の戦争で空襲が無かったというが、
子供のころ棲んでいた西陣にも爆弾が落とされたと、
当時の大人から聞いたことがあるし、
小学校にも防空壕らしい遊び場があった。

美を重視し、大にこだわらず、譲りあって生きることが
頼りない和紙のような平和を共にすることだと
京都は世界に示して行かねばならない。