前号の最後に、「いますぐまとまった費用を必要としない日々の院内広報こそが、病院広報と病院ブランディングの本質である」と書いた。このことをもう少し考えてみよう。「費用を必要としない」広報のあり方とは、広報は費用をかけなくてもできることもあるという意味であり、広報にカネはかからないという意味ではない。むしろ有能な広報担当者とは、「いかに予算を獲得してくるか」の能力が問われるものであり、「(広報誌を)おカネをかけずに手作りで」を賛美することではない。
改革や大成を思うなら、理想論といわれようと経営理念を軸として、一人ひとりの「共通の自覚」をうながすことから始まる。これには広報担当者だけが孤軍奮闘しても難しい。本気で取り組もうとする複数のスタッフとトップマネジメントの結束が必要であり、それを組織文化にまで高める覚悟があってはじめて新たな空気が流れるといえる。
つまり職員一人ひとりが、来院した目の前の、百人百様の一人ひとりに、全身を使ってのコミュニケーション(サービス対応)する。そこに生まれる一貫性が現実的で具体的な病院広報を形成する。
広報誌やホームページは、そのことを支援するためにあるのであって、メディアが広報をしてくれるわけではない。バックアップは強いほど都合がよい。そのためにカネをかける意味が生まれる。職員、とくに専門職の参加しない病院広報は非効率であるといえる。病院広報は「全員野球」である。そこに費用対効果を求めれば安いものではないだろうか。(HIS研・会報より)
