旧約聖書のサムエル記を読んでいると、国家や組織のあるべき姿が見えてくる。聖書には、私達人間が正しい方向に行くためのヒントが盛りだくさん書かれているが、残念ながら国家や会社の組織でもそれを実践しているところはほとんどない。結果、今の社会・世界が混沌とした非常に政情不安定な状況になっている。
IIサムエル記18章を見ると、今の時代の無責任上司がここでも存在することが分かる。当時のイスラエルの王、ダビデの右腕の戦士として活躍したヨアブである。ヨアブは大変有能な戦士だったが、血気盛んで横暴、気が短い所があり、サウル(ダビデの前の王。ダビデに嫉妬し、殺害しようとして自ら滅びに至った。)に仕えていたアブネルを危険な人物だと勝手に思い込み、殺害した経緯がある。 ダビデはこれを知っていて後にヨアブを呪ったが、優秀な戦士だっただけにダビデは何も罰を与えなかった。後に自分の息子ソロモンに死罰を下すように伝えているが、この時点では、ヨアブが相当な力を持っていたためにダビデは何も手出しできなかったようである。
組織の中にも彼のような人物を見かけることがある。人望はないが、人脈も広く、仕事ができるがために出世し、いずれは組織の害になっていく人。トップ人達も敢えて放置し、結果、傷口がどんどん広がっていき、組織全体を駄目にしていく。そしてこのような人は部下にも好かれていない。
その証拠に、IIサムエル記18章を読んでいくと、ヨアブの部下が、ダビデを殺害しようと戦っているダビデの息子アブシャロムの頭が木にひっかかっているのを見て、ヨアブに報告した。それに対してヨアブは11節で、「いったい、お前はそれを見ていて、何故その場で地に打ち落とさなかったのか。」と、部下を叱責した。 それに対してその部下は、ダビデから殺さないように、と命令されているから、それはできない、ときっぱり断っている。しかもヨアブに対してこうも言い切っている。 「もし私が自分の命をかけて、命令にそむいたとしても、王には何も隠すことはできません。その時、あなたは知らぬ顔をなさるでしょう。」
彼は、自分がヨアブの命令に従って、その結果、ダビデからお咎めがあっても(当時は死罪だった)、ヨアブは知らん顔をする、と分かっていたのである。つまり、ヨアブは無責任上司だということを、この部下は既に見抜いていたのである。
日本の政治も会社の組織の中でも責任の所在がはっきりせず、結果、多くの無責任上司・政治家が残念ながら存在している。しかし、新約聖書のローマ人への手紙13章1節に、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。」という言葉通り、無謀で横柄な上司に対しても従わなくてはいけない。
けれども、この言葉はただ妄信的に従いなさいと言っているのではない。人間はあくまで最終権威者である神の命令に従うべきであって、それが神様が言っていることと食い違っていたり、人として間違っていることは、たとえ上司でも従いなさいと言っているわけではないのである。
そういう点で、このヨアブの部下は非常に勇気があり、正しい行動をとっていたと思う。果たして今の日本社会で、明らかに間違っている上司に対して彼のように勇気を持ってノーと言える人がいるのであろうか?これは、聖書にかなり深く根ざして生活をしていないと、なかなかできないことだと思う。何故なら私達人間は皆弱く、見えない神よりも目の前の人を恐れており、他人のことよりも自己保身に走る傾向を持っているからである。
このヨアブの部下が上司に逆らった後、どのような人生をたどったのか、それは残念ながら書かれていないが、恐らくは上司に逆らった多くの人が辿るように、左遷されるか、同じ地位にとどまったとしても冷遇されるか、決して良い扱いは受けなかったであろう。
カネボウ株式会社の前社長兼会長であった三谷康人さんも、彼が現役の時に上層部の人達の受けが悪かった為に3回の降格と左遷をされたが、そんな中でも神様を見出して決してくじけず、左遷先でも結果を出し続け、その結果、1992年社長に上り詰めた。 三谷氏は奥さん共々、クリスチャンであるが、神に根付いた生活を実践していたからこそ、何をも恐れず、ただ正しいと思われることを勇気をもって行うことができたのであろう。何年か前に個人的にお会いしたことがあり、三谷氏の家にお誘いを受けたことがあるが、彼と奥さんの信仰心の強さには脱帽である。
興味のある人は、彼の著書、”ビジネスと人生と聖書-勝利へのマスターキー”を、読んで見るとよい。
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