どうもおかしな話のように思えるのですが、書店などでblogやSNSの本を探すと世間で言われているところのビジネスとしてのblogやSNSの利用方法といった言及がなされているものが非常に多いように感じます。もちろんMovableTypeといった技術的なソフトウェアやWebサイトの説明・入門書も多くを占めてますが、そのような本に書いてある内容は基本的にweb検索で比較的見つけやすく、インターネットの表層部分(インターネットの個々のページに階層構造はないが、有名/無名の比較のもとで前者にあたる部分ということにしておきたい)にあるものが多いので、あまり参考にはなりません。
参考になる文献自体、まだblog/SNSは世の中に現れて1,2年なので非常に少ないのですが、入門書とは少し違った、啓蒙以外の何かしらの意図を持った本がかならず何かしらビジネス面の見方をしているのです。一つには、ビジネスが新たな分野の開拓であるという捉え方から、その中で新しい事についてを、いち早く捉えようとする需要とのマッチングと考えることも出来ると思います。
例えばSNSに関する書店で見かけた唯一の書籍『よくわかる!ソーシャル・ネットワーキング』ISBN4-7973-2838では、SNSの歴史的側面や現在の各SNSの状況、また理論的なアプローチに関する説明がありますが、その帰結としてはビジネスの上でそのようなシステムをいかに利用すべきかとその例の提示がなされています。またこれはblogについても同様であり、それに応じた結果ビジネスという目的に対するネットワーク技術という考え方が広がっています。
今回、blogを廻っていて『スポンサードブログ』という言葉をRSSマーケティングを極めるというblogで見つけました。基本的に個人目的であったブログに対して文字通り企業がスポンサーとなってblogを書いてもらうという形式のblogです。これに関しても、ビジネスとしてのblogの活用という点で言えばスポンサーがつくことでこれまでとは違った意味合いを持ってくることも考えられますが、結局はそこまでする必要性があるようには思えません。元々blogは分散型に近いものがあり、たまたま発見したところで10000IPでアクセスが上位になっている程度です。これからのblogの発展でより規模が大きくなるとしても人間のblogを見る時間には限界があるのではないでしょうか。そのようなビジネスに向かないものを無理にでもビジネスとみなさなくてはならないのは依然として社会が経済という部分から価値を動かせていない証拠でしかないように思えます。
もちろん、今までに無いリンクに拠る新しいものの創発はビジネスという面においても有用であることは言えると思いますが、その構造が逆転してビジネスのためのシステムという形になったときに、歴史的な社会的な流れの枠と比べあまりに小さい範囲での出来事のように思えてきます。そこにはなにか経済に取り憑かれた、現代の人間のつまらない部分が見えてしまうのではないでしょうか。
参考になる文献自体、まだblog/SNSは世の中に現れて1,2年なので非常に少ないのですが、入門書とは少し違った、啓蒙以外の何かしらの意図を持った本がかならず何かしらビジネス面の見方をしているのです。一つには、ビジネスが新たな分野の開拓であるという捉え方から、その中で新しい事についてを、いち早く捉えようとする需要とのマッチングと考えることも出来ると思います。
例えばSNSに関する書店で見かけた唯一の書籍『よくわかる!ソーシャル・ネットワーキング』ISBN4-7973-2838では、SNSの歴史的側面や現在の各SNSの状況、また理論的なアプローチに関する説明がありますが、その帰結としてはビジネスの上でそのようなシステムをいかに利用すべきかとその例の提示がなされています。またこれはblogについても同様であり、それに応じた結果ビジネスという目的に対するネットワーク技術という考え方が広がっています。
今回、blogを廻っていて『スポンサードブログ』という言葉をRSSマーケティングを極めるというblogで見つけました。基本的に個人目的であったブログに対して文字通り企業がスポンサーとなってblogを書いてもらうという形式のblogです。これに関しても、ビジネスとしてのblogの活用という点で言えばスポンサーがつくことでこれまでとは違った意味合いを持ってくることも考えられますが、結局はそこまでする必要性があるようには思えません。元々blogは分散型に近いものがあり、たまたま発見したところで10000IPでアクセスが上位になっている程度です。これからのblogの発展でより規模が大きくなるとしても人間のblogを見る時間には限界があるのではないでしょうか。そのようなビジネスに向かないものを無理にでもビジネスとみなさなくてはならないのは依然として社会が経済という部分から価値を動かせていない証拠でしかないように思えます。
もちろん、今までに無いリンクに拠る新しいものの創発はビジネスという面においても有用であることは言えると思いますが、その構造が逆転してビジネスのためのシステムという形になったときに、歴史的な社会的な流れの枠と比べあまりに小さい範囲での出来事のように思えてきます。そこにはなにか経済に取り憑かれた、現代の人間のつまらない部分が見えてしまうのではないでしょうか。