log for logs

Blogといったネット上メディアについて
日常の話題に沿って発信します。

ネットワーク技術とビジネス志向

2005-02-28 04:49:22 | 考察視点
どうもおかしな話のように思えるのですが、書店などでblogやSNSの本を探すと世間で言われているところのビジネスとしてのblogやSNSの利用方法といった言及がなされているものが非常に多いように感じます。もちろんMovableTypeといった技術的なソフトウェアやWebサイトの説明・入門書も多くを占めてますが、そのような本に書いてある内容は基本的にweb検索で比較的見つけやすく、インターネットの表層部分(インターネットの個々のページに階層構造はないが、有名/無名の比較のもとで前者にあたる部分ということにしておきたい)にあるものが多いので、あまり参考にはなりません。
参考になる文献自体、まだblog/SNSは世の中に現れて1,2年なので非常に少ないのですが、入門書とは少し違った、啓蒙以外の何かしらの意図を持った本がかならず何かしらビジネス面の見方をしているのです。一つには、ビジネスが新たな分野の開拓であるという捉え方から、その中で新しい事についてを、いち早く捉えようとする需要とのマッチングと考えることも出来ると思います。
例えばSNSに関する書店で見かけた唯一の書籍『よくわかる!ソーシャル・ネットワーキング』ISBN4-7973-2838では、SNSの歴史的側面や現在の各SNSの状況、また理論的なアプローチに関する説明がありますが、その帰結としてはビジネスの上でそのようなシステムをいかに利用すべきかとその例の提示がなされています。またこれはblogについても同様であり、それに応じた結果ビジネスという目的に対するネットワーク技術という考え方が広がっています。
今回、blogを廻っていて『スポンサードブログ』という言葉をRSSマーケティングを極めるというblogで見つけました。基本的に個人目的であったブログに対して文字通り企業がスポンサーとなってblogを書いてもらうという形式のblogです。これに関しても、ビジネスとしてのblogの活用という点で言えばスポンサーがつくことでこれまでとは違った意味合いを持ってくることも考えられますが、結局はそこまでする必要性があるようには思えません。元々blogは分散型に近いものがあり、たまたま発見したところで10000IPでアクセスが上位になっている程度です。これからのblogの発展でより規模が大きくなるとしても人間のblogを見る時間には限界があるのではないでしょうか。そのようなビジネスに向かないものを無理にでもビジネスとみなさなくてはならないのは依然として社会が経済という部分から価値を動かせていない証拠でしかないように思えます。
もちろん、今までに無いリンクに拠る新しいものの創発はビジネスという面においても有用であることは言えると思いますが、その構造が逆転してビジネスのためのシステムという形になったときに、歴史的な社会的な流れの枠と比べあまりに小さい範囲での出来事のように思えてきます。そこにはなにか経済に取り憑かれた、現代の人間のつまらない部分が見えてしまうのではないでしょうか。
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blogの二面性

2005-02-24 03:11:03 | 考察視点
前回、前々回とあげた文章から関連性があるのだが、なぜblogを書くのかという根本的な部分を考えてみた。いや、考えないとこの後に続けて行く事が自分として納得がいかないからだ。

その前にblogの大前提として、自らの日々の生活なり経験に即した時系列の上で成り立っているという視点からblogを規定しておこう。その上でblogのエントリの内容は大きく分けて2種類に分かれる。一つは意見の主張つまり「ネット言論」という流れからの社会的な関心事に対する主張なり反論なりを表明するという文章である。もう一つは「web日記」という流れからの自分の内的な事柄を書き残すという文章である。もちろん日記とは違ってその中に他人(もしくは自らを知る知人)に見られるということを前提にして書いていくという形が主流になると考えられる。知っての通りかどうかは分からないが、blog発祥の地アメリカでは前者が主流で後者はほとんど無いことを見ても、決して両者は同一の側面では無い。

以前室井教授のコメントに私が分けて書いているblogに関する記述があったが、いわばこの二つはパブリックとプライベートの関係となっている。両者は全く想定する対象が違うと考えられる。
もちろん、全く見えない外に向かってプライベートな部分を見せるという側面はwebという特性を考慮するとあるとは思うが、「web日記」という観点では見せる対象となる射程はある程度の範囲に限られるといえるだろう。つまりプライベートな部分をパブリックな中に盛り込ませるというのは難しいといえる。これは擬似的な匿名を前提とした部分で、外側から見た場合は知らない人の独白に写る。
こう考えた時に、例えばニュースなどを見たり、様々な本を読んだりというのがプライベートな側面でその部分からのパブリックな記述をしているという見方もできるとは思う。
多分、多くの人の観点ではblogというものが、このような見方でプライベート的な部分として捉えられているような気がする。RSSに日本ではblogが入り込んでいるのもこれが理由だろう。
そのような点で、PLAYNOTE.netというblogで書いてあった、『「アカの他人の日記なんか誰が読むか」。これが今までの通説だった。が、「アカの他人」でないなら事情は一変する』という部分は的を得ているように思える。しかし、その中にある日記的な意識がパブリックな目的への反作用として働いているのではないだろうか。

その部分の先入観というのが、私の中でblogを書く理由に対しての疑問を生み出している。つまり、blogで書いていることが、それが独白としてのものはないかという疑問だ。
SNSではそのような部分に対して、blogを見ている他人までも自らの知り合いという意識を作り出しているという点で、その問題は表面化しないが、blogにおけるトラックバックなどを見てみてもそれが、新たなコミュニケーションを生み出すものにはならないように感じてしまう。非常に表面的なのだ。
殺シ屋の名は鬼司令というblogにそのような部分と関連付けるエントリがあった。「ブログはコミュニケーションツールでは《ない》」というタイトルである。これについて、私の考えでをもとに言うと。「ブログはコミュニケーションツールとして《とらえられていない》」という形になるように思える。
しかし、blogを書くという事自体に対する意味性は存在すると思う。これは経験上でもあるのだが、blogがそれを書くための素材集め、もしくは思考といったものを誘発しているという見方も出来る。つまり、内的な知識の増幅という観点ではその意味性があるように思える。
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「情報社会の倫理と設計についての学際的研究」について

2005-02-18 20:22:04 | 存在視点
今回はたまたまRSSリーダーに情報源として登録されていた、recent events@TRiCK FiSHさんで取り上げられていました、ised──情報社会の倫理と設計についての学際的研究というサイトに興味をもったのでこれについて書いてみたいと思います。
このサイトは情報社会に対する専門家の研究議論をインターネット上で行っていくというものです。議論の内容もこれからのインターネットにおいて重要となってくる、「倫理」と「設計」つまり前回SNSの部分で考えた、人間の内部(内面+周囲に広がる関係性の部分)と外部(利用する場としての空間)についての抽象化された概念のように思えます。
内容についてはまだ私自身が読み進めているところなのでコメントは次回に回したいのですが、その研究議論をネット上、しかもblog(アドレスを見てもわかることですがシステム的には「はてな」が提供しているものと考えられます)のシステムを使って発表している部分に注目しました。
このサイトについていうとトラックバックによる似たような関心をもつ人のblogに対するリンクが自動的に張られていきます。つまりその部分で閲覧者に対する二次的なつながりが期待できるのではないかと思いました。またはてな特有のキーワードシステムを内部に持つことによって、必要な部分の補足を行い、さらにその補足部分にもトラックバックなどを行えるようにすることで、ハイパーリンクの本来の目的を目指しているように感じました。
しかし、リンク元のシステムが、結局自分のサイト内部からのトラックバックやリンクばかりになってしまっていたり、結局議事内容は静的な従来のWebページと同じ状態で、応対などが個別のメンバーblogでしかできなそうだったりと問題点もあるように思えます。
それでも様々な点でのシステムとしてのblogの利用の一例としてとても面白いと思いました。
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SNSについて考える

2005-02-14 01:17:52 | 考察視点
リンクを張っている、「短信」と「大学ホームページを斬る」でSNSというblogとはまた違った構造をもつコミュニティにつれられて触れられていたので、こちらでもそれについてちょっと考えていたことを書くことにします。
私自身はSNSには参加していません。よく私が訪れていたblogので、"mixi"というSNSのサービスに実質的に移行してしまって、blogの更新があまりされなくなった方が居ますが、SNSというのは従来のインターネットのコミュニティと違う部分があり、それが話題となっているのでしょう。
言うならば、見えない他者という一方では大きな魅力でありまた不安でもある部分への、システム側からの限定によって、その部分の信頼性をあげたのがSNSだと僕は解釈しています。SNSに関する書籍は少ないのですが、たまたま持っている書籍では非限定性のインターネットコミュニティの代表例としての2chと比較して、その信頼性と社交的な雰囲気を特徴としてあげています。
これは確かに従来のインターネットにおいて何か人間の下賎な状況を感じてしまうという状態への打開策としてのシステム、つまり現在のインターネットの状況を直視してきた者であればあるほど何か理想形のように捉えてしまいます。しかし、その面の利点ばかりをあげると何か変だと思えてきます。限定された枠の中での新たな出会いとはインターネットで無いべつのコミュニティの模倣であるように私は感じます。例えば大学のサークルを挙げてみると、もちろん大学といった限定要因があるわけで、その現実世界の原理をインターネットに取り入れようという考えに過ぎないのではと思えてくるのです。
SNSはインターネットの現在の状況の改善策としてシステム面つまり外部を変更しようとしていますが、結局変化する必要があるのは、人間の内部ではないでしょうか。たとえば多分多くの人は誰かの作ったとするホームページを見るとき現在の状態では情報収集という目的が先にたっています。もちろん情報収集の目的は重要ですが、blogといった部分では情報のやり取りつまりコミュニケーションが外的なシステムによって作り出されます。これもSNSの理念と同じように外部を変更することによって考え方が変化したといえます。しかし、そのようにして内部の考え方まで変わる人は多くありません。外部のみに終始していると結局そのシステムの利点を生かせないように感じます。
このような内部の考え方を変えないと、結局人のblogを見る時もただ情報を得る事だけを意識していて、全く情報を与える部分を意識しないということがおこってしまい、殺伐としてしまうように思えます。「大学ホームページを斬る」の部分で語られていた「ネットひきこもり」はこのようなインターネットに対する意識が生み出しているのではないでしょうか。
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日本対北朝鮮のサッカーからblogを見る

2005-02-11 20:37:57 | メディア視点
blogの特性を考えるために、前々回にやったようなblogによる情報の検索とその分析を続けることにします。
今回のテーマとして、前回と質的には同じ特別の場における経験からの意見の記述という面を持ち、前回よりもかなりその範囲が広いと考えられる「日本対北朝鮮」のサッカーについてのblogでの記述を検索してみたいと思います。
これについては私自身もテレビを通してですが、見ていたので内容は分かります。
まずは前の分析と同様にwebニュースによる記述をあげてみます。
 
日本、2―1で辛勝 大黒が勝ち越し弾 W杯北朝鮮戦 asahi.com : スポーツ : サッカー
この記事が全体の流れを記述した記事です。
全体の流れという観点以外に、得点をあげた2人の選手のインタビュー記事といった部分が関連記事として書かれています。

06年W杯予選 アジア最終 日本2-1北朝鮮 MSN-Mainichi INTERACTIVE サッカー
上の朝日の記事と同様に全体の流れを日本チーム側の視点で記述した記事です。
そのあとに選手の試合内容についてのコメントのような形で内容を補充しています。

今回はblogのエントリ数が相当な数になると考えられたので、
意図的に一言のエントリは除外し、内容の似たエントリを形式化して、
どのような構造になっているか分析してみたいと思います。


いまさらながら日本対北朝鮮を振り返る 何のための若さだ!
このblogでは試合を見た結果としての、政治とスポーツの違いに対する自分の考えがスポーツ選手の顔といった例を出しながら書かれています。

サッカー 髭眼鏡写真館雑記
北朝鮮国籍の在日の人の抱えている問題を、サッカーの応援という立場から記述していると思います。
サッカーの内容というよりはその周囲の状況についてのメタ的視点で、書いている方は日本人だと思いますが、試合の内容とは他の視点に立つことが出来ていると思います。

やっぱりサッカーって甘くない。だからこそ味わい甲斐が有る。 創難駄クリキンディーズ2004福岡
こちらは基本的には日本チーム側に立った記述ですが、試合の内容から北朝鮮へのスポーツという観点での尊重がなされている事で、中立的な立場に立った内容になっているように感じました。
その立場からのサッカーに対する考え方やメディアの対応についての批判が新鮮に感じられました。

サッカーと野球 オレ流推定日記goo
こちらのblogでは試合の視聴率の部分から、サッカーへの注目と野球に対する不安感というよう形で
話を展開しています。サッカーからスポーツという、より広域の枠を捉えているように思えます。
ただしこの場合は日本・野球という部分に限定することで話を生活に近いものにしているようにです。

カリヨンの観測気球 面目躍如なるか! 「57.7%」
こちらでは元となるデータに視聴率を取り出して、内容とは違った部分の指標からの話題提起をしています。しかし視聴率についてよりも、国家とスポーツについての文章のほうが主となっています。本文では「話が逸れた」とされているがこの逸れ方こそblogにとって重要なように思えます。

日本と北朝鮮の関係  何も考えずに生きる。
こちらも詳しい内容には言及せずに、日本サポーターと北朝鮮サポーターが分けられたという環境の部分からその裏にある問題は何かという問題的をしています。

サッカーを文化として根付かせるために・・・ アイドルブログ
こちらのblogでは視聴率という面から、経済的な格差とそれを意識しないマスコミと国民性の批判がされています。
問題の提起のためにトラックバックを利用しているのも面白い試みです。

日本VS北朝鮮 MBA -30歳の挑戦-
このblogでは、試合の感想や視聴率の話題の提示などから、スポーツの政治を超えた側面と北朝鮮の政治体制への批判がなされています。


結果としては数が多すぎて全てを網羅的に回ることは不可能なようにも思えてきました。
この情報量のほうが人間の能力を上回っているという状況は現在の世の中で当たり前となっているのではないでしょうか。だからこそ、リテラシーとかそのような情報をどうやって集めるかということが言われるのかもしれませんが、そのようなリテラシーという考え方があっても、結局はどのblogを読んでしまうかは偶然に近い部分があります。偶然性の中からつながりが生まれていくというのは実生活でも良くある出会いであって、それがblogにとっても必要となってくるのでしょう。

エントリを見ている中で、サッカーという話題を話の発端としていたとしても、全体の内容を総合的に見てみると例えば在日朝鮮人についてや、更に大枠の政治とスポーツの関係についてであったりと、言及の枠が一つ外側に拡張されているように考えられました。
もちろんサッカーについての部分で更に一段掘り下げた内容を書いているエントリもあります。しかし、それも大きい枠への拡張という意味では同じでしょう。
これはニュースというメディアの中では別の部分(例えばコラムといった部分)で補わなくてはなりません。この別枠の意味内容へのネットワーク的なつながりが一つの文章の中で作られているということは重要です。

もうひとつは、多くのエントリでトラックバックを辿ることで同じテーマの違うエントリを見つけるということが出来たことです。これはテーマが前回と違った規模であることのの影響でもあるのですが、しかし、トラックバックとはこの点において記述する側への機能なのか、それともそれを見る側への機能なのか。その部分が疑問となります。
記述する側はトラックバックを張ることによって、自らの参照の足跡を残すことになるわけですが、それ自体の効果については未知の領域です。トラックバックのお返しという部分も慣習的なものなのでその機能的部分が未来のたくわえのように思えるのです。一方情報をblogでまわるときこのようなトラックバックは非常に有用であるといえます。
そこにはトラックバックの利用に関する2面性とも言うべきものがあるのかもしれません。


今回も引用したサイト元にはトラックバックを送らせていただきました。
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BLOGに対する情報収集

2005-02-06 01:46:14 | 存在視点
自ら日記目的ではないblogを書いて、また他の人のblogから更新された情報を定期的に見る、という行為をこのblogを始めて以来(といってもまだ1週間足らずだが)多くするようになってきたように思います。
その時「この定期的」と「blogから」という事が問題となりました。

定期的な情報の収集として、私は旧来はてなアンテナというサイトにwebページを登録してチェックするという形をしていました。この方法は従来の気になっているwebページの更新をチェックするという目的は達成していたのですが、gooと言ったタイプの(hatenaではない)ブログに対してそれほど有用でないのです。理由はhatenaがhtmlでホームページを見た際のタグがではない部分で拾ってくると言う方式だからでしょう。これはhtmlファイルに改変を加えてwebページを更新すると言う従来のホームページ、もしくは提携されているはてなダイアリーについては十分ですが、他のタイプのブログ(他には一部の広告付きプロバイダ)に対しては敏感に反応しすぎてしまいます。実際の例を挙げてみると、

  「コメント (1)」というようにコメント部分に反応するが何かコメントされたかは分からない。
  「・占いは信じますか?」のようにテキストベースの広告に反応してしまう。
  「January 2005 1 23456789101112131415(以下略」のようなカレンダーに反応してしまう。

などの致命的な問題が起こってしまいます。他にはロボット拒否に弱いなども挙げられます。
もちろん優秀な面も多くあり、単に私の使い方が下手だという指摘もあるでしょうが、とりあえずこのような状況では上に挙げた目的は果たせないと判断しました。

そこでRSSリーダーを始めて導入しました。手始めだったので、このblogのホストでもあるgooが提供しているリーダーを使ってみることにしました。RSSについてはまた別の機会に考えてみたいですが、簡単に説明すると「blogといったwebサイトの見出しや更新日時を、XMLという構造でまとめる方式」というものです(参考文献 『入門RSS』毎日コミュニケーションズ ISBN: 4839916497)。
blogについてはこれで大分情報収集が効率化できました。

これに関して、このRSSリーダーの機能の一つにキーワード設定という項目があり、これに対し私は関心をしました。
自分の関心のあるキーワードを打ち込むと、関連のある情報が書かれたblogを勝手に引っ張ってくると言うものです。もちろん全文を見にサイトに行くことができるし、そのRSSをリーダーに登録することも容易で、非常にblogという場において重要であるように思えました。

ためしに前回の流れから「唐十郎最終講義」というキーワードを打ってみましたた。
結果としては8件。時間的な遅さを抜きにして効果は人力で検索した身としてはそれほどではないようにも思えました(すべてのblogが検索済みで他にも多くのblogがあったため)が、手段の一つとしては有効だと思います。

ただしこれにもこのblogに限ったことであるが問題が一つあります。それはキーワードに「blog」と打ち込むと、「最近blogの書き込みをサボってる」という表現や「~のblog」のようなタイトルのblogがまず出てきてしまうのです。私の前回の文章も「blog」という文字を見出しに使っているので取り上げられていました。もちろんその中にも有用な情報はありました(後々話題にするテーマがあれば紹介します)が、メタ的なものの考察の盲点として考えなければならないように思えました。やはり、基本は怠惰しないで情報収集をするということでしょう。
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続・唐十郎教授最終講義からblogを見る

2005-02-03 01:02:59 | メディア視点
googleといった検索エンジンの精度の上昇によって、インターネットでの情報のやり取りが活性化されたことには誰もが同意することでしょう。しかし、それはどちらかというと静的なHTML形式の情報において有効であるように思えます。理由として前回情報収集をするにあたって、検索エンジンはほとんどblogというメディアに対して効果をあげなかったことがあります。実際の生の場面から2日もの時間がたっていたにもかかわらずです。
基本的に前回の検索手段はgoogle,主要なblogサービスのトップページからの検索,hatenaのキーワード検索,RSS情報サイト等によって行われました。しかし、結果としてそれほど多くの情報ソースにたどり着くことはできませんでした。
前回から3日経っていますので、ここでさらに多くの手段を使って検索してみたいと思います。

唐十郎 横浜国大での教授として最終「公演」 わたくし犬でございます
私的な大学に対する体験・思いから、この題材を通じて、大学のありようとその中での教員の魅力についての文章です。
文章のソースとして、webニュースを参考にしていることが書かれています。

唐十郎さん最終講義、アングラで締めた 横浜国大退職へ はる@の日記
こちらはwebニュースから題材をとって一言コメントを挙げているタイプです。
内容にはあまり触れていませんが、自らの状態と照らし合わせて記述しているように思えます。

唐先生 はてな?@うぇぶ録
日記に近い記述です。行けなかったという状況説明ですが、
前回取り上げた日記に対する応答が見られます。

唐十郎さん退職 THIRTEEN YEARS OLD
こちらはwebニュースをソースとしていますが、実際の過去の体験との照らし合わせで感想を述べています。このような場に居ないが詳しいという人間と実際の場に居た人間とをつなぎ合わせる機能が必要だと思いました。

唐十郎最終講義 re:cord>>>type-T85326
こちらは実際の体験を元にして書かれています。ちょうど上のblogと対称的です。
素直な感想として思いを書いている用に思えます。

最終講義 kareta cosmos
こちらはソースは実際の体験からだと思います。
非常に詩的な雰囲気で自分の思いと実際の場面が描写されています。

唐十郎 双子座!!
こちらも実際の体験を元にして書かれていますが、その外部的なイメージが付随しているように思えました。全体として、文字の強調などが多く今まで挙げた例にはにない形のように思えました。

ここで検索をしていて気づいたことがいくつかあります。
まず一つは、webニュースが短期間で消えてしまうということです。blogからのリンクがあったにもかかわらず既に記事内容がなくなってしまった、もしくはヘッドラインからアーカイブへ移ってしまったというサイトがyahoo!ニュースなどで見られました。
また、基本的にblogはニュースや体験に即しているはずなのですが、前回検索して回った後から新しいblogの書き込みがいくつかあったということもあります。これについてblogが即応性以外の側面をもっているという視点が開けたように思えます。
他には、前回かんがえた情報源の二面性と同時にblogの書かれる目的というものも皆違うようです。自らの感情の描写、場面の描写、意見の発表、様々にあるように思えました。
前回の検索方法に加えてRSSフィードを使った検索サイトが見つかり、これが効果的でした。しかしRSSについては非常に限定された知識しか持っていません。この部分についても勉強の必要性があると感じました。


最後にblogの機能の重要な側面としてのトラックバックについて、実験的ではありますが検索したサイトにトラックバックを送りました。これがどのような効果を及ぼすのかは分かりませんし、そもそも引用しただけなのにトラックバックを送っていいのかなど、トラックバックに関するマナーのようなものも分かっていません。方法に失礼などがあった場合はご指摘おねがいします。
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