シーシェパードの行為は批判されてしかるべきものですね。まったく正しいとは思えません。焦っているのか、それとも我慢の限界なのかなど、彼らの考えを色々想像してみましたが、あれはただの過激派でしかない。
大体なんでそんなに捕鯨行為にだけにこだわるんだ? 世界には不条理な理由で殺される動物たちはいっぱいいるのに…。よくわからん。
どう考えても環境問題に託けた環境テロリスト集団だな。正義は自分たちにあるとでも洗脳されて気持ちよく闘っている幻想を抱いているのでしょう。船をぶつけて暴れたいのが最大理由と予想する。
しかし一方で、なぜ日本人は鯨を食べるのか疑問がある。歴史的に見て昔から日本にあった「食文化」という表現を見かけますが、なぜ現代でもそれを継続する理由があるのでしょう。食べたい、という欲望の正当化に「食文化」を使うのはいかがなものかと思います。
私は文化というのは、時間の経過とともに品質を上げていくべきものと考えています。1000年前と現代では明らかに変化しているものがあり、継続する理由がないものは、継続すべきではないと思うのです。
例えば、毛皮がないと凍死してしまう地域では、動物の皮は大切なアイテムでした。認めます。しかし現代では化学繊維の方がはるかに優秀です。この点で毛皮文化を継続する理由がありません。ファッションだ、というのは単なる欲望です。凍死する恐れのない現代人が、動物の命を奪ってまで毛皮を身に着ける行為が文化的とは言えませんね。
食文化も同じです。現代でも犬を食べる国はありますし、20世紀に入るまで死者の肉を食べていた部族も存在してました。それらも含めて「食文化」だと言えるのでしょうか。ではそれらは保存されるべき文化だとでも言うのでしょうか。
人間は、少しずつ課題をクリアしてきたと思います。それを叡智と言います。叡智を働かせることによって、欲望をコントロールしてきました。「食文化」に関しては、国や地域の問題ではなく、人類全体でクリアすべきもの【食に関する欲望】です。そうしないと、牛・豚・鳥にまで人類の叡智が及ぶのがどんどん遅くなってしまいます。
私はさすがにシーシェパード的発想には至りませんが、それでも欲望丸出しの肉食擁護論には同意できません。
私は、「ベジタリアンです」とカミング・アウトすると、よくこう言われます。
「よく我慢できるね~」と。
しかし、その言葉には実は結構傷つきます。
どうか皆さん、特に肉食派の人、ベジタリアンに向かって「我慢」などとは言わないでくださいね。
少なくとも私は我慢してません。
私は命に対して可能な限り「謙虚」であろうとしているだけです。「謙虚」を追求した結果、ヴィーガンというポジションになっただけです。そしてそういう意識の持ち方こそが「食文化」なんじゃないかな~と思っているのです。自分の理想に向かっているつもりなのです。
これからも何度でも言いますけど、そもそも人間は肉を食べなくても死にません。食べなくていいものを食べる、不要なものを必要と言い張るのは「文化的」ではないと思うのです。
大体なんでそんなに捕鯨行為にだけにこだわるんだ? 世界には不条理な理由で殺される動物たちはいっぱいいるのに…。よくわからん。
どう考えても環境問題に託けた環境テロリスト集団だな。正義は自分たちにあるとでも洗脳されて気持ちよく闘っている幻想を抱いているのでしょう。船をぶつけて暴れたいのが最大理由と予想する。
しかし一方で、なぜ日本人は鯨を食べるのか疑問がある。歴史的に見て昔から日本にあった「食文化」という表現を見かけますが、なぜ現代でもそれを継続する理由があるのでしょう。食べたい、という欲望の正当化に「食文化」を使うのはいかがなものかと思います。
私は文化というのは、時間の経過とともに品質を上げていくべきものと考えています。1000年前と現代では明らかに変化しているものがあり、継続する理由がないものは、継続すべきではないと思うのです。
例えば、毛皮がないと凍死してしまう地域では、動物の皮は大切なアイテムでした。認めます。しかし現代では化学繊維の方がはるかに優秀です。この点で毛皮文化を継続する理由がありません。ファッションだ、というのは単なる欲望です。凍死する恐れのない現代人が、動物の命を奪ってまで毛皮を身に着ける行為が文化的とは言えませんね。
食文化も同じです。現代でも犬を食べる国はありますし、20世紀に入るまで死者の肉を食べていた部族も存在してました。それらも含めて「食文化」だと言えるのでしょうか。ではそれらは保存されるべき文化だとでも言うのでしょうか。
人間は、少しずつ課題をクリアしてきたと思います。それを叡智と言います。叡智を働かせることによって、欲望をコントロールしてきました。「食文化」に関しては、国や地域の問題ではなく、人類全体でクリアすべきもの【食に関する欲望】です。そうしないと、牛・豚・鳥にまで人類の叡智が及ぶのがどんどん遅くなってしまいます。
私はさすがにシーシェパード的発想には至りませんが、それでも欲望丸出しの肉食擁護論には同意できません。
私は、「ベジタリアンです」とカミング・アウトすると、よくこう言われます。
「よく我慢できるね~」と。
しかし、その言葉には実は結構傷つきます。
どうか皆さん、特に肉食派の人、ベジタリアンに向かって「我慢」などとは言わないでくださいね。
少なくとも私は我慢してません。
私は命に対して可能な限り「謙虚」であろうとしているだけです。「謙虚」を追求した結果、ヴィーガンというポジションになっただけです。そしてそういう意識の持ち方こそが「食文化」なんじゃないかな~と思っているのです。自分の理想に向かっているつもりなのです。
これからも何度でも言いますけど、そもそも人間は肉を食べなくても死にません。食べなくていいものを食べる、不要なものを必要と言い張るのは「文化的」ではないと思うのです。
という私の現状ですが。
やはり人類は肉食をやめる方向に少しずつでも向かうべきです。
そして、争いや武力が解決方法にならない事にも気付くべきです。
少しずつでもいい、そう進んで欲しいものです。
追伸
なんか、kkさんにぴったり! という感じの
緑色の目に優しいブログですね (^o^)
ホッとします。
コメントありがとうございます。
投稿名を見間違えて、一瞬びっくりしました。よかったですよ「893sun」でなくて。(* ̄∇ ̄*)
コメントありがとうございます。
なかなか落ち着いたいい色合いですよね、このテンプレート。気に入ってます。
食生活の中で、今日の一食、今週中の一食、どんなにわずかでもいいので、考えて行動してみて下さい。完全にベジるのが難しくても、一食をコントロールしてみて欲しいです。小さいことの積み重ねが、どこかの不幸な牛や豚や鳥の命を救うことに繋がります。
mogeさんもご存知の通り、この世には偶然はありません。すべてが必然と個人の自由意志によって道が決まります。家族がある方がベジるのは実際問題として大変だとは思いますが、何かのきっかけを見つけて、何か行動してみて下さいね。
気の毒な動物たちを代表して
<(_ _)> オネガイシマス