鞆まちづくり工房 竜馬ゆかりの町家再生プロジェクト

瀬戸内の潮待ち港、鞆の浦(とものうら)で2004年11月から始まった、かつて坂本竜馬も訪れた町家の修復工事の様子。

「平和な人」!

2006-10-20 10:59:56 | 「人」
まだ大工さんがはいれないんですよね~~
今、また新たに1軒、空家が店舗として甦るべく改修中で、そこの工事もお願いしてたのがちょっとずれこんでまして…。

今日は、平和建設の岡田社長が朝日新聞の「平和さん」のコーナーでご紹介されていましたので、ご紹介します♪
岡田社長は、貫禄がおありなので、見た目は実際の年齢より上に見えます。最初は社長さんという事で私も緊張しておりましたが(最初だけか!?)実はお茶目で(失礼!)楽しい方なのだということが判明してきました…。

高知石灰工業さん

2005-12-19 12:08:07 | 「人」
先週は寒かった~。昨日は鞆も雪が積もりましたよ。
さて、先週の16日(金) 高知県の南国市にある高知石灰工業株式会社の田社長(写真右の方)が、鞆へお越しくださいました。
田社長は、今年3月の高知新聞さんの記事を見てこちらへご連絡を下さり、高知にある企業としてご協力したいと、何と土佐漆喰のご提供をお申し出下さったのでした。その後、工事が休憩していたのでなかなかご連絡できず申し訳ありませんでした。
平和建設さんが図面を送って下さっていたので、概要は分かって頂いてましたが実際の現場を見るのはこの日が初で、図面を見て考えられてたよりは実際は小さいですねとおっしゃっていました。そうなんです、この小さい所にいろいろ詰め込むので大変なんです…。

浜田社長は土壁を触ったり匂いを確かめたり、さすがプロだなぁ~と思いました。それにいくら竜馬=高知つながりだとはいえ、1枚の記事を見て材料の提供を決めてくださるなんて。「自分では出来ない事だから、実際にやっている方にこういう形でご協力させてもらってるんです」と言われてました。それこそ、私たちは自分達の町のことですから、一生懸命やって当たり前です。でも、他所の事までこんなにご協力できるかと言えば、やはりなかなかそうは行きませんよ。

企業は、地域の皆さんによって支えられている。それを地域の皆さんにお返しするのが当然である。とも、社長は言っておられました。地元でも公共の施設などにいろいろとご協力をされているそうです。
高知石灰工業田社長をはじめ、従業員の皆様、大変お世話になりますがどうぞ宜しくお願いいたします。

うちは人も金も不足してます。お陰さまで周りの方々に本当に恵まれて、こんな事が出来てるんだと改めて実感しました。ありがたいです


萬蔵さんのお孫さん

2005-01-14 21:12:32 | 「人」
昨年の10月4日 工事着工前。うちのスタッフ、工事関係者の皆様、痕跡調査をお願いしている広大三浦教授、そして魚屋萬蔵さんのお孫さんにお集まり頂き、魚屋萬蔵さんのお墓参りをしました。‘これから工事を始めさせて頂きます’というご報告です。 写真がその様子。そしてそこに写っている素敵な女性が、萬蔵さんのお孫さんにあたる方です。お忙しいのにいつもお話を聞かせて頂いたり、こういう行事にも参加して下さっています。

でも私達がこの家を買った時に住んでおられたのは別の方なので、お孫さんの事は私達全く存じ上げなかったんです。テレビでこの改修事業の事が放送されたのをご覧下さってまちづくり工房の事務所にお電話を下さったのがきっかけでした。 忘れもしませんそのお電話、私がとったんです。

(お孫さん)「先日のテレビを見て懐かしいなぁと思いまして…。私も昔は鞆に住んでおりました。出来ればご協力したいと思ったのですが…。」
(私)「そうですかぁ♪わざわざありがとうございます。ちなみに鞆のどの辺に住んでおられたんですか?」
(お孫さん)「そこです。」   (私)「?へ??」
(お孫さん)「そのお家です。私は萬蔵の孫にあたるんです。」
(私)「・・・。え゛~!そうでしたか!!い、いまどちらにお住まいなんですか!お、お話を・・・」

もうホントにびっくりしましたよ。それからお会いして、住んでおられた当時の事などたくさんお話して下さいました。 昭和初め頃は1軒のお家を2軒に分けご親戚にあたる方と2世帯で住んでおられたから玄関も2つ、階段も2つ出来ちゃったとか。(実は江戸時代の逃げ道用の隠し階段か!?な~んて思ってたんですが、どうも違ったようで。) 戦後、お孫さんの一家はあの家を出られて、ご親戚の方、つまり私達にこの家を売った方が、最後の住人。この最後の方と魚屋萬蔵さん一族との関係すらわかってなかった私達。「はぁ~なるほど」「ほぅ~そういう理由で」の連続でした。(せっかくのこのお話を何かにまとめなければと思うのですが、プライバシーに関わる事もありますので慎重にやります)

「皆さんのお陰で家がよみがえります。楽しみです。一番に泊まりに来ます」お孫さんが、私達に会うといつもそう言って下さるんです。ほんとうにうれしい。前向いて進んで行こうと改めて思えるんです。  関係者の皆さん、お孫さんが言う‘皆さん’ってもちろん皆さんの事ですから!これからも一緒にがんばりましょうね。

ある日のミーティング

2004-12-23 19:50:20 | 「人」
写真右、今川さん。左は平和建設久岡課長さんです。このような関係者とのミーティングの積み重ねが、あのAMEXの助成金10万ドルにつながったのです。

今川さんは、東大西村研のOBで5年前から鞆にかかわってくれています。助成金は、彼のお陰で頂く事が出来たといっても過言ではありません!  WMF「世界文化遺産財団」への申請書、その一連の報告書から今回のAMEXの助成金申請書も全て彼によるものです。何度も鞆に足を運び、関係者とのミーティングを重ねながらまとめていってくれました。今後も報告書を作成してくれます。
 
彼は大学院在学中から鞆とかかわりはじめ、私達以上の思いを持って、また私達とは別の目線で鞆を見て、一緒に活動してきました。私達よりもたくさん鞆を歩いて、鞆の人達と話をしていると思います。 申請書作成の時、私達も一応下書きは書いて(もちろん日本語でね)彼に渡しましたが、彼はそれをただ訳したわけではなく、「最初っから書いてくれりゃあいいのに~!」って思わず言ってしまったくらい、素晴らしい申請書を作成し直してくれたのでした・・・。いつもすみません。

なかなか表には出ない人です。先日の助成金贈呈式も仕事で欠席。せめてココで皆さんにご紹介したかった!いつも本当にありがとう!
  

鞆を支える人です。

2004-12-22 18:15:12 | 「人」
今日は、広大の三浦先生と研究室の学生さん達が調査に来られました。NHKさんの取材を受けながらの調査でしたが、昼過ぎには終了しました。今日の調査を基に、江戸、竜馬が来た頃に時代を合わせ(いろんな時代がMIXされた建物なので)復元図を作成して下さいます。 ちなみに、27日(月) NHKのお好みワイドで18時10分過ぎ頃放送予定ですがいつ始まるかわかりませんからテレビの前で粘って下さい。

で、今日の写真は大工の水本さんです。左。右は現場監督の河村さんです。 三浦先生の調査の傍らで、おじちゃんは柱や梁をコンコン叩いてまわり、河村君はメモをとり。使えるものかどうか木の診断をしてたんですね。音でわかるのです。すごいなぁ~! 
水本のおじちゃんは、もともと船大工さん。重要文化財の太田家住宅の修繕にもかかわり、だいたい鞆の伝統的な家屋の修繕には携わっておられます。私達もいつも協力して頂いてて、ワークショップの先生をお願いしたりして、お世話になっているのです。

いつも黙々と、にこやかにお仕事をするおじちゃんを見ていると、ず~っと仕事をしていて欲しいなぁと思います。おじちゃんのように知識も経験もあって、何よりまちを思う心がある大工さんが今後育ってくれるだろうか?と思ってしまいました。良いまちは、本物のプロに支えられています。

鞆・Heiwa Architect 5

2004-12-04 20:10:14 | 「人」
昨日のうちに、土間のコンクリ剥がしも終わり、今日は大きな作業も無い一日でした。 こういう時にちょっと昔に遡りつつ、このプロジェクトのお話をちょこちょこしていきたいと思います。

この事業にとりかかって早一年とちょっと。修復費用もまだまだ集まっていないのですが、先月、11月10日 改修工事は始まりました。

今回、頼りない発注主(鞆まちづくり工房です♪)のもとこの工事を担当してくださるのは 『鞆・Heiwa Architect 5』!! ・・・どこの建設会社だ!?いいえ、どこでもありません! これは今回のために作られた‘特別チーム’なのです!  家を創るのに必要な様々な業者(現在25業種ぐらい)の方々が竜馬ゆかりの鞆の江戸町家の危機を救おうと、集まって下さったのです。

そもそも、私達がこの家を購入し、さぁどうする??状態で、試行錯誤していた昨秋、協力を申し出て下さったのが、平和建設の岡田社長でした。  この事業の主旨と、私達の‘志’に賛同して下さり、平和建設さんの中の‘Heiwa architect 5’(ここの説明はまたおいおい)が、建物の調査を行い現況の図面、模型、CGを作って下さったのでした。(そのおかげで、設計コンペが出来たんです) そして、岡田社長の呼びかけに応え、やはり大きな‘志’を持って集まって下さった方々で結成されたのが 『鞆・Heiwa architect 5』 というわけでした。

4月15日の初顔合わせ(写真)は、ちょうど設計コンペの審査日でした。コンペの審査委員を務めて下さった、日本設計名誉会長 池田武邦先生や福山大学の松本静夫先生も同席して下さり、いよいよ本格的に動き出した、このプロジェクトの門出をお祝いしてくれたのでした。
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