昨年の10月4日 工事着工前。うちのスタッフ、工事関係者の皆様、痕跡調査をお願いしている広大三浦教授、そして魚屋萬蔵さんのお孫さんにお集まり頂き、魚屋萬蔵さんのお墓参りをしました。‘これから工事を始めさせて頂きます’というご報告です。 写真がその様子。そしてそこに写っている素敵な女性が、萬蔵さんのお孫さんにあたる方です。お忙しいのにいつもお話を聞かせて頂いたり、こういう行事にも参加して下さっています。
でも私達がこの家を買った時に住んでおられたのは別の方なので、お孫さんの事は私達全く存じ上げなかったんです。テレビでこの改修事業の事が放送されたのをご覧下さってまちづくり工房の事務所にお電話を下さったのがきっかけでした。 忘れもしませんそのお電話、私がとったんです。
(お孫さん)「先日のテレビを見て懐かしいなぁと思いまして…。私も昔は鞆に住んでおりました。出来ればご協力したいと思ったのですが…。」
(私)「そうですかぁ♪わざわざありがとうございます。ちなみに鞆のどの辺に住んでおられたんですか?」
(お孫さん)「そこです。」 (私)「?へ??」
(お孫さん)「そのお家です。私は萬蔵の孫にあたるんです。」
(私)「・・・。え゛~!そうでしたか!!い、いまどちらにお住まいなんですか!お、お話を・・・」
もうホントにびっくりしましたよ。それからお会いして、住んでおられた当時の事などたくさんお話して下さいました。 昭和初め頃は1軒のお家を2軒に分けご親戚にあたる方と2世帯で住んでおられたから玄関も2つ、階段も2つ出来ちゃったとか。(実は江戸時代の逃げ道用の隠し階段か!?な~んて思ってたんですが、どうも違ったようで。) 戦後、お孫さんの一家はあの家を出られて、ご親戚の方、つまり私達にこの家を売った方が、最後の住人。この最後の方と魚屋萬蔵さん一族との関係すらわかってなかった私達。「はぁ~なるほど」「ほぅ~そういう理由で」の連続でした。(せっかくのこのお話を何かにまとめなければと思うのですが、プライバシーに関わる事もありますので慎重にやります)
「皆さんのお陰で家がよみがえります。楽しみです。一番に泊まりに来ます」お孫さんが、私達に会うといつもそう言って下さるんです。ほんとうにうれしい。前向いて進んで行こうと改めて思えるんです。 関係者の皆さん、お孫さんが言う‘皆さん’ってもちろん皆さんの事ですから!これからも一緒にがんばりましょうね。