伊勢ー白山 道さんが、こんな記事を書いてくれていました・・・
無関心は色んな損をします
この記事の文中に・・・
「マザー・テレサは、
『愛の反対は憎しみではなく無関心です』
と発言しています。
・・・これって有名な言葉ですよね~~今、知った方は是非!・・・「喫茶 楽しいアセンション」で、ちょっとだけ、私とお茶してませんか?w
此処から・・・ちょいと深入りw
この世は・・・一切すべては・・・揺らぎ・・・音・・・色・・・物質・・・電波・・・アナログ・・・デジタル・・・電磁波・・・放射線・・・雰囲気・・・思い・・・感情・・・リズム・・・鼓動・・・呼吸・・・言霊・・・次元・・・魂・・・光・・・愛・・・「はじめにコトバありき」・・・・・・すべて「波動」・・・
「波動」以外のモノ・・・誰か、何か思い付く?・・・「神の始まり」ですか?・・・そうなんですよね~「神の始まり」は、分りませんよね~
「はじめにコトバありき」・・・「神」が「波動」を起こしたのか?・・・だとすれば「神」は・・・『原初の「波動」を起こした存在』と、なり・・・
もしも、原初の「波動」が、起きる前を「無」と呼べば「神=無」となりそうな気が一瞬するんだけれど・・・
じゃ、何で「無」は・・・「原初の波動」を起こしたのか?起しちゃったのか?・・・と、なると・・・
「原初の波動」を起しちゃうようじゃ・・・「無」・・・じゃないよね?w・・・「無」はあくまでも「一切無」でいてくれないと・・・
最初から「波動」が有った処に「神」が存在していた?・・・「波動」は「無」に初めから有った・・って、訳にはいかないし・・・
・・・みんな大丈夫?ついてこれていますか?・・・もうちょっとだけ突っ込んでみるねw
じゃ「神」と「無」の関係は??
・・・「無」の存在を認める事自体が「無」を否定する・・・えぇ~~~~?????
・・・じゃぁ~「無」と「有」の境目を「神」と言う事にしては??・・・そこから「原初の波動」が起こったと・・・
境目が有る事は「無」の存在をみとめてしまう・・・「無」は存在する事すら矛盾する・・・「無」は・・・捉えようとする事自体を認めない・・・
じゃ・・・「神=無」は?・・・・「無」はあらゆる一切と関わりを持たない・・・ゆえに「無」
うわぁ~~「神の存在」でさえ「摩訶不思議???」なのに・・・
「神=愛=光」は・・・何となくわかる様な気がするけど・・・「無」ってw??????
・・・誰か説明出来る??・・・答えが出無いよね~~w
・・・此処までが、前置きですw
では、話を「マザーテレサ」の言葉・・・
『愛の反対は憎しみではなく無関心です』
に、戻しますね~
言葉の結晶、水からの伝言。
・・・アセンションなんて事に興味を持ってw・・・俗世間から、遙々此処に来ている人達は、上記「水の話」どっかで見た事あるでしょ~w・・・もちろん初めてでも、何の問題も有りませんからね~~
・・・「水」は・・・・何次元までかはしら無いけれど・・・少なくともこれまでの・・・今も・・・多くの人達に取り付いている「3次元的世界観」の、中では一番純粋に「思いにしたがう事」に特化した存在です・・・
「影響させる事」をそのまま「素直」に、形にもしてしまいます・・・
・・・だからこそ「3次元的世界」で、すべての生命体の「肉体」を、保つ事にかかわる・・・と、言うより、かかわる事が出来る存在なんです・・・とても!!・・とっても素直なんです・・・
「肉体」を抜け出した「魂」と「3次元的世界」の「連絡経路」にもかかわっていますよね~~
そんな「水」の事だから、当然「植物の育成状態」にも関わります・・・
「水の結晶」の実験の延長上で「稲」の生育状況の実験もやってみたそうです・・・どなたが行った実験だったかは、残念ながら思い出せないのですが・・・
・・・結果、やはり「ポジティブな波動」を与えた「稲」は生育状況がとても良く、一方「ネガティブな波動」を与えた「稲」は、生育状況が、やはり悪かったそうです・・・
・・・でもね・・・その時、もうひと株育てて見たそうです・・・
何にもしない・・・ほったらかしの「稲」・・・
・・・その、ほったかかしの「稲」は、「ネガティブな波動」を与えた「稲」よりも、さらに生育が悪かったそうです・・・
「ほったらかし=無関心=無視」
「バカ野郎!」と、言われ「罵られ」なが罵倒される」事すら・・「無視」されるより「関心」を持たれている・・・「繋がっている」・・と、言う事です・・・
「見ようともしない=無視」・・・・関心すら持たない「無関心」・・・たとえ憎しみですら感じない・・・
・・・「関心=関わる繋がり」が、有るからこそ「憎しみ」も、生まれるんですもんね~~
素直な「水」は・・・ただ「波動」を媒介しただけの存在なのですが・・・
「見ようともしない=無関心=無視」・・・「無視=無を視(み)る」・・・視ようと・・・関わろうとすれば「神」ですら・・・存在を失いかねない「無」を「視る」・・・の世界です・・・
「愛=神」の・・・
『愛の反対は憎しみではなく無関心です』
じゃ、またね~~やま