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プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◆ 島川美術館 その2。

2020年01月22日 | ◆美しいもの。

その1から続く。

展示フロアが5階から2階まで降りて来る形なので、後半の3階から。

◇山川賀壽雄(やまかわ・かずお)
「朝(はじまり)」
3階入り口入ってすぐ振り返って右の壁。うううう~。きれいな青。
青い湖面に朝の光の帯。
千住博の「ウォーターフォール」を初めて見た時を思い出した。
最初の一枚は感銘を受けたんだけど、その後何十枚(何百枚?)と同じテーマで
描いていて、食傷した。

そしたらその隣に千住博の「フォーリングカラー」(←赤い滝)があって笑った。

◇高村光太郎
「十和田湖乙女の像の試作」
堂々たる中年婦人像。1メートル20センチくらい?智恵子をモデルに。

◇舟越保武
「田沢湖のたつこ」
これも試作かな。1メートルちょっと。

◇平松礼二
「路 晩秋のポエム」
菊菊菊。でかい作だが全体の色使いは薩摩焼を髣髴とさせる。デザインっぽい作品。

◇東山魁夷
「春静」
魁夷の青と緑。白馬はいない。

◇横山操
「峠の道」
浮かぶ立山。ヒマラヤみたいに見える。手前は枯野。木が細かい。

◇加山又造
カニとひよこの切り絵。

「雪」雪の積もった森。白い枝。黒い幹。リズミカルに折れ曲がる道?川?
奥の森には絶対何かある。

「飛翔」
「雪」とはまったく違って、モチーフは丹頂鶴。伝統的な日本画のモチーフ。

そして次に並ぶ「狼」はまた全く違った作風で呆れる。キュビズム+ルソー。
デザイン化された日本画。背景のさらに遠いところの山が額縁のように引き締めてる。

加山又造は前から思っていたけれども、ものすごく作風に幅がある人だなあ。
「飛翔」と「狼」なんて、絶対同じ人の作品とは思えない。

◇片岡球子(かたおか・たまこ)
「喜多川歌麿」
大きな2枚屏風の右側に喜多川歌麿の肖像を、左側に歌麿風の女と子どもを。
歌麿の絵よりだいぶデフォルメされているけれども。
加山又造の「狼」と並べて飾られていると、そのミスマッチにむしろ面白さがある。

◇田中一村
「黄昏」
夕暮れ、もう暗くなってからの南国の民家と芭蕉。
川瀬巴水の色使いとゴーギャンの濃厚な匂い。南国がテーマだからだな。


ここから2階。
疲れたので2階は次にして帰ろうかと思った……

◇東山魁夷
「唐招提寺障壁画 濤声」
この絵があるのは2Fの小さな小さなロビーで、3枚のリトグラフがある。
唐招提寺の障壁画をリトグラフにしても見られるのはうれしい。
ただしちょっと光が良くない。きれいな翠の海。

◇小林古径
「瓶花」
少しエキゾチックな花瓶に生けられた花。花材はスイートピー。
この絵が可愛くて可愛くて。これも欲しい。家に飾るにはちょっと大きい。

◇横山大観
「霊峰不二」
大観は何枚かあったけど、ものすごくいい大観とは言いかねる気がする。
この絵もあんまり力を感じなかった。

◇上村松篁(うえむら・しょうこう)
しまった。松園と取り違えていた。
「蓮池群鴛図」
大きさに対して蓮と鴛の位置のバランスが悪い気がする。
蓮がくすんで
地味なのは鴛を目立たせるためにありかなと思うが。
鴛のオレンジ。カワセミの翠。

5メートルくらい離れた時にふと見たら良かった。

◇川端龍子
「海流」
海の中に投げ込まれたような海鳥。少し画題が謎な絵。

◇平山郁夫
「金曜孔雀明王」
紺紙に金色の線画で描かれた孔雀明王。

「マルコ・ポーロ東方見聞行」
すごくでかい絵。4メートル×2メートルくらい?

平山郁夫は多くて、出ているだけでも6、7枚あった。
いい作品が多い。平山郁夫も好き。


※※※※※※※※※※※※


とにかくいい絵が多いです。
そして有名画家の絵も多いです。
で、有名画家となると、てきとーな絵が1枚だけという美術館も多いなか、
けっこう何枚もあります。

これ誰の選択で買ってるんだろうね?
このレベルの絵だったら選ぶの楽しいだろうなあ。いいなあ。
まあでもわたしは思い切りよく買えないけどね。


図録も買って来た。
買って後悔はしないきれいな図録だが、これが5年前の発行で、
今回「いいな~」と思って見ていた絵がほとんど載っていない……。カナシイ……。

でも考えようによっては入れ替えする絵がたくさんあるっていうことだもんね!
ちなみに入れ替えについて訊いてみたところ、不定期にちょこちょこやるようです。
楽しみ。

いや、長々と書いたが大変満足すべき美術館でした。
たまに行こう。

 

 

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◆ 島川美術館 その1。

2020年01月19日 | ◆美しいもの。

聞いたこともなかったが、遠刈田に島川美術館というところがあったらしい。
わたしは美術館については折に触れてわりと情報を取っている方だと思うのだが、
この島川美術館については全く聞いたことがなかった。

さっそくネットで調べて見ると、なかなか見ごたえがあるところらしい。
これは行かねば!と思ったのだが、……その時点(数年前)で
「仙台市内へ移転するために今後休館します。時期は未定」
えぇ~~、このタイミングでぇ~~~と思いながら
その後は年に2、3度検索しつつ開館を待っておりました。

そして仙台市中心部へ移転したのがこの3月。
それは知っていたんだけれども、なかなか行かず、先日ようやく行って来た。

そしたら!ここが素晴らしかった!
展示室に一歩入ったら一気にテンションが上がった!

わたしは美術館や博物館に行った時は、いいと思った作品についてだけ
メモをすることにしています。
しかしここは一目見て思った。これはたっぷりメモを取らずにはいられない。
目で絵を見ながら筆記用具を探したが、鉛筆一本しか見当たらず。
紙がなかったので受付に引き返して恵んでもらい。
改めて展示室に足を踏み入れました。

そんなに大きいビルではないので、展示室は2階から5階までを使っている。
受付から最初に5階まで登って、そこから降りてくる形式。

……これほんとにねー、いいと思った作品がものすごく多かったんですよ。
メモを取るのに忙しすぎて、絵をちゃんと見たか……と反省するほど。
だいぶうるさいんだけど、せっかくなので取ってきたメモをある程度残しておきます。
自分の記憶のために。


※※※※※※※※※※※※


まずは5階。ここが一応企画展の場所で、基本的には入れ替わるもののようだ。
現在の企画展は「東北ゆかりの画家&作品展」。
奇譚なく言えば、このタイトルで個人美術館の企画展は全然食指が動かなかったが、
ここが良かった。


◇鷹山宇一
「森の馬」
幻想的。漆黒に近い深い緑の中に浮かび上がるような鉱物的な植物。白い馬。蝶。

◇中根寛(なかね・ひろし)
「流れ(阿賀野川)」
夕暮れの風景ですごくきれいなサーモンピンク。シルクスクリーンのよう。
下半分が阿賀野川と水田で、夕陽が反射する。かなり大きい絵。

◇福井良之助
「水辺の群落」
こんもり雪をかぶった民家。西欧とも日本ともつかない。
白とベージュのなかに彩度の低いレンガの赤が効いてていい。
温かみのある小品。おうちに飾りたい。

◇向井潤吉
「蔵王春雪遠刈田にて」
くっきりとした色使いの民家。晴れ晴れとした蔵王。これも飾りたい。

◇伊沢清
「広瀬川シリーズ」
十何枚かのシリーズ。素人っぽい感じもあるけれども、よく知っている風景という
こともあり、かわいい。あたたかい絵。

◇森本草介

森本草介が良かったなー。初めて知った画家だけどすごく気に入った。
裸婦が多いようだが。裸婦をたくさん続けて見せられても食傷するが、
何枚かならすごく素敵。
風景と静物がとてもいい。

「姫りんご」「パンジー」
ちっちゃい作品。「姫りんご」は0号だったか。超写実。これ良かったわー。
強奪したい。
「姫りんご」はロココの家具のパネルとして貼りこんだら映えるだろうなーと思った。
「パンジー」は背景の色がすごい。なんという絶妙なココア色。
黄色と紫とココア色の調和。

「布をまとう裸婦」
アングルをセピア色にしたような、和風にしたような。
これも背景の色がものすごく絶妙。繊細。

「ドルトーニュ川の水音」
西洋人が描いたような、そこに日本人の丁寧さを足したような柔らかさ。
川岸の風景なんだけど、手すりが細かかったなー。
横が1メートルくらいの絵で、手すりの縦棒が1ミリ幅。


◇葛西四雄(かさい・よつお)

「風景」
荒い、北の冬の海。近くで見るとコテでなすりつけた鋭いタッチ。
全然粗いのに、遠目で見ると白い波頭と漁村の赤い屋根がほんとに写実的に見える。
風自体が横殴りで描いたような絵。
この絵に金縁額はどうかな。誰がつけたか。

「北の漁村」
これは大きな作品。白と黒と赤。雪と海・空と屋根。赤がいいねえ。赤だよ、赤。

わたしの好みからは基本的に離れる作風だが、この人はいいと思った。
白と黒と赤の絵が4枚くらい並んでいるなか、「薔薇」という穏やかな絵もあったが、
この「薔薇」がない方が葛西四雄という画家の印象が鮮烈だ。


ここから4階。

◇鴨居玲
鴨居玲は名前だけ知っていたが、こういう画風なのか……。想像と違った。

◇小磯良平
「人形」
ぱっと明るい色使いの絵。でも二体の人形が若干コワイ……。透き通った目が。

◇佐伯祐三
「白い道」
ユトリロを荒っぽくしたような。

◇鳥海青児
「スフィンクス」
鳥海青児ってこんな画風だった?あ、東郷青児と間違ってた。
すっごい厚いマチエール。石壁のよう。

◇青木繁
「海」
モネ風。

◇岸田劉生
「麗子像」
水彩パステル。こってり厚塗りの麗子像とはまだ別の。好きかどうかともまだ別の。

「椿花図」
こってりしたチョコレート色の背景の中の紅椿。
岸田劉生のこってりは好きじゃないけどこの紅椿はいいと思った。

◇岡鹿之助
「村役場」
スーラの影響があるらしい。わたしはルソーの影響もあるように思えた。
岡鹿之助は可愛くて好きなのだが、この絵はそーでもないかなー。

◇高村光雲
「聖観世音菩薩」
30センチほど。木彫。

◇板谷波山
「彩磁草花文水差」
板谷波山大好き。いくつか所蔵があるらしいけど、これはちょっと地味かな。
展示ケースが低かったので、もう少し上げて欲しい。

◇アール・ヌーボーのガラス類
ラリックとガレが数点ずつ。ドームが少し多めで質もいい。
ガレの「マグノリア文ランプ」のでかいヤツがある。ここに電気を灯しているので、
展示物が映える。ガラス器の展示ケースにも電気を通してくれると更に映えるな。

◇和物の陶器と掛け軸コーナー。
魯山人陶器。
楽焼の黒茶碗多し。
林恭介「流星の」釉薬一文字。
中里太郎右衛門(あ、何代目か忘れた)数点。


他にも有名画家が。
高橋由一「江ノ島図」、安井曽太郎、梅原龍三郎、
ユトリロ、ローランサン。
他にもありましたけど、わたしが目に留めたものだけ。


……えー。ここまでで4フロアあるうちの2フロアなんですけどねえ。
長くなったのでその2に続きます。
実際に見ている時もすでにこの辺で疲れている……。

 

その2に続きます。

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◆ ストラスブール美術館展

2019年11月01日 | ◆美しいもの。
珍しく副題がついてないエキシビ。ついてると陳腐だと感じたりするものだが、
ついてなければついてないで愛想がないと感じるな。
11月4日まで宮城県美術館で開催。行こうかどうしようか迷ってぎりぎり行って来た。

だいたい雰囲気としては予想通りでした。
予想よりもアヴァンギャルドの割合が多かったか。後半、半分弱はアヴァンギャルドで、
ヴラマンクとか。というか、わたしが名前を知っているような人はほとんどおらず。
アヴァンギャルドの部分は遠くから流して見ただけで詳しくは見ていない。

全体的には、ちょこちょこ有名作家作がありつつも、初めて聞く画家もまた多し。
そして全体的に小品。
コロー、ピサロ、シスレー、モネ、ゴーギャンその他が1,2枚ずつ来ていただけで、
作品としては大して良くもない方。

良かったのはロタール・フォン・ゼーバッハなる人。
多分4枚来ていたなかで、風景画2枚と人物画2枚なんだけど、風景画が良かったな。
「ラ・ドゥアンヌからストラスブールへの道、雨の効果」と「冬の森」。

前者は、いかにも雨、と感じさせる。ヨーロッパの淋しい街角と馬車の遠景。
遠い昔にこんな街角を歩いたことがあった気がすると思わせる。
淋しいんだけど、5、6メートル離れて見ると何故か輝く。

後者は、暖かい色調の小品。落ち葉の降り積もった質感が見事。
3メートルは離れて見ないとね。それ以上近づくとなんとなく不安感が漂う。

この2枚は買ってもいいなと思った。
しかし家の中で、遠くからしか見られない位置にかけるところは……ないな。


アンリ・リヴィエールなる人のリトグラフ「夜の海」は、ジブリを思わせる構図だと思った。
海なんだけど、雲の描き方で空に見える。「紅の豚」「風立ちぬ」を思い出した。

アンリ・マルタンなる人の「古い家並み」と「雪化粧のパリの屋根」。
どちらも離れて見ると安定感があって、買ってもいい絵なんだけど、
近くで見るとこね回した筆致で不安になる。好きな絵でしたが。

シニャックの「アンティーブ、夕暮れ」。
すごく近づいて何が描いてあるのか見えなくなっても、その色を楽しみたい。
この絵の絵の具はあまり光ってはおらず、これはこれでいいのかもしれないが、
きらきらと光っていた「フリシンゲン湾」の色の美しさが忘れられない。
あれなら欲しい。

だいぶ現代絵画に近づいたジャン・エリオンなる人の「夢想する人」。
道化ではなかったと思うんだけど、ぱっと見道化的なイメージのある人物画で、
ピカソと手塚治虫を足して2で割ったような感じだと思った。マンガ的。


期待して行くと今一つかもしれないが、特に期待はしていなかったので満足なエキシビでした。
久々のヨーロッパだしね。
最近宮城県美術館も金がないのか、あまり派手なエキシビはやらない様子。
次の芹沢銈介は行こうかな。値段によって考える。





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◆ 最先端技術でよみがえるシルクロード

2019年05月24日 | ◆美しいもの。
東北歴史博物館で6月23日まで開催中。

面白いエキシビでした。
だがもうちょっと量があるといい。というか、あるべきだなー。
え、これで終わり?と思った。入場料も若干お安めとはいえ物足りない。

でも内容はとても良かった。
展示物は「スーパークローン」という技術で作った模作。全部模作。
模作というとテンションが上がらない気がするが、今時の技術はすごいんですよ。
すっかりその気になった。


※※※※※※※※※※※※


法隆寺の金堂本尊は本物に見えました。黙って見せられたら絶対わからないな。
あれはたしか、あまり近くに寄って見ることが出来ない仏様なんですよね。
なので今回、間近で見上げられたのが嬉しかった。仏像としてのありがたささえ漂う。

毎回思うんですけど、あの脇侍仏(何の菩薩かは不明らしい)の頭身は激しくオカシイですよね。
顔が何しろ巨大。多分5頭身くらい。股下も全体の4分の1しかないのではないかと思うくらい短足。
いかにも百済から影響を受けましたよ、というような造型。
法隆寺には百済観音と呼ばれているほっそりした仏像もあるが、
それとは別で、頭身が大きすぎて子供みたいに見える造型の方。

そして周りには焼失した金堂壁画の復元がずらりと。これは見たこともないわけだから、
本物みたい!とも言えないわけだが、繊細な線で描かれた美しい菩薩たち。
一つ一つ相当顔が違って見えるので、複数人が描いたのだろうと想像される。
人体のバランス的にも手練れ感がある。

わたしはこの頃の仏教美術は渡来人がメインになって作っていると思っているんだよね。
止利仏師は渡来系だそうだ。まだ生硬な造型。
百済観音は優美で、これは渡来人が作ったのだろうと想像する。
謎めいていて魅力的ですよね。これは物語を作りたい気がする。

金堂壁画と釈迦三尊。環境展示で復元してくれて嬉しかった。


タジキスタンのペンジケント遺跡からとった「ハープを奏でる女性像」も良かったな。
中央アジアは行ったことがないが、叶うのであれば行きたいところだ。

ウイグル自治区のキジル石窟の壁画も良かった。……が、何を描いているのか説明が欲しかったね。
わたしはハーレムに見えたのだが。ハマムに集う女たち。
ウイグル自治区だとハーレムはないですか。どうですか。

莫高窟の第57窟の復元も。莫高窟も行けないだろうなと思うところ。
今回のエキシビは空いてたので(^^;)、実際に行くよりも敬虔な気持ちで見られたかもしれない。


そしてびっくりしたのが、最後の部屋で突然セザンヌが出て来ること。
「はっ?」と、我ながらおかしいくらい動揺した。
ここはドコ?わたしはダレ?という状態になった。

セザンヌとゴッホの「自画像」と「オーヴェールの教会」とマネの「笛を吹く少年」と……8作品くらい。
これもスーパークローン技術だと筆致も再現出来て、本物にしか見えない。
うわあ、と思った。

ゴッホの自画像には変幻光というものが当てられていて、
一瞬見ただけだと気づかないんだけど、部分的に陽炎のように揺らめくようになっているの。
顔が揺らめいたり、体が揺らめいたり、背景が揺らめいたり。
正直、美術を鑑賞する場合は全く要らないと思うけど、こんなことも出来ますよという誇示。

あとマネの「笛を吹く少年」の復元と、そこから3Dに起こした彫刻があったこと。
これも技術的に、こういうことも出来るんですよという誇示。
まあ周知しないと利用しようという人も出てこないからね。

その後、最後の展示は浮世絵だった。
浮世絵は版画なのでそもそも何枚も刷られたものだし、あまりスーパークローンの有難みを
感じないけどね。


※※※※※※※※※※※※


そして実は、今回のエキシビで最も感銘を受けたことは別にある。

香りの多用。です。

最初の展示室である法隆寺金堂再現でもお香のいい香りが漂っていた。
前に、室生寺だったかなー、高野山だったかなー、値段の高い(^^;)いいお香を焚いていた
エキシビがあって、だいぶお得感があったものだが。
今回もいい香りのお香。お香好きなので、しめしめ(?)と思った。

そしたら、2巡目をした時に気づいたんですけど(展示数が少なかったので物足りず3巡くらいした)、
バーミヤンではインド香っぽい甘いお香に変えてるのね!
うわー、凝ってる~!と感心し、さらに浮世絵コーナーでは8枚ある浮世絵の1枚1枚に、
別な香りがつけられていると解説され、画面を触ってその香りを楽しむようにと書いてある。
ここでスーパークローン技術が活きてくるわけですよ。画面が触れる。

しっかりお香を愉しみました。



このお香にしても、写真撮影OKということにしても、ポスターで大々的に謳っても
良い部分じゃないかと思うんだけどね?
チラシにも全然載ってないけど、ポスターとかに載せておけば、20人に1人くらいの割合で、
お香に反応する人もいるんじゃないかな。数字に根拠はないけれども。

そして写真撮影OK、SNS投稿OKということに関しては、……前にも何かのエキシビで
「しまった!」と思ったが。先に言ってくれればデジカメ持っていくのにさ。
悔しいので、スマホでも何枚かは撮ってきたけれども、デジカメだったらもっとガシャガシャ撮ったのに。
そしてガンガン上げたのに。
スマホからパソコンに送るのがめんどくさくて。


東北歴史博物館は、わたしがいうのも何だが、まだまだエキシビ慣れしていないと感じる。
今後とも頑張ってくださいね。
仙台市博物館より、宮城県美術館より、遠いところまでわざわざ行くんだからね。
楽しませてくださいね。





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◆ 古代アンデス文明展。

2018年09月15日 | ◆美しいもの。
仙台市博物館で9月30日まで開催中。

ちょっと前の土曜日行こうとしたところ、駐車場に入る車が何台か待ちがあったので、
わざわざ混んでいる時に見なくてもいいかと思って帰って来た。
今回は平日で、駐車場もいっぱいにはなってませんでした。

南米の文明関係は何度かエキシビを見ている。ちょっと飽きてるなあ……。
玉石混交、というイメージ。期待せずに行って良かったということもあるんだけどさ。
しかし今回はけっこう玉。面白かった。



南米は織物、そして土器。今回もそれらが面白かった。
ただ、「アンデス文明」っていうと、南米に興亡した約5000年間の色々な文化を
総称させようとしたものらしいのよ。
5000年てさあ……。
日本でいえば縄文時代から江戸初期までを1つのエキシビでやっちゃうみたいなもんですからね。
深まりようがない。ちょっと大雑把すぎて、もう少し範囲を絞って見たかったところ。

1つ1つはかなり面白かったんだが、これを名指しで言いたい、というものは少ない。
そして南米の美について語る言葉が自分にない。
写実的でユーモラス、などという全然言い表してないことしか思いつかなくて無念。

無念なのはデジカメを持って行かなかったことだな。
日本のエキシビってほぼ撮影不可じゃないですか。
そしたら今回は撮影OKなんだって。だがわたしは写真はデジカメでしか撮れない。
撮りたいといえば展示物の半分くらいは撮りたいくらいで、
1枚1枚写真を見ながらあーだこーだ言えれば(自分が)相当楽しいと思うが、
何しろ撮影機材がないのだ。「撮影可」と、行く前に周知しておいてほしい。


最も惹きつけられたのは「刺繍マント」。
……こんなタイトルでは全然個別化が出来ないじゃないですか。もう少し何とかしてください。
これはモチェ文化のコーナーにあって、モチェ文化って、造型的に面白いものが多かった。
いや、みんな面白いんだけどね。カラフルっていう部分もあったかな。

これは偉い人のミイラを包んだ布らしい。
これ言葉で説明できないよねー。……縦2メートル弱?横3メートルくらい?の紺地の生地に、
カラフルな糸で細かく神様っぽいパターン化された人物像がずらりと刺繍されてるものなんだけどさあ。
人物像としては1体が、そうねえ、文庫本くらいのサイズ感かなー。
目が丸くて、不気味可愛くて、デザインは同一なんだけど、その色使いが絶妙。
同一の色使いのものが2体あったかは探してみたけど確認できなかった。
立ち尽くしてずっと見てた。面白いよ。ほんと面白い。

あと、最初の方にあったせいか印象に残ってるのが「テノンヘッド」。
なんだかわからないけど、とにかく石像。
人面・神面の蛇みたいな感じで、蛇みたいなのはほぞ穴に差し込まれていたからだそうだ。
親近感みたいものを感じた。ユーモラスぶりは仁王に踏みつけられている邪鬼とかに似通う。

アシカの土器も、ウミガメの土器も、リャマの像も、魚の皿も、モチェの神の肖像土器も、
いろいろほんとに面白いんだけども、……名前で個別化が出来ないしねえ。
画像がないことが心から無念。

前にシカン文明展が来たことがあって、見覚えのある仮面も来ていた。
あと、同じものかわからないけど、類型のものを見た記憶がある神殿模型も面白く見た。
お約束のキープとかミイラとか金製品とか、色々ありました。
小さいものばかりだが数が多かったので見るのは時間がかかった。1時間半くらい。
疲れました。


今後行く人はデジカメをお持ちになった方がよろしかろう。
まあ今時みんなスマホなんだろうが。
あ、それから、展示物一覧表に「作品名(英語)」を載せるくらいなら、
むしろ時代と出土場所を載せろよ!と思うぞ。
英語の作品名って情報必要?スペースが余ってるなら載せてもいいけど、
日本語と英語の作品名だけなら、英語は要らなくないか。むしろ時代が必須だと思うけど。





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◆ 東大寺と東北 復興を支えた人々の祈り

2018年06月03日 | ◆美しいもの。
すみませんでしたッ!!


……まあ何しろね、東北歴史博物館のエキシビは信頼していなくてね。
といっても近年では2回見たことがあるだけなんだけどね。
「大白隠展」と「アンコールワット展」。前者は来ているものが酷く、後者は見せ方が酷かった。
わざわざ遠くまで行って、あれではなあ……。
やはり主催者自体がエキシビ慣れしてないとだめなんだろうか。

と、思いながら恐る恐る今回のエキシビに行ったところ、大変満足して帰ってきました。

モノがかなり良かった。わたしは2番目の展示の「金銅八角燈籠火袋羽目板」にやられました。
あの大仏殿の前のでかい燈籠の八角形の中の1枚。
いや、これはね。現地に行っても見ませんよ。燈籠は何しろ近づけないよう囲まれてるし、
燈籠は燈籠としてしか見ない。ああ、燈籠ね、で終わってしまう。
しかし今回、目線の高さでライティングもちゃんとして細部を見るとですね。

涙が出るほどいい。

奈良時代らしい、ふっくらした音声菩薩(おんじょうぼさつ。初めて聞いた。)。
あたたかい造型だ。金銅鋳造なんだけれどもむしろ木彫りのあたたかみ。
冠や天衣の装飾部分、宝相華唐草の曲線が無類だった。
地がアーガイルのような縦細の菱形の金網?なんだけど、その金網自体はかなりごついものながら、
表に面を出すのではなくて線を出すことで、そのごつさをかなり抑えている。
ああ、いいねえ。ずーっと見てた。もうこれだけで来たかいがあったというものだよ。


伎楽面「師子鬼」「酔胡王」
前者は全面に赤土色を塗って、眉毛を1本1本描いている。
後者は鼻がすごく高くて、これはもう完全にモンゴロイドじゃない。
中央アジア。ペルシャ。いそうだもの、こういう人。

「金鈿荘大刀」(とその復元模型)
相当に細身の儀式的な刀。本物の方はかなり朽ちていて、しかしその中でコジリ(鞘の先端)と
その逆の柄の末端部分(柄尻?)に被せられた金細工はまったくきれいで金の威力を感じた。
そしてその復元模型が隣に飾られてるんだけど、これがまた美しいの!
華奢で華麗。繊細で豪奢。
鞘は多分漆で、ぴかぴかした黒。そこに流麗な金の唐草。全面に。
2か所ほど、おそらく水晶玉のアクセント。
柄は真っ白で鮫革を模しているようなぶつぶつ、そこに黒メノウのようなアクセント。
柄尻とコジリに金の唐草の被せ。
西洋的なデザインと言ってもいい。唐突にベルバラのオスカルを思い出した。
フランスロココの美術の中に持って行っても違和感がない。
惜しむらくは刀身も見たかった。あんな細身の剣の刃がどうなっているものかと。

「重源上人座像」
東大寺復興の立役者、という頭があるせいかどうしても狷介に見える。
大仏を再び作るなんて金のかかること、相当な強引さと政治力がないと無理だろう。
金を集めるのに人格だけでは足りません。
運慶作の可能性もあるといわれているそう。

「公慶上人座像」
それに比して公慶上人の方はこれはもうほんとに信仰の人、という感じ。人格の高さを感じる。
温容。弟子が作ったものだそうだ。敬慕の念が伝わってくる。
横から見た時の耳の精巧さ。
そして皺がすごいんだよなあ。皺なのかね?ひび割れなのかね?例えていえば萩焼の貫入。
それが肌のリアルさに繋がっている。時代はだいぶ下がって江戸。

「五劫思惟阿弥陀座像 二体」
これは衆目の一致するところ、こけしだ。あるもの、こういうこけし。
ずっと座禅を続けていたので、髪を切る暇もなく、螺髪が分厚くなってしまった様を表してるそうだ。
いや、髪が伸びてもこうはならないけどね?
造型面ではそっくりな二体の仏像だが、片方が重源が将来した中国制作で、
それをモデルにしてもう片方がわずかに後に作られたという見方だそうだ。
先行が印を結んでおり、後の方が合掌。後の方は袖のたるみが美しい。

「地蔵菩薩立像」
快慶作。端正。それほど大きいものではない。1メートルくらいかな。
安倍文殊院の渡海文殊を思い出した。その端正さから。
衣の模様が細かい。これなあ。衣紋が美しいんだけど、そのでこぼこ部分をものともせず、
衣全体に細い細い四辺形の編目模様が入ってるんだよね。1ミリか2ミリじゃないだろうか。
描線?彫った?どっちにしても超絶技巧だと思うわー。
描線ではここまで細く均等に出来そうもないし、彫ったのだとしたらやっぱりその均等性がすごい。
あのでこぼこをものともせず。
どうやりましたか、と訊きたい。


名作は以上。
他にもお水取りで使う紙衣の着物(木綿を裏につけているそうだ)の質感も面白かったし
(元は真っ白で使ったあとの汚れが全体的にあるが、それがあってもなお味わいがある。)、
わたしは漆にはほとんど興味がないけど、一目見て「ああ、白洲正子好みだなあ」と思った
やっぱりお水取りで使う「朱漆塗担台と桶」も美しかった。

数が相当に来ている。
出土瓦とか書面の類とかも多いので、まあそういうものはそれなりだが、面白いものもあった。



メインの展示室とは別な部屋で、陸奥国分寺の十二神将像もあった。
鎌倉時代。躍動感があってなかなかいい。十二体のなかには雰囲気が違うものもあったので
全て同時に作られたかどうかわからないなと思った。

普通、十二神将といえば迦楼羅とか婆娑羅とかと書いてあると思うが、
(え?違う?あ、迦楼羅って入ってないのね。というか、いろんなところで十二神将は
見ている筈なのに、一つとして馴染みがある名前がないぞ!)
今回は子神(ししん)から始まって、十二支の神として名前が書いてある。
あんまりこういう風なの見たことない。ふりがなふってなかったら読めないなあ。

……それはいいのだが、わたしが丑神(ちゅうしん)の前にいる時に後ろを通って行った
若い女の子が、「あ!ちゅうしんってことはネズミ?」と素で言っていて、なんか地味にキタ。
いや、丑ってかいてあるやろ。ってチュウって鳴き声やんか!とツッコミたかった。

寅神(いんしん)がかっこよかったです。



すっかりアマく見ていたので、日曜日に行ったんだよね。別に混むこともないだろうと。
10回位行ってると思うが、あそこ混んでるの見たことないし。
……しかしさすがに東大寺だというか、駐車場がほぼ満杯くらいに人が入ってました。
展示室もけっこう人がいたので1回出てお昼ご飯食べてから夕方に戻って来ようかな?と思ったが、
再入場不可と書いてあったので、人が少ないところを見計らって順不同に見ました。
そのせいもあるが、2時間以上かかった。
今後行く人は甘く見ないで、平日に行った方がいいと思います。



見ごたえ十分。満足でした。見くびっていてどうもすみませんでした。



あ、そうそう、土日だけしかやってないそうなんだけど、入口のところで
何だかのデモンストレーションがあった。無料。
(VRゴーグルっつうの?今日鈴木亮平のインタビュー記事を読んでそう思った。)
ごつい眼鏡をかけると、大仏と大仏殿周辺の写真が360度自由に見渡せる。

右を向くと右に大仏。左を向くと脇侍の菩薩。撮った時カメラが高い位置に設置されてたようで、
下を向くと高所恐怖症の人は一瞬うぞうぞするかもしれない。臨場感。
画像は一昔前の新聞写真程度の、粒子が見える程度の粗さで高精細とまでは言えないが、
すごく面白かった。写真は何枚くらいあったかな。大仏をアングルを変えて6、7枚?
普段見られないアングルからだったよ。
大仏殿も回廊の辺りから見て2枚くらいかな。

これ東大寺全域でやってくれたら相当に面白いな。
昔、こういう感じでエジプトの遺跡をバーチャルリアリティで体験したいと思ったものだが、
実現してますねえ。未来だ。



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◆ 東大寺・奈良を彩る花の襖絵展

2018年04月15日 | ◆美しいもの。
初めて行ったTFUギャラリーミニモリ。
東口の東北福祉大学……といって全然ピンと来ない向きもあるだろうが、昔の代ゼミのところです。

エキシビの感想というより、ミニモリの感想になってしまうが、狭いは狭い。
1階と2階に会場が分かれていて、何しろ一応大学の別館の中の一隅なので、
そういう意味では特殊は特殊で面白みもあるのだが、エキシビの会場としては物足りないかな。
特に2階が、大きめの部屋1部屋だけなので「2階もあります」というほどのことは……という感じ。

まあ見どころは1階の小泉淳作の襖絵でした。

「蓮池」12面かな?いかにもお寺的主題。
蓮花は散ったのからつぼみから散り際から紅白薄紅色々取り交ぜて描いてるのに対して、
蓮葉がいまいち。葉脈が見える距離からの鑑賞だと若干印象は良くなるんだけど、
遠くから見ると、葉っぱの描き方が一様すぎて……
あんまり上手いと感じない。素朴。

「吉野の桜」4面
「しだれ桜」4面
「東大寺本坊の桜」4面
これは良かった。

「吉野の桜」は6本。点描。
幹・枝が桜らしからぬカーブを描いており、若干現代アート風。
これはリアルな桜のイメージ。ソメイヨシノ。
今は桜の季節で、近所の公園の桜がまさにこんな風に咲いてる。

「しだれ桜」1本の桜。三春の滝桜がモデルかなとも思う。
これは桜型をびっしり。何千個もの桜。万を超すのか。よくもまあこんなに。
夜桜のせいか、濃淡3色か4色。立体感がある。

「東大寺本坊の桜」2本。これは光を透かした桜。これも桜型。明るく軽やか。輝く。

襖絵の他に、掛け軸っぽく本尊っぽく聖武天皇と光明皇后の肖像画があり。
しかし聖武天皇は座像だが、このデッサンの下手さ加減はなんなんだろうか。
光明皇后の方は立像で、まさに鳥毛立女屏風の写しのよう。衣装の模様のデザイン性が高い。
高いが、模様は着物のひだなどの影響を全く受けず、ほぼそのまま。貼り付けたよう。
この人、技術があった人なのかね。素朴っていうか拙ささえ感じる。


2階は須田剋太なる人の絵と、榊莫山の書と絵、三好和義の写真13点。
2階はあんまりみどころがなかった。榊莫山の絵はきれいな緑で良かったけど。
三好和義はそんなに好きな写真家じゃない上に(はっきりくっきりしているところが苦手)、
絵と写真を並べて飾られると、写真は写っているものだけをつい見てしまう。
写真は入江泰吉とかが好きだな。普通で。


入場料は前売り500円。500円なら妥当だな。当日券は700円。
700円だと内容に対してちょっとお高く感じる。

でもまあ桜は見ごたえがあったよ。仙台市博物館も宮城県美術館も、
今年はあんまりこれというエキシビをやってくれないようなので、やってくれたことに感謝する。
襖絵展とタイアップをしている東北歴史博物館の「東大寺展」が
今の所一番のエキシビですか。しかし東北歴史博物館のエキシビには一抹の不安がつきまとう。
見せ方が下手なんだよなあ……。と、2回見ただけでいうのもなんだが。


しかし仙台市博物館は、3、4ヶ月休んだっていうのに、一発目のエキシビが地味地味地味。
7月のアンデス展はそこそこ派手だが……しかし南米ものは何度か見てるから、
もしかしたら飽きてるかもしれない。
宮城県美術館は今年の少なくとも9月までは食指が動かない。

美術はたまに見たいものなので、エキシビがない時には画廊巡りでもしてみようかなあと思い始めてる。
「欲しい!」と思う絵があるもんなのかという観点において。
3万から5万くらいなら出せるかなあ。そんなもんでは欲しいと思う絵はないかなあ。

あ、でも今年6月は足立美術館に行く予定なので……そこで美を補給してくるか。







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◆ フィンランド・デザイン展 フィンランド独立100周年記念。

2017年12月14日 | ◆美しいもの。
宮城県美術館にて。もうすぐ終わる。


予想よりも数が来ており、見せ方も良かったので面白かった。
だが大層なマイナスポイントが一つあり。出展目録がないの。
いやしくも美術館のエキシビであれば、出展目録は準備をしていて欲しいところだ。
まあ細かいの多くて面倒だろうけれども。


なので、どれがどれで印象がどう、ということはメモできなかった。
総じていえば、


とにかくラインが命。


シンプルで理性的で、絶妙なカーブを持つ食器たち。極限までラインを追求していると思う。
それは逆に、……デザイナーごとのラインが微妙すぎて、みんな似たようなものに見えてしまうということでもある。

わたしは今回初めて、イッタラというブランドネームを知ったんだけど、この赤いiはよく見るよね。
イッタラ製品もアラビア製品もかなりあって、イッタラのガラスの器なんて、いろんなバージョンが来ていた。
これをデザイナーごとに見分ける自信は全くないなあ。
まあイッタラ製品として世に出している以上、あまりデザイナーごとの癖を出すもんでもないのか。

岡本太郎風な、芸術は爆発だ!系の原始的なパワーを感じるものはない。
これも持って来様だとは思うがね。今回は工業デザインでかっちり収束したものばかりだ。



入り口の辺りはおそらく工業デザインになる前がなり始めの、150年前の製品なんだけれども、
150年前にこんなモダンなデザインが!とびっくりしたマグカップがあった。
真っ白で、細かいボーダーが交互にリングになってるの。←説明が怪しい。
その手前のコーヒーポットのラインも直線で無駄がなくモダン。あれはデコの流れかね。
多分フィンランドの好みからいえば、デコはかなりもてはやされたのではないかと推察される。

木製の食器棚?も素朴ながらよく見ると細部の飾りが丁寧で、手仕事の温かさと細かさがあったな。
この商業デザイン前史部分がもっと欲しかったなー。民族的なものももっと見たかった。


物として大きいから、眼を惹いたのはテキスタイル。
洋服として仕立てて展示しているものと、2メートル幅ほどの布を天井から下へ何種類も
垂らして展示しているものとがあったんだけど、布のままの方はほんとに派手だったね!
あれは何?壁紙?何に使うんだろうか。インスタがよくわかるな。
まあチョイスの問題だろうけど、やはり日照時間が短い北欧は、精神的にこの明るさを求めるんだろうなと思った。

洋服のデザインで写真展示があったんだけど、まるで心霊写真に見えるような一枚があった。
白黒の写真で、ポンチョみたいなデザインのワンピース。
「え?これ背景透けてるよね?でもここに透ける素材を使ってると、身体はどこにあるわけ?
足の部分、背景が繋がっているが、これって足なくない?」と、友人と二人で悩んだけど解決に至らず。
これは回答を教えて欲しい。


あとはアアルトの椅子と……あ、椅子は玄関ホールでいろんな椅子を並べて、実際に座れるようになっている。
ボールチェアは超座り心地が悪い。多分腰をやる。足を外に出すんじゃなくてすっぽり入ってしまえばよかったのか?

十何脚あった椅子のうち、座るだけで癒される椅子が1つあった。腰のホールドがぴったり。
でも友人は全然合わなかったといっていたので、体格の問題なんだろうな。



見て面白かったし、フィンランドなんてめったに触れないので、満足感は高いです。
ただ1回くらい見ただけでは、スウェーデンやノルウェイと差別化が出来るかというと……
まったく自信はないですが。

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◆ 4人のモナリザ ~「謎の微笑」モデルの真実~ の感想。(後編)

2017年10月16日 | ◆美しいもの。
――それなら、現行の4番目のモデルは誰なのか?
これは、番組の結論から言ってしまえば、
ダ・ヴィンチを雇った法王レオ10世の弟のジュリアーノ・デ・メディチの愛人であったパシフィカ。


ダレソレ?ですけどね、そう言われても。


実はこの4番目は、ジュリアーノからその息子であるイッポーリトに、亡き母の肖像を伝えるためのプレゼントとして
発注されたというのだ。

これについては主に情況証拠しかない。
イッポーリトは、生まれてすぐ捨て子としてウルビーノの施設に預けられた。
その数年後にジュリアーノが自分の子として認知し、手元に迎え入れたという書類が残っている。
ジュリアーノには愛人が数多くいたが、ウルビーノにはパシフィカという愛人がいたらしい。(その根拠は失念。)
パシフィカは既婚だったらしい。(根拠は失念。)
パシフィカは出産で亡くなったらしい。(根拠は失念。)
イッポーリトは母を恋しがったらしい。(父が留守の時には“父は母を迎えに行っているのだと言っていた”という言い伝え。)

ダ・ヴィンチを訪問したある枢機卿の秘書の記録によって、ジュリアーノに何らかの所縁のある女性の肖像を
ダ・ヴィンチが描いていたのは根拠がある話らしい。
「それは自然の中にいる一人の女性像で、ジュリアーノ枢機卿が発注者だ」と書いてあるようだ。

そのモデルがイッポーリトの母で、母の肖像をその子に形見として残そうとしたというのは想像の域を出ない。
(主にその想像をしたのは歴史学者のロベルト・ザッペリ。文献を丹念に読んで出した結論らしい。
ちなみに美術畑の人では全くないとか。美術畑の人じゃないためにある意味信用出来る気もする。)
一応そういう想像が正しいとしたうえで幼子の寂しさを慰めるためならば、完成を急がなければならない。
未完の肖像画を再利用したことの理由。
しかし発注された翌年ジュリアーノが死去し、絵がイッポーリトに贈られることはなかった。


まあ何故ジョコンダさんに肖像画の引き渡しをしなかったのか、
なんでジョコンダさんの肖像画の上に4番目のモナリザを描いたのか、ということについては
わたし個人としては乗り越えられてない。なんとなく流れで……も十分あり得る話だけれども、ここにも物語が必要だとは思う。

だが、ここまで述べられたことが正しいと仮定するならば。




※※※※※※※※※※※※




わたしはとても納得が出来るのよ。
モナリザはなぜ、謎の微笑みを浮かべているのか?
雄大な自然を背景に、永遠の存在として歴史の流れにあったのか?



最初の依頼は“面白い思いつき”程度のものだったのだと思う。

多分に想像を交えて語れば、
……ジュリアーノがダ・ヴィンチのアトリエを訪れ、ふと目についたリザの(未完の)肖像画を見て言う。

――この絵は……あの人を思い出させる。ずっと昔に死んだパシフィカを。
――パシフィカ?
――イッポーリトの母親だった人だ。そう、こういう目をしていた。よく似ている。これは誰?
――フィレンツェの商人の奥方だ。だいぶ前に頼まれた肖像画だが……
――渡してない?
――例によってね。もう10年以上も前の話だ。向こうも頼んだことすら忘れているだろう。
――そうか。……どうだろう、レオナルド。これをパシフィカの肖像画として仕上げてはくれないだろうか。
イッポーリトへの贈り物にしたい。
――パシフィカの?会ったこともない人の肖像画?
――君なら出来るだろう。僕が語るよ、あの人がどんな人だったか。


ダ・ヴィンチはパシフィカとの面識はない。取材によってその面影を追っていくしか。
当時として、おそらくそれは珍しかったのではないか。歴史上、あるいは神話の人物を絵画にするにしてもモデルは使ったと思う。
しかし言葉によって説明されたことを絵にしていく。言語から絵画への変換作業。

現代でいえば、復元図の作成を試みたわけですね。
ジュリアーノが語ることに基づいて、いかにジュリアーノの記憶にある姿に近づけていけるか。
面白さがあったと思う。何しろ新しい試みが好きだった人ですし。


母を失った子へ、その母の肖像を贈るのであれば描こうとする。
母の愛情を。見守る視線を。彼岸を隔てたことへの悲しみを。
でもそのジュリアーノも間もなく死んでしまった。イッポーリトへこの絵が渡ることはもうない。

そのうちに、ダ・ヴィンチにとってこの絵は「母なるもの」への追求になったのではないか。

何度も眺め、何度も筆を加えるうちに、そこには縁が薄かった自らの母の似姿も映っただろう。
母が持つ、子を食らう暗黒の力の反映もあっただろう。
母の中にある女、永遠の女性も含まれていっただろう。
聖母であり誘惑者であり、光であり闇である女性。女性という存在。そういうものに「モナリザ」は近づいていく。


死ぬまでこの絵を手放さなかったという。
母を、女性を完成させるのは天才ダ・ヴィンチをもってしても困難だった。
天才だったからこそ、「女性」を描くという難業に挑み、その難しさを理解していた。
理解していたからこその未完。その後はサライに残され、さらにフランソワ1世の手に渡って今に至る。



わたしはクロ・リュセに行ったことがある。
時間があまりないなかで駆け込み、慌ただしい見物ではあったが、ダ・ヴィンチについて色々と思うところはあった気がしている。
正直そこには目ぼしい絵画作品はなく、一番面白かった展示は様々な手稿を基にした簡単な模型だったが、
歯車の天才だったという感想を得た。歯車を、実によく知ってよく使っているんですよ、あの人は。

ここにいたんだね。ここで死んだんだね。
調度品も当時のものらしい。このベッドでダ・ヴィンチは死んだ。
窓からみる景色は、さすがに色々と変わっているところはあるだろうが、彼が見たものと同じ。




ダ・ヴィンチ。
謎に答えが出ることはないのかもしれないけれど、しかし答えは永遠に追い求められ続ける。
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◆ 4人のモナリザ ~「謎の微笑」モデルの真実~ の感想。(前編)

2017年10月13日 | ◆美しいもの。
何ヶ月か前に放映したNHKの番組をようやく見た。




※※※※※※※※※※※※





そもそも、「モナリザ」が肖像画であるわけはないのだ。




というのは、わたしの全くの主観だが。

しかしどうでしょう、「モナリザ」を見て、普通の人の注文によって普通の人がモデルになった、普通の肖像画だと思いますか。
それにしては内包するものが巨大すぎるでしょう。
枕詞のように「謎の微笑」がモナリザにつくのは伊達じゃない。個人の一般的な肖像画にはとても思えない。

ジョコンダ夫人、というのが長年の定説(?)だった。
それならそれでいいじゃないか、と思っていた。むしろ最大の謎はモデルが誰かということではなく、
一女性を描いて、それでなんでこんなご大層な、謎めいた絵にダ・ヴィンチが仕上げたのかという点。
テレビ番組は、モデル探しはしてくれるし、謎めいている点を指摘はしてくれるが、
なぜこうなったのかということにはほとんど言及してくれていなかった。

まあ当然といえば当然ですが。ダ・ヴィンチが何を考えてこの絵を描いたかなんてね。
何しろフクザツな人ですし。←お前は知り合いか。


でもこの番組では、なぜこんな絵になったのかという部分がいたく納得できて、わたしは胸が晴れたよ!


番組の前半は科学解析の手法の説明で、その新しさとかはあんまりピンとは来ないの。
なんか色々な色を当てて層をものすごく薄く切り分けていく、とかいう話で。
偏光フィルターを13種類だか使って、多くの色をモナリザに当てていく。
すごいのであろう、多分。とは思うけれどもあまりそのすごさはわたしにはよくわからない。

現在のモナリザの下には、他に描きかけて止めた3人の女性像が残っているらしい。
1番下層の女性はデッサン段階くらいで描くのを止めてしまった様子。
2番目の女性は、髪飾りの痕跡が残っていることから、聖母マリアを描こうとしたのではないかという予想。
当時髪飾りをつけて描かれるのは聖母のみだ、という意見が番組では採用されているんだけど、
これに関してはわたしは保留。

いかに倹約令が出されていたとしても、肖像画では普段の恰好よりおしゃれをした可能性もあるし……
前後何十年というスパンの話でいえば、女性の肖像画に髪飾りがついていたことなんてむしろ普通だと思うからね。
髪飾りをつけた聖母の例としてフィリッポ・リッピの「聖母子像」だけでは弱い。

まあこの2つは前座と言ってもいい。――ここでちょっと言いたいが、番組の作りとして前半もう少しあっさり目で良かった。
1番目2番目に律義に尺を取ったから、3番目と4番目の話が深まらなかったのではないかと惜しまれる。
後半が大事。


3番目がね(←これも今は隠されている)。
番組的にはこれがジョコンダ夫人なのではないかと言うのですよ。
一応彩色されたものが復元されていたが、この色はちゃんと分析から起こしたものだったかなあ……。
ちょっと内容を忘れてしまった。この復元の信頼度が十全とは言えませんけどね。

現行の(=4番目の)モナリザと比較すると顔の雰囲気はかなり似ているんだけど、顔の輪郭はだいぶ細身で、
髪型も少々違い、顔の向きももっと横向き。
線の細い、優し気な女性。慎ましやかで上品。――実際にいそうな女の人。

かなり説得されたのが、3番目の女性の服装でね。
当時の流行りの服装をしているらしい。袖は付け袖でリボンで結ばれていて、(なんと袖は取り換え可能だそうだよ!)
絹の肩掛けが人気だったとか。
番組に出て来たイタリアの服飾史家が、1500年から1505年に流行った服装だとか細かく刻んでいるので、
イタリアのモードはそんなに細部までわかるのか!と驚き。

1500年て日本でいうと、……日本でいうと、と考えて、思いつくものがサッパリなかったので
検索してみると、まあこれが目ぼしい出来事すらもない感じで。
あえて目ぼしいものを挙げれば1489年銀閣完成、その後は……1543年の鉄砲伝来ですよ!
日本だとそういう状態なのに、イタリアでは服装の流行りまでわかる!
なんのかんのいって歴史史料についての厚みは違いますね。さすが古代ローマの国です。

そこに「1503年にレオナルドはジョコンダ夫人の肖像を描いている」とのダ・ヴィンチの友人のメモ書きを合わせると
ピタリ、という。
情況証拠ではあるけれども、衣装と史料と絵の内容がそれぞれリンクされればけっこう信頼度は上がるのではないか。
今まで何が問題だったかというと、文献でどれだけ「ダ・ヴィンチがリザを描いた可能性」を調べても、
“それがあの絵だ”という部分には結び付かなかったもんね。

それが徒労感につながっていた。
美しい絵がある。それのモデルが誰であろうと、美しい絵の美しさには関りがない。
モデル探しに意味はあるのか?

正直に言うと、わたしは「モナリザ」、そんな好きな絵ではない。
ひとえに――手垢が、あるいは目垢が、つきすぎた。名画といえばまず出てくる絵、子供の頃から飽きるほど目に触れた絵、
なんかもう正直食傷。
ルーブルへ行った時も、「モナリザ」は、ああ、あるんだ、と横目で通り過ぎたくらい。
そもそも人だかりで見るっていっても見ようがないというか。


閑話休題。
3番目の復元図を見て、ああ、これなら納得出来ると思った。これならちゃんと女性の肖像画だ。
今まで感じていた違和感が解消される。
――それなら、現行の4番目のモデルは誰なのか?


……長くなりすぎたので、ここで一旦切ります。久々に大作だな。







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