華妃に日の下で跪いて「女誡」を読ませた甄嬛、
ついに流産してしまいました。
曹貴人の「低姿勢になるべき」の意見を受け入れ、
華妃は髪飾りをはずし、砕玉軒の外で跪くことにしました。
それは、「脱簪待罪」といいます。
後宮の妃嬪は、大きな過ちを犯した場合、
自ら謝罪する作法です。
簪や耳飾りなどを一切つけず、髪を垂れ下がり、
素朴な服を着替えて跪くのが一般的です。
ひどい場合は、素足も出します。
起源は周朝の姜皇后だそうです。
『列女伝』によりますと、
周宣王は、中年になると、
政事に無関心になり、
美女に溺れ、毎日享楽ばかりをしていた。
ある日、朝遅く起きる宣王を諌めようと思い、
姜皇后は、簪や耳飾りをはずし、
「王が色を楽しんで徳を忘れたのは、
自分の不才がためだ」と言い、
永巷で跪いて謝罪した。
それを聞いた宣王は反省をし、
政事に勤しむようになったという。
華妃は、脱簪待罪をしましたが、
心の中では、自分に非がないと思っていた。
確かに半刻跪いただけで流産したのは怪しいけど、
雍正の前でひたすら無罪やら悪意はないやらを主張し、
侍医に八つ当たりしたら、
容赦どころか、
さらに怒りを買うだけだ。